猪の肉を食した事を思い起こすと腹が減る。森の中の夏はテラスで涼むビアーガルテンのような、猟師やハイカーの食事処で食す。二流の料理であったのだが、肉が新鮮であった。充分に詳しい情報は得られなかったが、近所で仕留められたものらしい。
猪と言うと子供の頃から思い出がある。小学二年生の午後の遊びの時も終わろうとしている頃である。少々上気した狩猟会の一群が閑静な住宅街を通り抜けた。「ピーターと狼」や「赤頭巾ちゃん」の狩人達のように、前と後ろの足を二箇所結ばれた猪を棒にぶら下げていた。冬の始まりの季節であったろうか。一行は川原の空き地まで来ると、そこに散らかっている建造ブロックを腑分け台にして作業が始めた。我々は、この輪の外側の観覧席を占領して、固唾を呑んで仕事を観察した。
腹を裂いたりして、内臓などを処理した。充分に記憶にあるのは、その最後に手足などを解体して、我々子供達や犬に分け与えた事である。それを受け取ったクラスメートの何人かは、散々と家路について、各々が興奮した夜を過ごしただけでなく、明くる日は約束通りビニール袋などに猪の解体された手足や耳鼻等を入れて自慢げに小学校へと持ちこんだ。気丈な新婚の女先生がそこでどんな理科の学習を施したかは全く記憶に無いが、百万人都市の都市部の小学校での出来事としては予想外であったろう。表面上は、取り乱さずに落ち着いていたような気がする。給食の横で少しずつ手足は腐食して行ったのであろうか。誰かがその毛の生えた物をストーブに押し付けて「実験」していたような気もするが如何だったろう。こうした特別な事だけに今でも良く覚えていて、幾らか誇らしい男性的な思い出でもある。それを持ち帰ったクラスメートの面々の何人かの家庭は覚えているが、特別に生物に関係があったのは医師の息子ぐらいであったろうか。それでも我々は、動物学的な知的好奇心に満ち溢れていたような気がするのである。
その後十年以上してから、違う川原でキャンプをする機会があった。そこではある女子大学の似非動物生態学者が猪を餌付けしていた。猪の家族は、宴会が始まると直に残飯を目指して、我々の宴会の焚き火の輪を囲むように押し寄せていた。その厚かましさは、大変なもので親子が攣るんで走り回るのである。薪はどんどんとくまれ夜は更けて行った。当時の山登りの仲間には、溶鉱炉を夜通し燃やし続ける男がおり、火が消えそうになると立ち木に這い上がって太い枝を切り落とし始めるのであった。勿論、暗闇で鉈を振り回す彼を引き止める熱血漢はおらず、彼の職業的習慣を何時もの事として観察していた。朝までの十分な篝火の薪がくめられて、各々がテントに潜り込む時刻となると、猪の本格的な活動となる。鍋はひっくり返されて、テントが破られ食料が引き出されると、いよいよ夜勤の彼の本格的登場時刻である。こちらは狸寝入りを決め込んでいると、如何も猪の子供を捕獲したらしく、その死に物狂いの不快極まりない悲鳴に安眠を疎外される。流石に仕留める事は無く、明け方には解き放った様であるが、相手が子供とはいえ素早い動物を捕らえ、素手で押さえ込んだその能力だけは認めよう。
それからも 野 生 動 物 学術調査を主張した猪の餌付けの蛮行は続行され、住宅街への出没を許し、人的物的被害を引き起こし、あの時から二十年ほどして漸く大きな社会問題となって餌付けは禁止されたと言う。そして猪の解体後の舞台裏を初めて十年ほど前に知ることになる。その時は綺麗な銃痕のある衛生検査済みの死体が厨房に運ばれており、調理人による肉の腑分け後に、脳が取り出されて提供された。余りゲテモノは好かないので、良い印象は残っていない。それでも、猪の肉には抵抗が無く、今でも森の中で鹿肉などが当たらない時にはこれを喜んで食する。赤ワインと薬草につけ込んでおいた猪の肉は、牛肉などよりも柔らかくあっさりとしている。冷凍肉は食べようとは思わないが、猪の肉は新鮮であれば美味い。ラインガウのシュペートブルグンダーの赤を飲んだ。
写真は、エアバッハ周辺から臨む光るライン河。
猪と言うと子供の頃から思い出がある。小学二年生の午後の遊びの時も終わろうとしている頃である。少々上気した狩猟会の一群が閑静な住宅街を通り抜けた。「ピーターと狼」や「赤頭巾ちゃん」の狩人達のように、前と後ろの足を二箇所結ばれた猪を棒にぶら下げていた。冬の始まりの季節であったろうか。一行は川原の空き地まで来ると、そこに散らかっている建造ブロックを腑分け台にして作業が始めた。我々は、この輪の外側の観覧席を占領して、固唾を呑んで仕事を観察した。
腹を裂いたりして、内臓などを処理した。充分に記憶にあるのは、その最後に手足などを解体して、我々子供達や犬に分け与えた事である。それを受け取ったクラスメートの何人かは、散々と家路について、各々が興奮した夜を過ごしただけでなく、明くる日は約束通りビニール袋などに猪の解体された手足や耳鼻等を入れて自慢げに小学校へと持ちこんだ。気丈な新婚の女先生がそこでどんな理科の学習を施したかは全く記憶に無いが、百万人都市の都市部の小学校での出来事としては予想外であったろう。表面上は、取り乱さずに落ち着いていたような気がする。給食の横で少しずつ手足は腐食して行ったのであろうか。誰かがその毛の生えた物をストーブに押し付けて「実験」していたような気もするが如何だったろう。こうした特別な事だけに今でも良く覚えていて、幾らか誇らしい男性的な思い出でもある。それを持ち帰ったクラスメートの面々の何人かの家庭は覚えているが、特別に生物に関係があったのは医師の息子ぐらいであったろうか。それでも我々は、動物学的な知的好奇心に満ち溢れていたような気がするのである。
その後十年以上してから、違う川原でキャンプをする機会があった。そこではある女子大学の似非動物生態学者が猪を餌付けしていた。猪の家族は、宴会が始まると直に残飯を目指して、我々の宴会の焚き火の輪を囲むように押し寄せていた。その厚かましさは、大変なもので親子が攣るんで走り回るのである。薪はどんどんとくまれ夜は更けて行った。当時の山登りの仲間には、溶鉱炉を夜通し燃やし続ける男がおり、火が消えそうになると立ち木に這い上がって太い枝を切り落とし始めるのであった。勿論、暗闇で鉈を振り回す彼を引き止める熱血漢はおらず、彼の職業的習慣を何時もの事として観察していた。朝までの十分な篝火の薪がくめられて、各々がテントに潜り込む時刻となると、猪の本格的な活動となる。鍋はひっくり返されて、テントが破られ食料が引き出されると、いよいよ夜勤の彼の本格的登場時刻である。こちらは狸寝入りを決め込んでいると、如何も猪の子供を捕獲したらしく、その死に物狂いの不快極まりない悲鳴に安眠を疎外される。流石に仕留める事は無く、明け方には解き放った様であるが、相手が子供とはいえ素早い動物を捕らえ、素手で押さえ込んだその能力だけは認めよう。
それからも 野 生 動 物 学術調査を主張した猪の餌付けの蛮行は続行され、住宅街への出没を許し、人的物的被害を引き起こし、あの時から二十年ほどして漸く大きな社会問題となって餌付けは禁止されたと言う。そして猪の解体後の舞台裏を初めて十年ほど前に知ることになる。その時は綺麗な銃痕のある衛生検査済みの死体が厨房に運ばれており、調理人による肉の腑分け後に、脳が取り出されて提供された。余りゲテモノは好かないので、良い印象は残っていない。それでも、猪の肉には抵抗が無く、今でも森の中で鹿肉などが当たらない時にはこれを喜んで食する。赤ワインと薬草につけ込んでおいた猪の肉は、牛肉などよりも柔らかくあっさりとしている。冷凍肉は食べようとは思わないが、猪の肉は新鮮であれば美味い。ラインガウのシュペートブルグンダーの赤を飲んだ。
写真は、エアバッハ周辺から臨む光るライン河。
牡丹鍋で有名な県出身ですが今だ食したことがありません。どうも機会が無くて^^;。
その県では有名な山へ夜のドライブへ行った際、イノシシの姿をよくみかけました。成獣はこわいですがウリ坊はかわいかった。
阪神大震災の直前には住宅街に下りてきて人を襲ったりゴミ箱を漁っていたそうです。動物の本能で地震を感知していたのかもしれませんね。
シュペートブルグンダーは昨年末口にする機会を得ました。WeingutMeyerNakelという生産者のもので美味しかったです。
「大震災の直前には住宅街に下りてきて」は知りませんでした。
meyer-naekelを調べてみました。樽で比較的短い期間寝かしただけで大分価格を上積みしていますね。アールの土地から希望を求めて南アフリカへ進出して、積極的な投資をしているようですから、価格設定にもそれが表れているようです。2003年産は明らかに投機的価格ですが、質はそれなりに自信があるのでしょう。
http://www.meyer-naekel.de/preisliste2.html
猪は、いたるところに出回るようになりました。猟銃をやる人が少なくなっているので、もう猪の天下は広がるばかり。神戸の友人は、夜中遅く帰宅するとき、駅から猪と一緒に道を歩くこともあるとか。前にイチローが住んでいたマンションの前の道ですが。
ワインに付けるで考えたのですが、猪の味噌漬け・粕漬け類はあまり一般的で無いと。
こちらでも通常レストランのお定りお品書きの場合、大抵冷凍保存しています。それを解凍して焼くと如何しても肉の繊維質が壊れていま一つです。もう一つは、屑肉の煮込みですので、これは冷凍すると味が濃くなります。
やはり動物には予知能力があるのかもしれません。
meyer-naekelの情報、ありがとうございます。
私が飲んだのも2003年で価格は4400円でした。
明治の頃は禿山であった六甲山は、狸や狐類を除くと鹿や熊などは殆んど生息しなかった様ですが、猪は何故か増え続けました。禁猟が繁殖を助長させた様です。
三倍価格を考えると2003年産で価格は4400円は、試すにはお買い得ですね。ドイツ赤ワインにとっては空前絶後のヴィンテージですから。