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死後

2018年01月08日 | 雑談
法務省が、自筆の遺言書を法務局で預かる制度を創設するそうです。これまでは、費用もかけずに自分一人で作成する自筆証書遺言は、簡単な反面、その存在が知られずに終わってしまう可能性がありました。発覚後も発効させるには家庭裁判所の検認が必要でした。確実な遺言書にするには、公正証書にする方法がありますが、費用が発生する上に証人も必要になります。高齢化(多死?)社会を迎え、政府は相続トラブルの増加などを見越し、自筆証書を公的機関である法務局で預かる制度をスタートさせる事になったようです。同時に、配偶者が居住地を売却して退去しなければならないような事態を避けるための「短期居住権」「長期居住権」なども検討されているそうです。

「終活」といった言葉が流行り、自らの「死後」を真剣に考える人が増えているらしいです。人はいつか必ず終焉を迎えます。想像の域を越えませんが、それは「生の終わり」であって、その後の事は一切が自らの意思を離れるものと思わねばなりません。「遺言書」を残す方のお気持ちはわかります。特に多額の財産所有者にしてみれば、自分の財産は自分の意図する通りに相続して欲しいと願うのも、死後の要らぬいさかいを生みたくないという願いも、当然の事だと思います。

けれど一方では、「自分の死後」に「自分の意思」というのは無くても良いのではないかと思ったりするのです。上述のように配偶者が住居を追われるような事態は避けるべきですが、緊急の用途を持たない過分の財産については、「死」と同時に放棄しても良いのではないでしょうか(財産を持たない者は気楽でいいです…笑)。葬儀は死者の為では無く、生き残った者の為に執り行われるものだと思っています。死者はその瞬間に俗世の全てから切り離されて、関わりを失くすものだと思うものです。自分が築いた財産に執着があるのであれば、生前に使い切るのであれ、人に上げてしまうのであれ、自らの意思で処理をすればよいでしょう。死んでしまえば所有権は消滅しても良いのではないでしょうか。その遺産を巡って、相続がもめるのであれば、(遺族がごく普通の生活を維持するのに必要な金銭以外は)相続制度そのものを失くしても良い…くらいの思いです。

まだまだ…だと、心のどこかで思っているから、死後の事など平気で想像できるのかも知れません。が、人は必ず死にます。後悔しないような生き方をしたいと思います。

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突然「上書きモード」になってしまいました

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