石原慎太郎の小説を、今回、まだたった一篇だけだが、人生で初めて読んでみた。
石原慎太郎という存在については、かつて東京都知事だった時代があったし、メディアに出ることも多かったから、ぼくの中でもわりと意識にのぼることが多い政治家の一人だったが、しかしこれまでの印象を一言で言うと、ずっと「何だかよく分からない人」だったという印象が強い。
というのも、彼はもともと流行作家として世に出たからで、ぼくの中の価値観では政治家になるよりも文学者になることのほうがよほど価値があると思っていたので、それをわざわざ作家として成功した後であんな政治家に転身するという理由が、ぼくには全く理解できないことだった。
それに、その彼の出世作というのがまた、昭和30年頃の不良少年たちの生態を描いた作品ということで、そういう作品が一世を風靡したという当時の日本の世情という面でも、今一つ実感として理解するのが難しかった。
(それともうひとつ、弟の石原裕次郎についても、ぼくがテレビでその姿を見始めた時はすでにでっぷりしたおじさんになっていたので、なんでこの人が異常なまでの人気があるのか、やはりなかなか分かりずらいことではあった。というか、それよりも以前たまたま目にした昔の週刊誌に載っていた若かりし頃の慎太郎氏の写真ほうがよほど凛々しくてびっくりした記憶もある)
ただ、その『太陽の季節』が当時芥川賞も獲って、評論家たちも評価していたということは当然それなりにスゴい点があったはずで、それを分からないままずっと食わず嫌いでいるのはダメな気がしたので一度は読んでみたほうがいいのではないかと思わないこともなかったのだが、しかしついに最近まで食指が動くことは一度もなかったのだった。
というわけで、石原氏についてはぼくの中で何もかもが謎だったのだが、それが今回変化が起きたのは、この『ファンキー・ジャンプ』という作品が日本で初のモダン・ジャズ小説だと知ったからであり、また石原氏が当時まだ日本に紹介されていなかったホレス・シルヴァーなどを海外で聴いて感銘を受けていたと言っていたり、以前テレビでファンキー・ジャズを日本に持ち込んだのは自分で、神彰の興行に誰を呼んだらいいか聞かれていろいろと紹介したりもしたと言ったりしていたのを覚えていたこともあって、そういう小説なら読んでみてもいいかと思ったわけ。
で、この作品、今では文庫本などで手軽には読めないみたいで、結局図書館でページが茶色くなった古い日本文学全集の一巻を借りて読むことに。
しかし、これがけっこう斬新で面白い。
筋としては、当時アート・ブレイキーやディジー・ガレスピーにも認められたような一人の天才ピアニストが麻薬中毒で破滅するという、ある意味陳腐にも思える話なのだが、しかし内容が散文と詩が混じったような斬新な手法で、しかもかなりセンチメルタルというか、リリシズムもあってかなり惹きつけられる魅力がある。
また、小説の中ですでにボロボロの満身創痍になりながらも、主人公が他のメンバーを率いて最後の演奏をしていくのだが、曲が始まるごとに主人公の頭の中で麻薬による幻覚のようなイメージが詩のように綴られていき、その一見支離滅裂なイメージと現実の主人公のこれまでの破たんした人生がまぜこぜになって肉体的にも精神的にも破滅しつつある様子を浮かび上がらせていくような構成になっていて、これがまた斬新。
しかも、これがまだアート・ブレイキーが来日してジャズ・ブームが興る前の作品というのだから、当時石原氏は時代の先端を走っていた寵児的な存在だったことが窺えるように思う。
今回、小説を読んだ後でけっこうネットで他の作品も含めての評なども読んでみて石原氏の大体の作風も分かってきたので、これから別の作品も読んでいくかはちょっと分からないのだが、しかしこの作品はけっこう予想を上回って面白かったし、何より長年の食わず嫌いを(多少とも)脱したことで、ちょっと宿題をひとつやったような、そんな読書体験になった次第です。