最近、久々にまたハマってきているバッハ。
今日は、自分にしては珍しくチェンバロによる平均律(第2集)を聴いてみる。演奏は、カフェ・ツィンマーマンを主宰したり、以前『ゴルトベルク変奏曲』の録音でもかなり評価が高かったときくフランス人奏者、セリーヌ・フリッシュ。
で、まずはこのチェンバロという楽器についてなんだけど、実はぼくは昔からけっこう苦手意識があって、バッハ以外のバロックでも普段なかなか聴く機会が増えてこないのだが、その理由は楽器によってはかなり音がキツくて耳ざわりに聴こえてしまうことがあることと、やっぱり何と言っても楽器の構造上、音の強弱があまり出来ず、どうしても表現の幅が狭まってしまうように思えてしまう点。
実際、それで聴いているとどうしても単調に思ってしまうことが多いのだが、中にはその上に、テンポまでほとんどイン・テンポで最初から最後まで通してしまうような演奏もわりとあって、それだともう、コンピュータで演奏させているのとあまり変わらないんじゃないか、なんて思うこともあったりする(きっと聴き方が浅いだけだと思うけど)。
と、そんなわけで、この平均律にしても過去にチェンバロで聴いたのはせいぜい2,3回で、この盤を聴くについても特に期待はなかったのだが、しかしそれが今回はなぜか、冒頭からかなりグイグイと耳が吸い寄せられてしまった。
この演奏、まず自分にとって有り難かったのは、一音一音、音ががかなりよく響いて存在感があることで、その上テンポもやや遅めでゆったりしていることが多いので、音自体がかなりどっしりとしたボリューム感があって、ただ聴いているだけでもけっこう聴き応えがあった点。
そして演奏自体も、一見すると特別なことは何もしていない普通の演奏に見えながら、時々わずかにテンポが閊えるようにずれたり、一つのフレーズ内で後半少しテンポを落としているように感じたり(楽器の構造上、何らかの制約があるのかもしれないが)、そして、こちらははっきりと意図的にやっていると思うのだが、ゆっくりしたテンポでいくつか音が和音的に重なって進行する箇所などで、「ずらし」とでもいえばいいのか、アルペジオ的に低音と高音をずらして演奏していること(もしかしたら、チェンバロの世界ではよくある奏法なのだろうか)。
そして、例えばピアノ演奏だったら、ここはサッとピアニスティックにスピード感を前面に出していきたいなと思うようなパッセージでも、あえてゆったり目に弾いていてそれが却って新鮮に感じるような箇所があったりと(このCDを聴いている人たちは、基本的にピアノ演奏をいろいろ聴いている人たちだと思うので、一層意外性みたいなものも感じるのだと思う)、どうもこの人の演奏って、テンポを操るという点において、かなり考え込まれているというか、いろんな技が隠されているのではないかと思う。
そして、そんな表面的なピアニスティックな演奏技法にあまり頼らず、またおおらかなゆったり感をも併せ持つ演奏が、全体的にとても表情豊かで新鮮味もあって、この演奏者の包容力みたいなものを感じさせるように思ったのだった。
特に後半の「CD2」は、ここ2,3日繰り返し聴いてしまって、本当にリピートが止まらなくなってしまいました。
The Well-Tempered Clavier Book II: Prelude XXI in B-Flat Major, BWV 890