脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

あいさつにこだわる奴はそれしかできない。

2012-07-10 | Weblog
前回のブログでオリーヴの連中はまとめることができない。そしてそこがここのいいところであると言ったが、確かにそう思う。
それはここの会員が大人としてのコモンセンスを持っていて、中高生のようなルールにしばれれない成熟した人間だからあえてそういう枠にはおさまることはないと思っている。
いい大人にあいさつや、そこでしか通用しないルールを押し付けることは失礼である。
試合などでも中学生でもあるまいし、ルールブックに書いてもいない礼をやれと押し付けられたり、勝手もガッツポーズはするなと言う暗黙のルールに従うことは屈辱である。だから試合なども選んで参加しているが、権威主義が強いのだろうか、会場などに行くと競技者が親玉どもに非常に気をつかっていることがわかるが、そういうところに社会人が言っても十分に楽しむことはできないからだ。
さらに「印象をよくしろ」とか「印象がわるくなる」という言葉をよく聞くが、そんなもの余計なお世話だ。なぜいちいちそいつらの顔色を窺って競技しなくてはならないのか、これこそ権威主義を象徴するかの言葉だ。
むこうではそういう言葉は聞いたことがない。
前のブログでもピーターがセコンドについた時に、あまりにもとんちんかんなことを言うので「shut your mouth(実際はshut your fucking mouth)」と言ったら観客に大爆笑されたと言うことを書いたが、その時注意をうけることはなかったし、競技中にセコンドとケンカをしたこともある。たぶん競技に差し支えるようなことであるならば、注意するであろうが、しかし基本的には競技者を尊重するので、上からの権威を振りかざして「お前印象わるいぞ」と言うようなことは言わない。
私自身むこうで競技したが、こういう自由な国では水を得た魚のようで、才能のない私がトーナメントで優勝できたし、十分力を発揮することができたのはアメリカと言う国がスポーツおいては自由であったからで、礼儀がなっていないとか印象をよくしろとか、親玉たちの顔色をうかがうことなく、さらに暗黙のルールに従わされることなく、本当に競技者主体でボクシングができたからである。

運動系ではあいさつは基本などと言うが、だいたいあいさつしろなんていうことを美徳と考えて、あいさつにこだわるような奴はそれしかできない奴が多い。
いわゆる縦社会に順応された人間だ。
こういう奴は往々にして人の顔色を見る。自分よりも立場が上な奴をみたら即座にあいさつ。会話中も「ハイ ハイ」「ありがとうございます」「失礼しまーっす」の連発で、そういう奴を見るとそいつのまわりの上下関係の相関図がわかるが、あいさつが基本だと言う奴は、あいさつ自体を理解しているわけではない。今時ナンセンスな縦社会に順応することが正しいと思っているだけである。
それが証拠に「チワーッス」というのでもでかい声ですれば、あいさつだと思っている奴もいるが、こういう間違った言葉でも、でかい声で言えばあいさつだと思っているのは言葉自体を大事にしていない証拠、ボクシングと言えど人間が集まるコミュニティーであるから、まず言葉と言うものを大事にしなくてはならない、社会人が「チワーッス」などとあいさつするだろうか考えてみたらいい。
対象年齢やシチュエーションを無視してあいさつしろなどと言う奴は、あいさつを大事にしているのではなく、縦社会しか知らないからそういう言葉しかでてこない、それで正しいことを言っている、健全であると勘違いしているが、それはあまりにも稚拙である。

あいさつなんて言うのは人間関係特に会話をするために必要な潤滑油のようなもの、にっこり笑って会釈ぐらいすればそれでいい、例えば私などはあいさつと言っても、外国人の仕事仲間にあった時に、にこっと笑って手をあげるぐらいで、それでも相手が気持ちよく会話ができればそれでいいと思っているのだが、あいさつなんていうのはその程度のもの、あまりそういうことを徹底させると相手の顔色を見るようになると思っている。
私のところでは、うちのベターハーフがうちの子供に対して人に会ったら、まずあいさつしなさいとあいさつさせるのだが、しかし私はあまりいいことと思ってはいない。むしろ人に会った時に「あいさつは」などと言うと、人の顔色を見る人間になってしまうので、私自身は子供に人の顔色は見るなということを言っているのだが、あいさつなんて好意があればできること、成熟すればそれにともなって、体育会のようにバカみたいにでかい声であいさつはしないが、しかしにっこり笑って気持ちのいい会釈ぐらいはできると考えている。
現に小さい子供がいた時は、子供に何か声をかけてやれと言うのだが、そういう気持ちがあれば問題ないと思っている。

あいさつにこだわるならば国語力や語学力にこだわったほうがいい。
どういう考え方であいさつは基本だと言っているのかわからないが、もしそう言うのだったら自分もきちんと日本語をマスターし、敬語をある程度使いこなせる必要があるのだが、しかしチワーッスなどのあいさつが堂々と、場合によっては指導する人間もあいさつのごとく使われていると言うのは、たいした考えなど持ってはいない。
今時あいさつにこだわるのはナンセンスで、私は体育会の人間は先輩などの顔色を見る傾向が強いと考えているが、それはあいさつすることで目上のものに対して、服従をおぼえさせられるからだと思っている。本当に大事だと言うならばさせるのではなく、こちらからにっこり笑ってしてあげたらいい、昔のような縦社会であればそれはそれでいいのだろうが、しかし自分の意見を主張していかなくてはいけない時代には、それは明らかにディスアドヴァンテージである。
むしろ指導する人間が国語力や語学力を磨いて、かかわりの中で、そのコミュニティー自体の質を上げていくことが大事なことではないかと思う。





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