風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

「姿かたちは変わろうと、捨ててはならぬものがある。それも文明ではござらぬか?」

2017-11-07 11:34:01 | 名ゼリフ










平成26年(2014)公開の映画『柘榴(ざくろ)坂の仇討』。


原作、浅田次郎。監督は若松節朗。「桜田門外の変」に関わった、二人の男の物語。




彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は、藩内随一の剣の腕を見込まれ、彦根藩主にして幕府の大老を務める井伊直弼(中村吉右衛門)の近習、警固役に取り立てられます。


吉右衛門さん演じる井伊直弼は、配下によく気を配る、茶目っ気ある優しい風流人として描かれ、「赤鬼」と恐れられた政治家としての一面は一切描かれません。それはそのまま、中井貴一さん演じる志村金吾の知る井伊直弼の姿です。志村はこの主人のことが、人として好きでした。



雪の降りしきる3月3日、井伊直弼一行は彦根藩上屋敷を出て、江戸城桜田門へ向かいます。その一行の前に、一人の侍が訴状を手に井伊の乗る駕籠の前に進み出ます。


直訴は死罪が御定法。この命がけの行動に井伊は、「命がけで国を思う者を無下にあつかってはならぬ」と、訴状を受け取るよう指示します。

と、突然その男が刀を抜いて斬りかかる。それに呼応して何処ともなく現れた侍たちが一斉に斬りかかってくる。


突然のことに動揺する彦根藩士たちは次々と斬り倒され、志村は咄嗟に脇差を抜いて刺客の一人を追い詰めますが、志村が行列から離れている間に井伊直弼が討たれてしまいます。



己の役目を果たすことができなかったことを悔やむ志村。


志村の役目不行き届きに、藩は打ち首の裁定を下しますが、志村の両親が自害して果てたことに免じてこれを取り下げ、逃亡した刺客の首を上げて、直弼の墓前に供えるよう命じます。




逃亡した刺客は全部で5名。志村はこの5名を探しますが、なかなか見つけることが出来ない。そうこうするうち刺客たちが逃亡先で次々と命を落とし、残ったのは僅か一名。志村はこの一名を、明治の御代になって、彦根藩も幕府もなくなってしまった後も、変わらず追い続けます。



桜田門外の変より13年経った文明開化の世に関わらず、髷を結い月代を剃り、袴姿に腰に二本の刀を手挟み、志村は東京の町を、主君の仇を討つため歩き続けるのです。




一方、刺客の生き残りである佐橋十兵衛(阿部寛)は直吉と名を変え、刀を捨て車夫となって、東京の片隅でひっそりと暮らしていました。

世の中は結局、井伊様のおっしゃったとおりの方向に進んでいった。その点で井伊様は間違っていなかった。


佐橋はその点を申し訳なく思い、新たな名前に直弼の「直」の字を頂いて「直吉」と名乗り、直弼の墓のある寺の門前で一礼をする日々を送っていたのです。

佐橋は死に損ねてしまった自分のことを、討ちに来てくれる者を待っている……。






本日の表題は、元幕臣が多く勤めている新聞社を志村が訪ね、佐橋の情報を問いかけるシーンでのセリフです。応対にでた新聞社の財部(吉田栄作)という男が、

「これからは万国公法に則って外国と渡り合っていかねばならん。今更幕府だ水戸藩だと古いことを言っていたら、いつまでたっても文明国とは認めてもらえんぞ」

と言ったのに対し、志村が


【姿かたちは変わろうと、捨ててはならぬものがある。それも文明ではござらぬか?】



と返した。これに感じるところがあったのか、財部は志村に対し、

「お侍、お役に立てず申し訳ない」と深々と頭を下げるのでした。


おそらくは財部も元侍。志村の侍としての矜持に感銘を受けたのでしょう。





さて、ここで云う「捨ててはならぬもの」とは、つまりは武士道精神ということでしょう。では武士道とは何か。



「武士道とは死ぬこととみつけたり」などといいますが、この「死ぬこと」というのは、実は「生きること」というのと同義なんですね。



常に死を意識しながら、日々を懸命に生きる。いつ死んでも良いように悔いなく生きる。それがつまりは、「死ぬこととみつけたり」ということの本当の意味だと私は思っています。


武士道とは死を意識しながら生き抜く道なんです。




この映画には、真から悪い奴は一人も登場しません。皆それぞれの立場から、国の行く末を憂いていた「国士」として描かれています。


井伊直弼は言います。自分の生死は天が定めることで、自分には分からぬことだ。人はただその日が来るまで、懸命に生きよということだ、と。

井伊は自分がいつか暗殺されるであろうことを覚悟の上で、それでもお国のために自分が為すべきと思う事を懸命に成していた。だからこその

「命がけで国を思う者を無下にあつかってはならぬ」

なんですね。




志村に佐橋の情報を伝えた司法省の役人で、元幕府評定所御止役・秋元和衛(藤竜也)は、雪の中で懸命に咲く一輪の椿の花を見ながら、「まるで懸命に生きよと云っているようだ」と呟きます。






本当の武士道とは懸命に生き抜くための道。仇を討つのも武士の道かもしれませんが、果たして志村は、佐橋は、「今」を懸命に生きているのでしょうか?


「怨み」や「怒り」の観念は人の心を縛り付け、「時」の一点から動けなくさせてしまう。志村の心は、事件以来主人が討たれたあの現場から一歩も動いてはおらず、佐橋もまた、死に損ねたその場所に想いを残したまま一歩も動けずにいた。

彼らは二人とも、「あの」一点に心を残したままで、「今」を生きてはいないんです。



果たしてこれは、本当の武士道なのだろうか?




秋元から得た情報をもとに、志村はついに佐橋と出会います。降りしきる雪の中、佐橋の曳く車に乗せられる志村。

これまでのお互いの人生を淡々と静かに語り合う二人。やがて車は柘榴坂に至ります。この先にあるのは、「あの」事件の起きた場所……。



果たして二人は、殺し合わねばならぬのか?



「今」を取り戻すことができるのか?










縄文文化は縄文「文明」などとも云われ、日本の文化文明の基層であると云われています。


文化文明は、それを貫く「芯」というべきものが必ずあるものです。そうして武士道とは、その芯の部分から沸き立ってきたもので、表面の姿かたちは変わろうとも、その本質は日本人一人一人の心の中に連綿として伝えられていると、私は信じます。



この「芯」を無くしてはいけない。これは絶対に守り抜かなければならないものです。遥かなる太古より伝えられ続けたものをただ「古い」というだけで、簡単に捨てちゃいけない。我々の世代にそんな権利はありません。



先人より伝えられてきたものを後世へと伝えていく。それが「今」を生きる我々に与えられた使命です。


伝えましょう。日本文化、日本文明の「芯」を。




【姿かたちはかわろうと、捨ててはならぬものがある。それも文明ではござらぬか?】




この言葉に、あなたは何を感じるでしょうか?