On a bench ブログ

ようこそ、当ブログへ。ジローと申します。
 毎日毎日、たくさんのCDやLPを聴いて過ごしております。

YouTube動画 BIMHUIS TV | Mudita

2021年07月26日 | ジャズ(グループ、複数名義、オムニバス 等)

 これは、ツイッター(もともと音楽とは無関係でやっていて、今ではもっぱら情報収集用)のTLで流れてきた「Mudita」というグループによる動画。

 素晴らしい! 

BIMHUIS TV | Mudita

 Sanne Rambags (vo)  Koen Smits (tp)  Sjoerd van Eijck (p)

 ぼくは日頃、ヴォーカルが苦手と言ってロクに聴かないものだから、一人ではこんな素晴らしい動画が存在していても、絶対気付けなかった(感謝!)。

 最初、この冷ややかで清らかな世界は北欧なのかなと思ったんだけど、どうやら彼らはオランダ人っぽくて、この BIMHUIS TV (初めて知った)というのもアムステルダムにあるみたい。

 それにしても、このステージの質の高さに、おじさんとしてはたじろがざるを得ないというか。こんなステージが今や、YouTubeでボタンひとつポチッとしただけで見れますか。

 そして、このヴォーカルの Sanne Rambags は1994年生まれ、ということはまだ20代。日本でいえば平成生まれで、日本のテレビでたまにアイドルとかを見て「味もそっけもないな」と見下していた世代が、ここではもうこんなにすごいオーラをまとって活躍しているんですね。

 そして、さっき BIMHUIS TV の他の動画のラインアップを見てみたら、日頃からCDで聴いているプレーヤーたちがうじゃうじゃ出演しているし。これじゃあ、わざわざお金出して音だけのCD買っていくのがバカらしくなっちゃうよ。

 ただ・・・、そうはいっても、自分はまだLPレコードやCDの完結性というか、それがはっきり物として存在していて、一旦生産されてしまえば発売番号やタイトルで「これ」と指し示すことができるということから、どうしても逃れられないんだよなあ。

 この動画だって、BIMHUIS TV が明日にでも消したとしたら、それで見れなくなっちゃうわけだし。

 それをどうしても不安定性として捉えてしまって、自分という一人の人間が消化できるよりはるかに大量のコンテンツが、今や知らない間にいつのまにか現れ、手の届かないところでいつのまにか消えていくという世界になってしまったということを承認することが、いつまで経ってもできないのですよ、まったく。

 いや、でも今はそんなことより、 Sanne Rambags の美しい歌声を知ったことの喜びのほうが、ずっと大きいでしょうか。

Rotterdamse vrouwen in de jazz: Sanne Rambags

 

↓( 彼らのグループ、「Mudita」のファースト・アルバムだそうです)

 

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聴いたCD Milt Jackson & Wes Montgomery : Bags Meets Wes

2021年07月22日 | ジャズ(弦:Guitar,bass 等)

 

 Milt Jackson(vib)  Wes Montgomery(g)  Wynton Kelly(p)  Sam Jones(b)  Philly Joe Jones(ds) 

 う~ん、このブログ、普段できるだけ同じアーティストの投稿が続かないようにしてるんだけど、今回だけはそういう訳にもいかなかった。

 今週も他にいろいろ聴いてはいたんだけど、やっぱり結局こればっかり繰り返し聴くことになって、ほかのはどうしても消化不良になってしまったので。

 で、実は2,3日前、ちょっとウェス・モンゴメリーとジミー・スミスの『ダイナミック・デュオ』も久しぶりに聴き直してもいたんだけど(どちらもジャケットの感じが似ていますね)、やはりこれまであまり聴いたことがなかったミルト・ジャクソンのヴィブラフォンが、今回はすごく新鮮だった。

 で、そのミルト・ジャクソンといえば、一般的にはMJQというイメージが強いと思うけど、自分も昔から近いうちに聴こう聴こうと思いながら、気づけば完全に10年以上経ってしまっていた。それが、結局MJQでなくてこういう形で聴くことになってしまったか、なんていうささやかな感慨があったりするんだけど、でもMJQって、スタンダードばかりやっているようなイメージがあったので、自分の中でどこか敬遠するような気持ちがあったもかもしれない。

 だけど、この盤のうきうきするような軽さみたいなものは、ホントに良いなあ。ヴィブラフォンって、両手で和音出したりして(特にマレット4本持ちだったり)音を外すまいと神経質っぽい感じが伝わってくるとちょっと聴いていて疲れたりする時があるんだけど、この盤は全体としても非常にリラックスして、しかも爽やかな雰囲気もあってとても良い。

 そして、各ソロも余計なことせずにいい意味ですごくシンプル(ピアノ・ソロですら単音中心)だし、今回、聴きながらそのソロの受け渡しもがすごく自然でいいなあと、感じてしまった。

 特に「ブルー・ローズ(Blue Roz)」なんて曲、まず当然ながらテーマがあって、Milt Jacksonソロ →  Wes Montgomeryソロ →  Wynton Kellyソロ →もう一度テーマで終わり、以上。みたいな究極の潔さみたいな演奏なんだけど、それぞれのソロの受け渡しがブルースの淡々とした曲調の中で一層自然で、何と言うかすごく仲のいいご近所さんがにこやかに回覧板を渡すみたいというか、ちょっとほのぼのとしてしまいました。

 この2人は以前から友人だったようで、相性という点でもきっと良くて、それがこの録音の雰囲気に出たんじゃないかとも思ってしまうんだけど、この組み合わせの録音はこの1回きりで、他にないんだとか。

 あと、この60年代の録音の雰囲気というのも、すごく魅力的に感じます。

Milt Jackson & Wes Montgomery Quintet - S.K.J.

Delilah - Milt Jackson and Wes Montgomery

Milt Jackson, Wes Montgomery - Blue Roz

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聴いたCD ハーフ・ノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオVol.2

2021年07月18日 | ジャズ(弦:Guitar,bass 等)

 

 Wynton Kelly (p)  Wes Montgomery (g)  Paul Chambers (b)  Jimmy Cobb (ds)

 今日は、最近ファンになりつつあるウェス・モンゴメリーの盤を聴く。

 というか、この盤は1965年の録音だけど、こうしてブログに書くことはまだ少ないながらも最近はこういう60年代くらいのジャズを聴くことが自然に多くなってきた。これはきっと良い変化ではないかと、自分ながら喜んでいるところです。

 で、このウェス・モンゴメリー、やっぱり演奏に陰みたいなものが無くて、聴いていて楽しい気分にさせてくれるところが一番好きなところかなあ。自分のいつものクセで、特にこの盤を聴こうと狙って聴くことはあまりなくて、この盤もたまたま先日出会っただけということではあるんだけど、しかしこれまで聴いた中でも、これはかなりスゴい熱演なのではないかと。

(というか、実際にすごい有名盤らしいし。ただ、発売については単に「vol.1」の続編ということなのではなくて、ダブっている演奏があったりいろいろややこしい経緯があるらしく、また複数のライブの寄せ集めなので、今まで左チャンネルから聴こえてきたギターの音が、突然右の耳のそばから聴こえてきてこそばゆくなったりする

 それと、この人って最初は単音で弾いておいて、その後フレーズの初めではなく途中からあのオクターヴ奏法になるのが基本パターンなのかと感じるんだけど、そういう理解でいいんでしょうかね。

 あと、この盤は当然ながらウィントン・ケリーとの共演盤なので、ウィントン・ケリーのソロも多めなのが個人的には有り難いというか、ウィントン・ケリーって参加盤だともうけっこう聴いていると思うんだけど、でもいつもちょっと地味という印象があって、いまだにはっきりと個性が掴めたとは言い難い。

 こういう盤をいろいろ聴きながら、こちらも少しずつ馴染んでいけたらと思っているところです。

No Blues (Live At The Half Note, 1965)

Wynton Kelly Trio (Wes Montgomery)_ Impressions

 

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聴いたCD ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2&4番(シュテファン・シュトロイスニヒ&ハインリヒ・シフ)

2021年07月14日 | クラシック

 

 今日は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲のCDを聴く。

 実は買っていたのは2,3年くらい前で、ぼくの好きな第2&4番の組み合わせであることと、ジャケット写真のシュテファン・シュトロイスニヒという未知のピアニストの物憂げな感じにちょっと惹かれてゲットしてみたんだけど、しかしその当時は全く印象に残らず。

 演奏自体は、普通にきれいに弾いているとは思ったのだが、しかしその演奏に特に何か特徴があるわけでもなく、本当に最初から最後までただ普通なまま終わってしまうという感じで、何かほかで活躍して話題になっているピアニストでもなさそうだし、一体このCDがどういう経緯で企画されたのだろうと、ちょっと首をひねったりもしたものだった。

 しかし・・・、そう思っておきながら、不思議に何か心に残るものもあって、それ以後たまに思い出しては聴き返してしまうというパターンに。そして、何度かポツポツと聴き返すうちに、だんだんとこの演奏に好感とまではいかないが、肯定的な気持ちも芽生えてくるようになってきた。

 そして、そうなると自然にこの演奏がどう評価されているのだろうという興味も出てきて、こないだからちょこちょこネットで検索してみたのだが、しかしやはりというか、どうも世間的にも評価はあまり芳しいとは言えない。というより評価自体が少なくて、まとまったコメントを探すのに苦労するくらい。

 というのも、やはり演奏している曲目自体が2曲ともベートーヴェンのピアノ協奏曲の中ではやや地味な作品であることに加えて、シュトロイスニヒというピアニスト自身の演奏が、流麗で繊細なピアニズムの持ち主であるとはいえ、いかんせん個性が強いほうではなく、はっきりしたアピールポイントが見出しにくいという点が大きいのではないかと思う。

 しかし、考えて見ると、それならそれで最初から不思議な話ではあるのだ。

 というのも、この人は自身初めてのベートーヴェンのコンチェルトのCDを録音するという人生でも大きな機会にあたって、もっと演奏効果が大きい曲を選んで少しでも多くのリスナーにアピールしようとすることもできたはずなのに、わざわざこの「第2&4番」という地味な組み合わせを敢えて選んで、しかもCDのデザインの面でもなぜかこんな暗めの物憂げなジャケット写真を採用しているのだ。

 そして、これまでの経験で自分の演奏がどのように聴き手に受け取られるかもある程度は予想がついているはずの中で、いくらなんでもこれでは戦略がなさすぎではないだろうか。それとも、それでもなおこの2曲にこだわる理由が何かあったのだろうか。

 ・・・なんてことを考えるうちに、いやむしろ、もしかするとこの人はこの機会に大向こう受けを狙ってガンガン行くみたいな俗っぽいことを最初から考えていたのではなくて、このCDの演奏こそが彼の狙い、この選曲の組み合わせも演奏スタイルも、自分がこの時点で演奏したかった曲を自分流の美意識で演奏しただけで、むしろ積極的に選ばれた結果なんじゃないかとも、少しずつ思い始めたのだった。

 実際、ここでのベートーヴェンは、数多ある先達たちの名演奏による演奏像からは、どこか根本的な何かしらが少し異質、というか焦点がずれているようにも思える。

 一体、このピアニストはどこにいて、どこを向いて演奏しているのだろう。何だか、力感を出したり技巧的なキメみたいなものに執着がなく少し寂しげでニュアンスに富む感じは、シューベルトっぽい感じもするんだけど・・・、んっ、そう思ってジャケット写真を改めて見てみると、本当に何だか、シューベルトにこそ使いたくなるような写真にも思えてきたんだが。 

 そして、シューベルトといえば、先日読んだネットの記事にも、この人はリサイタルでシューベルトの最後のソナタをよく弾くと書いてあったし、そんな意識をもって改めてこのCDを聴き直してみると、ここでの演奏の表現は、目につくパッセージがことごとくベートーヴェンの硬質な力感や、決然とした意志みたいな演奏とは対極にあるような、柔和でニュアンスに富んでいる世界。

 例えば第2番の第一楽章のカデンツァなんて(第2番ほどではないが、第4番でも同様に)、ふと弱音になったり歩みが止まりそうになったりもして、ここだけ抜きだして聴くと半分くらいシューベルトの未知のソナタの一節にも思えてきてしまった。

 というか、この「第2&4番」という組み合わせこそが、そもそもベートーヴェンの協奏曲の中ではやや内省的で歌心があるという面を含んでいて、シューベルトの世界に多少とも近しい世界といえるのではないか。 

 ・・・と、さっきから深夜にひとりでこんなことを妄想していたのだった。

 実際、シューベルトがもし夭折せず、のちにピアノ協奏曲を書くことになっていたとしたら、どんな雰囲気の曲になっていたのだろう。

 あるいは、シューベルト好きのピアニストが、どうしても協奏曲を演奏するとなって他の作曲家の作品の中にシューベルト的な響きを少しでも見出そうとすれば、それはどの曲で、どんな演奏になるのだろう。もしかすると、このCDと同じような選曲と演奏とになってしまったりするのではないか・・・。

 日本語解説の中には、シュトロイスニヒ自身のコメントなどは全くないので、本人がどう思っているか現時点でぼくは全く知らないのだが、とりあえずはまあ、今回は以上のような感想でございました。

↓(このCDの演奏は見つからなかったので、参考までにシューベルトの最後のソナタの演奏を貼っておきました)

Piano Sonata No. 21 in B-Flat Major, D. 960: I. Molto moderato

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聴いたCD Didier Sustrac : Blues Indigo

2021年07月09日 | 民族音楽・ワールドミュージック・カントリー・純邦楽等

 

 これは、買ったのはもう何年も前になるけど、聴いているうちにけっこう気に入ってしまって、今でもちょこちょこ聴き返している盤。

 ギター弾き語りのSSW、Didier Sustrac (ディディエ・シュストラック)は南仏出身。

 若い頃、中南米を放浪中にブラジルでジョアン・ジルベルトを聴いたのがきっかけで音楽を始めたという人らしく、ジャンル的にもやはりボサノヴァ系なんだけど、とても柔らかで個人的には包容力も感じるヴォーカルが、ふつうのポルトガル語とはまた一味違うフランス語の丸っこい発音とも相まって、聴いていて何だかすごく心地良い(でも、フランス語全然知らないので、何を言っているのか分からないんだけど)。

 このアルバムが気に入って、『ザンジバル』というファースト・アルバムも聴いてみたことがあったけど、今のところはこっちのほうが好みかなあ。

 気づくとけっこう色んな楽器を使っているし、曲によってはバックコーラスも入れたりしているんだけど、全体的にすごく自然だし明るい雰囲気なので、ゴチャついたりせずずっと気持ちよく聴いていられるというか。

 いま、こうして書きながら聴き返してみて、何だかますます気に入ってしまいました。

 (多分、日本ではあまり知名度がない人だと思うんだけど、ちょっともったいないのではないかという気さえします)。

 

↓(この曲が一番のお気に入り。♪「コンメザニモ~、アタシアラヴィ~!」などと口ずさんでおります(笑))

Didier Sustrac - Comme les animaux

Didier Sustrac - Je sais bien

 

↓(下は、たった今見つけたライヴ映像2つです)

DIdier Sutrac - Live à la maison "GO"

DIDIER SUSTRAC-VIVO SOHANDO.mp4

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聴いたCD ハイドン:チェンバロ、オルガン協奏曲集(トン・コープマン&アムステルダム・バロック管弦楽団)

2021年07月05日 | クラシック

 

〔曲目〕
 ・チェンバロ協奏曲ニ長調 Hob.XVIII:11
 ・オルガン協奏曲ハ長調 Hob.XVIII:1
 ・オルガン協奏曲ニ長調 Hob.XVIII:2

 最近、よく聴いているハイドン。

 きょうは、トン・コープマン&アムステルダム・バロック管弦楽団による、チェンバロ協奏曲とオルガン協奏曲の組み合わせのCDを聴いてみる。

 ・・・と、いま何気に書いてしまったけど、実はこのオルガン協奏曲を聴く、ということそのものが、自分にとってはちょっとした冒険ではあった。

 というのも、昔からオルガン協奏曲ときくとついあの巨大なパイプオルガンの壮麗な音がドーンと響いてくるイメージが浮かんできて、それに加えてオーケストラの音もついてくるのかと考えると何だか聴く前から胃もたれしてしまうような気分になって、それでいつもたじろいでしまっていたのだった。

 そんなわけで、今回はちょっとドキドキしながら聴き始めたのだが、しかしいざ曲が始まり弦楽器に続いてオルガンのパートが始まってみると、これが意外にもすごくかわいい音で聴きやすいので、逆にちょっと戸惑ってしまった。

 解説によると、どうやらハイドンはオルガン協奏曲をもともと規模の小さいポジティフオルガンのために書いていたのらしく、先ほどYouTubeで何種類か他の録音も聴いてみたのだが、この曲をパイプオルガンで演奏する場合にも、どの演奏者も小規模のオルガンの音に近い軽めのストップを使っている様子。

 今回のコープマンの録音場所もアムステルダムのフランス改革派教会だということなので、きっとそこのパイプオルガンを使ったのだと思うけど、音量的にも比較的小規模の弦楽アンサンブルとちょうどいいようなバランスで、そのシンプルでかわいい音とハイドンの快活な音楽とが合わさって、これまで自分が聴いたことがなかったようなチャーミングな世界が出現している。う~ん、こんなことなら、もっと早く聴いておけばよかったかも。

 そして、2曲のオルガン協奏曲の前に演奏される「チェンバロ協奏曲ニ長調 Hob.XVIII:11」(通常はピアノ協奏曲として演奏されることが多い、ハイドンの鍵盤協奏曲の中では一番有名な曲)も、個人的にはこうしてチェンバロで聴くのは初めてで、チェンバロの打鍵音の粒立ちの快感とかもあって、これもけっこう新鮮。

 と言うか、その前にこの曲の第一楽章と第二楽章は自分の頭の中にもかなり残っていたんだけど、それをいつのまにかモーツァルトの曲と思い込み始めていたことにさっき気づいて、ハッとしてしまった(笑)。

 で、この曲に比べると2曲のオルガン協奏曲は知名度としてはやや及ばないものの、しかしさすがコープマンが取り上げただけあって十分魅力的だし、そして今回この2曲を聴いて思ったのは、こういうタイプのオルガン協奏曲って、演奏面ではオルガンはもちろん鍵盤楽器だけど、音色的にはむしろ「弦楽+管楽器」的な感じに近くなるのかなあ、ということだった。

 この点、「ニ長調 Hob.XVIII:11」はピアノで弾いてもチェンバロで弾いても終始打楽器的であることは変わらないんだけど、オルガン協奏曲ではストップによってはけっこう木管楽器的な音に聴こえることも多くて。そんな、木管的な丸みを持った音って、聴いていてちょっとほっこりするような感じもして、今回そんな音を響かせるオルガン協奏曲というものに、少し親しみみたいなものを感じてしまったのでした。

 う~ん、ハイドンのオルガン協奏曲がこんな感じでイケたのなら、もうひとつ以前から興味はあったヘンデルのオルガン協奏曲ももしかするとイケるのかもしれないなあ。近いうちに、ちょこっと聴いてみようかしらん。

↓(CDそのものの動画は見つからなかったけど、恐らくCDと同一音源だと思われます)

Organ Concerto in C major Hob.XVIII No.1 : I Moderato

Organ concerto in D major Hob.XVIII No.2 : III Allegro

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