市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

ボランティア・NPOをもう一歩深く! 大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌です。

2009年12月号(通巻451号):V時評

2009-12-01 14:58:42 | ├ V時評

「巻き込まれる」ことの意味



編集委員 早瀬昇

■「巻き込まれる」立場

 「聞かなかったら、楽だったんだけれど…」
 つい、そう思ってしまう時がある。
 容易に解決策を見出せない深刻な相談が寄せられた時。あるいは、必要性は分かるものの、簡単に「喜んでお手伝いします」とは言えない重い応援依頼を受けた時がそうだ。
 先般、今年度の上半期を終え、この半年の事業実績をまとめてみたところ、大阪ボランティア協会には4月からの半年間に寄せられた相談は約6百件。その中にも容易に解決策の見出せない相談が少なくなかった。
 そもそもボランティアの応援を求める前には、家族や行政、あるいは企業のサービス利用を考えるのが一般的だ。赤の他人に、権利として要求できないことを、対価を払わずに頼むということに抵抗を感じる人は多い。その中で敢えて協会などに相談する背景には、身寄りがなく、行政のサービスでもカバーされず、かつ経済的な余裕もない…といった複数の課題が重なっている。
 そこで、こうした相談への対処では他の専門機関を紹介することでは済ませられず、家庭などの訪問、関係機関との調整、ボランティア募集…などの形で、私たちが活動全体の調整役を引き受ける場合も少なくない。相談を起点に、私たちは課題に“巻き込まれていく”ことになる。いや、これは相談に限らない。市民活動で“巻き込まれる”ことは基本のスタイルだとも言える。

■当事者に「なる」

 「当事者」という言葉がある。辞書では「その事または事件に直接関係をもつ人」(広辞苑)とあるが、本誌の牧口明編集委員は、この当事者には、存在として「当事者である」人と、その行為によって「当事者となる」人がいるとしている。
 前者の「当事者である」人とは、たとえば介護を必要とする高齢者やその家族、外国籍住民など、その暮らしの中で様々な生きにくさを抱えている人たちだ。
 これに対して「当事者になる」というのが、一般的な市民活動のスタイルだ。
 つまり、当初は「当事者ではない」人たちが、社会の課題と接することで、その課題を他人事ではない自分の問題だと受け止め、直接的にその課題解決に関わろうとする「当事者になる」わけだ。
 ここで、この「当事者となる」ことは、「当事者である」人たちにとっても重要だ。「当事者である」人たちも、自らその課題を社会に訴えていくなどの行動がなければ、活動のダイナミズムを生み出せないからだ。たとえば自殺問題は、かつて自死を選ぶ人や遺族の個人的問題と扱われることもあった。それが深刻な社会問題と認識され、自殺対策基本法の成立などに発展したのは、遺児たちが自ら名乗り出て、自殺の背後にある社会問題の解決を訴えたことからだった。
 つまり、社会の課題解決を進めるには、人々の間に「当事者になる」というボランタリーな姿勢が広がることが必須の条件なのだ。

■柔らかさが鍵の「つなぎ役」

 社会には様々な問題がある。しかし、すべての問題には関われないから、私たちは個人であれ団体であれ、「当事者となる」テーマを特定し、選ぶことができる。
 ただし、このテーマを限定しすぎてはいけない組織もある。時に中間支援組織などと呼ばれるボランティアセンターや市民活動センターなどだ。というのも、これらの組織の使命の一つには、社会の課題と市民や企業などとをつなぐことがあるからだ。つなぎ役(コーディネーター)がつなぐ範囲を限定しすぎては、つながる範囲が狭くなってしまう。
 では、多様な相談が寄せられ、人々をつなぎ合えるようにするには、どうすれば良いのだろうか?
 先に書いたように、ボランティアの応援依頼などでは、相談することさえ臆する人もいる。そこで、気軽に相談できる「隙(すき)」を作る(要は間口を広くする)ことや、いろんな形の相談もしやすいような「脇の甘さ」(構えを感じさせない対応)も大切だ。
 その一方で、保障を旨とする制度と違い、ボランティアの応援には「共感する人が見つかれば、お手伝いできます」といった頼りなさが伴いやすい。安請け合いはできないわけで、こうした不安定さは依頼者も納得してもらわなければならない。依頼者の状態にも波があるし、ボランティアも時に休まざるを得ない場合がある。この双方の不完全さを、互いに許し合う関係が大切だ。
 立場の違う人たちが、厳しい課題に共に関わろうとする時、こうした大らかさが救いになることは多い。そこで、「隙(すき)」や「脇の甘さ」ということも含めて、つなぎ役自身が、ある程度のふり幅を許す柔らかさを保ち続けることが必要になってくる。

■巻き込みあう「渦」をつくる

 もっとも、これこそは「言うは易(やす)し、するは難(かた)し」。現実には消耗感の伴うハードな役割となりがちだ。
 相談者の課題に共感する市民をつないでいくには、まずコーディネーター自身が、その相談者に共感していなければならない。共感が鍵となる世界では、コーディネーター自身が共感し、自ら巻き込まれていくことで初めて、「当事者になる」人たちの輪を広げていくことができる。
 しかし、努力の甲斐なく解決が進まないと、コーディネーター自身が「当事者としての辛さ」を抱え込むことになってしまう。現実には複数の相談を受けるわけだが、その中の何件かでも暗礁に乗り上げると、重荷を背負いきれなくなってしまう。
 では、どうするか? この根本的な対策は、コーディネーターや相談機関のしんどさを理解し、この立場の当事者になってくれる人々を広げていくことだろう。相談を撥じhyほうね返さず、受け止め、社会の課題解決の渦にしなやかに巻き込まれていくためには、つなぎ役の重要さを理解する寄付者やボランティアなどの支援者を増やしていくしかない。
 相談を起点に課題に巻き込まれ、市民を巻き込んでいく支援センター自身も、周囲にSOSを発し、支援者を巻き込んでいく渦を創ることが必要なのだと思う。

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