脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

クロルリガ ホンマかよ

2012-06-21 | Weblog
先日世界戦がやっていたようだ。しかし私は最近ボクシングの試合は、興味がないので見ることはないのだが、おそらくチャンピオンというたぐいの人間が横にいても気がつかないし、興味など持たないと思うが、むしろ最近ではお笑にいじられたり、共通語が話せないそういうたぐいの人たちに対してげんなりしている。
昔ハワイである世界チャンピオンと食事をしたことがある。その人はヒスパニック系の人で、私のもとコーチアレンがが親しかったのだが、ハワイに遊びに来るならば、紹介してやるとうちの妻とハワイに遊びに行った時に紹介された。
で実際その人と、今では有名でガイドブックにのっているレストランで食事をしたのだが、話自体はそう面白くなく、パンチは一流でも話術は三流であった。
それでも相手は私のことを気に入ってくれたのか、次の日暇だったら俺の練習を見に来いということで、次の日彼専用のジムに練習を見に行ったのだが、さすがにチャンピオンとあってパンチのキレははんぱなものではなかったのだが、終わってから俺がミットを持ってやるとチャンピオン直々にミットを持ってくれたが、それは私にしてみれば有難迷惑で、1ラウンドのミットではあったがへとへとになったことをおぼえている。
さらに話を聞くと、ホントかウソかはわからないが、彼はあの有名なK1選手と親しいらしい。
もし来ていたら会わせてやるとか、俺の名前を出せば訪ねて行っても大丈夫だ言っていたが、しかし私は格闘技には興味がない。仮に会えたとしても格闘家のおっさんと会うことは断固拒否する。
結局この人とに二日間お世話になったが、名前は覚えていない。
そのことをクラブの人たちに言ったら私らしいと笑っていたが、興味のないものにはまったく関心を示さないのが私金虎英である。
ただハワイには金持ちのボンボンの留学生がいて、私の知り合いの香港人はめちゃめちゃ有名な映画スターのおいにあたるらしく、以前レナードとかタイスンのサイン入り写真がジムにころがっていて、それを見た会員がこれどうしたんですかというので、ああそれ映画スターの○○のおいにあたる奴にもらったやつと言ったのだが、そういう奴が時々いることも確かである。

今日はクロルリガ、ホンマかよということで、書きたいが前にも言ったが「練習はうそをつかない」と言うことをよく言う、しかしこれこそ大嘘であって、クロルリガだ。
練習をしすぎると疲れがたまったり、ケガをしたりすることもある。さらにしすぎるとスランプと言うこともあるが、一生懸命練習すると必ず報われると言うような言葉はタブーであり、そういう迷信が日本人の競技者の失敗につながったことも事実である。
たぶん疲労骨折なんて日本人独特のケガの症状であると思っている。
むこうでは練習したら必ず程度な休息を求める。まず骨折をするぐらいに練習することは異常だと考えると思うが、それでも日本人が一生懸命練習するのは、練習こそが勝つためにすべきことだと、異常にこだわるからだ。
しごきなんていうのもその延長線上にあるもので、バカげている。
第一暴言をはかれたり、理不尽なリンチまがいのスパーリングが試練だと考えること自体異常であって。
まともなものの考え方をしていたならば、こういう暴言やしごきにたえていくはずはない。
私の洞察では、そういうことについていける人間は、自分の意志など持てない人間だ。コンプレックスが強く、自信がないので暴言をはかれても、理不尽な練習を強いられてもそれについていくことしかできない、弱い人間だからこそ、こういうバカげたことでもあまんじて受け入れるしか自分の道は開けないと錯覚をおこすのだろうと思う。
しかし人間は自分が思っている以上に能力がある。若ければなおさらのことである。
前にも言ったが日本のクラブは一つのことに専念させすぎるところがある。
何かひとつのクラブに入ると他のことができないというシステムでは、本当に自分にあったスポーツなど選ぶことなどできない。
日本では、ひとつのことをやってそれがあわなければ、途中で次のスポーツをはじめることは難しい。なぜならたいていのクラブは一年生からはじめるからで、クラブを始めるとそれがすべてになるので、結束がつよくなり、そうなると途中から入って来て人間関係を築くのは難しいことである。
正直な感想だが軍団で固まっているクラブのメンバーは個性がない。狭い世界だけで生きているのでいわゆる世の中のことを見ようとしない井の中の蛙だからで、そういう小さい世界でしか生きることができないから、何とかチャンピオンとか何とか何位というわけのわからない肩書に、たとえそいつがバカでチンピラのような奴であってもすごいとだまされるのだ。

これに対して以前ここに来ていたフランス人の高校生がいたが彼女はおとなしいが非常に個性的であった。
彼女がのこした言葉がある。
それは震災でフランスにかえることを余儀なくされて、別れの時間を惜しんでいる間もないほど早く帰国させられたのだが、その彼女が最後に出さなくてはいけない報告書にこう記されていた。
それはあなたが日本に来て一番楽しかった思い出は何かと言う質問であるが、それに対してこう書かれてあった。
「一番楽しかったことは何ひとつもない。なぜならば毎日が楽しかったからだ」
15歳の少女が書くには粋な言葉であるが、何一つないとうちけしてから、毎日が楽しかったと言う、この言葉には彼女の個性があふれている。
この言葉は彼女がこの日本を勉強の場として選び、このホームをファミリーとして選んで、精いっぱい生きたあかしであると思う。
小さなクラブと言う村に閉じこもっていては何もできない。先輩や親玉の顔色をうかがったり、その世界だけがすべてだと錯覚を起こすようなシステムはバカげている。
私は彼女に日本人にない何かがあると考えているが、それをしいて言うならば常識を打ち破る想像力と冒険心であるが、それは若い人ならだれでももっている、しかし親玉の顔色をうかがうような小さな村で生きているだけでは決して育たないと思っているが、その常識を打ち破る想像力と冒険心がここ日本の留学を決意させた、そしてだからこそそれだけ深い体験ができたのではないかと思っている。
今年の夏彼女がまた再びやってくる大学生になったそうだが、その休みを利用してくるそうだ。
実は彼女の部屋はまた必ず来ると言うので、そのままにしてある。最後に残していった書置きもそのままおいている。





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