On a bench ブログ

ようこそ、当ブログへ。ジローと申します。
 毎日毎日、たくさんのCDやLPを聴いて過ごしております。

聴いたCD Mozart : String Quartets K.157/K.458 & 'the Hunt' K.589(JERUSALEM SQ エルサレムSQ)

2020年05月28日 | クラシック

 

〔曲目〕
    モーツァルト:弦楽四重奏曲第4番 K.157、第17番 K.458「狩り」、第22番 K.589「プロイセン王第2番」

 今日は、(すっごく)久しぶりにモーツァルトの弦楽四重奏曲集を聴いてみる。

 演奏は、1993年にイスラエルで結成されたという「エルサレム四重奏団」。活動歴はもう20年以上ということで、録音もかなりの量があるみたいだけど、ぼくとしてはこれが初聴き。ちなみに、この盤は2011年発売とのことです。

 ただ、日頃ぼくも多少は弦楽四重奏を聴くといっても、基本はベートーヴェン以後。それも多くはロマン派や20世紀以後の作品なので、なかなかハイドンやモーツァルトまでは手が伸びない。というのも、やはりどうしてもその頃の室内楽って、他のジャンル以上に王侯貴族のための「サロン音楽」という雰囲気を強く感じてしまうから。

 ぼくもはるか昔、半ば勉強のためにアルバン・ベルクQやジュリアードQあたりを聴いてみたことがあったけど、やっぱりどうしても受け付けない面があって、結局あまり近づけないままに終わってしまっていた。

 ところが、最近になって比較的録音の新しい(2000年代以後)の、それも若手のカルテットをちょこちょこ聴いてみると、これが意外と以前より抵抗がなく聴けてしまうばかりか、むしろはっきりと「美しい」と感じることも多くなってきた。

 というか、最近徐々に強く思うようになってきたのだが、今どきのクラシック演奏家って、もう世代がどうこうとかではなく、根本的に昔の人たちと音楽の発信そのもの(の姿勢というか)が変わりつつあるんじゃないか、という気がしてきている。

 例えば、さきほど名前が出たアルバン・ベルクQやジュリアードQなど、概ねLPレコードの時代から活躍していた人たちの世代って、言うなればまだクラシックの伝統の中だけに生きていられたというか、自分たちもクラシック界の人間というだけで良かったし、聴衆も長年クラシックを愛好してきた人たちの厚みというものがあって、その中ですべての物事が完結している世界の中にまだ何とか存在していられた、というような気がする。

 そしてそこでは、音楽の表現も特に奇抜な趣向を凝らす必要がなく、それまでのやり方に則った表現をしてこれまでの聴衆に迎え入れられればそれでよかったというか。

 ところが、・・・時代は下り、今の21世紀初頭という時点での状況はどうかと考えると、残念ながらクラシックなんてもう完全に「少数派」。たとえ演奏者の家族がたまたま熱烈な音楽一家で、クラシックの英才教育を受けて育ったとしても、しかしそのすぐ外は嫌でもポップスやロックがあふれている世界で昔とは根本的に違うし、ファン層もどんどん先細って、下手をすれば今後自分たちの存在基盤自体が失われかねないような状況に置かれてしまっている。

 そんな中で、クラシックでも「保守的」とされてきた室内楽の分野でさえ、これから自分たちが生き残っていくためにはクラシックの世界の中だけを見ているだけではダメで、積極的に外部の人たちに向けてアピールして新たなファンを獲得しなければという外向きの意識が生まれ、それが徐々に演奏にも表れてきているんじゃないか、なんてことを思うことが多くなってきた。

 実際、最近の弦楽四重奏の録音を聴き始めてまず驚くのは、誰もがハッと耳を奪われるような、従来にない弦の「美音」で(録音技術の発達も大きいとは思うけど)、特に低音のクリアかつ豊かな響きはそれだけでゾクッとすることもあるし、当然それが合奏になると全体の音の厚みも加わって、まるでもっと大きな弦楽合奏を聴いているように感じることもある。

 そしてリズムのキレや強さにしても、昔と比べて質が全然違ってきていると思うし(ポップスやダンス音楽からの影響も絶対にあると思う)、その結果全体の雰囲気としては都会的でスタイリッシュで、ある意味「現代的」と感じたりもするようになった。

 そのような変化は、ともすると外面的な面に偏っているように見えることもあり(何となく、求愛のために美しい羽根を競う南国の鳥をイメージしてしまったりもする)、作曲者の精神に肉迫するという音楽の本質とは多少離れたりするのかもしれないが、しかし自らの世界の存立の危機においての生存本能の発露とみればそれも当然だし、それに何よりアグレッシブに新しい方向性をどんどん推し進めるのは、いつだってすごく健全なことであるはずだ、と思ったりもする。

 ・・・というわけで、今回は何だかCDの感想とは趣が少し違ってしまったけど、このエルサレムQのモーツァルトにしても、大筋の感想はほぼ上の通り(現代のSQとしては、かなり端正で丁寧な演奏をするほうのように感じた)。

 3曲の演目の中でこれまで個人的に一番親しみがあったのはご多聞にもれず第17番の「狩り」だけど、昔の演奏ではどちらかというと絵画に描かれた「昔の狩り」みたいな印象だったのが、この演奏ではやはりアンサンブル自体に迫力があって、同じ狩りだとしてもずっと生き生きして身に迫ってくるような感じ。

 あと、この盤は全集企画ではなく、1枚もののセレクトとして選曲にもかなり力を入れていると思うんだけど、これまで記憶に残っていなかった冒頭の「弦楽四重奏曲第4番 K.157」が、特に第二楽章なんてすごく良くて、この曲聴きたさに何度も繰り返し聴いたりしてしまった。

 2000年代、2010年代の演奏となると、ハイドンもモーツァルトもまだ未聴曲ばかりということも言えるのかもしれない。未知の弦楽四重奏団で、でいろいろとフレッシュな演奏を聴いてみたいです。

String Quartet No. 17 in B-Flat Major, K. 458 - 'The Hunt': I. Allegro vivace assai

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聴いたCD Peter Rowan : Dust Bowl Children

2020年05月25日 | 民族音楽・ワールドミュージック・カントリー・純邦楽等
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読んだ本 岸政彦/著:『図書室』 『ビニール傘』

2020年05月19日 | 本・文学

 

 今日は、久しぶりに本の感想を。

 これは、もともと最初に出版された時にネットでいくつも取り上げられていたので覚えていた本で、カバー写真の感じも良かったので今回手に取ってみたのだが、これがすごく良くて、次作の『図書室』という作品と続けて一気に読んでしまった。

 で、『図書室』のほうも良かったけど、やはりどちらかというとこの『ビニール傘』のほうがより印象に残ったかな。著者の岸 政彦という方は初めて知ったが、本職は社会学者ということで専業の小説家ではないのだが、しかしこの作品で芥川賞候補になったとのこと。

 作品の舞台は、大阪の工業港の近くの、荒んだ景色の広がる場末の町。

 そこで生活をする20代の数人の男女の人生の断片が、彼らの名前も知らされないまま(しかも、少しずつ入れ替わりながら)語られていくのだが、彼らの全てが女性はガールズバーや美容院、男性は日雇いやコンビニ店員などというあてどない境遇であり、また彼らの生活にあるものすべてが大量生産の安物で、食べものもまたゴミのようなもの(この短い小説のなかで何度も登場する食べかけのカップ麺に象徴されるような)という、泡沫のような生活。

 じつは、今回ぼくがこの作品に最初に惹かれた理由というのが、まさにこういう現代の不安定な職に就く若者に目を向けたという点で、ぼくも日頃小説は読むのだが、そこで描かれる舞台がインテリ層だったり、大企業のサラリーマンの家庭だったりすると、もうそれだけで「現代社会と正面から向き合う」タイプの小説としては、ちょっと物足りなさを感じてしまう。

 実際、今の時代の日本社会のリアルとは、このこれまでの「安定した生活」みたいなものからはふるい落とされた、このような若者(だけではないが)が大量に生み出されてしまっている点にこそあるはずで、そんな彼らが当面する現実の荒廃を、小説はもっと見つめて書かねばならないのではないか、と思っている。

 そんな中、話は20代の名も無き数人の若者の生活が、(さっきも触れたように)語り手がいつのまにか少しずつ入れ替わりながら進行するのだが(最初はそこがちょっと分かりづらく思った)、しかし、まさにこの登場人物の視点が入れ替わるということが、まるでこの21世紀の大阪の底辺に生きる若者たちの人生を、雨にぬれた窓越しにぼやけて見せられているような感じがあり、また作品に多く出てくる大量生産の安物のように、もはや個人としての最低限の個性さえ奪われてしまった存在でしかないことの暗喩のようにも思われて、一層切なさを感じてしまった。 

 ただ、そんな人生を送っているとはいえ、登場人物がまだ20代ということで全体の色調にはまだそれほどの悲惨さはないし、話の内容も恋愛関係のエピソードが多いのだが(しかし、女性の一人は自殺してしまうのだが)、しかしこれは紛れもなく孤立であり閉塞であり、また経済的困窮の姿であって、そういう状況が、ものすごく多くの人たちに浸食しているという現実がすごくよく伝わってきたように思った。

 そして、この21世紀の荒廃というのが、以前(たとえば昭和の昔)なら判で押したように「暗い」背景の中で描かれていたのに対して、21世紀のそれは、妙に白茶けて明るい白昼の中で描かれることが多くなっているように思われるのが、一層気味が悪いというか。

 「暗さ」には、それがどんなに悲惨であろうとその反対には明るい出口の存在が暗示されていたわけだけれども、しかしそれが明るい白昼での悲惨であっては、もはや逃れる術がないのではないかとも思う。

 いやあ、21世紀がこんなにわびしい社会になるなんて、昔だれが想像しただろう。 

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聴いたCD MAREK HEMMANN : In Between

2020年05月18日 | 電子音楽

 

 最近、コロナの影響で自宅にいてパソコンで作業したりする時間もあるんだけど、これはそんな時にBGMみたいな感じで、けっこう気持ちよく聴けたアルバム。

 こういうテクノ系のアルバムって、前にも書いたと思うけど古いものは中古CD屋などですごく安く落ちていることも多くて(まあ、なにしろサンプリングやリズムマシーンとか使って簡単に作ることもできたから点数もメチャクチャ多いし)、その中でジャケットの感じがいいものを直感だけで選ぶということをたまにしているんだけど、普段それをチビチビと聴いている中で、最近では断然良かった1枚かな。

 発売は2009年で、アーティストのドイツ人、MAREK HEMMANN はソロ作ではこれがデビュー作だったみたい。

 細かいジャンルとしては、ミニマル・テックハウスみたいなことになるのだろうか。この辺の音楽のジャンルの細かさについては、もはや一生よく分からないままんだろうなあと最近は諦念の境地に近づきつつあるけど、要はテクノとハウスの中間的なテックハウスの中で、ミニマルっぽい傾向ということでいいのしょうか。

 個人的には、ハウス系の音楽ってテクノよりかフロア寄りでディスコ的というか歌ものも多いし、あまり近づいたことがなかったんだけど、でもこれくらいだとぼくなんかにも聴きやすいし、このアルバムは何といってもジャケットの青い空と海にも表れている通り、何だかとてもイヤみがなくて明るい感じがあって、繰り返し何度も聴いていられる。

 それに実をいうと、最近何だかソウルとかラップとかのブラック・ミュージックもYoutubeなんかでちょこちょこ聴くようになったし、そういう意味ではハウス方面ももう抵抗感なく聴けるように自分が変わってきているのかもしれない。

 ディスクユニオンが休業になってからもう随分と禁欲生活が続ているけど、再開したらその辺もそろそろ漁ってみたい気もします。

Marek Hemmann - In Between (Freude am Tanzen) [Full Album - FATCD/LP 004]

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聴いたCD MAX JOHNSON TRIO:THE INVISIBLE TRIO

2020年05月12日 | ジャズ(弦:Guitar,bass 等)

 

 Kirk Knuffke(cornet) Max Johnson(b) Ziv Ravitz(ds)

 これは、ここ何日かよく聴いたCD。

 一応はFSNTレーベル拾いで、ただしリーダーの Max Johnson という人は全然知らないし、トランペット・トリオというのも個人的に普段あまり好みじゃないので買う時にちょっと迷ったんだけど、でも Kirk Knuffke 参加で正確にはコルネットだし、ということでゲットしたんだと思う(けっこう前に買っていたのであまり覚えていない)。

 しかし、いざ聴いてみるとこれが抜群にカッコ良い。というか、全然知らなかったのでとりあえず Max Johnson をネットでちょっと調べてみたら、ニューヨーク出身はいいとしても、何と1990年生まれ! それで、この盤が2013年録音ということは、当時まだ20代前半。どちらかというと裏方で世に出にくいベース奏者であるにも関わらず、この年齢からもうコンスタントにリーダー作を出し続けていて、しかも当然ながらサイドメンとしてはすでに録音多数って、一体どういう才能なんだ。

 で、この Kirk Knuffke と Ziv Ravitz とのトリオにしても、多分これがCDとしても2作目にあたり、この後にももう1作出している模様。ついでにほかの2人も年齢調べてみたところ、Kirk Knuffke は1980年生まれで Ziv Ravitz は1976年生まれ。ほぼ、この2人は一回り程度年上ということになるけど、この時点ではまだどちらも30代だし、全体的にこの盤はそんな Max Johnson を初めとする3人の若さや勢いが大きな魅力になっていると感じる。それと、音楽に年齢は関係ないといっても、やはり一回りも若いリーダーを後の2人がサポートするって、すごく良好な関係を築けているんだろうなあ。

 今回初めて聴いた限りでは、Max Johnson は根はすごく前衛的でフリー系ではあると思うんだけど、でも自作曲の旋律などはすごくブルージーだったりメロディアスであることも多くて、自身のベースでも単純でノリのいいフレーズよく弾いたりと、曲ごとにすごく幅広く柔軟な演奏をするようなタイプの印象。 

 それと、Kirk Knuffke はこれまで数枚聴いたけど、どうもピアノとのデュオとか過度に室内楽ジャズ的だったり(ぼくがまだ今一つついていけないだけなんだけど)、リーダー作も今一つ乗り切れなかったりだったんだけど、これまで聴いた中でこの盤が一番カッコいいと思えたかもしれない。

 あと、ドラムスのZiv Ravitz はイスラエル系の人らしく、多分これまでにも Oded Tzur や Shai Maestro の盤で聴いてはいたと思うけど、全然覚えていなかった。でもこの人、今回気づくとぼくの好きな細かい太鼓中心に手数が多いタイプの人みたいで、目立つようなことはしていないけど、聴いていていつのまにか耳がドラムスの音を追っていることも多かったり。

 ともあれ、この Max Johnson 、このままいけばこの先よく名前を見る人になりそうです。

↓(この盤の録音の翌年くらいの、3人によるライブの模様だと思われます) 

Max Johnson Trio - The Invisible Trio LIVE 4/18/14  

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聴いたCD ベートーヴェン: ピアノソナタ 第4番 & 第2番 (エミール・ギレリス ドイツ・グラモフォン:F35G-50251)   

2020年05月07日 | クラシック

〔曲目〕 ・ピアノソナタ 第4番 変ホ長調 Op.7
     ・ピアノソナタ 第2番 イ長調 Op.2-2 

 久しぶりに、ギレリスによるベートーヴェンを聴いてみる。

 これ、国内盤のCDではあるんだけど、うまくアマゾンのリンクが貼れなかったので、今回はジャケットの画像はなし。かなり古い盤なので、実際に探すとなるとちょっと苦労するかもしれません。というか、それよりギレリスのベートーヴェン・ソナタ集のBOXセット買ったほうがよっぽど早いとは思いますが。

 ただ、個人的にそのBOXセットよりもこっちのほうが有難く思えるのは、何と言ってもこの選曲。この盤、恐らくギレリス最晩年の録音で、終盤に差し掛かっていたベートーヴェンのソナタ全集の企画の上でのカップリングだと思うんだけど(ちなみに録音は1984年)、そうでもないとさすがにこの2曲という顔合わせは拝めなかったと思う。

 で、それがなぜ自分にとって有難いのかというと、ふだんけっこうベートーヴェンのソナタを聴いているといっても、ここらへんの曲をしっかりと聴く機会というのが、意外と少ないから。

 実際、若い番号の作品って、聴くとなるとどうしても全集物がちになってしまうので、そういう場合、聴く側の意識としては、一度に何曲もベートーヴェンのソナタを聴くことになり、その曲1曲だけとしっかり向き合って聴くということが難しくなる。そしてそうなると、どうしても印象も薄くなってしまう。

 そう考えると、このような第4番と第2番の組み合わせって、実はむちゃくちゃ貴重な盤なんじゃないか、と考えることもできるのかも。

 そして実際、今回この盤を聴いて、(曲自体は何度も聴いたことはあったけど)何だか初めて「第4番 変ホ長調」をしっかり聴くことができたような気がしたのだった。

 この曲、気づいてい見るとけっこうな大曲で(演奏時間も30分強)、その前の1~3番、後の5~7番が3曲セットの作品番号なのに対してこの曲だけ1曲で独立した番号になってもいるし、そしてもう第1楽章の冒頭の左手の3連符からして完全にベートーヴェンというか、ベートーヴェンの濃い「世界」が出来上がっていると感じられる上に、何と言うか、長調であるという以上に、明るくて優しい幸福感みたいなものがある(ハイリゲンシュタットより5年くらい前でまだ青春時代でもあるし、というのはただの憶測だけど)。

 そして何より、第2楽章がとてつもなく素晴らしい。そもそも、冒頭の主題そのものが一見地味だけどすごく包容力があるというか懐が深いというか、すごく愛らしい魅力があって、それが中間部の後に高音部で再現されるところなんか、もうすでに神々しいくらいに美しい。そして、この楽章の最後のあたりとかも美しすぎて、この第2楽章だけ繰り返して聴きたいくらい。たぶん、そういう聴き方が、全曲盤みたいな聴き方だときっとイチイチ難しいのではないかと。

 それと、やっと最近になって気付き始めているけど、実はベートーヴェンのソナタって(正確にいうとベートーヴェンの前期くらいまでの他の作曲家の作品を含めたソナタって)、必ずしも最終楽章が「クライマックス」であるわけではない。

 ベートーヴェンでいうと、第8番の「悲愴」あたりでもまだどちらかといえば軽やか。逆に言えば、最後の盛り上がりが今イチに見えるところが、「月光」(ではもうクライマックスがあるし)「熱情」などに比べて「端正」というか、すごくいい曲と思いながらもある意味物足りなく感じられたところだったのではないか、と。

 でも、それはあくまでも「クライマックス」的な音楽を知った上での感想であって、当時は単にまだそういう世界だった、ということなのだろうし、それをよりドラマティックなものに変えて、音楽に熱狂といったものを持ち込んだ張本人こそが、まさにベートーヴェンでもあったのかなあ(よく知らないけど)・・・、なんてことをさっきまで考えてしまっておりました。

 あと、ギレリスのピアノについては、まだこちらもまだ開眼してわずか数か月なんだけど、聴いていて相変わらず惚れ惚れするというか、まずもって、いつもながらの硬質(ちょっと金属的)な音質の和音が迷いなく鳴り響くこと自体、すでに快感。もう、聴き始めてものの数秒でうっとりしてしまう。

 まあ、ほかにぼくの思い浮かぶことなんて全部CDの解説に書いてあるようなことばかりなのであえて言わないけど、これまでずっと食わず嫌いだった分、必然的にまだ大部分の録音が未聴であるということにヨロコビすら感じるほどになってしまいました。  

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 作品7 ギレリス 1984

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聴いたCD ROBIN NICAISE : NOUVEL AIR

2020年05月01日 | ジャズ(管:Sax,trumpet 等)

 

 Robin Nicaise (ts) Adrien Chicot(fender rhodes) Sandro Zerafa(g) Yoni Zelnik (b) Fred Pasqua (ds) David Prez(ts) Eponine Momenceau(harp) Arnaud Momenceau(fl)

 これは、このところ良く聴いたアルバム。

 正直いうと、これ、最初は全然期待していなかったというか、多分しばらく前にDUで「3点で500円」みたいな安売りで、その3点目の数合わせに買ったCDだったと思う。

 なので、買った後もずっと放ったらかしで、先週やっと手に取ってみたんだけど、しかしこれが意外にもかなりイケる。まあ、たまにはこういうこともあるかな。

 で、このCD。リーダーはフランス人テナー奏者の Robin Nicaise 。多分、他のメンツは普段から組んでやっているような地元の演奏者を使った8人編成だと思うけど、上の最後の3人は恐らくゲストで、基本はテナー、ギター、ピアノが中心のクインテットなんじゃないかな(よく分からないけど)。

 で、この盤、何といってもそのフランス8人組の奏でるサウンドがマイルドで明るい色調があって素晴らしい。そもそも、リーダーのRobin Nicaise のサックスが、汗をかきながらブロウするようなタイプとは真逆で、とても明るくて普通に気持ちよく吹くような感じなんだけど、このグループは他の面子もそういう雰囲気で固めていて、Adrien Chicot というピアニストもここではフェンダー・ローズだし、それにハープ奏者、フルート奏者、エレキギターも似たような音色で、時々どの楽器か分からなくなるくらい。

 そんな感じのグループが、曲によって参加楽器を入れ替えながら奏でるサウンドがかなり気持ちよくて、しかしそうでありながら、Robin Nicaise は以前NYにも滞在していたらしく、曲自体にはそこで吸収したコンテンポラリー、またストイックな雰囲気がかなり見て取れる。

 そんな一見相反する要素の混交が、サウンド自体の(悪く言えば)インパクトの弱さみたいなものを補っていて、一歩間違えばスムース・ジャズみたいな音に陥るのを免れているのかなあ、とも。

 あと、個人的にこの盤に気を惹かれたのは、最初に漫然と聴いていた時にハープの音が入っているのに気づいたからだったんだけど、しかし、実はそのハープが参加している曲が1曲か2曲だけというのが、今となっては不満。

 ハープって、ジャズではアリス・コルトレーン(あまりに曲調が違うけど)ほか数えるくらいしか聴いたことがないけど、この盤のようにさりげなく使えばほかにも色々と活躍の余地があるような気がする。

 んっ、エポニーヌ・モマンソー(Eponine Momenceau)って、さっき検索したら、映画監督(撮影監督)としてすでに実績がある人の情報が出てきたんだけど、もしかして同一人物? う~ん、そんな二足のわらじってこれまで聞いたことないし、事実ならかなりスゴイ人なのかも(ただ、その後探してもこのCD以外の音楽活動の情報、なかなかヒットしない。今は撮影のほうに軸足を置いているのかな)。

 いずれにしても、Robin Nicaise も Eponine Momenceau ももちろん知ったばかりで、全てはこれから。やっぱり、日頃CD漁りをしていて、こういう新しい人や音楽の発見が、いちばん面白い。

Ballade À Honfleur

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