On a bench ブログ

ようこそ、当ブログへ。ジローと申します。
 毎日毎日、たくさんのCDやLPを聴いて過ごしております。

聴いたCD HESS & HUNTLEY : THE GREAT BRIDGE

2019年01月30日 | ジャズ(グループ、複数名義、オムニバス 等)

 

The Great Bridge
 
Storyville

Emil Hess(sax)  Richard Livingston Huntley(ds)  Mulgrew Miller (p)  Cameron Brown (b)  Søren Lee (g)

 これは、安かった割りに聴いてみるとすごく良くて、コスパ的にかなり高かった盤。

 最初に中古屋で見つけた時は、「全然知らない人たちだし、演奏もオーソドックスそうではあるけど意外性もなさそうだなあ」とも思ったんだけど、でもサックスの人しっかり吹いてくれそうな感じだし、ドラムスの人も何となく思慮部深そうだしで、思い切って拾ってみたのだった。

 で、双頭リーダーのうち、サックスの Emil Hess はデンマーク出身。 Hess っていう名前、ほかにも確かきいたことあるなあと思ったら、弟がピアノの Nikolaj Hess だそうで、つまり兄弟でジャズ・プレーヤーということらしい。一方の Richard Livingston Huntley というドラムス奏者はニューヨークの人。この二人、以前共演したことがきっかけでこうして組むようになったそうで、タイトルの「ブリッジ」は、アメリカとヨーロッパをつなぐみたいな意味もあるみたいです。

 編成は、一応ピアノとギターを入れてのクインテットなんだけど、サックスとドラムスが二人でリーダーときては、残りの3人はどうしても控えめになるのかな、という印象。まあ、ギターの人はわりと存在感あるけど、特にピアノは参加していない曲もあるせいかあまり目立っていないし、あとベースの人もけっこう高齢っぽい感じで、もっぱら渋めに低音部をサポートしているという感じ。

 ということで、やっぱり当然ながらリーダーの2人が目立っていて、ドラムスのHuntleyはシンバルとかの軽い音がすごく好きみたいで、細かく高音部で小気味いいプレイをしながら、サックスと呼吸をはかっている感じ。しかしこの、ベースとドラムスの関係、気づくと本当にくっきり音域が分かれていて、低音をくぐもった感じの音で淡々とプレイするベースと、高音の太鼓でキレのある演奏を行うドラムス。この2つの楽器だけで、すでに十分気持ちのいい音が生まれているのかもしれない。

 そして、そこにコルトレーンの曲などを除いてほぼすべての曲を作曲もしている Emil Hess のテナー。見た目は強面っぽくも思ったけど、聴いてみるとむしろすごく柔らかい音色で表情も豊か。いやあ、何度聴いてもなかなか飽きないというか。あと、曲によって(部分的にも)ギターやピアノが参加したりしなかったりと色々で、雰囲気が変化するのも効いているのかな。

 さっきから探した限りでは、なかなか英語ですらマトモなレビューが見当たらないマイナー盤なのかもしれないけど、実は隠れた好盤なのではないか、なんて思ってしまっている盤です。

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ラヴェル:クープランの墓(ほか)/クリュタンス&パリ音楽院管弦楽団

2019年01月27日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ、他
 
EMIミュージック・ジャパン

 ご存知、クリュイタンスとパリ音楽院による、ラヴェルの名録音です。

 もしもこれが例えばドイツ音楽だったりしたら、「不滅の」とか「最高峰」とか、もっと仰々しい言葉で飾りたてられたかもしれないけど、フランス音楽にはあまり似合わないかな。しかしこれは、きっとクラシックというジャンルが存続する限り聴き続けられるに違いない、名録音のひとつと言っていいのではないでしょうか。とにかくもう、音楽が流れ始めると同時に立ち現れる美しく精妙な音空間自体に、いつもながら引き込まれてしまいます。

 で、その中でも一番好きなのが「クープランの墓」。そもそもぼくの場合、この曲のようにピアノの原曲がある曲は大体そのまま聴いてしまうことが多いし、原曲のほうがオケ版より曲数も多い。しかしこの曲に限っては、むしろ6曲から2曲外して舞曲だけの構成に絞ったことで逆に統一感が増したようにも思えるし、またやっぱりオケの色彩感があったほうが、全体がより映えるようにも感じてしまいます。

 あと、恥ずかしい話だけど、この曲を初めて聴いた当時、もしかしてクープラン本人がこんな曲をいろいろと作っていたのかと勘違いして(どの時代の作曲家かだったかも知らなかった)、一生懸命クープランのCDを探してしまったという思い出もあります(笑)。

 この録音、とにかく昔からの有名盤で再発売を繰り返しているのでたくさんの盤があり、「クープランの墓」以外の曲とのカップリングは多少変動があるようにも思うのですが、今売っているこの盤は「古風なメヌエット」「道化師の朝の歌」「海原の小舟」「逝ける王女のためのパヴァーヌ」の4曲。

 中では、「逝ける王女のためのパヴァーヌ」なんかも香気漂う演奏で、すごく好きな演奏のひとつです。

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聴いたCD Olivier Bogé : The World Begins Today

2019年01月27日 | ジャズ(管:Sax,trumpet 等)
The World Begins Today [輸入盤]
 
NAÏVE

 Olivier Bogé(sax) Tigran Hamasyan(p) Sam Minaie(b) Jeff Ballard(ds)

 これは、外で何度も聴くうちに、だんだん気に入ってきたアルバム。

 前にも書いたことがあったと思うけど、ぼくは通勤などの外出時には大体いつもCDを聴いていて、そのCDがあまり面白いものじゃなくても、ついCDを入れ替えるのが面倒で、何度も繰り返し聴いてしまうことがある。そうすると、中にはそれで徐々によくなってきて、結局「家聴き」盤に昇格してしまうこものが出てきたりするわけで。まあ、これもそういう盤のひとつ。

 で、この盤。もとは Tigran Hamasyan と Jeff Ballard という、以前から知っている人が参加しているといういわば「信用」で拾ってみた盤だけど、どうも最初は肝心のリーダーのサックス奏者の印象が弱くて、音楽が耳に入ってくるまでにちょっと手間取ってしまっていた。

 でも、それが聴いていくにつれ、まずは Hamasyan の、彼の魅力を感じる曲を足掛かりにして、段々とコンテンポラリーな音楽性と、Olivier Bogéその人の独自性みたいなものを感じるようになって、これは演奏自体の熱みたいなもので聴き手を惹きつけるというよりは、例えば暗闇みたいな中に陽の光が射してきたようなジャケットを見てみても、かなりスピリチュアルな世界観を持っている人で、そういう精神性みたいなものが前面に出てきている人ではないかと思い直したのだった。

 実際気づけば、この「The World Begins Today」というタイトル自体、フランスの盲目の詩人で、第二次大戦中にドイツに対するレジスタンス運動に参加して強制収容所に収容された経験があるというjacques lusseyran(ジャック・リュセイラン)によるかなりスピリチュアルな雰囲気の詩の一節だということだし(ブックレットに引用されている)、また別の「SEVEN EAGLE FEATHERS」という曲は、これも HENRI GOUGAUD (アンリ・グゴー)という作家・詩人の「Les Sept Plumes de l'aigle, récit de vie de Luis Ansa」という南米のインディオの世界を扱った作品から採ったタイトルで(内容はよく分からないが、やはりスピリチュアル的な雰囲気の本なのではないかと思う)、その一節もやはりブックレットに引用されている。

 また、このOlivier Bogé、サックスだけでなく実はピアノも得意なようで、アルバム中の2曲では Hamasyan でなく彼自身がピアノを弾いているし、その1曲ではひそかにヴォーカルもやっていたり、やはり頭の中のことに若干比重がかかっているタイプ(少なくともこのアルバムでは)のではないか、という感じ。まあ、この先あまりスピリチュアル方面に傾きすぎられてもちょっと困るんだけど。

 で、ここからはちょっと音楽からは話が逸れるんだけど、さっきそのジャック・リュセイランやアンリ・グゴーという、自分にとって未知の作家の名前をちょっと調べてみて思ってしまったのは、何と言うか、この日本から見ての、現代フランスとの「疎遠さ」みたいなもの。

 ぼくなんて、かなり自分の興味の範囲の振幅の大きい人間だからなおさらかも知れないけど、どうも現代のフランスという国について、すごくメジャーな国にしては日ごろ接する情報がすごく少ないというか、その結果知識も少ないままだし、フランスについて考えることももちろん少ないしで、何だか全体が謎の国みたいに思えてきてしまったのだった。実際、普段ふつうにこの日本で生活していて、最近の話題としてパッと思いつくのはせいぜい大統領の名前とか、昨年のサッカーのワールドカップ優勝くらいのもの。

 例えば音楽は、ドビュッシーやラヴェルが活躍したのは100年も前の話だし、まだシャンソンみたいな音楽が人気なのか、それともやっぱりフランスでもロックが人気なのかもよく知らないし、画家なんかでもせいぜいマティスくらいまでの世代しか知らない。映画はアラン・ドロンやゴダールもヘタをしたらもう半世紀くらい前になるし、もっと最近はというと、ホントにせいぜいリュック・ベッソンとかがポツポツ話題になったくらい。人気の海外ドラマとかでも、フランスものって思いつかない。

 あと、文学でも全く同じで、ランボーやヴェルレーヌとかは100年前だし、サルトルとかカミュとかでも半世紀前。あっと、メグレ警部を忘れていたけど、それも大分昔の話だし。あと、ウェルベックってわりと最近だけど、あれってフランス人だったっけ?

 ・・・と、そんなわけで、どうもフランスの知識(興味)って昭和の中頃くらいまでにストップしてしまったというか、肝心の今現在の一般的なフランス人というのが何をどう考えながら生活しているのか、というのがパッとはっきり見えてこないのだ。

 そしてこの HENRI GOUGAUD にしても、今調べたところではけっこう著作も多くてフランスではたぶんけっこう有名な作家だと思うのだが、どうやら邦訳された作品は過去に1作のみ。それも、全然売れなかったのか、あまり知られてもいない様子。

 きっと、当然ながらフランスには他にも今現役で活躍している作家たちがたくさんいるはずなのに、それを全然知らないまま、こうして時間が過ぎ去っていっているってどうなんだろう。これって日本人のアンテナが届いていないだけなのか、はたまた今一つフランス自体の発信力が弱いのか、なんてことを思ってしまった。

 ・・・まあ、それはそれとして、この盤については今ではかなり良い盤だと思っているし、あと、このNAÏVEってレーベル、実はこれまで相性が悪くて、最近では見かけてもあまり拾っていなかったので、そういう意味でもまた聴いてみるきっかけが出来て、そういう意味でも良かったかも。

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ラヴェル:夜のガスパール/アシュケナージ(「20世紀の偉大なるピアニストたち」~ヴラディーミル・アシュケナージ)

2019年01月24日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
20世紀の偉大なるピアニストたち~ヴラディーミル・アシュケナージ
 
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント

 これは、CD全体ではなくて、その中の1曲の収録曲だけの話。1965年録音と、まだ若くてフレッシュだった頃のアシュケナージが弾く「夜のガスパール」です。

 もとは当然LPで、昔から持っていた盤が聴きすぎてとっくにダメになっていたのですが、実はアシュケナージはこの曲をのちにもう一度録音しており、CD化されるとしてもそちらの方じゃないかと思っていたので、こっちはまともに探してもいなかったのです。

 ところがある時、「The Great Pianists of the 20th Century」というあの茶色のシリーズのアシュケナージの巻をふと見つけて、曲目をみるとこの曲が入っている。「あれっ、あの新録音って、こんなアンソロジーに入るほど評判よかったの?」(正直、あまり気に入っていなかった)と思いながら録音年を見てみてビックリ。この選曲、だれがどんな基準で選んだのか知る由もありませんが、ぼく的には「ほら、やっぱりこっちでしょ?」という一言に尽きるディスクです。

 実はこの曲、ぼくにとって、この頃のアシュケナージの精緻で瑞々しいピアノの感触があって初めて手が伸びるもので(どうも、描写的な曲想の曲っていうのが元々あまり好きではない)、大分ご無沙汰だっただけに、久しぶりに聴きながら昔のことがいろいろと思い出されました。それと、別にアシュケナージがどうとかいうつもりじゃないけど、やっぱり若い時のフレッシュさって、その時にしか帯びることができない、一度失うと取り戻せない魅力でもあるのかなあ、と。

 あと、オマケというべきか、今回、CDの最後のほうに収録されているプロコフィエフの「別れの前のロミオとジュリエット」というパ・ド・ドゥの曲を発見。以前、元のプロコフィエフのピアノ・トランスクリプション集でも聴いていたけど、その時は見逃していたもので、思わぬ収穫になりました。

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ラヴェル:左手のための協奏曲/フランソワ&クリュイタンス(EMI)

2019年01月23日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
ラヴェル:ピアノ協奏曲、他
フランソワ(サンソン)
ワーナーミュージック・ジャパン

 これは、フランソワによる、いわば究極の演奏のひとつ。

 フランソワって、昔から一度その演奏にとりつかれたら同じ曲ではほかの演奏が聴けなくなってしまうとよく言われますが、これはそんな中でもずば抜けた演奏ではないでしょうか。

 そしてこの曲、LP時代から同じラヴェルのト長調の協奏曲とカップリングされると決まっていて、曲としてはそちらのほうがむしろ有名ですが、ぼくの場合、断然、この「左手」です。正直いって、どうしていつまでも両手のほうが有名なのか、そこからして分からない。ていうか、このHP、すごくマイナーであまり見ている方がいないから思い切ってハッキリ書きますが、ト長調の両手の協奏曲って、はっきりいって「左手」に比べたら別に「普通」ではないかと。

 ぼくは、昔LPで最初にこの盤を買って、当然最初A面のト長調から聴いたわけですが、別に大して印象に残らず、この曲だけだったら全然愛聴盤にならなかったと思います。そっちじゃなくて、この盤は絶対に「左手」なのです。

 そして、この「左手」、この曲にはほかに「単一楽章」や「ジャズの要素」などちょっと気になる特徴もあるにはありますが、そんなこともハッキリいって、どうでもいいのです。もうね、とにかくこの盤はフランソワのピアニズムを、中でも特に最後のコーダの部分の壮絶な美しさを聴くためにあるのです。そのためにあるのです。

 えーっとですね、この曲は要するに、戦争か何かで右手を失ったピアニストがきっかけを作ってラヴェルに書かせ、そりゃあ書いたラヴェルもスゴイですが(天才が制作過程で制約を受けることで特異な傑作を生みだすことがあるという良い例だと思う)、実はそれだけでは不十分で、それをフランソワがこうして弾いたことで、やっと初めて完成したのです。そして、弾いた途端に究極に完成して、それで終わったのです。もうね、そこまで言い切ってもいいのではないかと、ぼくは思っているのです(!)。

 で、終わってしまったものだから、以降、ほかの盤を聴こうと思ったことも1度もないし、個人的にも、実は大昔ピアノをマジメにやってた頃、この曲が好きで好きでよっぽど楽譜を買ってこようとも思ったのですが、たとえ急にピアノがうまくなって技術的には完璧に弾けるようになったとしても、それで出来上がるのはフランソワの不完全なコピーにすぎないと思って、結局買わずじまいになったというほろ苦い思い出もあります。まあ、そういう意味でも終わったのです。

 ・・・この項は、好きすぎるあまり、思わず思いのたけを吐き出してしまいましたが、ホントにホントに、もしもこれからラヴェルの「左手」を聴こうとしている方には、ぜひともこの盤を聴いていただきたい。

* ところで、最後にどうでもいい余談ですが、今のこの盤にひとつだけ不満があるとすれば、やはりこの暗い感じのジャケットではないでしょうか。これじゃあ、CDショップやネットで偶然見つけても、知らない人はほぼ手に取らないのではないかと。ぼくがLPを買っていた頃の東芝EMIのフランソワのレコードって、ジャケット写真にどれも花畑の写真が使われていて(正直かなりベタで、曲とも何の関係もないんだけど)、あれはあれできれいだったなあ、とは今でもときどき思い出すところです(この曲ではオランダのチューリップ畑だった)。

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聴いたCD Jakob Buchanan Sextet : i

2019年01月12日 | ジャズ(管:Sax,trumpet 等)

Jakob Buchanan (tp)  Chris Speed (cl,sax)  Jakob Bro (g)  Rune Borup (key)  Jeppe Skovbakke (b)  Peter Bruun (ds)

 これは、最近よく聴いたCD。

 リーダーはデンマークのトランペット奏者Jakob Buchananで、過去に『dreamfactory』という盤を1枚聴いて、良かった記憶があって拾ってみたんだけど、でもたしか当時ブログに感想を書いたんじゃないかと思ってさっき探してみたら見つからないし、肝心のCD自体もどこかに埋もれてしまって行方不明。う~ん、一体どうなってるんだろう。

 それはさておき、しかしこれ、気づくとChris Speed と Jakob Bro 参加ということでかなり豪華。聴いてみたところ、Chris Speed のほうはあまり目立ってないかと思うんだけど、Jakob Bro のほうはすごく存在感が際立っている感じ。

 全体的には、Jakob Broのギターとキーボード奏者による浮遊感漂う響きの中、Jakob Buchanan の抒情的なトランペットが絡まって、基調としてはある種夢幻的な雰囲気があるのが魅力的。その中でけっこう活発な曲もあったりで、決して雰囲気一辺倒の演奏にもなっていないところもまた良いのではと。

 それと、タイトルの「i」というのが最初よく意味が分からなかったんだけど(しかも、曲にもiの上の点『THE DOT OVER THE I』とか、逆に『THE I UNDER THE DOT』という曲まである)、ジャケットの内側を見ると、何やら詩の断片みたいな文章が引用されていて、

If you like-
I'll be furious flesh elemental,
or- changing to tones that the sunset arouses-

if you like-
I'll be extraordinary gentle,
not a man but - a cloud in trousers

 2か所の「I'll」の「I」だけが赤い文字になっている。恐らく、これのことではないかと。

 で、ちょっと調べてみたら、これマヤコススキーの有名な『ズボンをはいた雲』という詩の有名な語句であるらしい。いやあ、全く予想していないところに、いきなりマヤコススキーとは。

 しかしそうなると、この作品のテーマである「I」は、あのマヤコフスキーの疾風怒濤の自己意識の強さの「I」ということなのか。ということは作品の表面的な静かさも、そんな激しい自我の世界を遠くから観照するような、そういう意味合いにもなってくるのかな。

 ・・・などと、今まさに、色々と考えさせられている作品でもあります。このブキャナン、以前は『dreamfactory』しかディスコグラフィー見つからなかったけど、今では参加作も含めけっこう盤が出ている様子。これから、ちょっと探してみたいです(というか、まずどこかから『dreamfactory』発掘してこなくちゃ)。

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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲・海・夜想曲・イベリア/ポール・パレー

2019年01月09日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
 
ユニバーサル ミュージック クラシック

 ポール・パレー&デトロイト響によるドビュッシー作品集です。

 これ、昔はもともと「フォンタナ・シリーズ」というLP(あの薄い黄色のやつです)で、要するに廉価盤だったのですが、しかし当時ドビュッシーで音楽に目覚めたばかりのぼくにとっては、間違いなく「最初に聴いた5枚」くらいには入っている、いわば「伝説」の1枚。

 ただ、これは長らくCDでは見かけなかったし、自分でも「刷り込みかな?」という疑念があったのでやや寂しい思いをしていたのですが、しかしその後、多くの録音を聴いても結局この盤に匹敵する空気感を帯びた盤には巡り合えなかったし、今ではこうしてめでたく国内盤で復活してくれて、ほめている人もけっこういるようなので、ちょっと安心しております。

 それにドビュッシーは、ある意味「軽く」ないといけないというか、オケにしろピアノにしろ、あまり精緻に思い入れを込めてやると、いいことはむしろ少ないんじゃないかと常々思っているので、このパレーのように早めのテンポでさらっとやったほうがいいとも思っていたりします。それと、このパレーとデトロイト響という組み合わせ。オケとの相性という点はもちろん、アメリカという、フランス本国の伝統からは離れた場所でパレーが自分の思うように棒を振れたというのも、この演奏が生まれた一因なのかなあと、今では思ったりしております。 

 ・・・で、実はLPを聴いていた当時、この中でぼくが一番好きだったのが、「海」でも「牧神・・・」でもなく、夜想曲の、しかも「雲」。で、ン十年経った今でも、変わってない。この点、自分っていうのは、昔から基本的には変わってないんだなあ、としみじみ思ってしまいます。

 LP盤の解説にあった、「ゆっくりとメランコリックな足どりで柔らかな白みをおびた灰色の苦悩の中に消えていく」というフレーズ(実はドビュッシー自身の解説なんだけど)と、曲の最後のほうにあらわれる、その苦悩が救われるかような新しい旋律が、ホントにたまらないです。(2007.06.16)

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展覧会の絵~オリジナル・ピアノ版~/小川典子、ムソルグスキーを弾

2019年01月09日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
展覧会の絵~オリジナル・ピアノ版~/小川典子、ムソルグスキーを弾く
 
キングレコード

〔曲目〕
 ・歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」からプロローグ第2場、戴冠式の場面
 ・同 第3幕第2場、ポロネーズ
 ・歌劇「ホヴァーンシチナ」から前奏曲「モスクワ河の夜明け」
 ・同 第4幕第1場、ペルシャの女奴隷の踊り
 ・同 第4幕第2場への序奏とゴリーツェン公の流刑
 ・歌劇「ソローチンツィの定期市」から第1幕、市場の情景
 ・同 第3幕第2場、ゴパック
 ・組曲「展覧会の絵」(自筆譜からの演奏)

 小川典子さんによる、オリジナルの楽譜にこだわったムソルグスキーのピアノ作品集です。

 ムソルグスキーといえば今も昔も「展覧会の絵」なわけだけど、しかし普段「展覧会の絵」を聴きたいと思うことは、正直あまりない。
 まあ、いくら名曲でもやっぱりこれほどメジャーすぎて昔から何回も聴いていると、どうしてもキツくはなってしまう。だから中古屋のクラシック・コーナーでも、この曲はどの店にもたくさん落ちているけど、いつも素通りしてしまいます。

 でも、そうかといって、ムソルグスキーその人に全く興味がないというわけではない。なんというか、この人にはロシアの精神のほの暗い部分に根ざした迫力みたいなものがあって、この人の名前をきくといつもちょっとドキッとするというか、胸騒ぎがしてしまいます。

 そんなムソルグスキーの暗い迫力を、多少とも感じさせてくれるのがこの盤。まず、オペラのピアノ原曲(ムソルグスキーは基本的にどんな曲もピアノでまず作曲したので、オペラにもピアノ版が残っているらしい)という作品がかなり聴かせる。

 ムソルグスキーには多少だけど「本当の」ピアノ曲もあって、そちらも多少はCDなども出ていて聴いたことがあるんだけど、正直そちらよりこっちのほうが面白いんじゃないでしょうか。実際、ここに取り上げられた曲はたぶんオペラの中でも有名な曲だと思うけど、「モスクワ河の夜明け」などかなりいいメロディーが詰まっています。そして、そこに目をつけた小川典子さんも、独自の企画をよくやっていて面白い。

 で、ぼくがついつい夢想してしまうのは、だれか優秀な作曲家がこんなピアノ原曲を練り直して、新しいピアノ曲を作ってくれないかということ。まあ、ピアノ版「ホヴァーンシチナ」全曲なんてのも聴いてみたい気はするけど、やはりもとはオペラなのだからそれを最初から最後までバカ正直にやってしまうのはシンドイ気がする。

 もとのオペラからエッセンスをうまく切り取ってきて構成も考えて、ピアノ・ソナタくらいの大きさの曲に仕上げてくれないでしょうか。うまくいけば、ロシアものではラフマニノフの次くらいに弾き応え、聴き応えのある曲ができたりするんじゃないかしらん。

 そして、CDの最後に置かれている「展覧会の絵」。昔はホロヴィッツ盤をよく聴いたものだけど、この盤では聴いている間ムソルグスキーの曲そのものを考えさせてくれる感じで、これもまた聴き応えあり。

 そもそも、この曲はラヴェルのオケ版があったからこれほど有名になったのだと思うけど、もしもそれをラヴェルがやらなかったと考えるのも、ちょっと面白いです。っていうか、やはりあれはやや色調が明るすぎるともちょっと思うし、物事には必ず両面があるっていう意味では、ラヴェル版の影響力が強すぎてムソルグスキーの本来の姿がかき消されているってことも、もしかしたら言えるのかも。

 もちろん、ラヴェル版が要らないって言っているわけじゃないけど・・・。(2009.05.31)

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シューベルト:ピアノのための舞曲集/イェルク・デームス(LPレコード:HELIODOR MH5076)

2019年01月05日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)

〔曲目〕
 ・12のワルツ D.365
 ・アルマンド変ホ長調 D.366
 ・ディアベルリの主題による変奏曲 D.718
 ・コティヨン舞曲 D.976
 ・2つのスケルツォ D.593
 ・12のドイツ舞曲(レントラー) D.790
 ・6つのワルツ D.145
 ・11のエコセーズ D.781
 ・メヌエットとトリオ D.600、D.610
 ・2つのトリオ D.146
 ・クーペルヴィーザー・ワルツ 変ト長調 D.番号なし
 ・3つのレントラー D.734
 ・2つのワルツ D.779
 ・4つのドイツ舞曲 D.146
 ・ドイツ舞曲 D.973

上の曲目はLPに書いてあるとおり書き写しましたが、デームスは各曲集を抜粋して演奏しているため、表記はこのLP独特のものとなっていると思われます。例えば冒頭の「12のワルツ D.365」というのは、『36のワルツ集』D.365から12曲をここで演奏している、という意味のようです)

 

 これはズバリ、レコード屋の店先でよくホコリをかぶっているような、いかにも廉価盤といった感じの緑の並木道のジャケットのLPなんだけど、今では意外とレアな盤なのかもしれないと思い直した1枚。

 実は、シューベルトはぼくにとって長らく苦手な作曲家で、有名ピアニストが取り上げることが多いのに、いつ聴いてもなかなか音楽が頭に入ってこず、すごく困っていた作曲家の一人だった。

 ところがある時、この盤でも演奏されているような小さなワルツ集を聴いて、「あっ、シューベルトの音楽の基って、こんなところにあったのかも」と感じて、何だかそこから少しずつシューベルトが聴けるようになってきた。

 ということで、以来そんな曲が入っている盤を少しずつ拾うようになったのだが、しかしこれが意外と大変。シューベルトって、実はかなりの数のピアノによる舞曲を作曲しているのだが、「本格的な創作」というわよりは、友人たちとの集まりのためなどに即興で作ったものが多いようで、あまりちゃんとした扱いを受けていない様子。録音も、有名な「レントラー集」などを除いて昔から少なく、ましてやこのような1枚全部が舞曲という盤となると、CD屋で棚を見て回る程度じゃ本当になかなか見つからない。

 でも、気が付けばシューベルトって当然ながらウィーンの作曲家なのであって、ウィーンには元からそういうワルツの大きな文化があって即興のネタにできる素材も無数にあったわけだから、シュトラウスのワルツやスメタナのポルカとかと同様、こういう作品がたくさん残っていて何ら不思議はなかったのだった(普段、歌曲だのピアノソナタだの交響曲だのといったものしか念頭にないと、意外と忘れがちになってしまうのかも)。そういう意味でも、ぼくにとって「シューベルトの舞曲」というのは、ちょっとした発見でもあったのだった。 

 そして、このイェルク・デームス。

 この人、有名だから昔から知ってはいたけど、なんだか地味そうな見た目もあってこれまでほとんど聴いたことがなかった(それが、なぜか自分の中でちょっと負い目になっていて、名前を聞くたびになんだか申し訳ないような気にもなってしまう(笑))、でもこの人って、もとはバドゥラ・スコダ、フリードリヒ・グルダと共に「ウィーンの3羽ガラス」と呼ばれた大御所のひとり。

 ここでデームスはそれぞれの作品(つまり舞曲集)の全部を通して演奏するのではなく、何曲か(どれもすごく短い)を抜粋しつなげて演奏してちょっとした組曲みたいにして弾いているんだけど(これが聴き手からすると長すぎず短すぎずに聴けて、なかなかいい)、この人にとってはシューベルトおよびウィンナ・ワルツは完全なご当地ネタであって、だからこそこのように自在に抜粋してワルツの鎖みたいな演奏をできたんじゃないか、とも思う。

 (こういう権威でもないと、いくら軽めの作品とはいえ、大シューベルトの作品をこんな腑に切り貼りして演奏するのって、畏れ多くてなかなかできないと思う)。

 それに、きっとそれぞれもとネタ曲があるとはいえ、さすがにシューベルト。ワルツ一つ一つも可愛くて聴かせてくれます。(2009/07/09)

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ドビュッシー:2つのアラベスク、ベルガマスク組曲、子どもの領分/アラン・プラネス(デンオン OX-7187-ND)

2019年01月05日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)

  人類の「至宝」。

 まあ、「人類の」はともかくとして、実はこれ、ぼくの「初めて買ったレコード」なのです。

 ・・・なのに、いまだにちゃんとCD化もされていなければ、ネットなどでもまったく見かけない(実は「デンオンPCM室内楽・器楽名盤選」というシリーズで部分的にCD化されていたのだが、肝心の「ベルガマスク組曲」が入っていない)。

 国内盤だったから、ほかにも憶えている人が大勢いるはずなのに、これじゃあちょっと悲しすぎる。なので、ぜひともここで紹介したい。というよりはむしろ、実はこれこそがこのHPを作ろうと思い立った、大きな理由のひとつ(それにしては、取り上げるのがけっこう遅くなったけど・・・)。

 で、そもそもなぜドビュッシーだったのかといえば、実は中学の音楽の授業で「月の光」を聴かされたことがきっかけだったのですが、ただぼくには、その前にちょっとした事情があった。というのは、ぼくの実家は音楽教室でピアノの個人レッスンもやりという環境で、ぼく自身も小さい頃から親にピアノを習わされてはイヤで少しも身につかないという、典型的な男の子のパターンだったのです。

 で、比喩でなく本当にピアノの音を子守歌がわりにして育ったんだけど、しかし一度としてそれを美しいとか、きれいだと思ったことはなかった。それだけに、この「月の光」の衝撃は、途方もなかったのです。本当にこれが、これまで聴いてきた同じ種類の音楽なのか。こんなものがあったのなら、どうしてこれまでに一度でも聴かせてくれなかったのかと、当時、誰かを恨みたい気持ちにもなったものです。

 で、その直後にはじめてレコード店に行ってこのレコードに出会い、ぼくの音楽人生が始まったというわけです(それまでは、当時創刊したばかりの「ニュートン」なんて雑誌を読んだりして、今から思えば理系に進みそうな気配もあったのですが・・・)。以来、ベルガマスク組曲の「メヌエット」と「月の光」、特に「メヌエット」は、ぼくの中で一番大切な曲であり、おそらく今後もそうであり続けると思います。

 ・・・で、その時に、「アラン・プラネス」というピアニストの名前も、もちろんぼくの頭に深く刻まれたわけですが、しかしどうしたわけか、ほかのレコードの解説などで彼の名前が(世界的な巨匠として)なかなか出てこないことに気づくまでに、それほど時間はかかりませんでした。

 それにこのレコードも、よくよくジャケットを見てみると、録音場所が「荒川区」となっている。ということは、もしかしてこれ、日本でしか発売されていないの?

 いや、しかし、そんなことはどうでもいいのです! 世間の評価はどうあろうと、アラン・プラネスこそはぼくにとって、永遠かつ唯一無二のピアニスト。そして、このLPの収録曲に関しても、ここでの演奏が究極のベスト。誰が何と言おうと、ギーゼキングもフランソワも必要ないのです!

 と、オジサンになったいまでもこのレコードを思い出すたびに息巻いているわけです(誰か、本当にこのジャケットこの収録曲でCDで再販してくれないかなあ)。(2007/10/16)

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グリーグ:ピアノ協奏曲(ほか)/ジュリアス・カッチェン(デッカ)

2019年01月04日 | (旧HP記事)クラシック(ロマン派~)
グリーグ / ラヴェル / バルトーク: ピアノ協奏曲
 
ユニバーサル ミュージック クラシック

 中学時代の音楽人生黎明期にシューマンの協奏曲とのカップリングのLPを聴いて以来、ぼくにとってかけがいのない永遠の名録音。

 もともと一つの曲をいろいろな演奏で聴き比べるという習性がそれほどないぼくですが、ことこの曲に関しては、ほとんど浮気をした記憶すらありません(たまにほかの演奏を聴き始めても、野暮ったくて途中でやめてしまう)。きっと、誰にもこんなディスクがあるんじゃないかと思いますが、ぼくにとってはそんな1枚です。

 で、そのレコードがずいぶん前に音飛びするようになってしまい、ずっとCDで再発されないかと待っていたのですが(知らなかったが、実はシューマンとの組み合わせで過去にも出ていたらしい)、最近カッチェンの演奏がまとまって(しかも廉価で)復活してくれて、やっと古いカセットテープの録音から解放されたという次第です。

 CDを買った時の店員さんの話によると、ぼくのほかにもけっこう待っていた人がいたらしく、このシリーズはよく出ているということで、「そうか、そうか、そうだったか」と、なんとなくうれしくなった記憶があります。

 で、このカッチェン盤、ちょっと聴くとふつうのオーソドックスな演奏にみえるかもしれませんが、しかしこの曲にふさわしい絶妙なピアノの音の質感といい(特に低音の感触がたまらない)、この曲の最大の魅力である透明な叙情性がまったく損なわれずに引き出されていて限りなく美しい点といい、また、それを支える尋常でない技巧といい(そうでない場合、例えばある難所でちょっとテンポを落としただけで全体が重苦しく台無しになってしまう)、ぼくとしては、文句のつけようがありません。

 しかしまあ、究極のところは結局「カッチェンが素晴らしい」の一言になってしまい、具体的に文章ではうまく言い難いところです。

↓ (これぞ、中学時代に買ったLP。たとえ音源はCDで再発されようと、これだけは何物にも代えられません)

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明けましておめでとうございます。

2019年01月02日 | ブログ

 2019年 明けましておめでとうございます。

 どうも、ジローです。

 今年で、このブログに移ってきてから6年目ということになるのでしょうか。振り返ってみれば、去年もいつも通り、音楽を聴き続けていた日々の1年でした(ただ、後半ちょっと投稿減ったんだけど)。

 あと、旧HPの記事を移行する作業も、やったりやらなかったりで、気づくとまだ半分くらい(ちょっと再掲するには恥ずかしかったりする記事もあったりして)

 しかしまあ、当ブログの趣旨であるところの「マイペース」を守って、これからも無理せず続けられたらと思っております。

 今年が皆さまにとって良い年でありますように。 

 2019年元旦 ジロー。

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