大きな板絵の聖母子の一群から、ウフィツィ美術館の旅は始まる。
中でも一頭地を抜くのが、絵画の祖とも呼ばれるゴシック美術の巨匠、ジョット・ディ・ボンドーネの傑作「荘厳の聖母‐オニサンティの聖母」(写真上)である。
彼は、アッシジの大聖堂の上の教会やパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の連作壁画など、多くの傑作を残している。
この「荘厳――」は、フィレンツェのオニサンティ聖堂の祭壇画として描かれ、それまでの平面的、様式的に描かれることが常であった対象を、絵画の祖に相応しくその内面を、「聖母子の顔、怖い?ほど」鋭く捉えている。
初期ルネサンスに時代を進めると、まず目に付くのが、ピエロ・デラ・フランチェスカが板の裏表に描いた「ウルビーノ公夫妻の肖像」(写真中)。
鮮やかな赤が際立つウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ、対照的に地味な衣装の妻バッティスタ・スフォルツァ。
この時代特有の半身真横という形式で描かれた本作は、背景にネーデルランド絵画の特徴を示す空気遠近法を用い、この時期の肖像画としての評価は高いという。
同じく初期ルネサンス画家で、透視図法を用いて童話のような幻想的世界を描いたパオロ・ウッチェロの連作、「サンロマーノの戦い」も架かる。
三部構成で描かれたこの絵、ロンドン・ナショナルギャラリーが「<サンロマーノの戦い>」、ルーヴル美術館が所蔵する絵には、「<ミケリーノ・ダ・コティニョーラの援軍>」のサブタイトルが付いている。
そして、ここウフィツィ美術館が所蔵するのが、「<ベルナルディーノ・デッラ・チャルダの落馬>」だ。
余談だが、この旅の翌年、このウッチェロの三連作の全てを見ることが叶い、単純にも「嬉しい!」と喜ぶ。
ちなみに彼は、ここフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の修道院の回廊に、同時代の画家とともに「創世記」のノアの箱舟(新共同訳 6.~8.)(写真下)などをモチーフに壁画を描いている。
その壁画、テルヴェルト・緑色顔料が多く用いられために、陽がさすと辺りがその色に染まることから、「緑の回廊」とも呼ばれている。
小さな美術館でもある本堂と違って、忘れられたようなこの回廊、ペトロ とカタリナ
が訪れた時には、残念ながら相当剥離していた。(ウフィツィ美術館の旅は続く。)