脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

語学、読書そしてクラッシック  語学編

2019-01-14 | Weblog

これはある会社での体育会系の上司の話。そこは最近海外進出してきた企業で、海外留学組なんかを採用して、社員のレヴェルがあがったそうだが、その上司はある女性社員のことが非常に疎ましいと言うか、帰国子女である彼女がはっきり意見をいうことにたいして、いささか不快感を持っていたらしい。ある時彼女と意見が衝突した。彼は自分の考えを力説するのだが、彼女は合理的ではないと反論、そして彼は怒って、俺の言いたいことがわかってないのかと言う意味で、よくある「お前日本語がわかるのか」と怒鳴ったそうである。普通体育会系の人間にどなられたら、自分たちのようなへたれはおじけづいてしまうが、しかし彼女は違った。ひるむどころかその女性は逆に英語でまくしたててきて、その上司はたじたじになったという話であるが、もう21世紀で英語が社内の公用語になろうとしている今、お前日本語わかるのかではなくCan you speak english?もう能力もないのに先輩というだけでいばったりできる時代ではない、これからは家父長制、上意下達の体育会の常識は通用しないと思う。私は今スポーツにおいて英語は不可欠だと思っている。これから東京オリンピックがはじまるのに、親玉が英語ができないとダメだ。言葉がわからないからとぞろぞろと通訳をつけて歩き回ったり、首から翻訳機でもぶらさげて歩くのだろうか?翻訳機なんか使っても時間がかかるし、会話だと話がかみあわない。そして何よりもみっともないと思う。

私は実際にひとりで外国のキャンバスにあがって試合をしたことがあるが、やはりそこで言葉を理解できるのと理解できないのとでは全然違うと思う。自分が何かを主張する時直接自分の言葉で表現するというのは競技することにおいては必要不可欠だと思う。前ボクサーがアドラーを読んでいるみたいなことを言っていたことについて、私はアドラーの論文は日本語に訳されていないのでボクサーが言うのはアドラーではなく、アドラーについて書かれた本だというようなことを言ったと思う。アドラーは最近心理学では有名になってきたが、しかしそれでも訳本がでているのはわずか、医学書は新しい本が出たらすぐに訳本になると言っていたが、たぶん医局が強い力を持っていて、組織がしっかりしているからだろう、しかし結構参考になったり、重要な文献が思った以上に日本語に訳されていないのも事実である。今この時代英語は不可欠だということを理解している人間はスポーツの世界ではそういない。特に小さい社会でそれしか知らないというような人間は全くそのことが理解できないと思う。もしアマチュアスポーツがクーベルタンの提唱したオリンピズムに基づいて、肉体と精神を鍛えるならば、英語を理解してグローバルな視点を持つことは不可欠なことだ。

よくテレビにスポーツ選手が出てきてどんな車を持っているとか時計の値段がいくらしたとか、仲間のいじり話をしたりする番組があるけど、あんな部室で話すようなくだらない話、私は全く面白いとは思わない。なぜああいうことしか言えないのか不思議だ、世界に行って何を見てきたのだろうか?もっともっと世界に視点をひろげたら日本という国はいかに裕福でそれよりも貧しい国がたくさんあって、女性や子供が虐げられたり、弱いものが差別されたり迫害されたりしている。そういう現実をよく理解して、それを受けとめることも大事であり、それがクーベルタンの言うオリンピズムではないのか?言葉をおぼえてこの裕福な日本以外の国のことを体験することは人間の感性を磨くためには不可欠な体験である。あほなアスリートは女性のことと刺激を満たしてくれることにしか興味を持たないように思っているが、私も昔は自分のことしか考えられなかった人間だった。けれどもアメリカという国で実際に韓国という国に向き合った時に、こういう現実もあるのかと心をうたれ、自分がにげてきた現実に目を向けて、それから多少なりともその自分が感じたことに対して何か協力したい、人の役に立ちたい、人の役に立つ仕事をしたいと思った。言葉を理解すると世界が広がる。世界の人達と気持ちをひとつにするというのはスポーツを共に競技することでもあるけれども、そこからもっとさらに相手国の現況をよく理解してその痛みを共有して自分たちには何ができるかということを考えることも必要だ。それがオリンピズムに基づいたスポーツ哲学であると私は理解している。それはスポーツをするということはどういう形であっても世界に目を向けるということであり、英語が不可欠だ。

私は最近韓国人に対してみる目が変わってきている。特に若い子たちだが、私はどちらかというとうらみもあるし、いろいろ聞いているので民度が少しひくいと思っていた。少し前だったか海外の大学に留学していた若い人が韓国人のことをよく言っていて、少し驚いた。彼の印象では私が思っている韓国人の印象はなく、礼儀正しいフランクな人たちであった。たぶん私が言う民度がひくいと思っているのは386世代より上の世代の人たちで、それは例外もあるけれども最近の韓国人は他の国から評判がいいのも確かである。たぶんそれは彼ら彼女らが言葉をおぼえて外の世界に出ていっていろいろなことを体験しているからだと思う。夏にあるテレビ番組で俳優が貧しい国に行って奉仕する番組がある。それも1日や2日ではなく10日ぐらいのロケに出てその現実をうけとめて奉仕するという番組だが、もちろん女性はすっぴん、そういう番組の背景には彼ら彼女らが外に出て行ってその世界の現状を多少なりとも理解しているということかも知れない。


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