On a bench ブログ

ようこそ、当ブログへ。ジローと申します。
 毎日毎日、たくさんのCDやLPを聴いて過ごしております。

チャイコフスキー:四季(リヒテル)

2019年09月07日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
チャイコフスキー:四季
リヒテル(スビャトスラフ),チャイコフスキー,ラフマニノフ
ビクターエンタテインメント

 上のアマゾンのタイトルだと、一瞬チャイコフスキー「四季」の全曲演奏なのかと思ってしまうけど、実際は「四季」から4曲の抜粋、ラフマニノフの「音の絵」から9曲という、分量から見ればラフマニノフのほうが多めというアルバムです。

 で、実を言うとリヒテルはかつてはそれほど得意なピアニストじゃなくて、あまり聴いてもいなかったのですが、これは例外的に昔から好きだった1枚。それも、当時大好きだったラフマニノフではなく、わずか4曲のチャイコフスキーの「四季」がなぜか良くて、一時こっちばっかり繰り返し聴いていました。

 この曲集、もともとかなり叙情的な曲調なので、ちょっと線が細いピアニストだったりすると、とたんに甘ったるくなったりすると思うんだけど、リヒテルのこの盤は、聴き初めからまったくそんな心配のない世界の中で、しかもこの詩情にあふれた美しさ。

 ということで、本当は「四季」だけで紹介しようとも思ったんだけど、しかし当然ながら「音の絵」のほうもぜんぜん悪くないので、今回はトータルでのアルバムとして載せてみることにしました。

 (実は大昔、リヒテルのリサイタルに行ったことがあって、そこでまさにこのラフマニノフの「音の絵」を演奏したんだけど、何だか音自体がどっしりと重くてゴツゴツした感じで、岩と鉄が混じった塊のような迫力があった。例えば「四季」みたいな抒情的な曲調の曲も、その土台の上での抒情であって、ただの聴き易い演奏とは次元が違うという気がする)。

 しかしこの盤、昔からのファンとしては、一つだけ今のこのジャケットには不満があります。LP時代、この盤のジャケットはリヒテル自身の作という冬のロシアの情景を描いた絵が使われていたんですが、なぜか今では何の面白みもないただの演奏風景写真になってしまいました。いやあ、個人的には絶対あっちのほうが良かったんだけど)。

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スティーヴ・ライヒ:6台のマリンバ

2019年06月05日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
ライヒ/六重奏曲,6台のマリンバ
ライヒ(スティーヴ),ライヒ,ネクサクとマンハッタン・マリンバ・カルテットのメンバー
ダブリューイーエー・ジャパン

 ぼくにとって、この曲(盤)は「ミニマル」という前に「マリンバ」という意味でよく聴く曲。

 マリンバの音色っていうのは昔からかなり気に入っていて、できればもっといろいろと聴いてみたいと思っているんだけど、なかなかいい作品にめぐり合えない。

 そんな中、この作品も元はピアノ用で、つまりはマリンバのオリジナル曲ではないんだけど、何回聴いても圧倒的にこっちのほうが合っているというか、演奏効果も上がってカッコイイと思う。ただ、「6台のマリンバ」1曲だけだとゆっくり落ち着いて聴くにはちょっと短いので、リピートをかけて繰り返し聴くこともよくあります。

 そして、このいつ果てるとも知れないマリンバの音の重なり。それは一見どこまでも乾いていて人工的(無機質)にも感じられる一方、やはり「生音」(これが生演奏であることは重要であると思う)がもたらす心地よい感触というものもたしかにあって、そんな相反する2つの要素が融合して、「いつまでも浸っていたい」と思わせる、なんとも抵抗しがたい魅力を形成しているのかなと思ったりもします。 (2009/03/09)

Steve Reich - Six Marimbas

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ギャビン・ブライアーズ:イエスの血は決して私を見捨てたことはない

2019年06月05日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
Bryars: Jesus' Blood Never Failed Me Yet
Philips
Philips

 これは正直いって、かなり危険な音楽です。

 そして、その前にもう一つ「正直」をいうと、そもそもぼくの人生でこんなミニマル・ミュージックに多少でもハマる予定なんて、これっぽっちもなかったのですよ、ホントに。

 ていうか、今だって全体的には全然気に入ってないのですよ、これを除いては。それにこのCD何だかジャケットも気持ち悪いし、なぜこれを聴こうと思ったのか、今となってはそれもよく思い出せません。

 しかし、これが一旦耳に入り始めてしまうと、ハマるのです。ハマってしまうのです、しかも、ものすごく。いやまったく、この音楽の持つ麻薬性、というか中毒性は何なのでしょう。ホントにこれをうっかり聴き始めると、5分や10分なんてあっという間にたってしまう。なぜこのホームレスの老人の短い鼻歌の繰り返しが、いつまでも飽きもせず聴き続けられてしまうのか。そしてこの夢見るような心地よさは何なのか。

 いくら考えてもよく分からん。っていうか、これを聴きながら考えごとをしても、そんなものはいつのまにかどこかへ消え去ってしまって、気がつけばまた5分、10分たってしまっている。

 でも、これはイカレた音楽には違いないけど、同時にやはりある意味すごい名曲であることも間違いないのですよ、たぶん。それが one thing I know っていうか。(2008/06/25)

*(ブログへの転載にあたって、Youtubeに音源を発見してしまいました。ホントに一度ハマれば容易に抜け出せないような中毒性がありますので、試聴なさる際はご注意下さい(笑))。

Gavin Bryars With - Tom Waits ‎- Jesus' Blood Never Failed Me Yet

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モートン・フェルドマン:「ピアノと弦楽四重奏」/高橋アキ&クロノス・カルテット

2019年05月30日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
Piano & String Quartet
Morton Feldman,Aki Takahashi
Nonesuch

 モートン・フェルドマンは、実は最近まで名前すらあやふやだった作曲家。

 ほかのCDの解説などでたまに彼の名前を見かけるとしても、たいていは「図形譜」や「偶然性の音楽」だったり、「ジョン・ケージ」との関係だったりという文脈で、そもそもケージで完全に足が止まってしまっていたぼくとしては、フェルドマンまでなかなかたどり着けなかったというわけです。

 でも、この盤には正直驚きました。なにしろ、予想をはるかに上回って美しかったから。

 曲想は、ピアノがアルペッジョを鳴らすと同時に弦楽器が持続音の和音を奏でる、ということが少しずつ変化しながら静かにひたすら繰り返されるというものなのですが、最初のピアノのアルペッジョからして、すでに人を捕らえて離さない魅力がある。

 それにひとつひとつの和音も、「偶然性の音楽」などとはまったく違って非常によく考えられていて、まるで少しずつ違う美しさを持つ銀河の写真を次々に見せられているような、とでも喩えたいくらいに、静謐な美しさに満ちた作品になっている。

 ただ、このCDをきっかけにして、その後数枚フェルドマンのCDを聴いてみたのですが、現在のところ、まだ他に気に入ったものに巡り会えていない。現代音楽の世界の探検は、やはりなかなか大変です。(2007/05/21)

Piano and String Quartet

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ヴァスクス:弦楽四重奏曲第4番/クロノス・カルテット

2019年05月22日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
ヴァスクス:弦楽四重奏曲第4番
クロノス・クァルテット,バスクス
ワーナーミュージック・ジャパン

 これ、たまたま寄った図書館の現代音楽の棚で見つけて、手に取った瞬間は「クロノスで北欧系(の作曲家)かあ。う~ん、どうしようかな」と思ったんだけど、夜空にプロペラ機が飛んでいるイラストになにやら胸騒ぎをおぼえて借りて帰ってみると、聴きやすくてビックリ。ちょっと意表を突かれてしまいました。

 まあ、どんな音楽にしろ、一度聴いただけですぐに耳になじんでくれるのならそれに越したことはないのですが、しかしコト現代音楽となると、日頃そのとっつきにくさに辟易している一方で、たまに聴きやすいものに出くわすと逆に心のどこかでついつい警戒してしまうというのは、我ながら哀しい習性です。

 それに東欧や北欧といった地域は、ジャズにしろ現代音楽にしろ、ここ数十年いろいろと新しい音楽を生み出し続けているという点ではいいとして、一方でどうしても色調が暗い印象があるし、音楽の力強さ、推進力という点でやや物足りないと思ってしまうのも事実。

 で、このヴァスクスについても、何度聴いても良いのかそうでもないのかなかなか判然としなくて、ず~っと判断保留でいたのですが、しかし待っていたところで特に何が変わるというわけでもなく、ふと気がついたらこれまでにいったい何度聴き返したことかと考えただけでも、これはもう完全に自分のお気に入りと認めざるを得ないなあと、今では白旗をあげてしまったという次第。

 それに、このヴァスクス、後で気づいてみると同郷のクレーメルのCDなどで知らないうちにちょこちょこ聴いていたことも判明して、今ではだいぶ馴染みの作曲家にも思えてきてしまいました。

 ところで、20世紀の東欧・北欧や旧ソ連あたりの弦楽四重奏(なぜかよく聴いてしまう)というと、ぼくの中では、あの時代の「暗さ」を象徴するような、鬱屈した非常に音の動きの少ない部分と、反対に軍隊の進軍を思わせるような激しい部分が交互に現れるような印象がとても強いのですが、ここに新たに現れたヴァスクスのノスタルジーの世界も、本人が「希望」ということを言っている一方、かなり彼岸的な印象ではあって、やはり同時代の音楽なのだなあという気がしております。

↓(たまたまYoutubeで、最終(第5)楽章 メディテーションの動画を見つけました)

Meditation

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ブリテン:キャロルの祭典(ほか)/マーティン・ニアリー指揮 ウェストミンスター寺院聖歌隊

2019年05月18日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
Ceremony of Carols
Sony
Sony

 コダーイの「山の夜」の稿でもちょっと触れましたが、この曲もかつて小学生の時に地元の少年少女合唱団の発表会で歌って、その時のプログラムをなくしてしまったために長らく題名が分からなくなっていた曲の一つ。

 しっかし(!)、こっちのほうは探すのに苦労したのなんの。発表会の時の録音(カセット)を何度か聴くうちにこの曲のことがどうしても気になってきて、すでに高校生くらいの時にはなくなったプログラムを探して実家の押入れの中をゴソゴソ探していた記憶がありますから、それ以来、最低でも15年くらいは確実に探していたと思います。

 しかし、どうしてもプログラムが見つからない。なので、仕方なく曲調からなんとか作曲家に目星をつけて、その作曲家の合唱曲のCDを当ってみようと思ったこともありましたが、しかしこの曲、一見すると聖歌や古楽などの古い曲にも思えるんだけど、それにしては垢抜けしてるような気がするし、かといって近代以降の自分の知っている作曲家の作品だとすると、思い当たる誰のイメージにもピッタリしない。とすれば、もしかして合唱曲ばかり書いているたぐいの作曲家の作品なのか、それともいまひとつ名の通ってない作曲家の作品で、あまりCDなども出ていないのか。

 ・・・と、大学に入って上京してからも、折に触れて図書館なんかで特に興味もない合唱曲のCDに手を伸ばして探りを入れたりしていましたが、しかしこれがホントに、ど~しても見つからない。

 ついには自力で探すのをギブ・アップして、当時母がママさんコーラスなどの活動をしていたのでその知り合いの人に頼んで聴いてもらったり、ついには当の合唱団の事務局にまで問い合わせてもみたのですが、当時のプログラムはもう残っていないということで、一時は完全にお手上げの状態だったのです。

 ところがある日・・・、その長年の謎が、全くの偶然からあっけなく解決してしまいました。

 ある日の深夜、たまたまテレビをみていて、ウイーン少年合唱団がまた来日して公演をやるらしく、そのコマーシャルが流れてきたのですが、何とそこで歌われていたのが、忘れもしないあの曲だったのです!

 その瞬間、思わず「うお~!」と叫び声を上げてしまいました。そして、翌日興奮さめやらぬまま公演の事務局に問わせてみると、・・・まさか、それが「ベンジャミン・ブリテン!」だったとは。

 いやあ、ブリテンといえば、もちろん名前は知っていましたが、ふだんオケ曲を聴かないぼくにとってはほとんどなじみのない作曲家で、昔CDをちょこっと聴いた限りでもあまりとっつきやすいとはいえない現代的な曲を作っていたという印象しかなく、まったく捜索の範囲にさえ入っていなかったのです(というか、そもそも曲の歌詞が英語じゃないので、イギリス人という発想自体していなかった)。

 いやあしかし、それがひそかにこんな美しい曲を作っていたとは。後から考えても、やはりこんな偶然でもなければ、ぼくの知識だけではどうやってもブリテンにはたどり着けなかっただろうなあと、うなだれるしかなかった次第。

 と思いかけたのですが・・・、ええ~っ!!、その後調べてみると、この曲って必ずしも全部がブリテンのオリジナルというわけじゃなく、しかも冒頭の曲のタイトルが何だか聞き覚えがあると思ったら、昔たしかに聴いたことがあるグレゴリオ聖歌のCDの収録曲と一致していると判明!

 なんてこった、そのCDを聴いていた時に、もしその曲調(もちろん、ブリテンによってアレンジされているので聴いた印象はけっこう違うんだけど)の一致に気づいていたら、それをきっかけにこの曲集にたどり着けたかもしれなかった。いやあ、自力で解決できる可能性はあったということか。

 とまあ、こうして、自分で見つけられなかった点は無念とはいえ、ついに長年の謎が氷解したというわけですが(題名がわかってみると、「ああ、そういえばブリテンの名前もよく聞くなあ」という人まで現れる始末)、そのようなぼくの個人的事情はさておいても、この曲、非常に魅力的な作品だと思いますので、まだ未聴という方がいましたら、ぜひにと強くオススメしたいところです。キャロルということで、当然ながらクリスマス向きでもあります。

 また、演奏としては、上にご紹介した盤は全曲盤でもあり、伴奏もオリジナルのハープ伴奏(ウィーン少年合唱団をはじめとして、抜粋盤やピアノ伴奏も多い)ということで、気に入ってます。

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ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3,1,4番/ブロドスキー・カルテット

2019年05月18日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
String Quartets 1, 3 & ,4
Elektra / Wea
Elektra / Wea

 かつて「アイリッシュの風」の項でも触れましたが、このブロドスキー・カルテットによるショスタコも、ぼくが「弦楽四重奏」というものを聴くきっかけになったCD。

 思うに、弦楽四重奏というジャンルはどうしても「地味」というイメージがつきまとうと思うのですが、ぼくの中でも一言でいって「サロン的」というか、とにかく保守的で、驚くような新しいことが何も起こらないという印象だった。ドビュッシーやラヴェルなど、当時から好きな曲もないわけではなかったけど、正直いってあまり聴く機会は多くありませんでした。

 それを、見事にブチ壊してくれたのがこのCD。初めて聴いた時は、これまでの弦楽四重奏とのあまりの違いに、ホントに驚いたものです。「トガっていて」、「新奇で」、「現代的で」、しかも「聴きやすい」と、これまでに室内楽の分野で、こんな音楽にお目にかかったことなんてなかった。で、基本的にオケなどの大編成の音楽が苦手なぼくにとっては、実は今でもショスタコと言えばこの「弦楽四重奏」のままです。

 で、全部で15曲あるショスタコの弦楽四重奏のなかでも、やはりぼくとしては最初にホレたこの「3,1,4番」のディスクがお気に入り。ブロドスキー・カルテットの演奏も、ホントにすごくモダンでカッコイイです。

 それから、ぼく的にもうひとつ言いたいのは、この曲、実はけっこう「ユダヤ的」な要素が強いのだと思います。これはずっと後になって、イスラエルだかユダヤの舞曲(詳しくは思い出せない)のCDを聴いている時に、すごく曲調が似ている曲があって気がつきました。

 で、言われてみるとたしかに「名曲解説事典」のたぐいにも「ユダヤ的メロディー」という言葉がいくつも出てくるんですが、そういうことを意識する前に読んだときには気づかなかった。いやあ、ふだん興味のないことは、なかなか目に入ってこないものなんですね。(2007/12/30)

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ヒンデミット:12の独奏楽器のための室内音楽第1番 作品24-1/アバド&ベルリン・フィル

2019年05月04日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
Kammermusic 1-7 / Der Schwanendreher
Paul Hindemith,Claudio Abbado,David Shallon,Berlin Philharmonic Orchestra,Bavarian Radio Symphony Orchestra,Wayne Marshall,Lars Vogt
EMI Classics

 *(上のCDは全曲盤ですが、ここでは第1番のみの感想になります)

 これは、ぼくが長年秘かに愛聴する、抜群に面白い「破天荒」な作品。

 かつて聴いた日本盤(たしか全曲盤ではなかった)の解説に、ヒンデミットは第一次大戦以前の音楽界に蔓延していた傾向に風穴を空けるために、このキャバレーかサーカスのほうがふさわしいような音楽を作り上げたと書いてあったけど、たしかにそのようにちょっと品がなく、騒々しい音楽がお好きな方には特にオススメな作品です。

 まずはとにかく、最初の出だしからのスピード感と躍動感。そして第2楽章を経て、なぜかここで使うのがもったいないような夢の中のように美しい第3楽章。そして十分に「タメ」を作った上での最後のうねるような盛上がりとフィナーレ(止めのサイレン!)。

 まあ、たしかにこれは、本格的な作品と言うより、ある種奇抜な類の作品になるのかもしれませんが、しかしそれをここまでキメて聴かせるには、やはり非凡な才能が必要なのだと思えてなりません。

 それから小太鼓やシロフォンほかパーカッションの鋭く乾いた音も印象的。楽器的にも重厚さを排した、いわば「軽み」の音楽と言えるのかも知れません。

 最後の部分はいつ聴いても身体が思わず浮き立ってしまいます。 (2009/10/22)

 

↓(ブログへの転記に際して、他の演奏(リッカルド・シャイー指揮)になりますがYoutubeに音源を見つけましたので、参考までに貼っておきました)

Paul Hindemith - Kammermusik No. 1

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ブルックナー:ピアノ独奏曲全集/白神典子

2019年05月04日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
ブルックナー:ピアノ独奏曲全集 [Import](Bruckner:Piano Works)
Anton Bruckner,Fumiko Shiraga
Bis

〔曲目〕
 ・ピアノ・ソナタ ト短調 第1楽章
 ・秋の宵の静かな思い
 ・シュタイアメルカー
 ・ランシエ=カドリユ第1番~第4番
 ・ピアノ曲 変ホ長調
 ・幻想曲 ト長調
 ・思い出
 ・交響曲第7番 アダージョ楽章

 ブルックナーの珍しいピアノ曲集です。

 これは数年前に何気なく手に取ったもので、初めのうちはなんてこともないなあと思っていたけど、しかし聴くたびに何かモヤモヤしたものが残り、それでまた何となく聴き返していくうちに、いつの間にか好きな盤になってしまった。

 でも、それでいざここで紹介しようとしても、ハタと困ってしまう。というのは、ぼくは作曲家ブルックナーについて、ほとんど何一つ知らないから(泣)。

 ぼくが交響曲など大規模な編成の音楽が苦手なのはこのHPでも度々表明しているけど、ブルックナーはそのなかでも最右翼というべき存在。なので、どう考えてもブルックナーの主要作である交響曲をこれまでほとんど聴いたことがないし、その結果、ぼくのなかのブルックナー像は、現在のところ半分以上このCDで出来上がってしまっている!(笑)。

 で、肝心の曲の感想はというと、若い頃の習作っぽい曲が多いとはいえ、ここに収められた曲はかなり魅力的。他の作曲家では聴いたことがないような、独特な歌心や透明で明るい叙情性みたいなものがあるし、中でもCDの最後に収められた交響曲第7番のアダージョ(他人による編曲らしいけど)は、独特のスケール感と情感があって素晴らしいです。

 ・・・とはいえ、やはりぼくにとってブルックナーは、まだまだ遠い存在。その現状を打開するには、結局自分が将来交響曲方面に近づいていく以外に道はないんだけど、しかしこのままクラシックを聴き続けていくとしても、果たしてそんな日がくるのだろうかと、(まだあまり現実性を感じられずに)想像したりしております。(2009/10/08)

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R・シュトラウス:メタモルフォーゼン(他)/ケネス・スロウィック指揮 スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ

2019年04月10日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
鎮魂~R.シュトラウス:メタモ
スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ,バーバー,エルガー,R.シュトラウス,スロウィック(ケネス)
BMGビクター

〔曲目〕
 ・弦楽のためのアダージョop.11(バーバー)
 ・弦楽のためのセレナード ホ短調op.20(エルガー)
 ・弦楽のためのエレジー ホ短調op.58(エルガー)
 ・メタモルフォーゼン(変容)~23の独奏楽器のための習作(R.シュトラウス)
 ・(音による譜例)

 以前から個人的に偏愛度が高い曲、リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」。今回はカラヤン盤以外に、最近のもうひとつの愛聴盤をご紹介。ケネス・スロウィックという指揮者による、「ガット弦」楽器での演奏です。

 このスロウィックという指揮者、個人的には今回初めてきく名前だったのですが、どうやらかなりのこだわり派のようで、作品が作られた当時使用されていた弦である「ガット弦」を張った楽器の使用、および奏法の上でも現代の過度なヴィヴラートの排除を推し進めていることで有名な人だそうで、付属の解説書でも後半はその点の説明に費やされているのですが、しかし個人的に興味深かったのはその前の部分。

 そこに書かれていた、作曲当時のR.シュトラウス個人の状況から、譜例まで使っての作品解説が有難い。しかも実際の曲の演奏の後で、「音による譜例」ということで調性の半音階的な変化についてや、曲中に現れる7つ(とここでは数えている)の動機をピアノや合奏で演奏してくれている。ある意味、レクチャーCD的な内容。

 ただまあ、そうは言ってもそれはあくまでも鑑賞にあたっての補助的な範囲のものではあって、ぼく自身もこれでこの曲が理解できたなんてまったく言えないわけですが、しかしこの曲に興味を持つ人にとっては、この曲を考えていく上での入り口になってくれるのかもしれません。

 で、ぼくとしては、そんなことを考えながら何回も聴くうちに次第に演奏のほうも気に入ってきてしまって、気づくとバーバーやエルガーといった弦楽合奏の分野では定番の収録曲も、なかなかの味わい

 ガット弦に関しては、そもそも楽器に全然詳しくないぼくには、ちょっと淡白な響きのわりに飽きの来ない音だなあとぼんやり思うくらいでしたが、その点も含めて、全体としてかなり個性的で面白い盤なのではないかと思いました。(2009/12/30)

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リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン/カラヤン&BPO

2019年04月05日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
R.シュトラウス:メタモルフォーゼン、交響詩「死と浄化」
カラヤン(ヘルベルト・フォン),R.シュトラウス,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ユニバーサル ミュージック

 もともとピアノばかりを聴いて育ち、ほかの楽器はこの世に必要ないとさえ思った時期があったせいでしょうか。

 ぼくは昔から違う種類の楽器の組み合わせというのがいまひとつ苦手で、たとえば弦楽器ならできれば弦楽器だけでやってもらいたい、フルートのアンサンブル曲を作るのならいっそ木管合奏にしてほしい、声楽なら基本的にアカペラでやってほしいというような願望みたいなものがありまして、だからオーケストラ(特に大規模なもの)とか、色々な楽器のピアノ伴奏の曲というのが、今だにちょっとしんどかったりするのです。

 で、「弦楽」に話を絞ると、作品の質・量ともに、ふだん聴くものとなるとどうしても弦楽四重奏に片寄ってしまうのですが、その一方で時として、それより大きな編成でもっと厚みのある音の波を浴びてみたいという欲求もありまして、そういう意味で、この「メタモルフォーゼン」のカラヤン盤は、昔から不動のナンバー・ワンの地位を保っております。

 この曲、解説などを読むと、第二次大戦の頃のドイツおよびR・シュトラウス個人の状況と密接な関わりがある曲のようなのですが、しかしぼくは元来そういうことがなかなか頭に入ってこないタチなので(例えば「ショスタコの交響曲第何番のここのところは実はこういうことを意味していて・・・」なんてことを言われると、それだけでげっそりしてしまう)、ふだんはもっぱら単純に音楽だけを聴いております。

 しかし、楽譜さえ見たこともないぼくがいうのもナンですが(「23の独奏弦楽器のための」という副題のとおり、本当に23段の譜面になっているらしい)、この曲、冒頭に示されるそれぞれ魅力ある要素が非常に複雑にからみあって容易に構造をつかませず、いつも目の前の旋律を聴いているうちにいつの間にか音による陶酔境に深く入り込んでしまっているという感じで、むしろ作曲の事情とかの知識は無用なほどの名曲なのではないかと思ったりもします。

 そして、何よりもカラヤン&ベルリン・フィルのツヤのある音が美しい。いや、ホント、日本じゃあまり有名じゃない曲かもしれないけど、弦楽合奏の美しさを堪能したい方にはぜひ1度聴いてほしい名演です。(2007?)

(補記 2019.4.4)ブログへの転記の際に、Youtubeに同演奏がアップされているのを見つけたので、一応貼っておきました。でも、これはやっぱり、もっといい音で聴いてほしいです。

R. Strauss: Metamorphosen For 23 Solo Strings

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バルトーク : ピアノ協奏曲 第1番&第2番/マウリツィオ・ポリーニ、アバド&シカゴ響

2019年04月01日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
バルトーク : ピアノ協奏曲 第1番
ポリーニ(マウリツィオ),バルトーク,アバド(クラウディオ),シカゴ交響楽団
ユニバーサル ミュージック クラシック

 いけない、この盤をアップするのを忘れていた!

 しかしこれはもう、ぼくに言わせると問答無用の永遠の名盤で、ある意味当たり前すぎて思いつかなかったといえるかも。

 実際、中高生の頃にこの盤に出会って以来、この2曲にはこの盤があればすでに十分で、もはやほかのピアニストがわざわざ録音する必要もないし、聴く側としてもわざわざ他の盤を聴く労力すら必要ないという結論に達してしまっておりました。

 まあ、あえて難点を探すとすれば、人によってはあまりハンガリーっぽさがないことを挙げるかもしれませんが、しかしもうスーパーに最高の品質の野菜が置いてあるのに、わざわざ土がついたしなびた野菜をそこらへんから掘ってくる必要はないだろう、なんて気持ちにもなってしまいます。

 ところで当時のポリーニって、ぼくが思うに、こういう現代的でメカニカルな曲を弾かせたら抜群にハマったピアニストだったのではないかと思われてなりません。しかし、彼の録音で現代ものというと、ほかにシェーンベルクとかルイジ・ノーノとかが多少あるけど、数としてはあまり多くはなかった。

 何十年もかけてベートーヴェンのソナタ全集作るのもいいけど、その一方でもっとどんどん実験的な曲を弾いていってくれたら、このバルトークのような面白い名演が生まれていたのになあ、とはちょっと思ってしまうんですよね。(2010/02/20)

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バルトーク:ピアノのための作品集(ミシェル・ベロフ)

2019年04月01日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
ピアノのための作品集
ベロフ(ミシェル),バルトーク
EMIミュージック・ジャパン

〔曲目〕
 ・ピアノ・ソナタ
 ・戸外にて
 ・6つのルーマニア民族舞曲
 ・15のハンガリー農民歌
 ・「ミクロコスモス」第6巻:6つのブルガリア舞曲

 あれれっ、これ、CDでも昔のLPのジャケット写真のままだったはずなのに、いつのまにかこんな画像に変わってしまっている(ちょっとショック)!

 ・・・それはともかく、これはぼくにとって初のバルトークで、たぶん初のベロフでもあったと思います。まあ要するに、個人的に永遠の「基本盤」なわけです(笑)。
 で、こういう盤って、どうしても「刷り込みなのでは?」という疑惑がつきまとうものだけど、しかし、これはいまだに何度聴いても「完璧」なので困ってしまいます。

 同じひとりの作曲家でも、もちろん人によってその「作曲家像」というのはさまざまなのでしょうが、ぼくにとってのバルトークってのは、まずもってこのくらい乾いていてもらわないと困るし(ルバート多用の情感あふれたバルトークなんて間違っても聴きたくない)、このくらい正確なテクニックがないとまたそれで困るし、そしてあまり土俗っぽさを強調するのもわざとらしいし、品がよくて大人しすぎても面白くない。

 いや、ほんとにそういう風に考えていくと、結局バルトークはこの盤になってしまうのです。それに何といっても、この若い頃のベロフの鋭利な感受性って、すごく魅力があったと思うんですよね。(2008/04/10)

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コダーイ:女声合唱曲集(特に「山の夜」)/ジュール女声合唱団、ミクローシュ・サボー指揮

2019年03月23日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
The Choral Music of Kodaly
 
Hungaroton

 実は小学校4年ぐらいの時だったでしょうか、ぼくの住んでいた地域で新たに少年少女合唱団を創設するという出来事がありまして、なぜかやる気になって応募してみたところ、なぜか見事合格してしまいまして、たった1年だけでしたが、毎週(だったかなあ?)土曜にレッスンに通ったということがあるのです。

 しかし、いざ入ってみるとぼくの学校の生徒は2,3人しかいないし(いっしょに応募したクラスの男の子が落ちてしまった)、ほとんど周りは女の子ばかりだしで、すぐに毎週毎週土曜日がくるのが苦痛でしかたない、という事態に陥ってしまいました。

 しかし今回のことは自分でやりたいと言い出した手前、なかなか親にやめるとも言い出せず、そうこうするうちに寒くなりだした頃から第1回の発表会の練習が本格的に始まってしまうわで、じゃあとにかくそれまではがんばろう、となんとか1年間は踏みとどまったわけです。

 でもそんな中、ほとんど唯一の救いは、その発表会の曲目の中に好きな曲が何曲かあったということで、その曲を歌えるのが素直にうれしいという面はありました。特に沖縄の「てんさぐの花」は大好きで、ある意味この歌があったからこそ最後まで続けられたような感もあるのですが、あろうことか、本番の直前練習で指揮の先生が「この曲は途中でテンポがどうしても早くなるクセがとれないから中止にする」という、とんでもない悲劇がおきてしまい、もうこれで発表会が終わったら100%絶対やめてやると決心がついたという思い出もあります。

 ・・・とまあ、今回は前置きが長くなってしまいましたが、要するにそれがコダーイの曲とどう関係あるのかというと、実はこの中に収録されている「山の夜(第1番)」というのがその発表会のオープニング曲だったわけでして、つまりはぼくの思い出の曲のひとつなのです(しかし、「山の夜」の次がこれまたブリテンの「キャロルの祭典」というのだから「凝っている」というか、当時の指導者の方々の意気込みが伝わってきます)。

 この「山の夜」、女声コーラスの世界ではかなり名の知れた名曲で、ご存知の方も多いと思いますが、実は発表会のプログラムを紛失してしまっていたため、ぼくにとっては長らく”あのとき歌った謎の曲”のままでした。それが、大学に入って民族音楽なんかをいろいろと聴き始めて、たまたま東欧の音楽という意識で手にとったこのCDで感激の再会を果たした、というわけです。

 ただ、このコダーイが音楽教育やこのような合唱曲を書くようになったきっかけというのが、ある時郊外に遠足に来ていた女学生たちの歌をきかされて、それがあまりにひどかったからだ、ということらしいのですが、それはいったいどのようにひどかったんだろう、とはいつも考えてしまうところです。はたしてクラシック的な観点から西欧的な歌を歌おうとしてダメだったのか、はたまた、地声で地元の民謡みたいな歌っていて、それがダメだったのか。

 また、「山の夜」などはたしかに非常に美しいけど、コダーイほかの作曲家が地元の音楽を採集しつつ西欧的な合唱曲を作りだしていったのは、結果的にどのくらい実りがあったことなのか(「ブルガリアン・ヴォイス」などを知ってしまった今となっては、やはりどうしても西欧的な発声より「地声」のほうに魅力を感じてしまうというのが正直なところ。ハンガリーといえばバルカン半島とも接しているだけに、この曲集のなかにも、似たような響きが感じられる所がけっこうある)。

 ・・・しかしまあ、今回は何よりも昔の思い出を書かせていただきました、というお話でした。(2007?)

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コダーイ:女声合唱曲集(特に「山の夜」)/ジュール女声合唱団、ミクローシュ・サボー指揮

2019年03月09日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
The Choral Music of Kodaly
 
Hungaroton

 実は小学校4年ぐらいの時だったでしょうか、ぼくの住んでいた地域で新たに少年少女合唱団を創設するという出来事がありまして、なぜかやる気になって応募してみたところ、なぜか見事合格してしまいまして、たった1年だけでしたが、毎週(だったかなあ?)土曜にレッスンに通ったということがあるのです。

 しかし、いざ入ってみるとぼくの学校の生徒は2、3人しかいないし(いっしょに応募したクラスの男の子が落ちてしまった)、ほとんど周りは女の子ばかりだしで、すぐに毎週土曜日がくるのが苦痛でしかたない、という事態に陥ってしまいました。

 しかし今回のことは自分でやりたいと言い出した手前、なかなか親にやめるとも言い出せず、そうこうするうちに寒くなりだした頃から第1回の発表会の練習が本格的に始まってしまうわで、じゃあとにかくそれまではがんばろう、となんとか1年間は踏みとどまったわけです。

 でもそんな中、ほとんど唯一の救いは、その発表会の曲目の中に好きな曲が何曲かあったということで、その曲を歌えるのが素直にうれしいという面はありました。特に沖縄の「てんさぐの花」は大好きで、ある意味この歌があったからこそ最後まで続けられたような感もあるのですが、あろうことか、本番の直前練習で指揮の先生が「この曲は途中でテンポがどうしても早くなるクセがとれないから中止にする」という、とんでもない悲劇がおきてしまい、もうこれで発表会が終わったら100%絶対やめてやる、と決心がついた、という思い出もあります。

 ・・・とまあ、今回は前置きが長くなってしまいましたが、要するにそれがコダーイの曲とどう関係あるのかというと、実はこの中に収録されている「山の夜(第1番)」というのがその発表会のオープニング曲だったわけでして、つまりはぼくの思い出の曲のひとつなのです(しかし、「山の夜」の次がこれまたブリテンの「キャロルの祭典」というのだから「凝っている」というか、当時の指導者の方々の意気込みが伝わってきます)。

 この「山の夜」、女声コーラスの世界ではかなり名の知れた名曲で、ご存知の方も多いと思いますが、実はその発表会のプログラムを紛失してしまっていたため、ぼくにとっては長らく”あのとき歌った謎の曲”のままだったのです。それが、大学に入って民族音楽なんかをいろいろと聴き始めて、たまたま東欧の音楽という意識で手にとったこのCDで感激の再会を果たした、というわけでした。

 ただ、このコダーイが音楽教育やこのような合唱曲を書くようになったきっかけというのが、ある時郊外に遠足に来ていた女学生たちの歌をきかされて、それがあまりにひどかったからだ、ということらしいのですが、それはいったいどのようにひどかったんだろう、とはいつも考えてしまうところです。

 はたしてクラシック的な歌をクラシックの発声で歌おうとしてダメだったけど、地声で地元の民謡を歌わせたらどうたったのか、それとも全般的にダメだったのか。また、「山の夜」などはたしかに非常に美しいが、コダーイほかが地元の音楽を採集しつつ西欧的な合唱曲を作りだしていったのは、結果的にどのくらい実りがあったことなのか。

(「ブルガリアン・ヴォイス」などを知ってしまった今となっては、やはりどうしても西欧的な発声より「地声」のほうに魅力を感じてしまうというのが正直なところ。ハンガリーといえばバルカン半島とも接しているだけに、この曲集のなかにも、似たような響きが感じられる所がけっこうある)。

 ・・・しかしまあ、今回は何よりも、昔の思い出を書かせていただきました、というお話でした(笑)。(2007?)

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