脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

サル化するジム

2021-05-18 | Weblog
最近サルの動画を見て行動学的なことを研究している。おおまかにいってサルの群れと人間の群れのひとつの大きな違いは譲り合いができるかどうかだ。
山極寿一氏は「サル化する人間社会」の中で次のようなことを言っている。
「ヒトは本来家族集団に所属しながら、コミュニティ集団(平等や互酬性を基本とする)に所属している。家族集団は食を分け合うことを基本にしており、お互いに関係性を作り、煩わしくもある反面、そこへ所属していることは喜びや満足に繋がっている。しかし一方コミュニティ集団(サル的)は競争的な社会で集団に安定性はない。人間の社会性とは、奉仕の精神、互酬性(コミュニティ的)、そして帰属意識であるということである。」
確かにサルにはボスを中心とした秩序はあるが、しかしそれは力関係によるものだ。現に餌をくばると奪い合う、もちろんそこでは力の強いサルが多くのものを得れるわけだが、人間の群れでも力関係がその群れでの優位性を決めるのはサルの群れに近い、所謂その著者によれば自分の利益ばかりを求める競争的な社会はサルの社会に近いと言うことである。
サンドバッグやミットうちが、そこで幅を利かせている人間が優先されて、健康維持やダイエットは隅においやられて、同じような権利をもってトレーニングができないというのは、はっきり言って不公平だ。いい大人が若い競技者にしかも世の中でははるかに自分よりも格下の人間に遠慮するのは社会ではメチャクチャな話、トレーニングの優先性も競技者や若くて血気盛んな人間が優先で、そいつが余裕ができた時にゆずってもらって、ありがとうございましたなんて言うのもばかげた話だ、日本人は人がいいからそれでもそうしてもらうと「彼はやんちゃそうだけどねはいい人間だ」なんて言う人もいるだろうが、しかしうちのジムでは決して大人がみじめになるようなことはさせない。こういうことを言うと自分たちは平等だと思う人もいるだろうが、そこにどういう人たちが来ているか、そしてしっかりと管理しないと、自ずとその群れはサル山のようになると言ってきたことである。
うちのクラブではミットうちで多数の人がいる時には、トレーナーやベテランの人は「誰が一番最初に来ましたか」と聞いてくれる、私が指示したわけでもないのだが、みなさん平等性を考えて来た人から順番にミットを持ってくれる。個人の利益と効率を優先する社会はサル化していると山極氏の言うように、自分ファーストでしか物事を考えることができない人間は群れの中では害になる、そういう類の人間を私はDQNと呼んでいる。
自分で言うのもなんだが私には大きなアドバンテージがある。それは自分の思っていることをきちんと言葉化できること、そして人間の行動や心理をよく理解してその群れを管理していることであり、それらは管理者にとって必要不可欠なことだと思う。

参考文献
山極寿一「サル化する人間社会」



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