〔曲目〕
・ムソルグスキー:「展覧会の絵」
・リスト:「王の御旗」
「巡礼の年第3年」より「スムスル・コルダ」
「クリスマス・ツリー」より「夕べの鐘」
「詩的で宗教的な調べ」より「祈り」
これは、見つけたのは今年の春ごろだったけど、その瞬間には、聴いてみたいとは全く思わなかった盤。
いやあ、だって『展覧会の絵』ですからね。『展覧会の絵』って、過去にも何度か書いたと思うけど、クラシック曲の中でも自分の中で「耳タコ曲」の最右翼に来るような曲で、普段聴きたいと思うことがほとんどなかったし、それにブレンデルというピアニストもそんなに面白い演奏をするタイプの人ではないと思っていたから、そんなマイナス同士の組み合わせの盤を見つけて、まさか自分が数分後にこのCDを手に取っているとは、最初全く思わなかった。
ただ、その時、ブレンデルが『展覧会の絵』ってけっこう意外な曲弾くんだなとなんとなく思ったのと、この曲をブレンデルみたいに技巧をひけらかすことには程遠いようなピアニストが、なぜあえて弾こうとしたのだろうという疑問が湧いてきて、そこでじわじわと興味が沸いてくるという展開に。実際、この曲を前にして何か成算、というか武器みたいなものがあるのか、それともただ正面から、真面目に弾くだけなのか。そんなところを、ちょっと確かめたくなってしまった。
・・・というわけで、思い切って拾ってみることにしたこの盤。が、果たしてその結果は、何とめちゃくちゃハマってしまうと同時に、ブレンデルその人をも見直すことにもなってしまいました。
いやあ、しかしこれはマジで名演だと思います。
で、その演奏の何がスゴいかというと、一言で言うならその演奏の「こまやかさ」。
今、この演奏に接した後になってみると、ぼくはこの曲を、本当にこれまで単純に考えすぎていたのかもしれない。これはそもそも、ムソルグスキーが見た絵の印象を音で表した描写音楽みたいなものなんだから、例えば「古城」にしろ「こびと」にしろ、それぞれの絵の情景をどう聴き手の脳裏に思い描かせるような迫真の演奏ができるかが最大のポイントで、他にもいろいろな要素はあるだろうが、基本的にはそこから抜け出ることはないのではないかと。
ところが、そんな、もともと演奏の工夫のしようが乏しいと思っていた曲を、ブレンデルはここで、どの部分にも非常に繊細に表情をつけながら、ニュアンス豊かな曲に変えてしまっている。
例えば、ここにフォルテッシモのフレーズがあったとして、ふつうのピアニストならそれを何も考えずただ力を込めて平板に弾いてしまうところを、ブレンデルは熟慮の末、フォルテの中でも一音一音音量をコントロールしながら、そのフレーズを聴き手が注意力をもって追うに足るフレーズにしてしまう。
実際、その部分をもし自分が弾いていくとしたなら、と考えながら聴くと、次の音のブレンデルの音量と、自分が出そうとしていた音量は、かなりの確率で食い違う。ブレンデルは、他のピアニストがフォルテでガンガン弾き飛ばすところを、しばしば音量をピアノにまで落としたりしながら、自然で美しい表情をそのフレーズに与えてしまう。
中でも、ぼく自身が一番思い出すのがラストの「キエフの大門」なのだが、ぼくはこの曲がずっと苦手だった。というのが、もとのムソルグスキーのピアノ譜があまりに大味すぎて、どのピアニストの演奏でも他に工夫しようがないのかと、聴いていて苦しくなっていたから。
ぼくが昔、一番最初に聴いたのはホロヴィッツ盤だったが、ホロヴィッツは例によってあの華々しい技巧に加えて音を足して轟音渦巻く音楽に変えていたので、間は持っていたのだが、ホロヴィッツ以外の「楽譜通り」に演奏する他の演奏だと、どうしても音符が足りずに、かなり間延びしたフレーズが結構続くことになってしまう。
ところが、このブレンデル盤では、ここでも楽譜通りの音符だけでもって十分聴き応えのある表情をつけることに成功していて、堂々とラストを飾ってしまう。
一体なぜこんなことができるのか、これは意識してやっていることなのか、あるいはブレンデルにとっては普通のことなのか、ぼくなんかには知る由もないが、ただ、もしかするとブレンデルはこの楽譜を、一旦「展覧会の絵」というストーリーとある程度切り離して、言うなれば「テキスト」みたいに一度虚心に見つめて、自然な音の繋がりというものを模索していったのではないか、なんてさっきから考えていた。そしてそういうことを、ある種ピアニストとしての「技術」「芸」としてやっているのか、あるいは「芸術」に没入した結果成し遂げているのか、それもよく分からないけど。
それとあとひとつ、ホロヴィッツの名前がさっき出たついでに思い出したのだが、有名な「ホロヴィッツ・トーン」というものがあるとすれば、ここでのブレンデルの音色も粒立ちも含めてすごく気持ち良くて、きっとものすごくこだわり抜いて作り上げたトーン、いわば「ブレンデル・トーン」と言ってもいいくらい完成された音色ではないか、と今わりと真剣に思っている。
いやあ、何か、この盤に関しては曲を離れてブレンデルのピアノの音だけ聴いていても幸せなんじゃないか、なんて感じすらするんですよね。
・・・と、今回のこの盤、地味な盤には違いないですが、個人的には(音色も含めて)ものすごく名演なのではないか、と思っております。