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情報の偏り

2022年04月13日 | 社会派らぼ
現代は「情報化社会」だと言われます。昔は、調べ物をする…と言えば図書館の資料を調べるのが定番。最近は書棚の肥やしと化していますが、百科事典というのも定番でしたっけ。インターネットが当たり前の今の子どもたちには考えられない事だと思います。

「ググる」といった言葉も生まれ、ネット検索が日常のツールとなりましたが、近い将来「ググる」自体も過去の産物になりそうな気配も。最近の調べもの…には、音声検索がよく使われるようになってきました。要は、調べたいことをそのままデバイスに向かって語りかけるだけ。たくさんの音声検索エンジンが開発され、「Hey Siri」「OK Google」といった呼びかけの言葉も、新鮮に聞こえなくなりました。AI音声アシスタントもその奥では検索エンジンを使っているはず(だと思います)ですが、Google Assistant以外は、マイクロソフトのbingを採用しているものが多いとも聞きます。「ググる」と言わずに「ビングる」とでも? 何しろ日進月歩の時代です。

検索エンジンの話はともかく、私たちはこんな風に手軽に何でも検索できる時代に生きており、手軽にとてつもなく大量の情報を手に入れることができるようになりました。著名な専門家の話はもちろん、世の中であまり知られていない裏話だって山のように手に入ります。では、現代人は情報通になったのかと言うと、むしろ情報が偏って情報不足になっている側面も感じます。

時折、言っていますが、我が家にはテレビがありません。特段「テレビを止める」と一大決心をしたわけではありません。2011年にテレビ放送がアナログから地上デジタル放送に完全移行しましたが、その際対応のテレビを買いに走るのをチョット控えただけです。人がこぞって買いに走っている時でなく、またゆっくりとと思っているうちに、テレビの無い生活に何の不便も感じていない事に気づいただけです。以来、ニュースは新聞やネットニュースに頼って来ましたが、実際さほど世の中に遅れていると実感することもありません。むしろネットニュースは即時性に優れていますので、他の人より情報が速い場合だって多々あります。

それでもネットニュースは、自分の興味のあるなしに左右されることが多い事を実感しています。ネット上では大きなニュースも小さなニュースもさして変わらない扱いで並びます。もちろん上位にあるか下位にあるかといった違いはありますが、見出しの文言と簡単な要約を読んで、興味が無ければそれ以上リンクをたどって詳細な情報を読もうとはしません。新聞も大きく割かれた紙面の文章を読まなければ内容の詳細を知ることはありません。その点、テレビのニュースは興味があろうとなかろうと、一方的に情報がアナウンスされて来ます。聞いているか聞いていないかといった事を抜きにすれば、発信側のすべての情報が届くことになります。

平生のニュースすらそうですから、様々な事象に関する情報を目にしたとき、それを「信じる」か「信じない」かで以降の情報取得に大きな影響が生じます。フェイクニュースを流しているサイトに興味を持って「こんな事が世の中で起きているんだ」と頭にインプットされてしまえば、その後は逆のことを目にしても「まだこんな風にしか理解していない人が多いんだ」とばかり、情報はその真偽を確かめなければダメなんだよとしたり顔に周りに広めるかもしれません。同様の虚偽の内容ばかりにアンテナを立てて情報を仕入れていけば、非常に危うい偏った状況が生まれてしまいます。

加えて昨今はコロナ禍にあり、人と接する機会が激減しています。最低限必要な仕事を対面で済ませる以外は、ひたすら自分のルーティンの中に居るというのが大半の社会人の仕事の仕方になってしまいました。それはある意味、合理的で無駄がなく、思い通りに仕事を進めることが可能で、快適な仕事の仕方だという側面を持ちます。コロナ後もこのままで良いと考える人も多いに違いありません。食事も「いつものメンバー」以外とはしなくなっていますから、考え方を思い切りひっくり返される場面というのが激減してしまっているかもしれません。

○○大学の○○先生が言っているから正しいとは限りません。合成写真がいくらでも作れる世の中ですから、写真や映像があるから真実とは限りません。ロシアの言っていることが正しいのか、ウクライナが言っていることが正しいのか、大半の人たちは自分の天秤にかけて事の真偽を判断しています。どこまでが事実なのか、どこからが虚偽なのか、難しい時代に私たちはいるような気がします。

情報化社会だからこそ、溢れるような情報の海の中で自分のアンテナだけを頼りに情報を選択しているからこそ、私たちはどんどん偏っていく可能性があるような気がします。情報化社会の弊害かも知れません。