脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

イルボンオプタ

2011-09-28 | Weblog
先日来年卒業予定の学生と話しをしていた。
私は卒業する前にどこか外国に行け、そして行って、かたことの英語でもいからよその国の人間と話しをすればいろいろなことが見えてくると言ったが、われわれの時代とは違って、今は多くの人間が日本の文化に興味を持っているから、そういう機会を持ちやすいと思っている。
しかし私自身いろいろな体験を通して日本人に欠けているものがあると感じるものがある。
これは他の国の人間との決定的な違いだと思っているが、それは民族教育、この民族教育と言うものが他の国の人間に比べて希薄であり、徹底されていないところが国際社会で自分の意見が言えない、メンタリティーのよわさにつながっているのではないかと思っている。
少しおおまかな言い方かもしれないが、他の国の人間の教育は民族教育の上に成り立っていると言っても過言ではない、最近はアメリカのように他の民族も共存しているので、民族教育と言うよりも国家ということを意識させると言ったほうがいいと思うが、自分たちはこの国家というものの意識が希薄であると思っている。
アメリカなんかでも国民の休日に行われる大会は国家が流されることが多く、その国家を流れている時に全員が目をつぶって胸に手を置いている姿はまさに愛国心を思わされる。
私などは外国人でどうしていいのかわからず、とりあえず目をつぶっていたが、しかしなんでよその国の国歌をこういうかたちで聞かなくてはならないのかと少々自分にいらだちをおぼえていた。
さらに韓国は単一民族なのでまさに民族教育と言うことが言えるかもしれない、小学校の教科書など訳本ででているので読んだら分かると思うが、私の感想では歴史を通して、いかに自分たちが誇り高く優秀な民族かと言うことが伝わってくる。
時々これはあきらかにねつ造ではないのかと思う時もあるのだが、私などは高校に入るまで孔子は朝鮮民族で、小学生までは朝鮮は日本よりもはるかに大きいと思っていたが、しかしそんなこまかいことは言ってはだめだケンチャナヨである。
日本人は優秀だと私は思っている。
以前外国人に俺たちは世界一優秀だと言ったらおもしろいやつだといわれたが、しかし日本人は英語な苦手な民族であるが学力は高く、ポテンシャルの高い民族であることは認められていることである。

しかしそうではあるが、そのポテンシャルを逆に外国人に利用されているような気がしてならない。
NASAには結構日本人がいるらしい、宇宙飛行士などは一応派遣と言うかたちで協力しているそうだが、しかしアメリカのNASAに行かなくてもあれだけ優秀な日本人がいたら日本でもロケット開発ができて、宇宙にいけるのではないかと疑問を持ってしまうが、なぜUSAなのだろうか考えたことがあるだろうか?
たぶんおおまかな意見だが、こういう国家的なプロジェクトに、これだけ多くの他の国の人間が参加しているというのは優秀なんだけど利用されている姿を見てとれる。
まあ協力と言ったらそうであるが、しかし日本でもできるやろというのが率直な意見であるが、これを利用と考えるならば、利用されると言うことは自分たちがどこにつながっているかというアイデンティティがはっきりしない、自分たちの国の国益と言うことを考えることができないからだと思っているが、それは政治家とて同じことである。

私は自分の子供に「日本のために何かができる人間になれ」と言っているが、こういう発言は問題発言になるのか、さらにこれを学校で言ったとしたら問題発言なのであろう。しかし問題は自分はどの国につながっているかということで、他の多くの人たちはその国家につながるために多くの血を流し、勝ち取ってきたという歴史がある。祖国と言うことは非常に大事なことなのだ。




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