「浦島太郎」は、
亀を助ける
竜宮にいく
竜宮でのもてなし
竜宮からかえったあと
と四つの段落にわけられます。
再話の場合、どこかの部分がふくらまさせられています。
前に、今知られている物語は、明治43年の国定教科書にのっているということがありました。
「浦島太郎」は、丹後(京都)が舞台ですが、大岡信の(遠いむかしのふしぎな話 おとぎ草子/岩波少年文庫/1995年)おとぎ草子の現代訳をみると、別れの場面、元の浜辺にもどった場面、玉手箱をあけた場面など、随所に和歌がでてきます。
結末も、浦島が鶴に変わって、神仙の住む蓬莱山にゆうゆうと舞う身になり、亀は亀で万年の寿命を生きるというめでたいおわりかた。
人には情けあり、情けあれば行く末はめでたいとあります。
乙姫はでてこず、亀が浦島太郎の妻になります。
春、夏、秋、冬ごとの竜宮城の景色の表現も、普段なじんでいるものとは大分異なります。
御伽草子というのは、室町時代から江戸時代前期にかけて作られた数多くの短編の物語を、総称していうようになったようです。
イタリアにも同様のものがありました。
「海底の王国に行った船乗り」(世界の水の民話/日本民話の会 外国民話研究会・編訳/三弥井書店/2018年)は、船乗りがのっていた帆船が難破し、浜辺で気を失っていると、そこへ大きな亀がやってきて海底のすばらしい城にいきます。船乗りは、そこであったネプチューン王の一人娘と暮らすようになります。
船乗りが両親に会いに地上にもどろうとすると、娘は蓋をした小箱を与え、けっして捨てないようにたのみます。
船乗りが故郷に戻ってみると、なにもかもかわっていました。亀に出会ってから百年も経過していたのです。
気落ちした船乗りが小箱をあけると、長く白い髭の老人にかわっていました。
亀を助ける
竜宮にいく
竜宮でのもてなし
竜宮からかえったあと
と四つの段落にわけられます。
再話の場合、どこかの部分がふくらまさせられています。
前に、今知られている物語は、明治43年の国定教科書にのっているということがありました。
「浦島太郎」は、丹後(京都)が舞台ですが、大岡信の(遠いむかしのふしぎな話 おとぎ草子/岩波少年文庫/1995年)おとぎ草子の現代訳をみると、別れの場面、元の浜辺にもどった場面、玉手箱をあけた場面など、随所に和歌がでてきます。
結末も、浦島が鶴に変わって、神仙の住む蓬莱山にゆうゆうと舞う身になり、亀は亀で万年の寿命を生きるというめでたいおわりかた。
人には情けあり、情けあれば行く末はめでたいとあります。
乙姫はでてこず、亀が浦島太郎の妻になります。
春、夏、秋、冬ごとの竜宮城の景色の表現も、普段なじんでいるものとは大分異なります。
御伽草子というのは、室町時代から江戸時代前期にかけて作られた数多くの短編の物語を、総称していうようになったようです。
イタリアにも同様のものがありました。
「海底の王国に行った船乗り」(世界の水の民話/日本民話の会 外国民話研究会・編訳/三弥井書店/2018年)は、船乗りがのっていた帆船が難破し、浜辺で気を失っていると、そこへ大きな亀がやってきて海底のすばらしい城にいきます。船乗りは、そこであったネプチューン王の一人娘と暮らすようになります。
船乗りが両親に会いに地上にもどろうとすると、娘は蓋をした小箱を与え、けっして捨てないようにたのみます。
船乗りが故郷に戻ってみると、なにもかもかわっていました。亀に出会ってから百年も経過していたのです。
気落ちした船乗りが小箱をあけると、長く白い髭の老人にかわっていました。