ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

レッドタートル

2018-10-29 03:48:29 | 映画のレビュー
  
ジブリ映画「レッドタートル」を観る。フランス人監督の制作になるもので、今まで「となりのトトロ」の系列に連なるジブリものを見慣れた者の目から
見ると、とてつもなく新鮮、かつ斬新な作品。


     
大洋に浮かぶ、ある無人島に、なぜか一人の男がいる。彼は、何度もいかだを組んで、島から脱出しようとするのだが、なぜか島からようやく逃げ出せそうとした瞬間、いかだが突然壊れ、島へ帰らざるを得なくなる。
ある時、そのいかだを壊しているのが、大きな甲羅を持った赤い亀🐢――レッドタートルだと気づく。

またもや島へ変えらざるを得なくなった男は、腹立ちまぎれにレッドタートルを足蹴にし、浜に転がす。仰向けになったまま、体をもとに戻せない🐢をそのまま放置しておくのだが、やがて心配になり、体を元通りひっくり返してやろうとする。
だが、🐢の甲羅はあまりに重く、どうやら亀も死んでしまったらしい。
ところが、次の瞬間、🐢の甲羅にひびが入り、中から姿を現したのは、何と赤毛の美女だった――。

男と美女は子をもうけるが、その息子はやがて、青年になった頃、どこかへ旅立つ。三匹の亀がなぜか、息子の供をするらしい。

男と女はやがて、年老い、男は死ぬ。すると、驚くべきことに、女は再び、赤い亀(レッドタートル)に戻り、海へ帰ってゆく。


これが、全編のストーリー。正直言って、面白いというより退屈だった。時々、小さな叫びがもれる外、登場人物は、皆無言というサイレント映画なのだ。
だから、独特の映像美が際立つのだが、説明されないことがあまりに多すぎて、チンプンカンプンな人もいるんじゃないだろうか?

まず 1.妻となった美女は、レッドタートルだった。彼女は、なぜ、男が島を出て行くのを阻止したのか?
 
   2.レッドタートルは、自分を足蹴にし、ひっくり返したまま、ひどい目にあわせた男の妻になろうなどと、どうして思ったのか?

   3.息子はどこへ旅立ったのか?

   4.男はなぜ、無人島にいたのか? どうして、そこへ流されることとなってしまったのか?

   5.レッドタートルと結ばれた後、男はどうして、再び、島を出ようとしなかったのか?


こうした疑問が次々浮かんでくるのだが、無声映画だから、だれも物語の中で説明してくれない。黙って、この寓話を楽しめばいいじゃないかと言われそうだが、
フラストレーションがたまって、「??」でいっぱいの状態。
あまりに今までのジブリと作風や色彩感覚からして違うのに驚いたが、これは高畑勲の遺作「かぐや姫」を見た時と、同質の感想だ。
思うに、ジブリはそれまで築きあげたイメージから、新しい時代の映像表現をさぐるべく、模索していたのだろう。

それが、成功だったかどうかは、わからないとしても――。
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スワンの恋

2018-10-22 20:40:23 | 映画のレビュー
  
映画「スワンの恋」を観る。実をいうと、これをDVDで鑑賞するのも二度目。 あまりにも、私の個人的好みにぴったりで、なおかつ信じられないほど美しい映画なので、日をおかずして、もう一度観ずにはいられなかったのだ。

題名から、「ああ」とわかる方も多いと思うのだけれど、これは19世紀末のフランスの文豪マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の一部分を、映像化したもの。
20世紀最高の文学作品と称賛され続けている名作――しかし、私はこの作品を読まなくてはと思いつつ、手に取ることはなかった。何しろ、長い。全14巻という長尺な作品なのだ。おまけに、紅茶にひたしたマドレーヌから、懐かしいコンブレーでの子供時代の記憶がよみがえったという、有名なシーンに代表されるように、典雅で格調高い作品を読むのは、相当な覚悟がいるはず。

そんな訳で、スワンという登場人物も、彼についての物語も全然知らなかったのだが、この映画にはあっという間に引きこまれてしまった。まず、何といっても映像が圧倒的に美しい。 やがて消滅しようとしている貴族社会の、残照を思わせる美しさ。 主人公の富裕なブルジョワのユダヤ青年、ジャック・スワンや彼の愛人であるオデットの着ている衣装と、彼らの家―― これは、ルキノ・ヴィスコンティが描いた「ベニスに死す」にも通じる、エレガンスだと思う。

       

その上、配役が素晴らしい!主人公のスワンを、英国俳優ジェレミー・アイアンズが扮しているのだが、すらりとした長身や繊細で知的なアイアンズの雰囲気が、
プルーストの華麗な世界をぴったりと体現している。
スワンの年上の友人であり、男色家でもあるシャルリュス男爵を、何とアラン・ドロンが演じているのも、うれしい驚きだった。ドロンは、ここで真っ黒な髪や髭が、少し滑稽な雰囲気を醸し出していて、芸達者だなあと思わせられる。 話はちょっと横道にそれるけれど、ドロン男爵が、馬車の中で、パタパタとコンパクトから頬紅をはたくシーンがあるのだが、これは「ベニスに死す」で、アッシェンバッハがお化粧していたのとそっくり!この時代の上流社会の男性って、お化粧するのが身だしなみだった?

スワンは、高級娼婦である、オデット・ド・クレシーへの恋に、紳士としての節度さえ失ってしまうのだが、その一方でオデットを「下品で軽薄な女」「恋はすっかり醒めた」などと冷たく突き放したりする。
対するオデットも、レズビアンの気があったりと、彼らの恋はどう見ても、破局か? と思わせられるのに、最後、彼女はスワン夫人になっていることがわかる。
複雑で、分裂しているスワンの恋は、非常に複雑な人物であったプルーストの人物像にも通じているような気がしてしまう。

物語の最後、彼らの間にも時間が流れ、オデットとの間にも娘が生まれている。そして、スワンは余命いくばくもない病気と宣告され、貴族の友人宅を訪れるのだが、彼の重病を本気にしない、公爵夫妻から冷たくあしらわれてしまう。彼らにとって、オデットなどと結婚したスワンは、かつてのような友人として扱うわけにはいかないのだ。
そして、スワンはシャルリュス男爵と二人で、静かに語り合う。「自分が若かった頃の感情が、とてつもなく貴重なものに思える。収集箱を開けるように、それを取り出して眺めるんだ……そして、それらのものと別れたくないと思う」 こう語るアイアンズの表情が、とても哀感に迫って、映像が途切れた後も、いつまでも心に残ったのだった。

よし、「失われた時を求めて」は絶対、読むべし。
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ある日の日記

2018-10-22 20:12:02 | ある日の日記
ずいぶん長く、ブログに投稿してなかったような気がする。 なぜかと言えば、どこかの操作を間違ったのか、パソコンからインターネットに接続できなくなっていて、電気屋さんまで直してもらいにいくのも、おっくうだったのだ(タブレットがあるから、十分困ることはないしね)。

でも、何とかネットにもつながるようになったので、こうして久しぶりに、自分のブログをば、開けてみた。
秋も深くなりつつある、この頃――夏の疲れが抜けきれず、読書もちょっと……という感じだったのだが、今はアーシュラ・ル・グウィンの「ゲド戦記」にはまっている。
ハイファンタジーは苦手なのだが、これは好き!(でも、まだ最初の2巻しか読んでおりませぬ)

それと、五木寛之の「スペインの墓標」をこれから読もうかな、と。


この間、両親の学生時代の友達の方が、関西から泊まりに来られた。とっても、見聞が広く、好奇心の旺盛な方なので、田舎暮らしに埋没している私は、目からうろこが落ちたような感じ――ポーランドのワルシャワって、綺麗だけど淋しい東欧の古都ぐらいに思っていたけど、とても美しい都会なのだそう。そして、あのアウシュビッツも、見渡す限りの荒野にポツンとあるイメージだったのだが、マクドナルドや近代的なホテルもすぐそばにあるような、町のどまんなかにあるんだって。
へえ~、そうなのか……。アウシュビッツには、生きているうちに、絶対行ってみたいと思っているので、この情報は新鮮でありました。
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ある夕暮れに・・・

2018-10-03 18:15:46 | ガーデニング
  
台風が通り過ぎたかと思ったら、また沖縄あたりに来ているらしい――でも、今日は爽やかな秋晴れの一日。
夕方のノエルの散歩に行くために、上のノエルハーブガーデンに出てみた。 以前よりはグンと少なくなっているけれど、それでもコスモスの群れが風にそよいでいて、見ているだけで、とっても気持ちいい!
母が「今日のお昼、ガーデニングをやっていて、すっごく大きな蜂を殺したの。見て見て」などと言うので、‘え~、スズメバチなんて、よく殺せるなあ。怖くないのかしら?‘と思いつつ、庭の隅に行ってみると、地面の上に転がっていたのは蜂の頭だけ……まるで、ハロウィン🎃のカボチャみたいなオレンジ色をしているのだが、胴体はどこへ消えたのか?


どうやら、蟻が大群で押し寄せて、巣まで運んでいったらしいと判明するも、ウ~ン、ノエルガーデンでも日々ワイルドな世界が繰り広げられているのね。



        
これは、ケヤキの下のベンチで憩う、ノエルの姿。 この夏、七歳のバースディーを迎え、外見はそれなりのものになりましたが、相変わらず無邪気で可愛いのだ。
そうして、ノエルの傍らで、ひととき物思いにふける私……秋は、人をもの悲しくさせるのであります🍁
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