On a bench ブログ

ようこそ、当ブログへ。ジローと申します。
 毎日毎日、たくさんのCDやLPを聴いて過ごしております。

聴いたCD Peter Kenagy : LITTLE MACHINES

2020年01月28日 | ジャズ(管:Sax,trumpet 等)

 

 Peter Kenagy (tp), Jason Hunter (ts), Jeremy Udden (as), Adam Larrabee (g), Rick McLaughlin (b), Jorge Perez-Albela (d)

 これは、半月くらい前からちょこちょこ聴いていたアルバム。

 もとは「FRESH SOUND NEW TALENT」のレーベル拾いだったんだけど、こんな感じのジャケットだし3管だしで、たぶんエレクトロニクスが入っていたり騒がし目の音だったりするんだろうなと思っていたら、全然予想を裏切られてしまった。

 リーダーは、シアトル出身でボストンで活躍するという若手トランペット奏者、Peter Kenagy。とりあえず、どんな顔なんだろうとネットで写真を探してみたら、髪型も服装も何だか50年くらい前の田舎の純朴な青年みたいで、まずそこで驚いてしまった。

 そして始まった1曲目も、「ナイル」という本当に大きな川がゆったり流れているようなのんびりした曲で、2曲目はミドル・テンポの普通程度にノリのいい曲で、後半はそういう曲も多いのだが、しかしそれも3管が迫力ある掛け合いをするというほどでもないし、3曲めの「AYG...」になるとまたのんびりムードに戻って、どうやら「After You've Gone」という昔の曲に、たまたま聴いていたというラヴェルの「ボレロ」のリズムを組み合わせた曲であるらしい。

 どうも、この人は熱気とか鋭さを帯びたインタープレイを追及するというタイプというよりは、どちらかというと皆で楽しくスインギーなノリの合奏をするという人であるような感じ。なので、せっかく3管いるフロントよりも、実はギターのスペーシーな音のほうが全体に効いているのがおかしかったりする。

 といって、そんな雰囲気の演奏が、全面的に古臭く感じるかというとそんなことはなくて、やっぱり現代的ではあると思うし、Peter Kenagy その人についても、若くしてこうして音楽の世界で頭角を現して来るというだけに、見かけの純朴さだけではなく、かなり個性も強めな人物という印象。

 例えばそれぞれの曲についても、「Dog Story」は姉妹の飼っている犬の見たかもしれない夢(そもそも分かるわけがないし)についての曲だというし、「Little Machine」曲はAIと組み立てラインについての曲で、それをダニーロ・ペレスのために書いたとか、そして「disappearing man」という曲は、ラン・ブレイクとアルフレッド・ヒッチコックについての曲なのだとか。最初、そうなのかとつい思ってしまったが、よく考えると何のことだかよく分からない。

 それに、そもそもジャケットの変なロボットからして、あまり全体の曲調とは関係なくてちょっと人を食っているような感じもするし。

 ということで、この盤は古臭いようでそうでもないようで、真面目なようでちょっとトボけているようで、何だか掴みどころがないところが面白い、みたいに感じて、けっこう気にってしまった盤でした。

AYG...

Dog Story

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聴いたCD Holborne: "My Selfe" (Paul O'Dette, The King's Noyse)

2020年01月25日 | 古楽・バロック

 

 なんだか、ここ最近不意に古楽・バロック系を(まだ、ちょこっとだけど)聴くようになった。

 この辺の音楽は、ここ数年(いや、もっとかな?)かなり遠ざかっていたし、自分でも全く「久しぶりに聴いてみよう」みたいな気もなかったので、なぜそうなったのかけっこう不思議な気持ちです。

 で、このCDはその中でもここ数日よく聴いた盤。

 作曲者は、16世紀イギリスはエリザベス女王の時代に活躍したというアントニー・ホルボーン(Antony Holborne (1545-1602))。現役当時は非常に評価が高かった人のようで、後輩にあたるあのジョン・ダウランドも尊敬していたらしいです。

 今回の演奏作品としては、大半が1599年に出版された『ヴァイオルもしくはヴァイオリン属と管楽器のためのパヴァン集、ガリアード集、アルメーン集ならびにエア集』(Pavans, Galliards, Almains and other short Aeirs)から採られている模様。

 で、今回このCDが目を引いたのは、やっぱりこの良さげなジャケット写真と(特に古楽関連のCDは、昔の絵画がジャケットに使われることが非常に多いんだけど、個人的にはそれがちょっと苦手で手が伸びないことが多い)、リュート奏者のポール・オデットの名前をクレジットに見つけたから。

 ポール・オデットは以前、古楽関係にちょっとハマっていた時期に何枚か聴いたCDがすごく良くて覚えていた人で、また体型的にも横幅が広くて、優しそうな顔が髪とヒゲで一周ぐるっと囲まれているのがなんとなく熊みたいで、ちょっとほっこりする(全くの個人的な印象だけど)のも、当時親近感を持った理由だったかも(笑)。

 今回は、そのオデットがデイヴィッド・ダグラス (David Douglass)という人が率いる「The King's Noyse」という古楽コンソート(計5人)に加わった形の演奏で、その「The King's Noyse」の演奏が非常にすっきりしていて耳に入りやすいのに加え、時々入るオデットのリュート・ソロ曲やリュート入りの合奏が良い意味でアクセントにもなっていて、全体にすごく聴きやすい。

 そして、ホルボーンの曲自体も、この時代の曲としてはけっこう色調が明るくて親しみやすい曲が多いという感じで(今回はリュート入りの合奏という編成自体も軽みを与えているのかもしれないけど)、ともすればしばしば荘重な雰囲気がずっと続くという演奏が(特に昔は)多かったジャンルの中で、すごく親しみやすい盤と言えるのではないか、と思ったのでした。

↓ (ちょっと探したけど、YouTubeにCDのホルボーンの演奏が見当たらなかったので、同じキングズ・ノイズとオデットの組み合わせのダウランドの演奏を参考までに貼っておきました。ちなみに、こちらは声楽付きです)。

John Dowland - Seaven Teares: Music of John Dowland (The King's Noyse/David Douglass; Paul O'Dette)

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アンドレ・プレヴィン・トリオ:ライク・プレヴィン!

2020年01月21日 | (旧HP記事)ジャズ
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Ojc
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 Andre Previn(p) Red Mitchell(b) Frank Capp(ds)

 もともとクラシック界の住人だったぼくにとって、プレヴィンっていうのはずっとクラシックの指揮者&ピアニストだったわけでして、そのプレヴィンの多才さが「ジャズ」という音楽に初めて触れるきっかけになってくれた、というのがこのアルバム(だいぶ昔の話です・・・)。

 正直、ジャケットのデザインは趣味悪いと思うし、曲のタイトルもメンバーの妻の名前から採ったりと、かなり軽いノリのようなんですけど、しかし本当にものすごいセンスの塊りというか、それに全然くどさがないところとか(昔は、ずっとジャズの黒さが苦手だった。だから、こういう盤が受け入れられたのだとは思う)、とにかくこの才能は尋常じゃないのではないか、とぼくはず~っとひそかに思い続けております。

 それにこれ、解説によると曲はすべてプレヴィンのオリジナル曲のようで、そこが彼の盤でも意外と珍しいのではないでしょうか。ぼくとしては、こんなアルバムが作れるのに何でほかの盤では他人の曲ばかりやってるんだろう、と不思議に思えてしまうほどの名盤です。

Rosie Red

Saturday

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ロン・カーター:ピッコロ

2020年01月19日 | (旧HP記事)ジャズ

 

 「ライク・プレヴィン!」などとともに、わが「ジャズ暗黒時代」の頃からの数少ない愛聴盤の1つ。

 今思えば、ぼくのもともとの「低音楽器好き」(例えばクラシックではチェロが好きだったりする)や、何より当時苦手だった管楽器が入っていないことがうまく音楽に入っていけた大前提だったと思いますが、当時は別にな~んも考えずに聴いているだけで、例えば「ピッコロ」というアルバム・タイトルも、いつのまにか「そんな曲がどこかにあったっけ?」と思っていたほどの体たらくでした(実際は「ピッコロ・ベース」という、日本人が考案したらしい小型のベースを演奏している)。

 曲は、どれも一見ぼんやりしたテーマの曲が多いんだけど、それがメンバーの一体感のうちに徐々に盛り上がっていく感じで、何度聴いてもコーフンしてしまいます。単純に「カッコイイ!」、と思える2枚組(最近気がついたのですが、このアルバムはほかとちがって全面的にピッコロ・ベースであるためか、もうひとりふつうのベースの人がいたのですね)。

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ロン・カーター:オール・ブルース

2020年01月18日 | (旧HP記事)ジャズ

 

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ARCHIE SHEPP : Fire Music

2020年01月17日 | (旧HP記事)ジャズ

 

 
 昔、ジャズというものがずっと苦手だった中でも、ぼくにとって最大の障害となっていたのが「サックス」。

 それが、少しずつ色んなものを聴いている内に徐々に慣れてきて、これに出会った頃には同じ管楽器でもフルートなどはけっこう聴けていたので、そろそろサックスもという感じはそこはかとなくしていたんだけど、しかしいざ聴いてみるとどうしてもダメで、一向に突破口が見つからないという状態がずっと続いていました。

 それを、ついに打ち破ってくれたのが、中古屋で見つけたこれのLP盤だった。
 
 「ファイアー・ミュージック」というタイトルと、この赤いジャケが、とにかくカッコよかった。まあ要するに、これも自分らしく「ジャケ買い」だったわけです(今売っている左のCDは、実はぼくが買ったLPとはビミョウにデザインが違うんだけど)。

 で、これを聴いて、初めて「ブロウ」というか、「ああ、サックスっていうのは、こういうことをやっていたのか」ということが分かった気がした。と、それと同時に、堰を切ったように、本格的にジャズが聴けるようになりました。

 ・・・ということで、これはぼくにとって、かなり記念碑的な作品になったわけです(とはいっても、その後サックスがホントに普通に聴けるようになるまでには、やはりそれなりの時間がかかったわけですが)。

 以来、ここ2,3年あまり、それこそ「湯水」のようにこの(ぼくにとっての)「新しい」音楽を聴いてきた中で、ジャズの世界の中での、アーチー・シェップ自身や、この盤の位置も少しずつ分かってきたのですが、しかしそんなことは、全て後の話。とにかく、最初にこの盤を聴いた時に、カッコイイ! と思えたことが全てだった。
 
 それと、今から考えると、最初の頃はサックスに慣れようとして聴きやすそうなものを選んでいたのがそもそも間違いの元で、そんなぬるいものよりは、こんな「濃い」ものを一気に浴びてしまえばよかったのだ(一種のショック療法というべきか)と、今では思ったりします。(2007/08/19)
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LEON THOMAS : IN BERLIN

2020年01月16日 | (旧HP記事)ジャズ

 

 
 いやあ、これを最初に聴いた時の衝撃は、強烈でした!!

 ホントに、まさか世の中にこんな人がいるなんて・・・。
 
 このレオン・トーマスという人は、ジャズの中でもスピリチュアル・ジャズというかソウルというか、そんなジャンルの、ヴォーカルの人なんですが、それが「ヨーデル唱法」というとんでもないものを使うのでありまして、それがとにかくスゴイのです。

 で、どうスゴイのかといいますと、あえて例えるなら、酔っ払いの野太い声のオッサンが電柱の影で・・・、イヤ、何よりも品位を重んじる当「On a bench」としては、これ以上は自粛させていただきます(笑)。
 でも、これが「変」だけじゃなくて、かなり(いや、スゴく)よくて、聴いている内にハマったりしてしまうのですよ、本当に。

 恐らく、このレオン・トーマスにはファラオ・サンダースのアルバムなどから入る人が多いんじゃないかと思うんですが、ぼくはいきなり聴いちゃったので、余計に驚いてしまったもかもしれません(この盤に慣れてしまったら、『カルマ』なんてぜんぜん普通)。

 でも、とにかくこれはホントに面白い。最近、自分の聴く音楽がちょっとマンネリ化して何か刺激が欲しい、なんて思っている方には、ぜひオススメしたい強烈な1枚です! (2007/07/16)
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聴いたCD ブラームス : 主題と変奏 Op.18b | バラード集 Op.10 | 幻想曲集 Op.116 (コジュヒン)

2020年01月15日 | クラシック
ブラームス : 主題と変奏 Op.18b | バラード集 Op.10 | 幻想曲集 Op.116 (Johannes Brahms : Ballades & Fantasies / Denis Kozhukhin (piano)) [SACD Hybrid] [輸入盤] [日本語帯・解説付]
デニス・コジュヒン,ブラームス
Pentatone / King International

〔曲目〕
 ・主題と変奏 Op.18b(1860)
 ・バラード集 Op.10 (Ⅰ.ニ短調/Ⅱ.ニ長調/Ⅲ.ロ短調/Ⅳ.ロ長調)(1854)
 ・幻想曲集Op.116(Ⅰ.奇想曲 ニ短調/Ⅱ.間奏曲 イ短調/Ⅲ.奇想曲 ト短調/Ⅳ.間奏曲 ホ長調/Ⅴ.間奏曲 ホ短調/Ⅵ.間奏曲 ホ長調/Ⅶ.奇想曲 ニ短調)(1892)

 これは新年早々、あまり期待せずに聴いて、しかしそれがすごく良かったのでうれしかった盤。

 (「期待せず」というのは演奏うんぬんでなくて、要するに自分がブラームスが苦手だったからというだけの話なんだけど)。

 でも、ここ数年、以前苦手だった作曲家がけっこう聴けるようになってきたことも多いので、ではそろそろブラームスもどうかということで、実は交響曲とかクラリネットの曲とか、ちょこちょこ探検を繰り返してはいたのです。それが今回、やっぱり自分には結局ピアノ曲なのか、という感じでプチ(←今のところはまだ)開眼。

 (ところで、最近嫌いだった作曲家が聴けるようになったというのは、ひとつにはようやく青少年時代の最初の「刷り込み」が薄れてきたのも大きいと思う。これも「保守性」のひとつということなのだろうか、ぼくの場合は10代、20代の初め頃に最初に決まった「好き嫌い」がいまだにけっこう尾を引いていて、特にブラームスは20代の頃にかなり自分の中で否定的な感情を持ってしまっていたので、そのわだかまりみたいなものをずっと引きずってしまっていたようなところがあった)。

 で、このCD。

 デニス・コジュヒンは最近けっこう名前を耳にするロシアのピアニストで、個人的にはまだほとんど未聴。まだ30代前半で、若手といっていいのかも。

 しかし、その若いはずのコジュヒンが、1曲目の『主題と変奏 Op.18b』の冒頭、あの『弦楽六重奏曲第1番』第2楽章をブラームス自身がピアノ曲に転用したというコテコテ(というべきか)の主題からして全然感情過多とかにならずしっかりとした精神性と深みも感じる演奏で、もういきなり安心して身をゆだねられる感じ。何だかスケール感や包容力みたいなものも感じるし、これは今後巨匠みたいな人になるんじゃないか、とさえ思ってしまった。

 そして、中盤から後半はブラームスの若い頃と晩年のピアノ曲集が2つという構成で、まず『バラード集 Op.10』はグールドほかで聴き覚えがあったけど、後半の『幻想曲集Op.116』に至ってはほぼ完全に未聴曲。

 ということで、とりあえず今はまだ何も考えずに拝聴するだけ、という段階なんだけど(でも、今調べた限りではこの曲はかなりほかのピアニストの録音も少なめという印象。ブラームスの後期ピアノ曲の中でも、ややマイナーな作品なのだろうか)、しかしどうも現時点での印象としては、この曲って元々かなり「渋め」の曲集というか、かなり人生の経験を経た後の、大人の人向けの作品だったのではないかという気がする。

 まあ、これから人生の夢や希望、将来というものを前にした段階というよりは、明らかにその後の段階ではないか、というか。そして、そういう面はどの作曲家の晩年の作品にもある程度備わってはいるんだろうけど、ブラームスの場合はかなりその年齢の「限定度」みたいなものが高いんじゃないかと。

 で、そういう風に考えるなら、やっぱり昔の20代の自分なんかにはこのあたりの作品はもともと向かなかった作品ではないかと思うし、そしてその後自分もようやく今になって、ブラームスの後期作品の「対象年齢」になってきたとも言えるかもしれないわけで、結局はそれが今こうして耳に入るべき時期に耳に入り始めているのかもしれないなあ、なんてことを考えたのだった。

 まあ、まだたった1枚聴いただけなので、今後どうなるかは分からないけど・・・。

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聴いたCD Ehrlich/Erskine/Formanek:Relativity

2020年01月10日 | ジャズ(フリー系)
Relativity
Enja
Enja

 Marty Ehrlich(as, ts cl,fl) Peter Erskine(ds) Michael Formanek(b)

 これは、ここ数日何度か聴くうちにハマってきた盤。1999年発売ということで、もうけっこうリリースから時間がたってはいるんだけど。

 で、最初は、Marty Ehrlich がフリー系のリード奏者(まだ、あまり聴いたことがない)という割りには特に強くブロウするというわけでもないし、今一つ掴みどころがないなあと思っていたんだけど、途中からジャケットのグラスを通して見える魚の写真みたいに、どこかとぼけてユーモラスな味があるなあと思い始めて、そこから音が耳に入るようになった。

 この盤、ジャケットの裏面には3人が一緒に写った小さな写真も載っているのだが、それがまるで表の3つのグラスと同じ配置になっているのも面白い。まず、真ん中にデンと少し前に立って笑っている Peter Erskine がいて、その右側に半分隠れるようにして寄り添っている長身が Marty Ehrlich 。そして、左にちょっと離れて微笑んでいるのが Michael Formanek 。

 演奏面でも全く同じような感じで、まずとにかく Peter Erskine のドラムスの音(特に軽めの太鼓の音が)が、右チャンネルからも左チャンネルからも、ポコポコ、ドンドン、シャンシャンとよく聴こえる。一旦それに気づくと、なんだかドラム・セットに囲まれて聴いているみたいで、そしてそれが明らかに音楽全体に精気を与えてもいるし、その音を聴いているだけで快感を見出せるくらい。

 一方、Marty Ehrlich はリード楽器だからけっこう目立ちはするのだが、やっぱりドラムスほどの存在感はないし(というか、もともとリリックなタイプの人なのか)、可哀そうなのはもう一人の Michael Formanek で、けっこう割腹がいい彼が終始勤勉に演奏しているのは確かなのだが、マイクの加減のせいかずっと何だかくぐもったような弱めの音で、一向に努力が陽の目を見ない感じ。

 で、その内中盤くらいから Marty Ehrlich の楽器がクラリネットに変わってのどかな調子の曲があったり、けだるくなったりやや激しくなったり、フルートが出てきてまた雰囲気が変わったりと、何だか全体が統一感があるようでそうでもないようで、普通に熱がこもった演奏のようでそうでもないようで、何と言うか、少しずつ音が屈折して別の像を見せられているような感じもある。

 CDのタイトルの「Relativity」って、「相対性」「関連性」という意味のほかにいわゆる「Relativity Theory」(相対性理論)みたいな意味もあって、解説の中で Peter Erskine がE=MC2(乗)にかけてちょっとしゃれをいったりしているんだけど、実際の音楽も直線的なまじめさ(Marty Ehrlich は普通に一生懸命吹いているような気がする)から力点が一歩、斜め上にずらしている感じで、そんなところがぼくから見てちょっと面白く感じられたのかも。

 Marty Ehrlich って、実はDUのフリージャズのコーナーではけっこう名前をよく見る人で、これまでは知らなかったから拾ってこなかったんだけど、これで予備知識もできたので、今後は少しずつ聴いてみようかという感じです。

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聴いたCD John Hart:Exit from Brooklyn

2020年01月04日 | ジャズ(弦:Guitar,bass 等)
Exit From Brooklyn
Zoho Music
Zoho Music

 John Hart(g)  Bill Moring(b)  Tim Horner(ds)

 これは、半年くらい前(だったか?)に買っていたCD。

 で、その頃に一度聴いて「いいなあ」とは思っていたんだけど、多分何かで気忙しかったのか、しっかり聴かないうちにいつの間にかそのままに。それが今回、2.3日前に出てきて改めて聴いてみると、やっぱりいい。

 編成はシンプルなギター・トリオで、リーダーはギターのJohn Hart。ヴァージニア州から80年代にニューヨークに出てきた時、マンハッタンより家賃が安く若いミュージシャンに人気があったブルックリンに落ち着いて、そこで今回のトリオのメンバーの2人とも知り合ったのだとか。最終的に2000年頃にこのトリオを作って、今作が4作目だということです。曲は、自作が半分近くあるけど、どちらかというとエリントンやモンクも含めた他人の曲が多め。

 で、演奏は、普通といえばすごく普通。でも、似たようなCDが世の中に星の数ほどある中でもこうして好き嫌いは出てくるわけで、(そこのところを言葉で書こうとするのがいつも難しい)、すごく聴き易くはあるけど、変な意味で「保守的」でなくて、ある種フレッシュさや開放感みたいなものが感じられる演奏、という感じかなあ。

 やっぱり、日々演奏を続けていく中で、それを仕事として割り切ってしまうとどうしても音楽は崩れていくだろうし、その逆で自分の美学を追及しすぎても、独りよがりの演奏になってしまうだろうし。そういう方向性から逃れて、こういう風にベテランになっても真摯に音楽を追及している姿勢みたいなものが感じられる演奏を続けていけるのって、すごくいいなあと思います。

 (ちなみに、このCDの解説は John Hart 自身が書いているんだけど、それによると、リハーサルは最小限にして、また演奏については、長年にわたって培った演奏の「化学」を探求し、より洗練しようとしたみたいなことが書いてある)。

 そして、全体のトーンもイヤ味なところがなくて3者の関係にも緊密さがあるし、何だかずっとイヤにならずに聴き続けられるような演奏だと思いました。 

Here's That Rainy Day

I Mean It!

 

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