On a bench ブログ

ようこそ、当ブログへ。ジローと申します。
 毎日毎日、たくさんのCDやLPを聴いて過ごしております。

聞いたCD Haydn : Piano Sonatas Vol.1(Catherine Collard)

2021年10月29日 | クラシック

 

〔曲目〕
   ハイドン
 ・ピアノ・ソナタ Hob.XVI-49
 ・ピアノ・ソナタ Hob.XVI-10
 ・ピアノ・ソナタ Hob.XVI-6
 ・ピアノ・ソナタ Hob.XVI-52

 これは、ここ数日「見つけたかも!」と、秘かに興奮しているCD。

 ハイドンのソナタについては、最近好きなので中古屋で手頃な値段で落ちているCDを見つけたらできるだけ拾うようにしているんだけど、その中でも特に期待もしないで買ったこの盤が(ジャケットもいかにも廉価盤という感じだし)まさかの大当たり。

 ピアニストはフランス出身でイヴォンヌ・ルフェビュールらに師事し、アンヌ・ケフェレックと仲が良くてデュオをよくやっていたというカトリーヌ・コラール(1947~1993)で、ぼく自身はまったく初めて聴くピアニスト。今回のCDが「Vol.1」と銘打っているところをみると、シリーズ化の企画だったと思うのだが、恐らくその半ばで40代で病没しとのらしい(残念)。

 で、この盤の曲目は全4曲のうち、有名どころのHob.XVI-49とHob.XVI-52とに挟まれて初期の曲が2曲という構成。こういう初期の曲を入れるということはやはり全集の企画だったのかなとも思うのだが、しかしその演奏が、冒頭からもう抜群に素晴らしい。

 演奏の大まかなタイプとして、フランス人の演奏によく言われる明晰な演奏といわれれば確かにそうで、ドイツっぽい本格的な(と言ったらいいのか)雰囲気とは無縁の感触。そしてすごく良く回る指での打鍵が溌剌とした躍動感があり、またゆったりしたところではすごく端正な抒情と女性らしい繊細さもあって、本当にどこをとっても言うことなし。

 実は、ハイドンのソナタの全集物はこれまで2種類くらいは聴いていて、しかし初期のソナタはやはりあまり耳に残らないものも多く、普段演奏が少ないのもうなずけるなあと思っていたのだが、彼女の演奏はそういうソナタまでも十分立派な作品に変えてしまう。実際、このCDで一番印象に残ったのは既知の有名曲ではなく、この初期の2曲のフレッシュさのほうだったと言ってかもしれない。

 本当にこれ、80年代の録音のわりに全然古くも感じないし、ここ最近聴いたハイドンの中では、というより全部の中でも最高クラスに良いと思う。う~ん、このカトリーヌ、コラール、なぜもっと有名じゃなかったんだろう。

↓(恐らく、CDの1曲目と同一の音源。本当は初期の曲のほうが良かったんだけど、見つからなかった)

Haydn - Catherine Collard (1991) Keyboard Sonata in E-flat major, Hob.XVI/49

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聴いたCD ダンドリュー、コレッリ:ソナタ集(ル・コンソート)

2021年10月25日 | 古楽・バロック

 

〔曲目〕
 ジャン=フランソワ・ダンドリュー:
  ・ソナタ ト短調 作品1-3 ・ソナタ イ長調 作品1-4
  ・ラ・コレッリ(ジュスタン・テイラーによるトリオ編成版)
 アルカンジェロ・コレッリ:
  ・ソナタ ハ短調 作品4-1
 ジャン=フランソワ・ダンドリュー:
  ・ ソナタ ヘ長調 作品1-5 ・ソナタ ニ短調 作品1-1 ・ソナタ ニ長調 作品1-2
 アルカンジェロ・コレッリ:
  ・ソナタ ロ短調 作品2-8
 ジャン=フランソワ・ダンドリュー:
  ・ソナタ ホ短調 作品1-6
 アルカンジェロ・コレッリ:
  ・チャコーナ(ソナタ)ト長調 作品2-12

 これは、昨年あたりから何度か聴いていたCD。

 18世紀前半にフランス宮廷で活躍した作曲家、ジャン=フランソワ・ダンドリュー(1682-39)のトリオ・ソナタの作品を中心に、そのダンドリューに大きな影響を与えたイタリアの先人、アルカンジェロ・コレッリの作品を数曲挟み込んだ室内コンソートのCDになります。

 この1682年という生年は、かの1685年生まれの3巨匠(JSバッハ、ヘンデル、Dスカルラッティ)とほぼ同世代になると考えれば時代が掴みやすいのではないかと思うけど、しかしダンドリューという人は生前フランスでは有名だったらしいが、現在ではチェンバロ曲ほかがわずかに知られている程度で、ここで演奏されている室内楽曲はこれまでほとんど顧みられることなく、その生涯も謎につつまれたままという人物であるらしい。

 そしてそれを意識してか、このCDの質疑応答形式でのライナーノートの冒頭にも、演奏者自らが「このトリオ・ソナタはわざわざ録音するほどのものなのか?」と自問自答のような質問をしているほどなんだけど、しかし実はダンドリューこそがこのル・コンソートというグループの結成のきっかけにもなった作曲家だったということで、答えは聞くまでもなし。

 ここに聴かれるトリオ・ソナタという形式は、17世紀に生まれたものだそうで、それを大きく発展させたのがかのコレッリだったのだが、その後この形式がヨーロッパ中に広まっていった中で、フランスにおいてはダンドリューの作品にも大きくコレッリの影響が現れているということで、途中コレッリの作品がいくつか挟み込まれているのだが、イタリア生まれのヴァイオリンが、この時期になってフランスに根付き始めたという風にも捉えられるのではないか、とも。

 で、このCDをこれまで何度か(間隔は空いてしまったけど)聴いてみた感想は、これまで自分が聴いてきた同様のバロックの室内コンソート物の中でも、すごく瑞々しくて清新な作品&演奏という印象。昔のこの種のバロックものの録音に付き物だった「もったい」というか重々しさというか、格式というものが(最近の若手の演奏に共通するところだけど)ほとんど洗い流されて、そこに現代の瑞々しい感受性が流れ込んで古楽の世界に新たな息吹きが発生しているような印象。

 ていうか、気づけばこのグループのリーダー、ジュスタン・テイラー(Justin taylor)が90年代生まれ当時20代という若さだったというのにビックリ(ライナー・ノートで見る写真も、童顔でまだ少年っぽくさえ見える)。

 これじゃあフレッシュな演奏になるのも当然だよなあと思ったのだが(この曲が昭和期にオジサンたちのコンソートで録音されていたとしたら、こういう演奏にはなっていなかったと思う)、しかし実はこのダンドリューの作品1のトリオ・ソナタ自体が1705年出版と20歳の時の作品で、実際に書いたのはつまり10代。ということになれば、作品に若さが宿っているのはむしろ当然なわけで、これらの曲はある意味こうして若手の演奏家たちに演奏されるにふさわしい品だったのかもしれない。

 そして、このトリオ・ソナタって、実際に合間に挟み込まれたコレッリの優雅で落ち着いた雰囲気に比べて、かなり垢抜けてところどころ機智みたいなものも効いているように思えるし、この頃の青年ダンドリューって、きっと才気煥発型の音楽家だったんじゃないって思えてしまうんですよね、ただの勘ではあるんですけど。

↓(YouTubeにCDの音源も見つかったけど、ソナタの中の1,2分の曲ごとの動画になっていて細かすぎるので、ル・コンソートのライブの動画を貼っておきました。最初のは、普段着みたいな恰好だけど音がいい。次のはちゃんとしたステージだけど、音が小さいのが難。なお、CDでは5人編成:バロック・ヴァイオリン2、バス・ド・ヴィオル、チェロ、チェンバロだったのが、動画ではいずれも4人編成(チェロが抜けた?) での演奏になっています)

Jean-François Dandrieu : Sonate en trio en la Majeur op. 1 n° 4 (Le Consort)

LE CONSORT // Dandrieu, Sonate en trio in g minor op 1 n°3

Opus 1: Dandrieu - Corelli by Le Consort EPK

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聴いたCD モーツァルト : 鍵盤楽器のための作品集 Vol. 6(クリスティアン・ベザイデンホウト)

2021年10月19日 | クラシック

 

 〔曲目〕
    ・フランスの歌「ああ、お母さん聞いて」による12の変奏曲ハ長調(キラキラ星変奏曲)K.265
 ・ピアノ・ソナタ 第4番変ホ長調K.282
 ・アダージョ ヘ長調K.Anh.206a
 ・ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調K.281
 ・フランスの歌「美しいフランソワーズ」による12の変奏曲変ホ長調K.353

 これは、ここ数日よく聴いたアルバム(2枚組のうち、今回の感想は2枚目のvol.6のほうです)。

 実は昨年の末頃だったか、初めてこのベザイデンホウトのモーツァルト企画を聴いて、それがすごく良かったのでこれから積極的に聴いていこうと思ったんだけど、なぜかその割にはペースが上がらず、こうしてブログに載せたこともないままだった(ような気がする)。しかし聴く度に感銘を受けているのは事実なので、そこのところが自分でもよく分からない(笑)。

 まあ、最近ではこうしてモーツァルトをフォルテ・ピアノ演奏で聴くということもかなり多くなってきていて、ぼく自身が複数枚聴いたものだけでもシュタイアー、スホーンデルヴルト(この人同様、ベザイデンホウトも名前からしてオランダ人だと思い込んでいたが、南アフリカ出身と知ってビックリ)、リュービモフとすぐに思いつくわけだけど、しかし本当にこのベザイデンホウトは、その中でも一番良いんじゃないか、なんて今まさに思い始めております。

 で、これまでこのシリーズは4枚(だと思う)ほど聴いてきた中でも、今回の「vol.6」は、冒頭の『きらきら星変奏曲』からして何だか聴いていて心が浮き立つような感触があり、しかも次に来るのがモーツァルトのソナタの中で個人的にかなり好きな『第4番変ホ長調K.282』(特に第一楽章の朴訥とも思えるフレーズが好き。普段から時々脳裏に浮かんできて口ずさんでしまう)という流れからして、すでに最高(それと、これまでピンと来ていなかった『第3番変ロ長調K.281』も、この録音でかなり開眼)。

 ベザイデンホウトのフォルテ・ピアノ演奏は、まず楽器自体がすごく表現力が豊かで迫力を出すところではしっかり迫力が出せて、弱音での音色もかなりきれいな印象。そして、その上で演奏がすごく自由で伸びやかで、細かい表情にも富んでいる感じ。古い楽器を使っているのに逆にすごく新鮮にも感じる。

 こういう演奏を聴いていると、何だかモーツァルトはこのくらいの楽器で演奏するほうが自然で、モダン楽器で演奏するほうが苦しいのでは(レーシングカーやバイクの世界で大排気量のモンスターマシンにあえて繊細な走りを要求するのと同じような意味で)、なんて思ってもしまいます。

12 Variations on 'Ah, vous dirai-je Maman' in C Major, K.265

Piano Sonata in E-Flat Major, K. 282: I. Adagio

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ほか(ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル)

2021年10月14日 | クラシック

 

〔曲目〕
 ・ショスタコーヴィチ:交響曲第12番「1917」
 ・ムソルグスキー:歌劇「ホヴァンシチーナ」前奏曲(モスクワ川の流れ)
 ・グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲

 きょうは、久しぶりに交響曲を聴いてみる。しかも、ショスタコ(正直、苦手)。

 まあ、ショスタコは弦楽四重奏曲など一部の曲はけっこう昔からよく聴いてきたので、全面的にダメということはないんだけど、でも特に交響曲に限っては作曲当時の旧ソ連の政治状況とか芸術以外の要素も入ってきたりするので、もうそれだけで以前は敬遠して近づこうともしなかった(それに、20世紀前半の旧ソ連の世相もすごく暗いイメージしかないし)。

 でも、それが最近、「最恐指揮者」ムラヴィンスキーにちょっと興味を持ったりして、(まだ自腹を切るような段階ではないけど)図書館に寄ってたまにCDが目についたりすると、こうしてためしに聴いてみることも少しずつ増えてきた。

 で、そうして聴いてみても耳に入ってこない曲も多い中で、今回は久しぶりに冒頭からすごくカッコいい曲で、これは見つけたかなあと思い始めていたこの交響曲第12番が、しかし調べて見るとどうも「失敗作」とか「つまらない」なんて評が多くて、録音も少ないことが分かってきて、何だかいま一気にトーンダウンしかけているところなんですけど(泣)。

 この曲、全体のタイトルだけでなく全4楽章すべてに表題もついていて、かなり1917年革命の情景の描写的な性質の強い曲ではあるようで、そこをまだ自分はあえてすっ飛ばして「音」だけで聴いている段階ではあるんだけど、う~ん、そんなにダメな曲なんですかねえ。

 ・・・しかしまあ、個人的にはこれまでにも散々というか、そもそも生来というか、メジャー志向とは真逆のマイナー志向、大通りを歩くよりはわざわざ脇道に入って結局道に迷って、ひたすら彷徨った挙句にもとの大通りに出てしまうような性向がある自分としては、ショスタコでもこうして不人気曲から入ってしまうことは、ある意味いつものことではあるのかも。

 ぼくにとって、ショスタコみたいな作曲家は、例えるならはるか遠くに望む険しい山脈か、ある意味カフカの「城」みたいなもので、これまで近づこうとはあまり思わなかったし、実際に近づこうしても容易に近づけないんだけど、しかしずっと遠くには見てきたせいで、心のどこかでは気になっていて、このまま知らずに終わることが惜しいような気もしてきている。

 しかし、果たして今後、この山脈に本格的に分け入ることが起こりえるのか、起こらないのか。そして、今回のこの交響曲第12番は、その入り口になりうるのか、そうでないのか。

 我ながら、全く予想がつきません(笑)。

ショスタコーヴィチ:交響曲 第12番 ニ短調 Op.112「1917」ムラヴィンスキー 1984

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聴いたCD Art Blakey & The Jazz Messengers : Just Coolin'

2021年10月08日 | ジャズ(グループ、複数名義、オムニバス 等)

 

 Lee Morgan(tp) Hank Mobley(ts) Bobby Timmons(p) Jymie Merrit(b) Art Blakey(ds)

 先月あたりから続いているハンク・モブレーのマイブーム。

 実はこないだ、モブレーのリーダー・アルバムを何枚か聴いている中で、ドラムスがアート・ブレイキーだとウルサイと思うことがある、みたいなことを生意気にも書いてしまったんだけど、しかし今度はジャズ・メッセンジャーズということで、主客逆みたいなパターン。

 しかも、今回初めて知ったんだけど、モブレーはグループに2回も参加していたらしい。

 ただ、その2回がいずれもジャズ・メッセンジャーズにとってはやや地味な時期だったらしいというのが個人的にちょっとアレなんだけど、でも聴く前からイジけちゃいけないと思って聴いてみたのがこのアルバム。

 本作は先日このブログに感想を書いた『Workout』より2年前、1959年の2度目の参加時期の録音にあたるんだけど、しかしこれが録音もけっこういいし、リー・モーガンはカッコいいし、この時期音楽監督みたいな役割も担っていたというモブレーのオリジナルも含む曲が、例えば「モーニン」みたいにはキャッチーすぎずにカッコいい曲が多く(『クローズ・ユア・アイズ』が以前から知っていて、すごく好きな曲。モブレーの曲じゃないけど)、また音色でも鋭いリー・モーガンとそれよりちょっと翳りがあるモブレーの取り合わせが個人的にすごく絶妙な温度というか。

 リー・モーガンとの取り合わせがすごく良いと思う一方、結局モーガンのほうが目立ってしまうという点がちょっと悲しくはあるんだけど、でも、やっぱりぼくにはモブレーくらいの波長がちょうどいい、というような気がするんですよね。

Art Blakey & The Jazz Messengers - Close Your Eyes

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聴いたCD フランク:ピアノ三重奏曲『協奏的三重奏曲』第一番

2021年10月03日 | クラシック

 

 David Lively(p)  Tatiana Samouil(vn)  Justus Grimm(cello)

 これは、秘かに心震えるボックスものCD。なんと、フランクの室内楽作品全集です。

 内容としてはCD4枚組で、ごく大雑把に言うと、CD1=ヴァイオリン・ソナタほかのヴァイオリンとピアノの作品 CD2=弦楽四重奏とピアノ五重奏 CD3=ピアノ・トリオ第一&ニ番ほか CD4=ピアノ・トリオ第3&4番ほか みたいな感じ。

 フランクの室内楽は、知っている人(というか愛好者)には大名曲の弦楽四重奏とピアノ五重奏曲でさえ一般的には埋もれているような状態なので、今回一層埋もれている他の曲まで聴けるというのは、個人的にはかなりの素晴らしさ。だって、きっと良い曲が隠れているに違いないから! 

 とまあ、そんなわけでこのところぼちぼちと聴き始めているところなのだが、昨日からはCD3にあるフランク18歳当時の作品、ピアノ三重奏曲『協奏的三重奏曲』第一番(作品番号も1-1 『ピアノ三重奏のための協奏的三重奏曲第1番嬰ヘ短調』 op.1-1とも言われることも)を久しぶりに聴いて、やはり名曲だと再認識。これらの初期作品は、いわゆる「若書き」と言われることが多いけど、ただの若書き作品ではないのですよ!

 で、実はこの曲、最初に聴いたのはリヒテル&カガン&グートマンという、名前をきいただけで恐ろしくて近づきがたいような鉄壁のトリオだったのだが(下のYoutubeでも紹介している)、今回聴いたこの演奏、デイヴィッド・ライヴリー、タチアナ・サムイル、ユストゥス・グリムという、全く知らない人ばかりながら、やはり時代が下っている分スッキリした(ヴィヴラートも薄めだし)演奏になっていると思うし、録音にも1983年と2012年で30年ほどの開きがあって音もいいしで、決して旧ソ連の大巨匠たちに劣っていないように感じる。

 今回のCDの企画は、主にフランクの祖国ベルギーの音楽家たちによって演奏されているとのことだけど、やはりこれまでの音楽界の研究の蓄積の厚みもあると思うし、なにより自国の作曲家への愛着というものを感じさせるというか、他の盤もちょっと聴いてみたけど、いずれもすごく充実した演奏になっているように感じる。

 そして、やはりこのCD3では、やや保守的な『第2番 変ロ長調』や『大三重奏曲 ハ短調』に比べて、『第1番 嬰ヘ短調』が聴き応えがある。最初に聴いた時にも、冒頭のボソボソしたピアノの動機には「こんな地味な始まりでいくの?」なんて思ったけど、それが他の要素と交わって最後まで活かされる点がホントに後の循環形式っぽくもあって、やっぱりフランクは最初からフランクだったんだったなあと思ったり。

 そして、今回解説を読んでいて知ったのだが、青年期のフランクにとって10歳程度年上のリストがあこがれの存在で交流もあって、『第三番』の終楽章をリストの助言を受けて書き直して、その結果『第四番』が生まれたというエピソードも。ていうか、両者の作品に共通する循環形式についてもちょこちょこと書かれていたりと、そういう共通点も偶然ではなかったのかも。

 というわけで、これはフランク好きにとって、かなり興味深い企画ではないかと思います。

↓(このCDの演奏は見つからなかったので、リヒテル&カガン&グートマンの演奏の第一楽章を貼っておきました。名声的には絶対勝てないだろうけど、今回のCDの演奏も全然悪くないと思いますよ。ていうか、リヒテル&カガン&グートマン盤って、かつて国内盤も出ていたんだけど、探そうとしてもかなりレアなはずなんですよ。それがこうしてYouTubeで何事もなく聴けてしまうって、ホントすごい世の中になりましたね)

César Franck: Piano Trio No. 1 in F sharp minor, Op. 1/1 [Richter, Kagan, Gutman] (1/3)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする