チェルニーの『48の前奏曲とフーガ』(作品856)という、2枚組のCDを聴く。ピアニストは神谷郁代さんという方で、何とこの演奏が世界初録音ということらしいです。
で、このCD。初めて聴いたのはもう6,7年くらいは前で、見つけた時は、チェルニーといえば、ピアノ学習者ならあの有名な(というより悪名高い)練習曲集でイヤでも忘れられないような人だけど、でももしかしたらそれ以外の本格的なピアノ曲は、きっと地味かもしれないが聴いてみると意外と面白いんじゃないか、というような興味だった。
それで、当時も何度か聴いてはみたのだが、しかしその結果は決して悪くもないのだが、かといってすごく感動したともいえない、何とも煮え切らない感想に。
いやこれ、最初聴く前にちょっと心の隅で危惧していた、あの練習曲みたいな退屈でお行儀がいいだけのようなものからは、明らかにはるか上を行った曲集ではあったのです。実際、ひとつひとつ曲想が変化に富んでいていいメロディーの曲も多いし、フーガもしっかりした感じだしで。
ただ、それで聴いてきてすごく面白かったかというと、ちょっと自分には難しかった。というのがまず第一に、CD2枚分というのがやはり長くて、最後まで集中して聴くとなると、それだけでかなりしんどい(しかし、それでいうとバッハの平均律にしたって全部一度に通して聴くのはしんどいんだけど)。
それに、曲想がやはりどうしてもチェルニーっぽいというか、どうも全体に中庸でエッジが立っているところがなくて、なかなかこちらの心が波立ってくれない。それに、第一「意外性」というものに乏しい(ここが、一番大きいんじゃないかと思った)。それで、恐らく本来の曲の持っているポテンシャルは高い曲が多いのに、その割にどうしても印象に残らないという感じになるのかも。
それと、もうひとつには、この曲にはまだ名演が残されていないからじゃないのか、なんてことも思ってしまった。例えば、あのバッハのゴルトベルク変奏曲だってグールドが弾く前はどちらかというと退屈な曲とされていて、録音もまだほんの少ししか残されていなかったというし。グールド以来、あの曲は一気に人気曲になって名演も沢山生まれたが、それもグールドの演奏がなかったら生まれなかったと考えるなら、この曲はもしかしたら、いわば「グールド到来前」とも言えるのかもしれない。
いや実際、もしもこの曲集を生前グールドが目をつけて弾いていたとしたら、今頃どうなっていたんだろう・・・、なんてことがいろいろ頭に浮かんできてしまった。
(それに、ちょっと悪い冗談をいうと、チェルニーの作品の大半が埋もれてしまっている理由は、この曲集を含め、たとえチェルニーの作品の中にどんなすごい傑作が隠れているとしても、あの練習曲集で苦しみを味わった全世界の少年少女たちの怨念が邪魔をして、チェルニー作品が世に出て正当な評価を得ることを許すわけがない、とも思ってしまう)。
事実、チェルニーはすごい多作家だったようで、ちなみにこの曲集の作品番号も「856番」。全作品数は恐らく1000曲を超えていたらしく、最近は以前に比べては演奏回数は増えてきているらしいが、それでもまだ大半の作品は埋もれてしまっている様子。そして、この「前奏曲とフーガ」形式の作品もほかにいくつもあるらしく、ベートーヴェンの弟子でありかつリストの先生でもあり、生前は非常に高名だったという彼にしてこんなに埋もれた作品が多いのかという事実に、ちょっと寒々しい気持ちになってしまった。
そして恐ろしいのは、今回の作品を聴いてみても、それらの埋もれた1000曲近くが必ずしも取るに足らない曲とは限らないんじゃないかということで、この録音のように不意に光が当たって表舞台に返り咲く可能性を秘めている曲はいくつもあるだろうし、そしてチェルニーひとりでこれなのなら、ほかにも当時ですら「チェルニー程度」もしくは「チェルニー未満」くらいの作曲家はたくさんいたわけだし、それ以後も作曲家は無数に誕生してその何割かがバッハを勉強して「前奏曲とフーガ」を書いているすると、この世には一体どれほどの数の「前奏曲とフーガ」が埋もれているのだろうかと、ちょっと途方に暮れたりしてしまった。と同時に、何だかずっしりとヨーロッパ・クラシック界の厚みというか、迫力のようなものを感じたのだった。
そして、そんな無数の作品の中から抜け出して現在でも演奏されている作品というのは、とんでもない競争を勝ち抜いてきたすごい作品ということにもなるのだろうけど、でもしかし、きっとそのすぐ下には、何かきっかけさえあれば、無名曲から人気曲へと変貌する候補もいくらでも眠っているはずで、それにはまず、神谷さんのようにこうしてマイナー曲に果敢に挑む演奏家が必要なんだろうな、とも思ったのだった。
しかし、・・・これはあくまでズブの素人の感想ではあるけど、やはりこの企画は全曲でなく選曲にして(この全曲演奏の意義はもちろん大きいとは思うけど)、さらに一曲一曲に大きく表情のある演奏をしていけば、今よりもっと面白い演奏ができたんじゃないだろうか。
実を言うと、今回この演奏を何時間も聴いた中で、頭の中では自然とグールドが今ここを弾いていたらこうなっていたんじゃないかとか、実際の音に重ねて架空グールドの演奏が聴こえてきて、さらにそれよりもこうしたらどうだろう、みたいな妄想の演奏も加わってきてしまい、もっといろんな演奏が聴いてみたいと思うと同時に、これはこれでかなり集中力を伴う作業にもなってきて、聴いているうちにけっこう疲れてしまった。
いや、ホントにCD2枚目なんかいい曲が多いので、辣腕プロデューサーが誰か有名ピアニストに弾かせたら、本当にヒット作が出来そうな気がしてきたんだけど。
↓(YouTubeで関連動画を探してみて、唯一下のインタビューがでてきたけど、練習曲のほうの話が多くてあまり今回の『前奏曲とフーガ』には触れてないです)
クラシック・ニュース ピアノ:神谷郁代 ツェルニーのCDをリリースして