ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ツバメが!

2018-05-24 15:21:22 | ある日の日記
 今日のお昼、少し早めに母の誕生日を祝うためのランチに。 月一度くらい、通う総社郊外のイタリアンレストランです。

  
 まず、出て来た前菜とグリッシーニを味わっていると、かすかに空気が震えたような……思わず上を見ると、いました!
 開いた窓から入ってきたらしい、二羽のツバメが。  下の二枚が、店内でウォッチングした彼らの写真。

   
 う~ん、やっぱり梁みたいなところが好きなのか?
       

 こちらは、天井近くを飛んでいる、ツバメたち。よく見ると、胸元のところは赤く色づいていて、まだ子供の燕だとわかります。
 やっぱり、燕尾服を来た姿を思わせる、美しい鳥――それにしても、レストランに🍴鳥が入ってくるなんて、スゴク珍しいことのはず。そう言えば、この人気店も今日は空いていて、
店内にいた客は私たちだけだったような……。

 
これが食したメニュー。
 
デザートの皿には、「お誕生日おめでとうございます」のメッセージが、チョコレートクリームで絞ってあって、目を楽しませる演出!
このメッセージのお皿と、ツバメを間近に見たこと。 何だか、ランチがいつもの数倍楽しめた一日でした。  
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イミテーションゲーム

2018-05-24 09:04:37 | 映画のレビュー

何年も前、公開された時ぜひ見たかった「イミテーションゲーム」。でも、この度、📀DVDで観る機会ができて、大喜びの私。

以前取り上げた「ビューティフルマインド」に続いて、数学者の物語。でも、こちらの話の方が、よりシリアスで、救いがないといえます。   
主人公、アラン・チューリングは、早熟な天才数学者ですが、第二次大戦中、情報部に雇われ、ナチスの暗号「エニグマ」の解読グループに加わることになりました。

「エニグマ」という聞きなれない言葉自体、何かの暗号のようですが、実はこれ、ナチスが機密を秘密裡に通信するためにつくった暗号を指す言葉。史上最高難度とさえ言われ、連合国側の誰もが解くことのできなかったものなのです。
この暗号を解くためには、それを上まる緻密な頭脳と、「トロイの木馬」的発想が必要というわけですが、チェスのチャンピオンなども含まれる解読チームの中でも、アランのキャラククターはかなり特異。
傲慢で、まるでモンスターのようだ、というのが仲間うちでのアラン評。数学とか数式が、いつも頭の中で展開している人というのは、かくもエキセントリックなのかな? と見ている私もため息をついたもの。

「不思議の国のアリス」を書いたルイス・キャロルだって、本職は作家ではなく、数学者。この人も、一生独身だったし、「アリス」という理想の少女を心のうちに持ち、年端のいかない少女にしか興味のない変人でした(今だったら、もっと社会の見る目が厳しかったかも)。
おまけに、アランの場合、徐々に明らかになっていくのですが、当時は倫理的にも罪だとされていた同性愛者。歴史の秘密とされたエニグマ解読のドラマが明らかになったのも、彼が戦後、同性愛の罪で取り調べを受けていたことが、発端となっています。


自分の性向に苦悩し、同じ解読チームにいた、若く優秀な女性ジョーンと婚約してみるアラン。しかし、自分の心に嘘をつくことはできず、間もなく婚約解消ということになるのですが、モノローグのように織り込まれる追憶などから、アランの少年時代も過酷なものであったことがうかがえます。
学校時代もいじめを受け、床下に閉じこめられたりしたアラン――彼を助けた級友の少年、クリストファーに恋心を抱くも、彼は結核で死亡。

「ビューティフルマインド」でもそうでしたが、主人公はどちらも変人で、異端と言っていいほどなのに、不思議な魅力がある人物。この「イミテーションゲーム」でも、アランの冷たく、無感情でいて、一種の哀しみをたたえたような青い瞳には、こちらの気持ちを揺り動かすようなものがあります。
少年時代の友、クリストファーの名を取って、アランが作り上げた手作りのコンピュータが、エニグマを解読するという快挙を成し遂げるのですが、実はこれこそ戦後、アップルとかが作り上げたコンピュータの原型なのですね。
このことを取って、アラン・チューリングは「コンピュータの父」と呼ばれているそう。


さて、同性愛を糾弾されたアランの身に何が起こったか? 彼のスキャンダルは新聞沙汰となり、執行猶予のかわりにホルモン注射を一年間受けることとなります。
今では考えられないことですが、1950年代頃の世界って、まだまだ偏見があり、社会も寛容ではなかったのだなあ。
映画では、訪ねて来たジョーンの前で、コップを取るアランの手先が激しく震えていて、それに気づいた彼女に「いや、大丈夫。これはホルモンを注射しているせいだ」と言葉すくなに語る彼。
その心中の屈辱を思うと、見ているこちらもなんとも言えない気持ちになってしまうのですが、果たして、彼は事件後しばらくして、死を選びます。時に41歳。

アラン・チューリングが自殺してしまったから、長い時がたった後、ようやく、イギリスはこの天才数学者に謝意を示したということですが、あまりにも遅すぎたといえるのでは?

言葉だとかアートだとか、世界の表面を彩っているのは、文系人間の発想のようですが、実は世界を動かしているのは、理系の学問なのだろうと最近、痛感するようになった私です。
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レッズ

2018-05-24 08:02:33 | 映画のレビュー
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カリグラフィー作品の制作に忙しく、半月ばかりもブログの更新ができないままでした。でも、ようやく額装が出来上がるのを待つばかりになって、ホッ。
これで、今まで見終わっていた映画のことが書ける!
まずは、「レッズ」1981年のアメリカ映画です。 実は、この映画はずいぶん以前に観て、ロシア革命当時を取材したジャーナリストの生き様や、壮大なスケールの物語に深く感動した記憶があるのですが、それも歳月がたつとともに、肝心の内容もうろ覚えになっていました。
だから、再び「レッズ」に再会できて、懐かしい人にあったようなうれしさがこみあげてきたもの。



 何といっても、主役の伝説的ジャーナリスト、ジョン・リードを演じるウォーレン・ベイティが素晴らしい。この大スターに関しては、出た作品がどうというよりも、そのプレイボーイぶりが有名すぎるくらいで、名だたる女優や社交界の女性(その中には、あのジャクリーン・ケネディやマリア・カラスも)がロマンスの相手としてあがっています。
だから、こんな骨のあるジャーナリストという役柄を演じたことは意外にさえ感じられたのですが、何とウォーレン・ベィティは、この映画で主演ばかりか監督もしているのであります。
そして、その年のアカデミー監督賞も取っている――う~ん、凄い。お姉さんのシャーリー・マクレーンも昔、「アウト・オン・ア・リム」とかいうスピリチュアルな自伝を書いてベストセラーになったことがありますが、やっぱりこの姉弟には、特別の才能があるのでしょうね。

さて、お話に戻ります。アメリカ人ジャーナリスト、ジャック(ジョンの愛称)は、共産主義者なのですが、ふとしたことから人妻ルーシーと恋に落ちます(これを、ダイアン・キートンが演じていて、とってもチャーミング)。
ルーシーか家庭を捨てて、ニューヨークの彼の元にやって来るのですが、この二人に有名な劇作家ユージン・オニールとの三角関係がからんで、前半は恋愛的要素が強いです。

第一次大戦頃のアメリカって、こんな風だったんだ――としみじみ画面を見たのですが、海辺の優雅なコテージ、ルーシーのファッションといい、現代と重なるようで、やっぱり遠い昔の時代なんだなあと思わされるものがありました。
考えてみれば、ロシア革命があったのも、もう百年前。私たちの時代感覚からすると、歴史の彼方のことになってしまっています。




互いを必要な存在と感じたジャックとルーシーは結婚しますが、それでも気持ちの行き違いから、離れてしまったりすることも。ロシアへ革命を取材に行ったジャックの後をルーシーも追う事になるのですが、社会主義政権が、権力を握りつつある当時のロシアの状況は、本当に見ごたえがあります。
人民のための革命であったはずのものが、ごく上層の人間のものだけになりつつあるからくり――ジャックは、夢見た共産主義の実態に失望し、アメリカへの帰国を熱望しますが、それはかなうことはありません。
「一度、アメリカを出て、この国に入った以上二度と出ることはできない」。これは、社会主義の非情さをまざまざと感じさせた、作品中の言葉です。愛するルーシーに再会したい思いのジャックは国外逃亡を図るものの、阻まれ、中東の国々へ社会主義のプロパガンダのために旅立つことになります。

すでに腎臓を片方摘出するなど、健康をむしばまれていたジャックは、ロシアへ戻った後、奇跡的にルーシーに巡り会うものの、チフスのため病院で世を去る……これがラストシーンですが、いかにも閉ざされた国といった感じのする、暗い洞窟のような病院で、アルミのコップに水を汲んで病室に戻ったルーシーの前で、ジャックが死んでいたというのは、胸がしめつけられるような余韻を残しましたね。

こんな革命の嵐が吹きすさび、実験国家が成立したばかりのロシアに一人取り残されて、ルーシーはどうなったのだろうか? そして、アメリカ人でありながら、帰郷がかなうことはなく、クレムリンの一角に葬られたジャックを思うと、シンとした気持ちにさえなってしまいます。
ジャック(ジョン・リード)は、ロシア革命を取材したルポルタージュ「世界を揺るがした十日間」で、伝説的ジャーナリストとしての名をなしますが、実言うとその書名さえも聞いたことがありませんでした。だけど、この際、ぜひ読んでみたいもの。
1920年、亡くなった時、まだわずか32歳の若さ。激動の歴史に立ち会い、若い命を散らした青年の軌跡。本当に見ごたえのある作品で、見終わった後も、深い余韻にひたされます。
これを映画化しようと思ったウォーレン・ベィティにも、彼の豊かな才能にも乾杯。
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雨降る日に・・・

2018-05-07 14:49:54 | カリグラフィー+写本装飾
  
手書きのカリグラフィードを二枚作る。 
「Bonjour」とルタンダ体で書き、中世フランスのタペストリー「貴婦人と一角獣」の中の犬が描かれた部分を、塗り絵方式でつけくわえたもの。

知人の方たちにお送りしようと思ったのだけど、まだギルド展へ出品する作品の方が……すんでおりませぬ。

これから、かかりませう。
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心は旅に・・・

2018-05-03 08:42:53 | 本のレビュー

先月、所属している児童文学サークル「松ぼっくり」に出席した時、突然Kさんが「これ、かしてあげる」と二冊の本を差し出してくださいました。

それが、上の本――「明日は、いずこの空の下」、「物語ること、生きること」であります。どちらも、上橋菜穂子さんのエッセイ・講演(を、文章にまとめたもの)。
実言うと、まだ「明日は…」の方しか読んでいないのでありますが、ページをめくってみると、ふうわりと異国の風の匂いが立ち昇るような旅行エッセイ。

色彩豊かでおおらかな文章でつづられたエッセイは、上橋さんの豊かな感性がうかがえて、いい時間を過ごさせて頂きました。実言うと、彼女の書かれるファンタジーは、すごいなあと思いこそすれ、個人的好みには合わなかったのですが、エッセイの文章はとても素敵!
アイルランドの街角や、上橋さんのもう一つの文化人類学者としての顔がのぞく、オーストラリアでのフィールドワークで見聞きしたこと――目からウロコがおちまくる体験がこれでもか、とばかり書かれて、面白い。

そうか~、アボリジニとか向こうの人達は、羊やカンガルーのしっぽなどを、「ごちそう」として喜ぶんだ……しかし、上橋さんに言わせると、ウッと言いたくなるほど、アンモニア臭くて(排泄器官の近くにあるのだから、当たり前かも。でも、想像するこっちも、ウッとなりそうなほど、リアルな体験であります)、おいしいなどとは思えない代物だったそう(しかし、その後、彼女もカンガルーの方は、おいしいかも?と思うようになったそう)。


まだ見ぬ、オーストラリアの大地。私も、ぜひ行ってみたいもの。しかし、その前に体力つけるのと、エレベーター恐怖症を何とかせねばや
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エデンの東

2018-05-02 20:59:28 | 映画のレビュー
ああ、ついに……! あの懐かしいジェームス・ディーン様に再会いたしました。
春も終わりかけてしまった、ある日の午後、例によって「キッチン・ロードショー」を開催しながら、私の目が釘付けになっていたのは、画面で繰り広げられる
「エデンの東」。
この映画も、その昔まだ中学一年だった頃見て、その後何度か見たものの、ほぼ三十年ぶりの再会じゃないかしら?
そして、画面の中にいるのは、永遠に若いままのジミー様!ではありませぬか。  う~ん、今の自分の年齢を忘れて、うっとり見ほれ、その後泣いてしまいました。
   
麗しの青春スター、ジェームス・ディーン様のお姿は、こういう感じ。


このお話は、かなり昔でありまして、1917年だったか、第一次大戦頃のアメリカが舞台。でも、ジミーこと、キャルが作中で着ている白シャツや砂色のセーターといい、そんなに今と変わらない感じ。
文豪、スタインベックの原作を、エリア・カザンが忠実に映画化した、この作品は聖書のカインとアベルの兄弟をモティーフに、優等生の兄と孤独で斜に構えている弟との対立や、父親への愛情を求めてあがく姿を描いたもの。

もちろん、こうした影のある屈折した若者役は、ジミーのはまり役。 ここでも、彼――キャルは、父の関心を引こうと、キャベツを氷で保冷して、列車で運ぶ案を出したり(この冷凍庫がないという設定が、やっぱり時代を物語りますね)、兄アーロンの婚約者であるアブラと、心を通い合わせてゆくなど、全身から「切なさ」のオーラ
を醸し出していて、観客を捉えてしまうのであります。

あまりに有名な映画なので、ここでストーリーをくだくだしく説明するのも、野暮というもの。だから、思いっきり端折ってしまいますが、やはりこの頃のアメリカの情景や匂いが、画面から漂ってくるのが、一番の魅力。
小さな野外の遊園地では、やっぱりコンパクトな観覧車があったり、射的場があったりして、何だかトルーマン・カポーティーが自分の子供時代を追想して書いた短編小説を思い出してしまいました。


ジェームス・ディーン――1955年。愛車ポルシェを走らせている最中、激突して死去。享年、24歳。 この青春スターの残した映画は、この「エデンの東」の他、「理由なき反抗」、「ジャイアンツ」の三作しかありません。
そのいずれもが、孤独で不器用で、その癖、デリケートな魅力を兼ね備えた青年像。 スクリーン上だけのイメージかと思えば、実在の彼もまったく、そのような人物だったみたい。
イタリア人女優、ピア・アンジェリへの失恋や、内向的だった少年時代。
私の中学時代、愛読していた映画雑誌「スクリーン」には、しょっちゅう彼に関する記事があって、彼に関する本を買い、等身大のポスターも部屋の壁に飾っていたもの。

しかし、時間という魔法は、人の気持ちをも移ろわせていくようです。あれほど、「永遠の青春スター」という形容詞と共に語られていたジミーの写真イメージも、雑誌で見ることが少なくなりました。彼のことを知らない人たちも、多くなったのでは?

それでも、この三つきりの作品の中に封じ込められた、ジミーの記憶は永遠に残るはず。 古き良きアメリカの風景の中、やや猫背の体をかがみかげんにして、上目遣いにこちらを見る彼の姿は、不滅であります。
 
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