ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

スマホ

2017年03月27日 | 社会派らぼ
少し前までは、パソコンが苦手の上司に対して若い新入社員がパソコンの手ほどきをする…といった光景があちこちで見られましたが、今は若い社員がパソコンが使えないのだそうです。若者はスマホを使いこなすのが上手で、日常のあれこれはスマホさえあれば事足りるため、パソコンが使えないのだそうです。本当の話なのか分かりませんが、上司からパソコンでビジネスメールに返信するよう指示された若手が、ライン感覚で署名も入れずため口のメールを送ったとかいう話も聞きました。彼らはスマホのフリック入力に慣れきっていて、キーボードは苦手なようです。いずれスマホの進化はパソコンをしのぎ、パソコンが時代遅れになる未来が見え隠れしています。

ただ、スマホの普及に警鐘を鳴らす人も少なくはなく、今ここでどのような未来を引き寄せるか思案時なのかもしれないと思ったりします。スマホの使い過ぎが、行動を受け身にさせるとの指摘を目にしました。私はスマホに限らずゲームや映像に感じることがあると書いた事がありますが、良く分かる気がするのです。スマホを使って能動的に情報を集めているようには勘違いしていますが、結局のところは貼られたリンクをたどって、人の言動を追っているだけ…に過ぎません。私自身は、そんな中で自分が受け身になって行くことを実感するのですが、これらのツールに慣れ切ったスマホ民は、当たり前すぎて違和感をも感じていないのではないかと懸念します。

文字を深く読まなくなっているのではないかという意見もあります。私は長文を読もうとするときに、わざわざプリンタで印字することがあります。画面上をスクロールしながら目で追っているだけでは、頭に入って来ないのです。手と目の動きに留まって、脳の奥まで伝わって来ない(?)。字面だけを踊るように読み進めてしまうのは、私が速読するときの手です。じっくりと考えながら読むには、スマホが不向きに思えるのは、明らかに私がスマホ世代では無いからだろうと思います。

恐らく、パソコンが便利で、人間の能力を飛躍的にアップさせたのと同時に、失わせたものも数多くあるのだと想像します。そして、何とかパソコンとの付き合い方を模索し始めた今、今度はスマホが私たちの何かを奪おうとているのかも知れません。「パソコンはのこぎりです」これは、私の自論です(笑)。つまりパソコンそのものが目的なのでは無くて、何かをするための道具に過ぎないという考え方です。道具に振り回される事なく、何がしたいのかをシッカリと見据える必要がある…というのが、私の思うパソコンの使い方です。それに例えると「スマホは電動のこぎりです」かな? 気が付かないでいると、知らずに誤ったところを切断する大ポカをしたり、自分や人に大怪我をさせたりしかねません。

どのように、どう使うのか…が問われるべきです。

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斜線を引いた表を作成したい

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純粋?

2017年03月26日 | 社会派らぼ
殺人と殺人未遂罪などに問われた名古屋大の元女子大学生に対し、名古屋地裁が無期懲役を求刑しました。19歳当時、自宅アパートで女性を殺害、のちに高校生当時に同級生に劇物の硫酸タリウムを飲ませていた事などが発覚しています。元女子学生の側の弁護士は、控訴するのかの問いかけには答えませんでした。

弁護側は責任能力の欠如を主張したようですが、認められませんでした。凶悪犯罪が起こる度に、弁護側は心神耗弱を主張し、精神鑑定が実施されて責任が問えない…といった結論に歯がゆい思いをすることがあります。普通の人間が「人を殺す」といったような場面で、冷静であろうはずはありません。とにもかくにも人を殺めたのであれば、どんな状況であろうと、その責任は取らなければならない…と私は思います。(たとえ、心神耗弱が認められようとも…です。)

その意味で、自身の興味のままに、人を殺したもしくは殺そうとした彼女が、その責任を問われるのは当たり前だと考えますから、無期懲役という求刑には頷くところです。ただ気になるのが、彼女の取り調べを通じて語られる彼女の真実です。中学生の頃から「死ぬ」もしくは「殺す」という事に異常な興味を抱き始め、殺人への欲求に至るまでの心情を、彼女は誠実に赤裸々に語っているように思うのです。それを読む限り、この性癖に気づいていた周囲が、何もできなかったのだろうかという思いが捨てられません。

彼女の中には葛藤があったに違いません。ごく普通の人間であれば、そうした内なる悪魔をねじ伏せてしまう精神力が自然に育つはずなのに、恐らく彼女にはもっと「治療」が必要だったハズなのです。内に住む悪魔を「悪」だと認識できさえすれば、「悪」は遂行してはならないという学習をもっと幼いうちに施すことはできなかったのでしょうか。

周囲の、いいえ社会の、そんな事はわかっているに違いない…という愚かな(?)常識が邪魔をしたのでしょうか。ニュースを見る限り、もしかすると彼女は私なんかよりずっと純粋な人間なのかも知れません。

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和暦日付を簡単に入力したい

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怪我

2017年03月25日 | 社会派らぼ
大相撲春場所13日目に、新横綱稀勢の里関が怪我を負いました。今場所初黒星を喫した際、寄り倒された際の怪我で、日頃痛みなどを顔に出さない横綱の苦悶の表情に、怪我の程度を心配する声が相次ぎました。…が、強行出場の意思が固く、14日目に登場したものの2敗目を喫しました。明日は千秋楽を迎えますから、多分出場されるのではないでしょうか。素人がどうこういう問題ではありませんが、怪我が大事に至らない事を祈ります。

実は、WBCに出場していた西武の秋山選手も、右足指の骨折をおしての出場であったことが報じられています。強化試合での死球で骨にひびが入ったものの、試合にも出場し好成績を上げたとか。球団は把握していたものの、侍ジャパンの起用方針に一任するしかなく、監督はハラハラしていたと言います。それでも強行出場しながらも、負傷箇所も回復させ、今春の開幕には支障もなさそうです。

スポーツ選手が怪我をした際には、単に怪我の状況だけにとどまらず、様々な事が絡んでその進退が難しさを伴います。どちらかというと、日本では「精神論」が大きな顔をして語られることが多く、「怪我をおして」というのが美談となることがしばしばです。横綱も「綱の責務」のようなものが頭をよぎったのでしょうか。

スポーツ選手の怪我というと、2014年の羽生結弦選手が練習中に他選手と衝突して負傷したことがありました。羽生選手はその後の試合に出場し銀メダルを獲得しています。この時も、本人が出場の意思を示しても、出場させるべきではない…といった議論が聞かれました。

いずれのケースも、ご本人の強い意志を前提に、医師の診断も加味しての出場結論だと思います。が、少なくとも「美談」を煽って書き立てるのは止めていただきたいと思います。

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Word2016での標準フォントは、MS明朝では無いのですか

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科学技術

2017年03月24日 | 社会派らぼ
英国の科学誌「ネイチャー」は、世界的に権威のある学術雑誌として評価されています。記事の多くが学術論文であり、ネイチャーに掲載されるという事が科学者としてのステータスの証と考える人も少なくありません。そのネイチャーが、「日本の科学研究が失速している」といった記事をまとめています。ノーベル賞を受賞する日本人が続いているように、日本の研究は世界トップ級の実力を誇っています。

日本の論文は、最近5年間では8%減少しているそうです。中国などが50%近く増えているのとは対照的な結果だと分析しています。2016年のノーベル生理学・医学賞の受賞者である大隅良典氏がインタビューに答えて、日本の科学水準は高いが、過去の遺産を食いつぶしているようなもので、今後については懸念している…と言われたことが印象に残っています。

世の中の「時間」の概念が、昔と比べると圧倒的に早くなっています。社会が、ボタンを押せばすぐに結果が出る…といった事を求めており、地道に時間をかけて目に見えない成果を積み上げていくなどといったやり方は流行らなくなってしまっています。研究などというものは、必ず予想通りの結果が出るわけではありません。殆どを地味な暗闇の中で過ごしているようなものかも知れません。それでも、結果の一つ一つに意味があると考え、諦めずに積み重ねていく者だけが「陽のあたる」結果を手にするところに至るものです。

今の風潮は、短いサイクルで結果を出すことが求められ、しかも生産的な(つまり経済効果をもたらすもの)ものでなければ採算が取れなくなっています。研究所にも「労働基準法」が適用されますから(当たり前ですが)、スタッフが思うように研究が進められないといった目に見えない壁も立ちふさがります。

テレビドラマの「医者もの」では、「論文」ばかりに偏る医師を批判的に描いているものもあります。が、地道な基礎研究…というものは、長い年月の辛抱強さからしか実らないのも事実です。誰もが同じ形の「理想」を持つことに無理があります。これからも基礎科学をはじめとする多くの場で、日々熱い研究が積み重ねられていくことを期待したいと思います。灯は一度消すと、再び点火させるのには、信じられないほどの年数と根気とエネルギーが要ります。経済的な部分を含む国の援助が不可欠だと思います。

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Officeの製品形態は、いくつあるのでしょう

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洗脳

2017年03月23日 | 社会派らぼ
堀江貴文氏が「すべての教育は「洗脳」である」と題した本を出版されています。副題に「21世紀の脱・学校論」とある通り、氏の今の教育への批判が盛り込まれているようです。読んでから書けよ…という話なのですが、まだ完読していません。ただチョット挑戦的なタイトルが気になっただけです。元々ホリエモンという方は、やんわりしたものの言いようをされる方ではなく、それがまた氏の魅力でもありますから、パンチの効いたタイトルでなければ「らしさ」に欠けますよね。

挑戦的なタイトルを選んでおられるのでしょう…という事は、大方の人は教育と洗脳を全く別のものと考えているという事になります。ですが、間違いなく「教育とは洗脳」なのだと私は思いますし、それが悪いわけでもないのではないでしょうか。極端な例が北朝鮮などに見る国民の洗脳です。それが彼の国で「教育」というレベルに達しているのかどうかは別として、更にはすべての民衆に政府の矛盾が見えないわけでもないでしょうけれど、それでも彼の国では「北朝鮮」という国家は唯一無二の正義であると国民を洗脳しているはずです。

「洗脳」という言葉だけが刺激的すぎるのだと思います。教育というのは、子ども達に「大切なこと」が何であるかを教え、彼らの心の中に、一生生きていくよすがとなるようにしみ込ませ、導くものであるはずだと思うのです。「1+1=2」を教えることも大切です。ですがそれ以上に大切なのは、何かと何かを足し合わせるという事はどういうことなのかを知る事です。

思想の自由が憲法で保障されています。だから、公教育では「思想的な事」や「宗教的な事」を教える事はご法度になっています。私は「思想」も「宗教」をも超えるものがある…という風に思っています。それは安直な言葉を使うなら「良心」とでもいうものでしょうか。別の言葉でいうなら「善悪の絶対音感」のようなもの。今の教育に欠けているのは、「洗脳」すべき軸を持たないことのような気がしてきます。

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既定のブラウザを変更したいのにEdgeから変わらない

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残業時間

2017年03月22日 | 社会派らぼ
ヤマト運輸が、ドライバーの労働環境改善のため、配達時間帯の変更などを発表しました。ネットショッピングなどの売上高が大幅に増えている昨今、宅配の件数もおそろしく伸びていると言います。そのため、ドライバーの業務が苛酷になっていたようです。確かに、日中は仕事などで留守家庭も多く、不在の場合は再配達の手間になるわけですから、ドライバーの休憩時間に充てるのは賢明です。運転という仕事は疲れから注意不足を招きかねませんから、ドライバーの労働環境への配慮は安全の意味からも必須だったかと思われます。業者間の競争などを理由に、労働環境の見直しが頓挫しなくてよかったです。

残業が多い会社はブラックのように言われます。電通女性社員の自殺も大きくニュースで取り上げられました。日本では労働基準法という法律が整っており、労働条件は「人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」とうたわれています。働き方を見直そうという動きは、ヤマト運輸だけでなく随所で取り組む機運にあります。

ガス器具メーカーのパロマでは、就業時間を過ぎて居残る社員が白、黄、赤の腕章を着ける…という記事には少々笑ってしまいました。白は1時間、黄は2時間、赤は3時間というそれぞれ前もって申請した残業時間の腕章なのだそうです。残業している社員が一目で分かるように…という配慮だそうです。

残業がひとっからげに悪者のように言われていますが、規則にありがちな杓子定規では、理想の労働環境を創り出すことはできないのではないかと危惧します。運転業務などのように、疲労と運転時間の長さが正比例している職場ばかりではありません。研究所のような環境で、労働組合が残業を厳しく咎める事で、仕事に支障を来たしている例も聞きます。労働者本人の意思を無視したオーバーワークは無くすべきでしょうけれど、本人の裁量に任せる自由度もあって良いのではないでしょうか。

外資系の会社などによくある「能力給」という制度も、あながち悪くないと思うのですけれど。何時に帰ろうと会社から咎められることは無いけれど、結果を出せ…というもの。シビアではありますが、本来の仕事のやり方かも知れないと思ったりします。

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最大化と全画面表示の違い

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カーナビ

2017年03月21日 | 雑談
最近の車はカーナビがついているのが当たり前…のようですが、我が家の車にカーナビはついていません。場所が分からないところへは乗って行かない(笑)私には、特段不便だと思わないだけです。第一、たまに自信の無い場所へ行かなければならない際も、スマホがカーナビ代わりになります。地図アプリで目的地までのルートを表示させて「ナビ開始」したスマホをタコメーターの窪みに立てかけておけば、立派にカーナビを務めてくれます。確かに便利ですが、これで用が足りているのが現状です。

ただ、私が良く使うGoogle Mapsは広い道路だけでなく、裏道も含め(恐らく)一番近いルートを探っているようで、「えっ!そっちかよ」(笑)と思う事もしばしば。時々(聞き間違いでしょうか)左右を逆に言っている時もあったりする気がします。ナビを無視して違う道を進むと、それはそれで続きを誘導してくれますから、便利だと実感します。

が、誘導に従って、あまり走らない道に入り込んでしまったような場合、(根が運転下手ですから)ここでナビゲーションが止まったら困るよな…と思う事もあります。実際、電池切れなどを起こさなければ、ナビが止まる事は無いのですが、知らない風景の中を走りながら、一抹の不安を覚える事も…。

多分、これは私が運転に自信が無いからそう思うのであって、パソコン操作に自信が持てない方のパソコン不安と同じ種類のものでは無いかと想像します。世の中は日進月歩で、特にIT技術というのは、目を見張るほどの進化を遂げています。世の中のパソコンが止まったら、社会は大混乱が必至です。だから、無停電電源装置やデータのバックアップなど、私の知らない技術も含めて様々な危険回避の手段が講じられているはずです。

ですが、それでもシステムダウンは起こります。もし、今情報が途絶えたら…。あまりにもこの便利な世の中に慣れきってしまう事に、一抹の不安を感じる私はやはり旧い世代の人間のようです。

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最大化と全画面表示の違い

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厩戸王

2017年03月20日 | 社会派らぼ
文科省が次期学習指導要領改定案を示しました。社会科で学ぶ「聖徳太子」の表記が、現行では小学校で「聖徳太子」・中学校で「厩戸王」と習っているのを一律「聖徳太子」に戻すという事が盛り込まれているとか。従来私たちは「聖徳太子」と習って来たように思いますが、歴史学では「厩戸王」とされていることを重んじて上述の表記にするよう提案されたらしいです。ところが同じ人物の表記が食い違う事を懸念する意見が相次いだための措置と言われています。

子ども達に教える内容に嘘があっては不味いですし、今回の事に限らず、学会の見解というものも時に変わることを考え合わせると、指導要領が二転三転することがあっても仕方がない事かも知れません。ただし、教育が文科省の筋書きに従って日本中で一本の筋が通っていなければならない事の一方で、その対象者は進学進級に伴って毎年変わっているという当たり前の事も忘れてはなりません。

以前に「台形の面積」を算出する公式を教えるか、教えないか…で、要領が二転三転したことも記憶に新しいことです。台形の面積の公式を教わることなく、卒業した学年があるという事は事実です。翌年から戻せば良いというものとは違います。日本中、一律同じという事に、元々無理があるのは明白です。ですから、伝えるべき事実だけでなく、その裏にある伝えなければならない真理を申し合わせておくことが必須です。元々、「台形の面積」などというものは、「三角形の面積」の出し方が分かっていれば自力で導き出せるものです。導き出せる力を子どもたちに授ける事が「教育」です。

学会での呼称に基づいて、より正しい歴史の知識が身につくことも大切です。が、もっと放置されている部分での指導要領が検討されるべきかと感じます。学校の現場にIT教育が持ち込まれて随分年数が経ちました。…が、いまだにはっきりとした指針があるように思えないのは、現場を知らないせいだけなのでしょうか。

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数値の大小の判断をさせる時に文字列データがあると判断がおかしい

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受け身

2017年03月19日 | 社会派らぼ
国立青少年教育振興機構が実施した、高校生の調査結果が発表されていました。日本、米国、中国、韓国の4か国の普通科高校生徒を対象にした意識調査だそうです。日本の9割以上の高校生は授業は教科書に従ってその内容を覚えるものだと感じているらしく、4か国内で「きちんとノートを取る」生徒が多い一方「居眠りをする」生徒も一番多いようです。逆に「グループワークに積極的に参加する」生徒や「積極的に発言する」生徒は一番少ないという結果になっています。結局、勉強というものは「試験の前にまとめてする」ものであって、「自分で考え」「実際に応用」するものではないようなのです。つまり「勉強」というものは、教科書に書いてあることを「覚える」ものだから、居眠りをしていていも教科書には書いてある…から、問題なしなのかなと想像してしまいました。

大体、その習得度合いを測るべき「試験」といったものが、「覚えて」いれば正解が出せるような類のものなのですから、それに向かっていく勉強が暗記中心になってしまう事は仕方がない事なのだろうと想像できます。でも、他人に分かりやすく説明できることとか、他人の言おうとしていることを理解することなど、「日常力」になるとからきし要領を得ない…なんてこと、良くあります。それらは「コミュニケーション能力」などと呼ばれ、学業とは別建てで考えられているようなのですが、そのあたりが少し違うのではないでしょうか。「算数」という学科は論理的にものを考えるための教科で、「国語」は理解しやすい言葉を習得するための教科だと、そんな風に思っています。プログラミング教育が始まる…と、言われています。新しい勉強が必要なように思われていますが、それは本来「算数」が担ってきた分野なのだと思います。

更に、これは単に私がそうである…というだけなのですが、例えば「ゲーム」とか「映像」とかいったものには「人を受け身にさせる」要素を含んでいるような気がします。ゲームは頭を使ってもいるようではありますが、大半は単純な行動の繰り返しで「次こそは!」みたいに気持ちが萌えさせられる部分があります。一点に集中してクリアしていく過程は無心で居られるものです。同様にこちらから何も働きかけなくても、次々と話が展開していく映像も、ただ受け身で居ても感動もできます。若者たちがゲームや映像の世界で心を遊ばせている事自体が、いつの間にか彼らを受け身にさせていたら…ちょっと恐ろしいかも知れません。

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写真を型抜きして周囲をぼかしたい

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久々に

2017年03月18日 | 雑談
良く1月から3月はあっという間に日が過ぎるといった事が言われますが、本当に気づけば3月も中旬。まだまだ寒さが残りますが、春の気配がすぐ近くまで来ている季節になりました。1月末からツイ先日まで、プライベートが多忙で、ブログを放ったからかしにする日々が続いていました。私自身、気になるサイト情報の更新が無いと、「あれ?」とツイ何回か覗きに行ってしまう方ですから、この間お訪ねいただいた「訪問者数」の数を見つつ少し心が咎めます。失礼いたしました。

特段毎日アップするぞ!とか考えているわけでは無く、気ままに書き散らかしているだけですので、また気が向きましたらお訪ねください。自身に暇があろうとなかろうと、世の中は同じいつもと変わらないペースでいろいろの事が起きているわけですが、「アンテナ」を建てていないと、何事にもあまり心が引っかからないものです。社会に対する「アンテナ」を気にもせず、プライベートな時間に追われているのは、ある意味で究極の幸せであるような気はしますが、人はやはり「社会と繋がって」いるべきではないかと、私は思っています。社会のため…といった大層な視点からではなく、常に自分中心になりたくは無いと思っているだけです。

東北大震災での原発事故の際、福島から避難した原告団に対し、地裁が国・東電に「津波は予見できた」とし賠償を命じた判決を出しました。原発事故をめぐって国の賠償責任を認めた判決は初めてのようで、各メディアが一斉に報じています。恐らく他の人々や訴訟にも影響を持つものかと思います。当時のそして今も続く避難生活でのご苦労は計り知れないものがあると想像し、僅かな額とは言え少しでも生活が保障されれば安堵も増えるかと思います。その一方で、地震の予知は難しいとされている現状で、どこまでの規模の津波に対処しておくべきかは意見が割れるところも否めません。

この訴訟に限らず、日頃、世の中の事をすべて「裁判」で解決しようとするところには無理があると感じています。「悪意」は裁かれて当然なのでしょうけれど、「怠慢」や「過失」「不注意」の線引きには難しさが先に立ちます。

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iPhone撮影の写真をトリミングしたい

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