〔曲目〕
・シューマン:交響的練習曲 作品13
・ベートーヴェン:創作主題による6つの変奏曲 へ長調 作品34
・ベートーヴェン:〈ルール・ブリタニア〉の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO79
・ベートーヴェン:ネル・コル・ピウ(わが心、もはやうつろになりて)〉の主題による6つの変奏曲 ト長調 WoO70
これは、ここ何日かよく聴いた盤。
こないだ聴いた、ブレンデルの『展覧会の絵』がすごく気に入って、その流れでディスコグラフィーを調べていたら、なんとこれまでノーチェックだったシューマンの『交響的練習曲』が入っている盤があると発見。さっそくゲットして聴いてみたというわけ。
そして、後半はベートーヴェンのややマイナーな変奏曲が3つという内容なのだが(というか、その前に『ルール・ブリタニカ』というイギリスの愛国歌の存在自体、知らなかった)、実はこれ、まさに変奏曲ばかり集めたシリーズ企画で、過去にももう1枚『恋人たち~変奏曲集』という邦題がついた盤があって、そっちのほうはずいぶん前に聴いていた盤だった。
で、聴いてみたところ、これがけっこうエモーショナル。
この『交響的練習曲』、実は作曲の経緯がけっこう複雑な曲で、シューマン自身が決定稿を書くまでの過程で、もともと入っていた5つの変奏曲を削除してしまったり、逆に新たに追加したり、という二転三転をしている(そして曲名までも変わっていて、最後のタイトルが『交響的練習曲』)。
その削除された曲を、シューマンの死後に「遺作」として復活させたのがブラームスで、今ではその5曲を加えて弾くことが多いらしいのだが、しかしそれを曲のどこに挿入するかはピアニストによってバラバラで、しかも必ずしも5曲をまとめて弾くとも限らない、というのがユニークなところ。ということで、この5曲をどうするかで、けっこう曲全体の印象も変わってしまう。
というわけなのだが、ブレンデルはこの盤の演奏で、「遺作」の3番目の変奏を、いきなり冒頭のテーマ部の直後に持ってきてしまっている。これは、ぼく自身としては初めてのことで、てっきりいつものように第一エチュードか来ると思っていたところが、けっこう抒情的な変奏がいきなり来てしまったので、出だしから何か別の曲になってしまったというか、やや面食らってしまったのだった。
そしてこの盤、実はライナーノートをブレンデル自身が書いているのだが、そこでシューマンがこの曲のオーケストラ的な構想を「交響的」という幾分不明瞭な言葉で置き換えたのは残念だと書いていたり、決定稿では抒情的なコントラストが欠如していて、長年その「交響的」な版と付き合ううちに、最早5曲の変奏曲を無視することができなくなった、私にとってそれらがあって初めて、この曲はシューマンの重要作となりうる、というようなけっこう批判的にみえることを書いたりもしている。
シューマンがもともとこの曲のタイトルとして考えていた内の一つである『フロレスタンとオイセビウスによる交響的性格の練習曲』のうち、内向的でメランコリックなオイセビウスの性格が消えてしまった、ということらしいのだが、果たしてどうなんでしょうか。
この点、まだこの曲を知ってほんの2,3年ながら、ぼくの素人考えを言うと、オイセビウスはシューマンの他の曲でもたくさん大活躍しているので、むしろこの曲くらいはオイセビウスなし(遺作の5曲なし)でもいいんじゃないか、なんて思ったりすることもあるんだけど。それに、最終版にも、多少抒情的な部分はあるように思うし、そこをうまく弾けばかなり緩急がつけられるんじゃないかしら(といって、これまで5曲なしの演奏って聴いたことがあったかどうかも思い出せない)。
しかし、こうしてライナーノートを演奏者自身が書いて、しかも作曲家をただ崇めているのではなく、ある程度作品を本音で批評してみせるというのは、ちょっと新鮮に感じました。こんな感じで、どこかでベートーヴェンのソナタとかもダメ出ししていたりすると面白いんだけど(疑問を呈することで、それが考えるきっかけになって曲の理解が深まるという面もあると思う。でも、ベートーヴェンは偉すぎて、やるには勇気が要るでしょうか)
でも、ブレンデルもこの曲に長年付き合ってきたということは、こんなことを書きながらもきっとこの曲が好きだったということですよね、きっと。