脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

隣を見るな前を見ろ。

2018-08-19 | Weblog

ラッキースターと交流戦があった。佐藤代表からメッセージをいただいたが、今回うちの選手が最優秀、佐藤代表も取るべき人物がとってよかったと言っていた。実は私は彼は上手になると確信していた。私が上手になると言う根拠はまず楽しんでそれをやっているかと言うことそして土踏まずがあがっていることだ。土踏まずが上がっているというのはフットワークに非常に有利で踏み込みが早いということでもある。最初マスをした時に何か足がバタバタしていてリングのサイドにあるものを次々とけり散らしていたが、この時思ったのはまだ彼は自分のフットワークを制御できていないからで、リズムができたらうまくなると思っていた。そして同時に体感を鍛えていたので、このことによってだいぶその動きが制御できるようになったのだと思う。私はあまり彼について面倒をみるわけでもないし、アドバイスもしない。むしろこういうできる競技者よりも女性やビギナーのおっさんの指導のほうが大事だと思っている。でも私の持論ではうまくなる人間はほおっておいてもうまくなる。彼は自分が現役だったら少々やっかいだなあと思える競技者であることは間違いない。そういうこともひっくるめて上手になる言っているのだ。ちなみに私は自慢ではないが全盛期と言われている時代にその国で競技してきた人間、そこで何十戦もしているのだから本能的にこいつはうまいかどうかということはわかる。その私が言っているのだから自信をもってこれからも楽しんでボクシングを続けてほしいと心から思うし、その気であれば本気で協力したいと思っている。

ただボクシングと言うのは簡単にタイトル見たいなものがとれるスポーツでもある。一回勝ったら優勝とか、負けても準優勝とか、私はそういうことにあぐらをかいて自慢する人間はダメだと思うし、こういう奴はあまり相手にしたくない。何よりもボクシングは上を目指せば目指すほど自分の実績が相対化されて小さくなっていく、そういう中で常にチャレンジ精神を持ち続けるのが競技者ではないかと思う。以下の文章は私がハワイで経験したことをつづつたブログであるがこのブログの抜粋で締めくくりたいと思う。

でもこてんぱんにやられたからこそ見えてくるものもある。偉そうに言わせてもらうが、誰も自分のことを知らない国で一生懸命思い切りやって限界を知る。その限界を知ることで見えてくるものも大きい。私はクンナッソ(終わった)と天を見上げたが、しかしそれはこれでよかったということで、やり遂げたという気持ちである。最初ここにきてパンチがあたらなかったので、悔しくて悔しくてずっとリングを見ていたら。ジョージが声をかけてきてくれたことではじまった彼と二人三脚で歩んだボクシング、そこそこ強豪のアメリカ人と対戦して勝った時は、単純だが、東洋人も彼ら彼女らと対等にやれると思ったし、メダルも取れた。そういった経験が私の中で自信になっていったことは確かである。けれども自分の実力なんて相対化されればされるほど小さくなっていく。そして一生懸命やればやるほど、自分の限界や現実を受けとめなくてはならない時があるのだ。人間は前に進むためには、時には大切なものを捨てなくてはいけない時もある。でもしかしその捨てたものが正しければ年とともに思い出となり、その人の年輪となる。それは決して今しがみつくものではないが、それが年をとって思い出となって自分の軌跡を振り返った時に、自分の生きてきたことはよかったんだと振り返ることができる。それが年を取ってからの人間の幅や自信になると思う。私は本当に向こうでは小さい存在であったと思う。そしていくら頑張っても認められることはなかった。そういう平凡なちっぽけな存在である。けれども一生懸命挑戦することで自分の軌跡をのこすことができた。そしてそのことを今振り返って後悔はない、それは私を語る上での本当の年輪になっていると思う。

 

 


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