On a bench ブログ

ようこそ、当ブログへ。ジローと申します。
 毎日毎日、たくさんのCDやLPを聴いて過ごしております。

聴いたCD チェルニー:48の前奏曲とフーガ(神谷郁代)

2020年11月26日 | クラシック

 

 チェルニーの『48の前奏曲とフーガ』(作品856)という、2枚組のCDを聴く。ピアニストは神谷郁代さんという方で、何とこの演奏が世界初録音ということらしいです。

 で、このCD。初めて聴いたのはもう6,7年くらいは前で、見つけた時は、チェルニーといえば、ピアノ学習者ならあの有名な(というより悪名高い)練習曲集でイヤでも忘れられないような人だけど、でももしかしたらそれ以外の本格的なピアノ曲は、きっと地味かもしれないが聴いてみると意外と面白いんじゃないか、というような興味だった。

 それで、当時も何度か聴いてはみたのだが、しかしその結果は決して悪くもないのだが、かといってすごく感動したともいえない、何とも煮え切らない感想に。

 いやこれ、最初聴く前にちょっと心の隅で危惧していた、あの練習曲みたいな退屈でお行儀がいいだけのようなものからは、明らかにはるか上を行った曲集ではあったのです。実際、ひとつひとつ曲想が変化に富んでいていいメロディーの曲も多いし、フーガもしっかりした感じだしで。

 ただ、それで聴いてきてすごく面白かったかというと、ちょっと自分には難しかった。というのがまず第一に、CD2枚分というのがやはり長くて、最後まで集中して聴くとなると、それだけでかなりしんどい(しかし、それでいうとバッハの平均律にしたって全部一度に通して聴くのはしんどいんだけど)。

 それに、曲想がやはりどうしてもチェルニーっぽいというか、どうも全体に中庸でエッジが立っているところがなくて、なかなかこちらの心が波立ってくれない。それに、第一「意外性」というものに乏しい(ここが、一番大きいんじゃないかと思った)。それで、恐らく本来の曲の持っているポテンシャルは高い曲が多いのに、その割にどうしても印象に残らないという感じになるのかも。

 それと、もうひとつには、この曲にはまだ名演が残されていないからじゃないのか、なんてことも思ってしまった。例えば、あのバッハのゴルトベルク変奏曲だってグールドが弾く前はどちらかというと退屈な曲とされていて、録音もまだほんの少ししか残されていなかったというし。グールド以来、あの曲は一気に人気曲になって名演も沢山生まれたが、それもグールドの演奏がなかったら生まれなかったと考えるなら、この曲はもしかしたら、いわば「グールド到来前」とも言えるのかもしれない。

 いや実際、もしもこの曲集を生前グールドが目をつけて弾いていたとしたら、今頃どうなっていたんだろう・・・、なんてことがいろいろ頭に浮かんできてしまった。

 (それに、ちょっと悪い冗談をいうと、チェルニーの作品の大半が埋もれてしまっている理由は、この曲集を含め、たとえチェルニーの作品の中にどんなすごい傑作が隠れているとしても、あの練習曲集で苦しみを味わった全世界の少年少女たちの怨念が邪魔をして、チェルニー作品が世に出て正当な評価を得ることを許すわけがない、とも思ってしまう)。

 事実、チェルニーはすごい多作家だったようで、ちなみにこの曲集の作品番号も「856番」。全作品数は恐らく1000曲を超えていたらしく、最近は以前に比べては演奏回数は増えてきているらしいが、それでもまだ大半の作品は埋もれてしまっている様子。そして、この「前奏曲とフーガ」形式の作品もほかにいくつもあるらしく、ベートーヴェンの弟子でありかつリストの先生でもあり、生前は非常に高名だったという彼にしてこんなに埋もれた作品が多いのかという事実に、ちょっと寒々しい気持ちになってしまった。

 そして恐ろしいのは、今回の作品を聴いてみても、それらの埋もれた1000曲近くが必ずしも取るに足らない曲とは限らないんじゃないかということで、この録音のように不意に光が当たって表舞台に返り咲く可能性を秘めている曲はいくつもあるだろうし、そしてチェルニーひとりでこれなのなら、ほかにも当時ですら「チェルニー程度」もしくは「チェルニー未満」くらいの作曲家はたくさんいたわけだし、それ以後も作曲家は無数に誕生してその何割かがバッハを勉強して「前奏曲とフーガ」を書いているすると、この世には一体どれほどの数の「前奏曲とフーガ」が埋もれているのだろうかと、ちょっと途方に暮れたりしてしまった。と同時に、何だかずっしりとヨーロッパ・クラシック界の厚みというか、迫力のようなものを感じたのだった。

 そして、そんな無数の作品の中から抜け出して現在でも演奏されている作品というのは、とんでもない競争を勝ち抜いてきたすごい作品ということにもなるのだろうけど、でもしかし、きっとそのすぐ下には、何かきっかけさえあれば、無名曲から人気曲へと変貌する候補もいくらでも眠っているはずで、それにはまず、神谷さんのようにこうしてマイナー曲に果敢に挑む演奏家が必要なんだろうな、とも思ったのだった。

 しかし、・・・これはあくまでズブの素人の感想ではあるけど、やはりこの企画は全曲でなく選曲にして(この全曲演奏の意義はもちろん大きいとは思うけど)、さらに一曲一曲に大きく表情のある演奏をしていけば、今よりもっと面白い演奏ができたんじゃないだろうか。

 実を言うと、今回この演奏を何時間も聴いた中で、頭の中では自然とグールドが今ここを弾いていたらこうなっていたんじゃないかとか、実際の音に重ねて架空グールドの演奏が聴こえてきて、さらにそれよりもこうしたらどうだろう、みたいな妄想の演奏も加わってきてしまい、もっといろんな演奏が聴いてみたいと思うと同時に、これはこれでかなり集中力を伴う作業にもなってきて、聴いているうちにけっこう疲れてしまった。 

 いや、ホントにCD2枚目なんかいい曲が多いので、辣腕プロデューサーが誰か有名ピアニストに弾かせたら、本当にヒット作が出来そうな気がしてきたんだけど。

↓(YouTubeで関連動画を探してみて、唯一下のインタビューがでてきたけど、練習曲のほうの話が多くてあまり今回の『前奏曲とフーガ』には触れてないです)

クラシック・ニュース ピアノ:神谷郁代 ツェルニーのCDをリリースして

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聴いたCD 古典派ソナタ集(ブレハッチ)

2020年11月19日 | クラシック

 

〔曲目〕
 ・ハイドン: ピアノ・ソナタ 第52番 変ホ長調 Hob. XVI:52
 ・ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 作品2の2
 ・モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第9番 ニ長調 K.311

 これは、ここ数日よく聴いたCD。

 といって初めて聴いた訳ではなく、数年前に一度聴いた時には特に何も思わなかったのだが、それが今回久しぶりに出てきて、改めて聴いてみるとなんだかすごく良くてビックリ(最近、こういうことがかなり多い)。

 ブレハッチというピアニストは、2005年にショパン・コンクールで優勝して世に出た人で、人気もあるので名前はよく聞いてはいたのだが、しかしそうなるとどうしても録音はショパンその他のロマン派に偏るという流れになってしまい、そのショパンを聴く機会がそれほど多くない自分にとっては、あまり馴染みがないピアニストの一人だった。

 この盤は、そんな中でもあえて彼のキャリアの比較的初期に企画されたもので、きっと本人としても強い思い入れがあったのだろうし、評判もなかなか良かったみたいなんだけど、でもその後なかなか同じような企画は続かなかったみたい。今、やっとこの盤の魅力に気づいた身としては、すごくもったいないという気がするけど、この業界も、やっぱりシビアな世界なんでしょうか。

 ・・・それはともかく、今回この盤を何度も聴いて一番感じたのは、全3曲に共通して流れる(と個人的に思っている)「ユーモア」、もしくは「ウイット」というべきもの。

 ユーモアといえば、別に作曲家でなくても誰もがある程度は持っている資質だとは思うけど、例えばハイドンは、もともと人を驚かすのが好きで機智に富んだ人だったとは昔からよく聞く話だし、この3人の中では真っ先に思い浮かぶ人ではないかと思う。

 ただ、そういうことは知識として知っていたとしても、いざ音楽を聴いて実感として面白さを感じ取ることができるかどうかはまた別問題で(特にハイドンの場合はその正反対の「生真面目(で退屈)」という印象も抱きやすいと思うし)、ぼくの場合も、これまでハイドンの音楽は聴いてはいるといってもそれほど熱中したこともないし、きっともっと聴き込んで親近感を持った後でないとそんなことは難しいのではないかと、以前から思っていた。

 それが今回、どうした拍子か、ブレハッチの演奏でこの最後のソナタを聴きながら、「あれっ、もしかしてそういうことだったの?」という感じで、初めてハイドンがこの曲を作曲している時にちょっとニヤけているというか、ちょっと面白がりながら書いている姿が頭に浮かんできたりして(気づくと、この曲ってすごく生き生きとして面白い楽想が多いし、第3楽章のちょこちょこ休止が入るところなんかもある意味トリッキーともいえそうだし)、それで何だか一気にこの曲がぐっと身近で瑞々しく感じられたというか、親しみも湧いてきたような感じがしたのだった。

 この曲って、ハイドンのソナタの中でもかなり頻繁に耳にする曲で、これまでにも何回聴いたか分からないくらいなんだけど、これまでは「上すべり」みたいな感じで聴いていただけなんだろうか。そしてそう考えるとまた、よく見るハイドンの肖像画のあまり感受性が鋭くなさそうなイメージと、ますます一致しなくなってしまうんだよなあ。

 そして次のベートーヴェンの「第2番」のソナタも、気づけば全体にすごくユーモラス、というか、32曲のソナタの中でも、もしかすると一番そんな面が目立つ曲ではないだろうか(それにこの2曲、作曲年代も1年違いだし、雰囲気も似ている気がする)。

 ベートーヴェンも、普段しかめっつらという印象が一番に来るので目立ちはしないけど、シリアスな中にスケルツォ楽章とかかなりユーモラスな(ただ、武骨ではあるのでそこに面白味を感じられるかはともかく)曲は多いし、特にこのソナタなんか冒頭の主題の足取りから大らかなユーモラスな雰囲気が全体を覆っているし、それから第4楽章の主題が後半変形されて2オクターブくらいにわたって上昇するところなんて、完全にやりすぎというか、半分ふざけているんじゃないかとさえ思ったりもする。

 ただ、そんなハイドンもベートーヴェンも、それはあくまでもソナタならソナタの中の一要素としてのという話で、その上で他の様々な要素を統合した全体の構成が目論まれているところが、ある意味ヨーロッパのクラシックの一番すごいところというか、世界の他の地域の音楽にはあまり無いところじゃないかなあとも思ったりするわけだけど。

 (きっと、ヨーロッパ以外の後発の諸国の作曲家たちは、このユーモアやウイットを含んださまざまな要素を一つの楽曲の中に盛り込みながら、世界の聴衆に届く魅力的な音楽を作ることに成功していない)。

 で、最後のモーツァルト「第9番ソナタ」も、これまた先の2曲とは異質に明るいユーモアに満ちている。作曲年代としてはこの曲が一番古いんだけど、しかしこの順番で弾かれたことで、一層この曲が輝いて感じられるというか。

 実際、今回何度もこのCDを聴いた中で、この曲に差し掛かると、まるで前の2曲が引き立て役のようにも感じられて、今さらながらこんなにいい曲だったかのかと改めて驚いてしまった。きっとブレハッチ本人としても、わざわざこの曲を最後に持ってきたということは、やはり特に思い入れが強かったということじゃないのだろうか。(いつも思うけど、やっぱり曲は弾く順番が重要だというか、そういう意味でも「○○全曲」みたいな録音の企画は、曲の魅力を伝える上では好ましくないと思う)。 

・・・というわけで、このCDにはそんな、ユーモアやウイットという隠しテーマが設定されているんじゃないかと今や思っているくらいなんだけど、それを弾いているブレハッチの演奏についても、特に何かをひけらかしたりしていないので目立たないけど、非常に音の粒立ちがしっかりとしていて均等で、単に音の流れを聴いているだけでもすでに快感だし、本当に素晴らしいと思った。

 ただ、反対にいえば、もう少しはアクがあったりしたほうが何かと目立つだろうし、ちょっと優等生っぽくも感じちゃったのも事実だけど。

 とにかく、この人にはもっとこういう趣向のCDを録音してほしいなあ。

Haydn: Piano Sonata in E flat, H.XVI No.52 - 3. Finale (Presto)

Beethoven: Piano Sonata No.2 in A, Op.2 No.2 - 1. Allegro vivace

 

コメント (2)
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聴いたCD Eric Watson & Lauer Christof : Road Movies

2020年11月13日 | ジャズ(グループ、複数名義、オムニバス 等)

 

 ERIC WATSON(p) CHRISTOF LAUER(ts) CLAUDE TCHAMITCHIAN(b) CHRISTOPHE MARGIET(ds)

 これは、古いCDをちょっと整理していたら、久しぶりに発掘されて出てきた盤。

 で、改めて聴いてみたらかなりカッコよくて、買った当時にもそう思ったことを思い出したんだけど、でもそれにしては当ブログに感想を書いた記憶もないし、もう10年以上(?)忘れていたというのがどうもよく分からない。

 で、これ、以前「Act」レーベルをよく聴いていた時に拾っていたもので、ピアノとテナーの2人名義。それで、ピアノの ERIC WATSON はフランスで活躍するアメリカ人、ベースとドラムスの2人はフランス人と、ドイツの盤としてはけっこう多国籍な面子の構成。

 演奏はすごくストレートというか、本当に道路を猛スピードで走っているようなエネルギッシュな印象。また、全体にちょっとダークな感じも漂っていて、何と言うかハードボイルドっぽい雰囲気が漂うロード・ムービーといったほうがいいかも。

 ただ、音自体は良くも悪くも「ゴリゴリ感」が強いというか、一音一音がはっきりしている分、ニュアンスには乏しいかなあとは思うところがあるんだけど、でも曲調は気づくとけっこう幅もあるし、実を言うと、その「ゴリゴリ感」がいかにもヨーロッパっぽい感じがして(アメリカの黒人のエモーショナルな世界とは対極というか)、その点こそが今回なぜか頭から離れなくなって何回も聴いてしまった。

 たまに、こういう感じの音を聴いてみるのもいいかも。

↓(下は、なぜかジャケットが違うけど、このアルバムの1曲目です)

Road Movies

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聴いたCD セシル・テイラー:ネフェルティティ、ザ・ビューティフル・ワン・ハズ・カム+1

2020年11月07日 | ジャズ(フリー系)

 

 Cecil Taylor(p)  Jimmy Lyons(as)  Sunny Murray(ds)

 しまった! これ、久々にやってしまいました。

 いやあ、このジャケット、先週DUで見かけて、「あれっ、これって確か持っていたはずだけどなあ」とは思ったけど、でも『ネフェルティティ』というアルバム名は間違いなく記憶にない。

 そして、この特徴的なジャケットのイラストが、このレーベルでシリーズになっているのは知っているんだけど、もしかしてセシル・テイラーならセシル・テイラーで同じ人物の盤には同じジャケを使いまわしているのだろうか。それとも、自分の中でポール・ブレイとかの盤とごっちゃになってしまっているのかなあ・・・。

 などと、どうもよく分からなくなってしまって、でも最近セシル・テイラーはご無沙汰だったからまあいいかと思い切って買ってみると、なんと、というかやっぱりというか、要するにこれ、『ライヴ・アット・カフェ・モンマルトル』の『コンプリート~』には入っているけど、そうでない盤には入っていない部分ということで、すでに『コンプリート~』を聴いている自分にとっては、やはりこれはダブりなのだった(あ~あ)。

 ・・・ということで、まあちょっと残念な結果になってしまったんだけど、でもこれ、買ったからにはということで聴いてみたところ、しかし当然ながら断然カッコいいのは事実であるので、というより、以前『コンプリート~』で聴いた時より今のほうがなぜかコーフンするといってもいいくらいで(やっぱり、どんな名盤でも「2枚組」というだけで疲れる)、何だかこの盤のおかげでまた感動を新たに出来たのかと思うと、ダブりのショックなど大半は(全部ではないけど)どこかに消えてしまいました。

 で、演奏的には、この頃のセシル・テイラーって、まだ若干オーソドックスなジャズをやっているというか、1曲目なんかはわりと普通の演奏。それが、2曲目のタイトル曲になるといつもの打楽器的なプレイになって、そんでもって『コンプリート~』の頃からの感想だけど、ここでのサニー・マレイのドラムスがもうめちゃくちゃカッコいい。

 この盤は、もともとベースもいないし、ジミー・ライオンズは演奏していない時間帯もけっこうあるので、必然的にセシル・テイラーとサニー・マレイのデュオ演奏の時間が長い。そして、それがもう超絶に最高なのです!

↓(YouTubeでこの盤見つけたけど、どうも完全に同じ盤ではない様子。でも、1-4曲目は同じようなので、大過なしか)

Cecil Taylor - Nefertiti, The Beautiful One Has Come (Disc 2)

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聴いたCD FRED ANDERSON QUARTET:THE MILWAUKEE TAPES VOL. 1

2020年11月01日 | ジャズ(フリー系)

 

 Fred Anderson(ts)  Billy Brimfield(tp)  Larry Hayrod(b)  Hamid Drake(ds, tabla)

 これは、ここ数日よく聴いたアルバム。

 Fred Anderson といえば、必ずプロフィールの一番最初に来るのが「シカゴAACM系の設立に関わった・・・」みたいなことになると思うんだけど、ぼくの場合はその辺の人たちのスピリチュアルっぽい雰囲気が以前はちょっと苦手だったので、これまであまり聴いてこなかった。

 そしてその中でも、特にこの Fred Anderson はCDのジャケットに映っている晩年の顔が「でっぷりした頑固おじさん」みたいな写真が多くて、そのせいで一層食わず嫌いだったかも(やっぱりどんな職業でも見た目は大事なんだなあと思ったりする)。

 というわけで、このCDも見つけた時に「ああ、あの人か」とは一瞬思ったんだけど、でもよく見ると大分昔の録音みたいでジャケットの写真も何だか精悍そうだし、2管でピアノレスという編成にも惹かれて聴いてみると、これがかなりカッコいい。

 で、主役は当然 Fred Anderson ではあるものの、この盤で全編を通して目立っているのが Hamid Drake で、クレジットには単にドラムスとしか書いていないけど、明らかに通常のドラムスの太鼓とは違う太鼓も用いてのプレイがすごくカッコよくて、特に1曲目の最初散漫な感じに始まったのが徐々に盛り上がって何だがサンバっぽいリズムでズンドコズンドコやるところなんかかなり最高。

 全体的には、プリミティブで執拗なリズムを多用しているという感じなんだけど、後半では1曲でタブラ演奏も披露していて(ハミッド・ドレイクのタブラは個人的には初めて聴いた)、それもけっこううまいのでちょっとビックリ。

 そして、もうひとつ良かったのが、70分超を全5曲、いずれも10分以上と演奏が長い点。それを、テーマは浪波節的(というのも変か)な垢抜けない感じの曲が多いんだけど、(ベースの音が小さめなのが惜しいけど)パワフルなリズムの上でかなり黒めの演奏でたっぷり聴かせてくれるので、かなり堪能できました。

 あと、時々拍手の音が入ったりしていて、これがライヴ録音であるのもノリが良くなっている理由なのかも。

A Ballad for Rita  

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