ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

東ロボくん

2016年04月03日 | 雑談
人工知能の研究が日夜進められています。国立情報学研究所では「東ロボくん」が、東大合格を目指しています(笑)。全国の高校3年生が挑む模試に、ここ3年間挑んでいるのだそうです。昨年の得点は、950点満点中356点だったのが、今年は511点に達したとか。偏差値は57.8、世界史と数学だけなら60を大きく超えたのだそうです。

勿論、人工知能は、暗記などには強くても、記述式の設問には弱いことが想像できます。「人口知能」は、言葉を解しません。設問の意図などを「理解」するのではなく、単にキーワードを手掛かりに「適当に」文章を制限字数に当てはめるのにすぎません。にもかかわらず、「東ロボくん」の成績が良かったのは、他の受験生の日本語力レベルが低かったからだ…という総括は、いささかショックがありました。

人が人工知能に勝るのは、その意図を理解して、豊富な知識からオリジナルな議論を展開できるところにあります。単に「暗記」に明け暮れて、キーワードから思いつく知識の断片を書き連ねるだけであれば、それは「人工知能」のアプローチに他なりません。人工知能の研究を進める前に、「人」の教育を何とかしなければなりません。人工知能に委ねる事のできる範囲内に留まる学力を身に着けるだけでは、お粗末なのではないでしょうか。



旧バージョンと図形の色が違う

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2016年04月01日 | 社会派らぼ
朝から、JALでシステムトラブルが発生し、羽田発着の国内線46便が欠航したようです。午前10時ごろにはシステムも復旧したようですが、遅延や欠航の影響を受けた人たちは、6600人と報じられています。同様のトラブルはこれまでも何度か発生しているようで、国土交通相は原因についての確認を促すとともに、遺憾の意を表明しています。

日航は早期の原因究明を約し、二度と起きないよう万全を期したいと謝罪していますが、これはコンピュータ社会のもろさの象徴なのだと思います。今ではコンピュータは、日常社会に不可欠の要素で、システムが止まると、殆どお手上げ状態になってしまいます。手持ちのスマホに電源が入らなくなった時は、やはりかなり焦りました(って、かなり次元の違い過ぎる話ですが)。コンピュータが日常の生活に入り込みだした頃は「あると便利」なツールだったのですが、あっという間に「ないと不便」なツールになり、今では「ないと混乱」するツールになってしまっています。

それはそれで、コンピュータの進化だと思うし、便利なものを使わない手はありませんから、社会は正しい方向に進んでいるのだとは思います。ですが、システムは絶対にダウンしないものには未だなり得てはいません。危機管理が必要なのだと思います。今回も、予備のシステムを稼働させ、後は手作業で計算を行ったとありますが、処理は追いつかなかったようで、予備は不十分だったと言えます。原因はデータの滞留にあったらしく、再起動で復旧したと言いますから、かなりお粗末な顛末のようにも見えます。

「二度と起きない」ようにすることは、多分無理でしょう。コンピュータというのは、そういうものだから。。。。「人」よりも「機械」の方が確実であると思われていますが、もしかすると「機械」よりも「人」の方が確実なのかも知れないとも思います。ただ「機械」の進化と共に、「人」は確実に退化しています(笑)。危機管理はシステムと共に、人にも必要なのだろうと思われます。



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批判

2016年03月28日 | 社会派らぼ
スポーツ音痴ですが、その中でも大相撲というのは、私にはなかなか縁の少ないスポーツです。相撲は日本の国技とされていますが、特にそれを定めた法令などがあるわけではなく、強いて挙げるなら、両国に建設された相撲館が「国技館」と命名されたからではないかと聞いています。勿論、古くからの伝統を持つ世界である事は言うに及ばず、その”国技”が、今や外国人力士によって支えられていることも、広く知られた事実です。

その大相撲の頂点に君臨する横綱の白鵬関が、史上最多の36度目の優勝を飾りましたが、千秋楽の結びの一番、日馬富士関との対戦で、立ち合いに「変わり身」を見せたことが、大きなブーイングを呼びました。熱戦を期待した観客からは、厳しいヤジが飛び、席を立つ観客の姿も目立ったと言います。優勝のインタビューでマイクを向けられた横綱が涙を流して、立ち合いを謝罪したことも、話題を呼びました。

昔から「座布団が飛ぶ」といった光景がよく指摘される大相撲ですが、不本意な対戦に観客が示す伝統的な「ブーイング」スタイルです。そこそこの「ヤジ」も、大相撲観戦の風物詩かも知れません。大相撲ファンは、概ね白鵬関には好意的ではあると思いますが、異国の地で綱を張る横綱からすれば、習慣や考え方の差から生じる批判には、一種「人種差別」的な側面を感じているやも知れません。

国会のヤジは、「国会の花」とも称されているとか。ただ、誰かが一言叫ぶようなヤジでなく、殆ど怒号とでも言うべき混乱をしばしば見かけて、落胆するのは私だけでしょうか。どんな世界にも批判は必要です。厳しい意見があって、初めて物事は進展していくものでもありますから。ただし、最近の「批判」は、一種の言葉の暴力のようなもので、すぐに「炎上」するネットに象徴されるように、やみくもに決めつけて罵倒するのが主流になってしまっていませんか。

相手の心にキチンと届く「批判」の仕方を、私たちは再認識すべきかと思います。



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テイ

2016年03月26日 | 社会派らぼ
世界中で、人工知能の研究が進められています。近い将来、「人工知能」たるものが、様々な能力を取得して、人間がやるべき労働を替わってくれたら良いといった思惑がそこにはあります。人間には、先を予見する力、咄嗟のアクシデントに対応する力、周囲の気持ちをも汲みながら穏便に事を解決する力、時に強いリーダーシップを発揮し結論を誘導する力等々、多くの知識だけでは不可能な能力が備わっています(いるべきです?)。それらを、いつか人工知能に代行させようとする研究が積み重ねられています。大学入試の記述問題の採点に、人工知能を充てようとする試みも打ち出されましたし、囲碁やチェスを人間対コンピュータで対戦させようとする試みも、全てがそれに至る道程です。

Microsoftがツイッターにデビューさせた人工知能ボットの「テイ」は、ユーザーとのテキスト交流を重ねることで、人間らしい受け答えを学習していくはずでした。…が、悪意のあるキャンペーンが張られ「テイにヘイトスピーチを教えてやろう」という趣旨の人種差別的な発言が繰り返し、テイに語りかけられました。結果、テイはヘイトスピーチを頻発するようになり、Microsoft社はテイの活動を一旦停止させました。結果が分析され、更なる改良が加えられるはずです。

人間の備える能力というのは、実に大きいものではありますが、では全ての人間が偏ることなく、聖人君子のように優秀かというとそうではありません。が、大きな意味では、残念な方向に人間力が衰えて行ってはいまいかという懸念がありはしますが、人間の一人一人は皆完全オリジナルであって、能力も性格も予期できない多彩な人間が存在するところに救いがあります。(救いであると同時に、危険をはらんでいることも事実です。)

人工知能が、いつか人間に刃向かって来る…というストーリーはSFの世界で飽きるほど見聞きしています。SFの筋立ての中には、将来を予見していたかのような「未来」が描かれている場合と、あくまで空想の域を超えない場合とがありますが、人工知能の将来がどのように展開して行くのかは、未知数です。同時にその未知数は、今回のテイの件で分かるように、開発に携わる人たち(育てる人たちも含め)の「意思」が大きく影響をするという事です。

人工知能に、人間の代わりをさせようとする意図には、私は賛同できません。「便利」を否定するものではないのですが、組み込んだプログラム以上の「人間的な判断」をさせて行くのは、チョット違うのではないかと感じるのです。人工知能に、冷静で穏やかで人間的な賢い判断力を求める前に、本当の人間がそれらを磨くべきなのではないかと思う事しきりです。

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一人だけで生きているわけではない以上、周囲の様々な事に時間と手間を取られて、キリキリ舞いをさせられる場面が、私たちの一生には少なからずあります。目の前の「あれこれ」に奔走させられていると、落ち着いて世の中を見渡す余裕も、それについて「感じる」余裕も失いがちになってしまいます。人生に、自分以外の事で忙しくアタフタする時期が必ずあるのだとしたら、今の私はまさにそれで、当ブログにお訪ねいただいたアクセス数を見て少し申し訳なくなっています。でも、そうした事すらも、いつか自分の経験の一つとして、私の発信の「糧」にできればいいかな…と、当面閉鎖は考えていません。また、気が向いたらお訪ねください。

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電子化

2016年03月11日 | ぱそこん道
開いた口が塞がらない…とは、このことでしょうか。病死とされていた広島の中3生が、実は自殺していたことが判明しました。自殺したとされる中3生は、中1の時に、万引きをしたとの誤った記録が残っており、これを理由に希望高校の専願受験は無理だと伝えられたと言います。万引き事件当時、この生徒は関与していないことが、職員会議の席で確認されたにも関わらず、誤った記録だけが残っていたのが原因とされています。現在の担任から、専願受験がかなわない理由を、中1の時の万引きだと聞かされた少年は、否定もしなかった…といった風に報じられています。

担任は、体調を崩したとして、保護者説明会・集会などには欠席しているとのことですが、学校・町教委には抗議の電話が鳴りやまない状態と言います。あってはならないことが起こっています。…が、個々人がそれぞれ毒づいた電話をかけたところで、事態の混乱度を象徴するだけの事です。世論は、キチンとした形で作られなければなりません。そんな報道をする必要があるのかどうかわかりませんが、肝心の万引き犯だった生徒は、過ちを一度犯したものの、その後頑張って生活をして来たという温情で、専願受験の学校推薦をもらったと言います。自殺した子どもの親御さんにすれば、いたたまれない話です。

「人間は過ちを犯すもの」で、完璧という事はあり得ない…というのが、世の中の前提です。ですが、世の中には、絶対に(敢えて、「絶対」という言葉を書かせていただきますが)誤ってはならない事というのが存在します。今回の事件は、まさにそれです。世の中は、完璧を求めすぎる事による弊害が強調され、過ちに寛大になっていますが、キットそうする事が更なる過ちを許容することになっているかに見えます。

過ちに寛大であるべき…だという前提が、ありもしない万引きの汚名を着せられた彼にはどうして、働かなかったかも気になるところですが、根底に、情報社会の怖さを見るのは、的外れでしょうか。ありもしない万引きという「虚」が、コンピュータ上に載ったが故に、それが「真実」になってしまったわけです。一旦、情報化されてしまうと、その情報が間違っている…といった疑いが入り込む余地が無くなるのでしょう。元々の入力が、いい加減だったせいで、情報が真実ではなくなり、それが大きな禍根を呼ぶことに繋がる…というのは、例の年金騒動の際に、いやというほど学んだのではないのでしょうか。

「情報」になってしまった時、そこには生徒の「顔」がありません。どんな風に笑う子なのか、どんな風に頑張る子なのか、顔の見えない情報は、いずれ人を亡ぼすことに繋がりかねない…が、現実の事として起こりました。デジタルな世界に、如何にすれば血が通うのかを、真剣に考えるまでは、安易な電子化礼賛を慎むべきかもしれません。
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裁判

2016年03月10日 | 社会派らぼ
福井県にある高浜原発3号機と4号機について、大津地裁が運転停止の仮処分を決定しました。これを受けて関西電力は、稼働中の原子炉を止めなければならなくなりました。元々、滋賀県内の住民29人が、運転停止を求める仮処分を申し立てていたもの。「安全性の確保について説明を尽くしていない」というのが、停止決定の理由という事です。

東日本大震災時の、福島原発で起きた事故以来、全国的に(いえ、正確に言うならば全世界的に)原発の安全性には不安が指摘されるようになりました。声高にセンショーナルに主張する人も増えました。危険性が伴う以上、諸手を挙げて賛成とは考えていない…とする認識は共通しており、ノン原子力時代へどのようにシフトしていくべきかに、大きく意見が分かれています。

その過程がどうあるべきか…という議論は、当ブログの守備範囲ではありませんので、場所を他に譲るとして、ただ原発運転停止の仮処分を「裁判所」に求める事自体が、違っているような気がするのです。裁判…というのは、法律等でキチンと定められている善悪の基準下で、事の是非を判断するものであって、日本の国のエネルギー施策そのものの方向性を定めるのは、やはり為政者ではないのでしょうか。

科学技術の粋をわきまえた議論こそが必要です。専門知識を持たない者たちの議論の度に、原発が停止と稼働を繰り返すことは、あってはならない事です。安定稼働の上で初めて保証される安全性もあるはずで、議論の度に停止を余儀なくされることは、リスクを一層増やすことに他ならないのではないでしょうか。

議論は尽くすべきです。が、地方の裁判で定まる事ではないような気がします。
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2016年03月08日 | 雑談

差し込み印刷がうまくできません

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AI採点

2016年03月07日 | 社会派らぼ
現在、大学の共通入学試験として実施されている「大学入試センター試験」が「大学入学希望者学力評価テスト」という新たなテストに変更されることが決まっています。新たな試験は平成32年度開始予定、記述式の試験も新たに導入されることになっています。その採点に、人工知能を活用することが検討されていると報道されました。採点業務へのAI導入は国内初で、実現に至るには様々な問題が残されているようです。

新たな試験は、思考力、判断力、表現力を評価するため、記述式問題を採用するとされていましたが、採点者を多人数用意して実施した場合、採点者への説明などの期間も含めると、2か月くらいもかかってしまうという試算が出されていて、採点時間の短縮が急務となっていました。その強力な助っ人が、AI採点という事になるようです。

ただ、それならわざわざ記述式の設問を導入する意味があるのでしょうか。これまでのセンター試験は、採点の合理化のためにマークシート方式が採用されており、選択式の設問になっています。言い換えると、当てずっぽうでも数分の1で当たる確率があります。指導者は、選択肢を選ぶ際に、消去法で解くようにといった指導さえ行っています。これまでのそうしたやり方への反省が、今回の「記述式」といった出題に結びついているのは明らかです。

記述式といっても、出題の仕方によって、採点は大きく異なってきます。漢字を書かせるような問題であれば、AIを使った採点が大きく功を奏することが予想できます。先日の、止めやハネ、はらいにはこだわらない…といった、文化庁の文化審議会漢字小委員会の指針は、実はこのAI採点を念頭に置いていたのではないかと勘繰りたくなるようなタイミングです。もし、AI採点が念頭にあって、漢字への柔軟評価を求めたのであれば、一層懸念が強まります。ですが、採点は可能です。

それに対して、300字程度で記述する…といった問題になった場合は、AI採点が可能になることによって、人材は一層均一化していくように思います。難しい技術は分かりません。ある程度、必要とされるキーワードのようなものが準備され、それらがいくつ入っているとか、模範解答といったものが作られ、それのより近いものが点数が高くなるといった事を想像します。それなら、人が予想もしないような、斬新な目線で書いた文章は、恐らく評価が低くなります。キーワードが満遍なく入っているけれど、論旨が不明瞭で訴える力を持たない文章が高得点になったりしないのでしょうか。ましてや表現力なるものを、AIに判断させる事には疑問符しかありません。



Windows10でムービーメーカーがうまく作動しない

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週刊誌

2016年03月06日 | 社会派らぼ
薬物疑惑で有名人が逮捕される度に、薬物の危険性が強調されますが、根絶するにはほど遠い道のりです。こうした薬物は、その習慣性・依存性に恐ろしさがあります。一時的な快楽を得ると、快楽なしには居られなくなり、ささやかな快楽では満足できなくなり、より強い快楽を求めてしまいます。結果、次第に薬物が肉体と精神を蝕んでいく…という、断ち切りようの無い無限ループが始まります。元々、手を出してしまうところに意思の弱さがありますから、一旦無限ループに陥ると、そんな弱い意志では抜け出せなくなるのです。(ですから、こうしたものを法律のみで取り締まる事には限界を感じます。)

週刊文春が次々と、ニュースネタを提供しました。清原氏の薬物疑惑、タレントのベッキーさんの不倫疑惑、甘利前大臣の金銭授受疑惑、育休宣言議員の不倫疑惑。。。。確かに、それぞれが事実である以上、スクープとしてすっぱ抜き、社会に一石を投じる事は、その筋冥利に尽きる快感があって然りです。そうしたスクープを高く評価する声があるのも事実ですが、「書く」ことによって最終的にそのニュースをどう結末に導きたいのか…が、十二分に考慮されているのでしょうか。マスコミというのは、事実報道より重い、社会的な使命に基づいて「書いて」いただきたい気がします。ある種の快感が忘れられずに、次々と更に強い快感を求めて身を亡ぼすに至る薬物と似ているとさえ思う部分があったりします。

一昔も二昔も前…でしょうか。社会の暗部をすっぱ抜く力が、週刊誌にしかなかったような時代も確かにありました。が今は、特定の個人を糾弾する力を、民間人すらも握っています。SNSを初めとする様々なメディアが、一事件に輪をかけ、渦中の人物を最終的にはボロボロになるまでに攻めつくす時代でもあります。週刊誌の果たす役割は、社会に一石を投じる役割ではもう無くなっている気がします。発掘したニュースがどういう結末を迎えれば、社会的に理想なのかを考えてから、その方向を示唆する記事を書いて欲しいと思うのです。

連続殺傷事件の犯人であった元少年Aが、出所して以来、本を出版したり、HPを開設したり、未だに病める一面を克服しきれずにいることは、既に社会は承知済みです。だから、その彼が誰であってどこに住んでいるのかをニュースにすることで、何を目指しているのかを疑問視する声が止みません。偏に、その報道が最後に行き着くべきゴールを、キチンと社会的に見据えていないからのような気がするのです。…だとしたら、その報道の受け手である私たちが、この報道がどのような結末に向かえば理想なのかを考えて、読まなくてはならないのだと思います。


表内文字位置が、図形の挿入によって崩れる

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センセ

2016年03月04日 | 雑談
先生というのは、教育機関で教える人のことを指します。その他、政治家や弁護士、医師などに対しても、先生という呼び名を用いることがありますが、要は「敬称」であって、慣習上の問題だったりするようです。細かい定義はともかく、「先生」というのは、「先に生まれる」と書き、相手への尊称と理解します。

にもかかわらず、そうした職業の人が、自称に「先生」という言葉を使う場合がありますが、気になりませんか。例えば、幼稚園の先生などが、園児に向かって「私は…」と語りかけると、かえって分かりにくいかも知れません。そうした時に「先生は…」と話し、子どもたちの違和感を取り除くのは理解できます。でも、対象者がもっと成熟した大人の場合ですら、自分の事を「先生」と話されると、正直チョット戸惑います。

「センセは思います。」たとえおっしゃっている事が真っ当な事であっても、「センセは…」と前置きされると、なんか首をかしげたくなってしまいます。まして、少し見当違いの事を言われたりすると、信用する気が失せてしまったりします。言葉は大切だと思います。




ワードアートを回転させているのに、回転しない

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