ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ある日の日記

2020-05-29 09:05:27 | ある日の日記

 

気が付くと、いつの間にかブログを半月ほど中断していた。上の写真は、リバプールを訪れた時、デビュー前のビートルズがライブをしていたというパブの前で撮ったジョン(多分)の像。

本日の記事とは何の関係もないのだが、最近ビートルズの曲をBGMにして過ごすことが多いので、ついアルバムから取り出してきてしまった。

厳戒態勢は緩んだとは言え、まだ外食に行ける気分ではない今日この頃――自宅ではないレストランで、何かおいしいもの食べたいなあという妄想がふくらんでいる私。

でも今は、スーパーから稲荷ずしやたこ焼きを買ってきて、夕方少しお腹の空いた時食べています。これで、十分おいしいのでござるよ

これから、家族のバースディー用に、久しぶりにカリグラフィーのカードを作ろうかな。

これを読んでくださっている方も、どうぞ良き週末を

 

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愛と哀しみの果て 

2020-05-16 15:48:19 | 映画のレビュー

映画「愛と哀しみの果て」を観る。私が中学三年の時に、公開されたと記憶しているのだが、心に残る映画として何度見返したことだろう。

主演するのは、メリル・ストリープとロバート・レッドフォードという夢のような大スター達。おまけに、原作はデンマークの女流作家、アイザック・デイネーセンの自伝的小説で、彼女がアフリカへ渡り、コーヒー農園主として過ごした歳月を振り返った「アフリカの日々」だというのだから、傑作にならないわけがない!

しかし、この「愛と哀しみの果て」という邦題は、ちょっと疑問。 映画のタイトルもはっきり、「Out Of Africa」とあるのに、このセンチメンタルで安っぽい題名――タイトルを考えた映画配給会社のセンスを疑ってしまうし、作品の持つ格調高さを貶めてしまうように思ってしまうのは、私だけだろうか?

でも、考えてみれば、当時の洋画は、こんな風なタイトルをつけられてしまうことがよくあったのだ。 もう一作、私の好きなクロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」もそうだし、古くは、リチャード・ギアとデブラ・ウィンガーの「愛と青春の旅立ち」というのもあった。 「愛と」というのが、時代の合言葉ででもあったのだろうか。

それでも、現代のハリウッド映画の英語のタイトルをそのまま、カタカナ表記にするよりは、ずっとましだと思う。いくら、トム・クルーズとかレオナルド・ディカプリオといった大スターが出ていたとしても、作品が観客の記憶に残りにくくなってしまうはず。

 

話を「愛と哀しみの果て」に戻すと、これは上映時間二時間半を超える、超大作。デンマークの富裕な家庭に生まれたカレンは、貴族の称号につられたこともあって、元恋人の弟であるスウエーデン貴族のブロルと結婚する。ところが、ブロルが言いだしたのは、とんでもないこと。 アフリカのケニアに渡り、コーヒー園を始めようというのだ。

そして、物語は雪の降る北欧から、広大なアフリカのサバンナへ――明るい光の降りそそぐ大地の上を、汽車が通ってゆき、そこに洒落た陶器や、家財道具を積みこんだカレンが乗っている。このシーンの切り替えがとても鮮やかで、私たち観客も、1910年代のアフリカに連れ込まれてしまいそうなほど。

この汽車を突然とめた男がいて、それがカレンが、後に心から愛することになるデニス・ハットンだった。レッドフォード演じるデニスが、とても素晴らしい! どんな結びつきやしきたりに縛られることも嫌い、自由自在にアフリカの地を駆け、その大空をセスナ機で飛んで行く。 冒険というものが存在した20世紀の初めには、こんな人が、何人もいたのかもしれない。

      

ブロルも、当てにはならないものの、魅力的で憎めない人物。はるばるアフリカに来たばかりのカレンを放っておいて、長い狩りに出たり、プレイボーイぶりを発揮したりする。仕方なく、カレンはコーヒー園経営に一人で乗り出すしかないのだが、当然ながら、なかなかうまくはいかない。 その一方、ケニアの原住民たちとのふれあいは、カレンを人間としても大きく成長させたのだと思う。 

原住民たちは、とても素朴で、カレンが持ってきた鳩時計から、定刻きっかりに鳩が「ポッポー」と飛び出すのを、かたずを飲んで待ち構え、ビックリ仰天して逃げたりする。 夫を追いかけて、危険なサバンナを旅し、襲いかかるライオンを銃で撃ち殺したりするカレン――その一方、デニスとテラスでモーツアルトの音楽を蓄音機で聞くなど、この映画には、ダイナミックな冒険と優雅な植民地文化が混じりあっていて、「いい時代だったのだなあ」と憧憬の気持ちでいっぱいになってしまう。

   

カレンは、後にこの頃のことを振り返り、「私はアフリカで幸せだった」と言い、「アフリカの日々」を書いたわけだけれど、決して、成功したわけではなかった。温かな友情が後に残ったとは言え、ブロルとは離婚したし、心血を注いだコーヒー園は火事で焼失し、破産してしまう。そして、心から愛したデニスを手に入れることは、とうとうできなかった。

「私と結婚して欲しい」というカレンに、デニスは「結婚という形で縛られたくはない」ときっぱり断り、破産したカレンがアフリカを去ることになっても、自分はアフリカを離れる意志はなかった。そして、最後に飛行機で送ろうと言い残し去っていくのだが、家具のなくなってしまったガランとした屋敷で、カレンに知らされたのは、デニスが墜落死したという悲しい知らせだった。

 それでも、後に残してゆくキクユ族の居住地を確保してやるために、新しい領事夫妻にかけあうカレン。その彼女に、最後、女性禁止の紳士倶楽部は、入室を許し、カクテルを振舞うことで、彼女がこの地で成し遂げたことや、その勇気を称えるのだ。

「サバンナにあるデニスの墓の上には、いつの頃からか、二頭のライオンがやって来て、しばらく休んでいくようになりました」 

――アフリカに残した召使いから、カレンに届けられた手紙。けれど、カレンは二度とケニアの地に赴くことはなかったという。

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ある日の日記

2020-05-15 17:50:13 | ある日の日記

上の写真は、去年撮った「ノエル葡萄小屋」の写真。

巣ごもり生活が続く日々――でも、昨日は母の友人が「ツタンカーメンのエンドウ豆」を持ってきて下さったので、それで豆ご飯に

これは、普通の豆ご飯と違って、いとも玄妙な変化をするのであります。炊き立ての時は、ほんのりとピンク紫がかっているのに、翌日、炊飯器の蓋を開けると、鮮やかな赤紫に!

う~ん、不思議だなあ。 でも、この「ツタンカーメンエンドウ豆ご飯(ああ、長たらしい!)」は、ポピュラーな青豆ご飯とはまた違った野趣のある味で、美味しいのです。ぜひ、お試しあれ。

二月で、ヨガ教室が休講になった途端、まったく何もしなくなった私。そのせいで、股関節が痛い。体を動かすことが億劫。

やっぱり、少しは体操をせねば。そういう訳で、買ったきり、全然使っていなかったヨガマットを引っ張り出すことにしました。

寒暖差が激しく、体にこたえるので、気をつけて生活していこうと思ってます。

 

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石斛が咲きました

2020-05-07 20:25:35 | ガーデニング

 

前庭に咲いた石斛の花。南方に多く咲く、蘭の一種なのですが、毎年この時期だけ――ほんの一週間前後なのですが――白い花を咲かせ、あたりにかぐわしい匂いが立ちこめます。

        

スマホで撮ったので、あまり綺麗な画像ではありませんが……樫の老木に咲いているのが、元なのですが、あちこちに植え付けたため、ご覧のように、石灯籠の上にも、花冠みたいに…でも、この花は土がなくとも、空気中から栄養を吸収するのだそうな。

何とも、摩訶不思議な植物!

巣ごもりの日々が続くので、私はKindleで昔、大好きだった漫画を読んでなどいます。

    

小学生の頃大好きだった、竹宮惠子さんの「地球へ」…初めて読んだのは、小学四年生の頃だったと記憶しているのに、今も内容をくっきり覚えているのに自分ながら驚き。 今、再読しても、本当に面白い漫画です。こんな壮大な、比類ない物語を考えるなんて、竹宮惠子さんは天才だわ……。

四十年という長い時を超えて、「地球へ」に再会した日。

 

 

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メインテーマは殺人

2020-05-06 08:40:52 | 本のレビュー

 

アンソニー・ホロヴィッツの「メインテーマは殺人」を読む。この作者の本は、以前も「カササギ殺人事件」を読んでいたのだが、面白かった。好みかと言われては困るのだけど……とどこか歯がゆい言い方をしてしまうのは、この著者が、アガサ・クリスティーが大好きと公言しており、「カササギ…」も、クリスティーへのオマージュがそこかしこに散りばめられていて、古き良き英国のミステリーの要素もたっぷり、凝ったプロットといい、ミステリファンの心をくすぐる作品でいながら、どうしても「二番煎じ」の感が否めなかったからではないかと思う。

ついで、彼がコナン・ドイル協会から、シャーロック・ホームズの続編を書いてよいとのお墨付きで、発表した「絹の家」。これも、ホームズとワトソンが活躍する、ヴィクトリア朝英国社会の暗部をえぐった力作なのだが、やはり、どこか「この作者、好き」と言いきれないものが残った。

今回の「メインテーマは殺人」でも、子供の頃から、ミステリや文学作品をさんざん読破してきたのだろうな、ということがうかがえる博覧強記ぶりで、巧みな構成で、読者を引っ張っていくのだが、何かが足りない……ような気がする。ここでは、アンソニー・ホロヴイッツ自身が主人公として登場し、癖のある謎だらけの元刑事ホーソーンから、魅力的な殺人事件を作品化してみないか、と持ちこまれる。ところが、この事件というのが、目下進行中。

ホーソーンの曲者ぶりに、反発を感じつつも、ホロヴイッツは、彼のワトソン役として、事件を捜査してゆく――というのが全体のストーリー。

事件そのものは、錯綜していながら、謎解きがさほど面白い訳ではないので、ここでは割愛することにする。だが、クリスティー、シャーロック・ホームズの世界を21世紀に蘇らせるという、オールドファンにとってはこたえられない趣向や、個人的に大好きなイギリスやロンドンの空気感がよく伝わってくるのにもかかわらず、この作者の世界が好きになれないのは、なぜか?

一言で言えば、器用な職人芸で、本物のミステリーが放つ香気がないせいだろうと思う。ホロヴィッツが今をときめく、人気作家で、彼の作品が日本で翻訳された時、「このミステリーがすごい!」1位やその他の絶賛を浴びたことなど、この際関係ないのである。

余分なことを言えば、この「メインテーマは殺人」でも、自分の作家としてのライフスタイルを自慢(?)気に述べたてているところも、少し鼻につきますね。

 

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七年目の・・・

2020-05-06 08:16:36 | ある日の日記

 ふと気づいたのですが、この「ノエルのブログ」を始めて、昨日でちょうど7年目でした――結構続いてきたものですね。

気ままにやって来たからこそ、ここまで来ることができたのかも。

    

スマホで撮影したノエルハーブガーデンの一角。このガーデンには卯の花や、雪柳など白い花が圧倒的に多いのですが、今年は白いツツジが、なぜか勢いがいいのであります。

        

温室前のさくらんぼ🍒も、段々色づいてきました。

季節の変わり目か、体調が今一つだったのですが、それでも夕刻、ガーデンに上がると、金色の光に、木々や花々が滲むような美しさで、ホッとします。 この間、ここにアップしたゴールデンレトリバーの置物。

数日前、姪が遊びに来た時、これを見て「死んじゃったノエルを、固めて置いているの?」だって――なかなか、恐ろしいことを言うではないか。

どうやら、死んでしまった前のノエルを剥製にでもしたのか、という幼児としての解釈らしいのですが。ウ~ン、面白いです

 

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