ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

日々のこと

2021-01-30 20:55:54 | ある日の日記

コロナが、相変わらず蔓延していて、朝夕のニュースを聞くたびに、暗い気持ちになる。ウィルスの変異がいくつも出てきて、遠出なんてできる日はずっと先のことのようにさえ思えてしまう。

でも、毎日の中には、少しほっこりすることもあって――

 

アミーゴで買ってきた、ノエル用ご飯であります。ゴールデンレトリバーの仔犬が鏡の中の自分をうっとり眺めているの図。可愛いなあ。

ドライのフードに混ぜて与えるお肉のフードですが、ドッグフードの世界も愛犬家の心をくすぐる商品をあの手この手で出しているのです。

    

もう2月。しかし、ヨガやピラティスの教室へ行く以外は、用事のみしか外に出ません。でも、巣ごもりの日々も、慣れるとなかなか楽しいよ。

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江戸川乱歩邸を訪ねて

2021-01-15 17:43:50 | アート・文化

2~3年前、江戸川乱歩邸を訪ねた時したためたエッセイが引き出しの奥から出てきました。これでも、ちゃんとエッセイの形になっているかしら?

懐かしいので、このブログに載せてみますね。上の写真は乱歩邸の書庫を外のガラス越しに撮影したものです。

『夏の終わりの東京を歩いた。用事を片づける傍ら、以前から一度行ってみたいと思っていた池袋の江戸川乱歩邸を訪れることができて、感無量!

 というのは、ここは大学時代、来ようとして迷ってしまったことがあり、それから「いつかは行きたい」とずーっと思っていた場所なのだ。また迷ったら困ると思いつつ、池袋駅からタクシーでやってきた(中年の女性運転手さんは、「乱歩邸? それ聞いたことないけど何ですか?」などとのたまい、iPADの地図を見せなくちゃならなかった)のだが、実物は「これが、あの大乱歩の家?」と思ってしまうほどこじんまりしたもので、少し驚いた。

 うねったアーチ形のアプローチが小さな洋館へ続いているのだが、玄関から向こうは立ち入り禁止。その一階にあるのが、あの有名な応接間。白い上げ下げ窓に囲まれた室内は明るく、窓を通して、木々の緑や光が感じられるのが、とっても居心地良さそう。なのに、外からガラス越しにしか、のぞけないのが悲しい……。

 おまけに、それが普通のガラスではなく、防弾ガラスのごとく、すごく分厚いのだ。

 ただ、この家自体は、乱歩の小説に出て来る、世田谷とか武蔵野(注:昭和初期の話です)の外れの淋しい原っぱにポツンと建っている、赤レンガの洋館とは趣が異なっているものの、やはり大正の浪漫を感じさせる古い洋館。明智小五郎や怪人二十面相が歩き回っていてもおかしくはない雰囲気があって、こたえられない。

 私の他には二~三人の若い欧米人の客が、この洋館を訪ねて来ていて、これはうれしい驚きだった。なぜって、あの独特の世界は、外国人には受け入れがたいものだろうと思いこんでいたから。

 そして、庭先にぽつんと離れて建っているのが、あの有名な土蔵。しかし、ここも分厚いガラスがはめこんであって、入り口から一歩も入ることができない。ただ、中にほのかな照明が灯り、重厚な本棚にぎっしり本が並べられているのが見えた。

 聞くところによると、ここには二万冊にものぼる乱歩の蔵書があって、英語やドイツ語の原書も大量にあるなど、乱歩の語学力、博識ぶるを目の当たりにできるそうな。薄暗く、ひんやりした土蔵内に、幾多の探偵関係の資料が整然と並んでいるのを想像すると、この世ならぬ夢幻の世界に誘いこまれたようで、うっとりしてしまうのは私だけじゃないはず。

 事実、乱歩伝説の一つに、真夜中、この土蔵の中で蝋燭の火をともしながら、人知れず小説を書いているというものもあったのだが(もちろん、根も葉もない作り話なのだけど)、こんな昔に、欧米の探偵小説を渉猟し、深い語学力を持つ一方、「孤島の鬼」「死の十字路」などの変態。・耽美小説を発表し続け、さらには子供達への贈り物として「少年探偵団」シリーズを書き残した江戸川乱歩とは何者だったのか?

 そのあまりにスケールの大きさ、千変万化する世界からして、乱歩こそ怪人二十面相なのでは? とさえ思ってしまう。

 ここへ運んでくれたタクシー運転手さんが「あれ? ここ立教大学の構内にありますよ」と驚いたように、目の前には立教大学の正門があり、乱歩の家の後ろは中等部・高等部の校舎に続いているらしい。大学の中に家があるなんて、とびっくりしてしまったが、レンガの建物に緑のアイビーが絡んでいるさまは、本当に綺麗で、ついふらふらとキャンパス内に入りこんでしまった。

 古い赤レンガの校舎は、白いペンキ塗りの上げ下げ窓がずらりと並び、緑の蔦に囲まれて、絵のような美しさだ。芝生に囲まれたキャンパスを、若い学生たちが楽しそうに闊歩している。

 そう言えば、遥か昔、まだ高校生だったクリスマスの時期、ここを訪れたことがあった。重厚な木の扉の前に、赤いリボンで飾られた樅のリースがかけられているのが、とてもお洒落で、地方から出て来たばかりの少女だった私は、「ああ、なんて綺麗なんだろう」とため息をついてしまったことを思い出す。

 振り返ると、江戸川乱歩邸は、レンガの続く塀の間に、ひっそりと佇んでいた。この絶妙なミスマッチーーひょっとしたら、怪人二十面相は本当に、ここに隠れていたのかもしれない』

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レッドサン

2021-01-14 08:21:55 | 映画のレビュー

映画「レッドサン」を観る。1971年公開の五十年も前の映画。

    

正直言って、今まで私もこの映画を知らなかった。しかし、主演が日本の誇る三船敏郎に、ハリウッドスターのチャールズ・ブロンソン、そしてフランスのアラン・ドロンの三大スターの顔あわせ、おまけに題材が西部劇というのだから、これは必見ものだ。

そんな訳で、DVDプレイヤーで見た、ミニロードショー。感想は、素晴らしく面白かった。

     

時は1860年。ちょうど、日本では幕末で、アメリカでは南北戦争前夜という頃。しかし、舞台は無法者の跳梁する西部。ここに、アメリカ大使への秘宝の刀を献上するために訪米した武士たちの一団がいて、それが列車に乗っている最中、強盗に襲われたとしたら――この衝撃的なシーンから始まる物語。今まで似たストーリーの映画を観たことがないだけに、とても新鮮で、画面に目が釘付けになってしまった。

チャールズ・ブロンソン演ずるリンクとアラン・ドロン演ずるゴーシュが強盗側。使節団の武士を三船が演じている訳だが、リンクが邪魔になったゴーシュは列車もろともリンクを始末しようとする。相棒に裏切られた形となったリンクは、奪ったお金のあり場所をゴーシュから吐かせたい一心なのだが、幕府の使節団から「お前も私たちとゴーシュを敵とするのは同じ。黒田を連れていくとよい」と黒田をお目付け役につけられてしまう。

このチャールズ・ブロンソンと三船の掛け合いが何とも絶妙なのだ。日本の武士道を絵に描いたような折り目正しい黒田と、西部の荒くれ無法者のリンク(どこか、ちゃらんぽらんな愛嬌があるのだが)。この二人が反目し合いながら、しだいに男の友情を築き上げるまえでが、ユーモラスにもヴィヴィッドに描かれる。この時代、異国の男たちの間で、友情が芽生えるとしたら、単なるカルチャーショックを超えた分かち合いがあったはず。

それでもリンクは最初のうちは邪魔者黒田を追っ払い、逃走することに懸命で、崖から黒田を突き落としたりとなかなかに卑怯なこともやってのけるのだ。黒田を突き落とした後で、「俺は緑の犬を持っていた。喋らない奴だったが、長い刀を持っていた♬」と一人歌ったりするのだから、憎い。緑の犬って……それは確かに黒田は緑色の袴をはいているんだけど。

そこへ、武士の一念、岩をも通すの根性で、崖から這いあがってきた黒田。ここで、再び二人の珍道中が始まる。ゴーシュの行き先はどこか? リンクが思い当たる所があると言い、ゴーシュのお気に入りの娼婦クリスティーナのいる娼館へと向かう。

西部劇時代の娼館というのも、当時はこんな風だったのかと、とても興味深い。木造のどこかゴツゴツした感じ、入り口のカウンターに置かれたランプの灯などが、「なんだか地の果てみたい」と思わせられるのだ。

ゴーシュをおびき寄せるため、クリスティーナを連れて山へと向かった二人の前に、インディアンのコマネチ族が現われ、そこにゴーシュも姿を見せ、三つ巴の闘いが始まるというのがクライマックスだが、この戦闘が本当にダイナミック。当時は、こんな風に無茶苦茶人を殺すのが当たり前だったのかしら?

最後は黒田もゴーシュも死んでしまい、リンクは瀕死の黒田から伝統の秘刀を日本の大使に送り届ける約束をする。

「馬鹿な。お前が姿を現したら、罪人としてたちまち捕まってしまうではないか」という黒田に、「それでも俺は送り届ける。約束する」と答えるリンク。安心して瞑目した黒田を砂漠に葬ったリンクが、果たしてどんな風に約束を果たしたかというと――一か月後、再び西部の鉄道に姿を見せた大使の乗った列車。その線路のずっと手前の鉄線の上に結び付けられているのが、あの伝刀!

この何とも洒落たラスト。果たして、日本の大使たちはこの刀に気づくでありましょうか? それとも気づかずに、列車に乗ったまま通り過ぎてしまう? そんな風に焼きもちさせるところも心憎い、西部劇の隠れた名作!

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大寒波

2021-01-12 20:35:07 | ある日の日記

この一週間ほどとても寒い日々が続いています。おまけにコロナ関連の暗いニュースが流れてくるので、空のグレー色とも相まって、少し沈みがちな気分です。

 でも、作業の合間をぬって、観たDVDの映画「ラスト・サン」はとても面白かった!! 制作が1971年と私の生まれた年と一緒という、とても古い映画ですが、三船敏郎とアラン・ドロン、そしてチャールズ・ブロンソンという顔あわせがとても素晴らしいのであります。

舞台が1860年という南北戦争が始まる直前の西部を舞台にしたものというのがユニークだし、忠義の武士を演じる三船敏郎に、悪漢アラン・ドロンという西部劇仕立てが何とも言えず、洒落た味わいになっている――あんまり面白いので、観た翌日、またもう一度観てしまいました。

 それにしても、このコロナ禍は、いつまで続くのでしょう? 最初は長くて2~3年と言っていたのに、変異ウィルスが出て来たこともあって4~5年は危険な時期が続くとの報道まで出てきました。今、英国やアメリカで接種されているワクチンが劇的な効果を発揮し、福音となってくれることを祈るばかりです。

マスクなしで通りを歩き、風や植物の香りを心行くまで味わう日。マスクなしだから、お互いの笑顔がはっきり見える日。

そんな日が、どうぞ早く訪れますように。

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ユリシーズ

2021-01-01 09:45:53 | 映画のレビュー

大晦日の夜観た「ユリシーズ」。今までこの映画を知らなかったのですが、主演のユリシーズをカーク・ダグラスが、相手役をシルヴァーナ・マンガーノが出ているという豪華な映画。

おまけに、題材が言うまでもなく、ホメロスの「ユリシーズ」――これは絶対、観ないと!

そういう訳で、古代ギリシアの旅を二時間にわたって楽しませていただきました。よく考えると、古代ギリシアの風俗って、よくわかっていないことが多いのですね。最初浜辺で漂流してきたユリシーズを救った王女ナウシカアの着ている衣装にびっくり!

彼女は流されてきたユリシーズに恋してしまい、彼との婚礼を着々と進めるのですが、その花嫁衣裳が凄い! どう見ても、有史以前の古代とは思えぬのです。フリルを思わせる段々のついたドレスに、階段状になった白い帽子をかぶってなんている。

ここで思い出したのですが、古代ギリシアの遺跡が発掘された時、考古学者たちは壁画に描かれた女性の現代的な美しさにびっくりし、「パリジェンヌ」と命名したエピソードがありました。じゃあ、本当に、こんなドレスを着ていたのかしら?

 そして男性はこれも壁画で見られるような、まき毛をひと房、耳の前にたらしているのです……これって、今老いも若きも、女性達がやっているプリンセスヘアスタイルそっくりなんですけど。でも、あまり格好いいものではないので、観ているとムズムズしてきます。

あのスタイルが似合うのは、今は亡きマイケル・ジャクソンだけなのでは?

閑話休題。最初浜辺に流されてきたユリシーズは自分の名前も過去の記憶もまったく失っているのですが、婚礼の朝、海を見ている時、突如今までの冒険を思い出します。トロイ戦争が終わった時、仲間達を故郷イタケーへ帰ろうとした時、トロイの王女カッサンドラの呪いによって、様々な苦難を経なければならなかったこと――一つ目の巨人がいる島や魔女キルケ―のいる島での恐ろしい冒険。

    

しかし、この一団の首領であるユリシーズはあまり賢いとは言えず、観ていて少し焼きもちする場面もありました。彼がグズグズしていたから一つ目の巨人に捕えられたのだし、魔女キルケーの奸計にかかって大切な仲間を失うことになったのですから。おまけに、何だか粗野で荒々しい。とても面白い映画だったのですが、正直ユリシーズには感情移入しにくかったかもしれません。

さて故郷イタケーでは、ずっと夫の帰りを待ち続ける妻ペネロペがいました。彼女はイタケーの王妃。王であるユリシーズの長い不在は国の中にも重い空気をもたらしており、ついに押し寄せる求婚者たちから新しい夫を選ばねばならない羽目になってしまいます。

そこで、彼女は「織物が完成したら」と言いながら、昼間織った織物を夜には解いてみせるなどするのですが、とうとうごまかしきれないことに。仕方なく、新しい夫を決めるための競技会を開催することになりますが、そこに記憶を取り戻したユリシーズが戻ってきて……ジャ、ジャーン、ハッピーエンドといいたいのですが、少し微妙。 

何せ、ユリシーズは息子のテレウマコスと共に、彼らを虐殺するのですから――う~ん、こういう結末こそ、血を血で洗うギリシャ悲劇の凄まじさなのだわ。でも、神と人の荒ぶる魂が、壮大なドラマとなって、今も私たちの心を激しく揺り動かす。これが、ギリシアの物語の最大の魅力なのかもしれません。

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