Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

新月過ぎの葡萄の精

2005-10-10 | アウトドーア・環境
金曜日に、隣町へと食事に行って、歩いて帰って来た。

餃子の中に白身の魚のすり身入れたものを注文する。ジャガイモスープの後に、料理をリースリングと合わせた。ワインを口に含むと、其れまでは感じなかった魚臭さが出て来て難しいと思う。ヴァイスブルグンダー、所謂ピノ・ブランの方が良かったかもしれないが、リースリングで通す。黒パンが口を変えてくれるので、それほど悪くは無い。

半リッターほど飲んでから、帰り道は遠回りをしてワイン畠の中を一人で歩いて帰る。途中、10時の鐘が、背後の村の教会からと自宅の方の教会の双方から聞こえてくる。本日最後の鐘の音である。数時間ぶりに時刻を意識する、いつも時計を持ち歩いていないからである。音質とタイミングが随分と違う双方の鐘が連打する中を歩いて行くと、何時の間にか前の方からの音が強くなり背後の音は聞こえなくなる。

天空は余り澄んでいなくて、霧っぽく湿気が冷たいが、幾らか星が見える。殆んど暗闇の新月から五日目である。少し坂になっている畠の中を縫う道が、暗闇の中で上下の感覚を奪い去り、空間を容易に歪曲させる。葡萄の実りの中を歩いて行くと独特な香りに気が付く。この時期摘み取ったばかりの葡萄が酵母と共に発酵する町の其れとも違う。

今しがた虫の音も聞こえていたが、暗闇の中の行進で、熟れて黴の生えだした葡萄の精がホルモンのようなものを激しく発散していることに圧倒される。三次元空間も希薄になり、植物の呼吸を一身に受けていると、視覚的なものとも、聴覚的なものとも異なる感覚が広がる。

村醒めとはならなかったが、冴えた気持ちで家に辿り着く。往復50分ほど計約7キロの道のりを、葡萄の精と共に夜の散歩をした。
コメント (4)
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