ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

二月の終わりに

2020-02-29 10:12:58 | ある日の日記

 

コロナウィルスが蔓延し、子供達の学校も休校になるなど、大激震している日本列島。世界的にも、経済が失速し、人々の自由な行き来まで遮断されてしまいました。

私も、昨日「ボディーヨガ」の教室に行ってみたらば、今期の講座は本日で終了、三月分はなくなりました、と言われちゃったな。そんなこんなで、何だかパーッとしない日々。(上の写真は、だいぶ以前食べた「五感」の洋ナシのタルト。本文とは何の関係もないのだけど、スイーツの写真を貼り付けちゃえば、少し華やかになるかな? と思って載せてます♡)

それしても、このコロナウィルスに対する全世界のパニック状況――まるで、地球以外の星から異星人が来襲してきたに匹敵する大事件の様相を帯びてきました。

昔、医療体制が万全でなかった頃のインフルエンザも、ひどく恐れられていたと思うのですが、その頃は原因となるウィルスのはっきりした姿や、感染経路がはっきりしなかったはず。現在では、感染経路や潜伏期の様態など、メカニズムが明らかになるつつあるといっても、やっぱり怖い。治療の仕方がわからない病気だってあるのです。

早く、この感染症の波が去ってくれますように。

 

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プラテーロとわたし

2020-02-14 20:26:35 | アート・文化

数日前、丸善で開催された銅版画家、山本容子さんのサイン会。スペインの詩人ヒメネスの名作「プラテーロとわたし」の刊行を記念してのものだったのですが、私もこの本を買っていたため、直筆のサインをしていただけることに。

山本容子さんの絵は、私の青春時代、一世を風靡していたもの。よしもとばななの「TUGUMI]の表紙にも、素晴らしく印象的な花の絵が使われていたり、トルーマン・カポーティーの短編小説を洒落た装丁の小ぶりな本に仕立てたものにも、彼女の絵が使われていたっけ(私も、これらの本を持っています)。

大学生の頃、新宿の伊勢丹で、山本容子さんのデザインの犬の形をした小さなブローチを買ったこともあったっけなあ……という具合にかなり熱烈なファンだったので、じかにお目にかかれたのはすっごくうれしかった!

  

本にサインをしていただいた上に、記念写真もOKということでちゃっかり、母と一緒に写真におさまりました。それもとても素敵なことなのですが、この本のプラテーロというロバがとっても可愛い🐎 のであります。

銀色をした驢馬だというのですが、大きな耳、優しい訴えるような目……本当に、うっとりするような可愛さなのです。絵の背景となっているのはみな温かなオレンジ色で、これはスペインの大地の色、ロバのあたたかな体の色――そして、プラテーロと詩人ヒメネスの間の深い信頼の色なのでしょうね。

      

この見開きページでも右側にいるのは、バケツに汲んだ水をたっぷり飲んだ後のプラテーロ。自分の後ろにいる人間をちらりと見る、この横目がとても、可愛い!動物の好きな人なら、「ああ、こんな目ってするよね」とわかるのではないでしょうか?  さすが、愛犬ルーカスをたくさんの魅力的な絵に仕立て上げた山本容子さんならではの、ピタリと決まった線です。

左側の眠りにつく前らしき、ちょっとほくそ笑んだ表情のプラテーロも、とってもいい!

と、絵の魅力ばかり取り上げましたが、この「プラテーロとわたし」――今まで、有名な題名しか知らず、今度初めて読んだのですが、讃嘆するしかない素晴らしい散文詩です。ノーベル賞詩人というのも、むべなるかな。

崇高な、星のごとくきらめく言葉が、次々と書き連ねられ、心の奥底にまで、言葉の力が降りてくるのを感じさせられます。

死んでしまったプラテーロに捧げる詩人の最後の詩「モゲールの空にいるプラテーロへ」を引用してみると―― 

  

「走るプラテーロ いとしい小さなロバよ。わたしの心を 何度も連れていってくれた わたしの心だけを!

サボテンやアオイ スイカズラの茂るあの道へ。

 お前のことを書いた この本を捧げよう 今はお前も読めるだろうから この本は天国で草を食べるお前の

魂へ届く。 お前と一緒に天に昇った わたしたちのモゲール あの野山の魂が届けてくれる。

その本の背中に乗って わたしの魂も昇る。 花咲く野ばらの中をさまよい昇りながら 日ごとに より良く

より穏やかに より澄んでいく。

 そうわたしは知っている。 夕暮れの時間 ヨシキリの声と オレンジの香りの中を たどり着く。

ゆっくりと 思いにふけりながら 寂しいオレンジ畑を越えて お前に永遠の子守歌をささやく松の木へ。

プラテーロ 幸福なお前が 不滅の薔薇の咲く野原から わたしを見ていることを。アイリスの前に佇む

わたしを。 土に眠るお前の心臓から咲いた アイリス」

 

   

会場に展示されていた山本容子さんの「プラテーロとわたし」のリトグラフの中で、これがとても気に入ってしまい、とうとう購入してしまいました。早速、自室の壁にかけたとこををパチリ。

プラテーロの背中に乗る詩人の抱えているのも、大きな黄色いアイリス。その馥郁たる香りが、夜空の中から漂ってきそうな感じさえしてしまいます。山本容子さんに聞くと、かのスペインの地には、とても美しいアイリスの花が咲くのだと。

          

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インセプション

2020-02-06 18:09:52 | 映画のレビュー

映画「インセプション」を衛星放送で観る。2010年の作品。

二時間半もある大作、おまけにレオナルド・ディカプリオと渡辺謙という豪華な顔ぶれ!

しかし、とんでもないストーリーなのです。まず、ディカプリオ演ずるコブは、他人の夢の中に入って、情報を盗むという産業スパイ。しかし、渡辺謙が演ずるサイトーと出会うことによって、今度は他人の夢の中にある意識を植え付ける「インセプション」の仕事を依頼される――というのが、物語の発端なのですが、これって、以前、トム・クルーズが主演した「マイノリティ・リポート」とアイデアのソースは似ているのではないかしら?

「マイノリティ……」の方では、プリコグと呼ばれる三人の予知能力者が見る夢によって、犯罪を阻止する社会というSFの設定でしたが、後で恩田陸の「夢違い」を読んだ時も、それとそっくりの題材が出てきていて、びっくり(この小説は面白くなく、途中で、読むのをやめてしまったのですが)。

だけど、こういった荒唐無稽な題材が、近い未来には本当に起こりうると感じさせられるところに、本作のリアルさというか、不気味さもあるように思わせられてしまうのです。今のようなデジタル社会がすごいスピードで進んでいくと、人の無意識をいくらでも操作する手段は起こりうるのではないでしょうか?

それにしても、二重、三重に複雑に入り組んでいて、物語を一口で要約するのは難しい! だから、この「インセプション」で受けた印象だけ、ここに書き記しておきます。

こうした錯綜したストーリーが、一級の俳優陣を起用したエンターティメント作品となっているところに、現在の世界がいかに複雑化、混迷しているかが現れているように思います。

はっきり言って、「人間を描いた物語」として、楽しめた人はそういないのではないでしょうか? 圧倒的なアイデア力や、映像の迫力のみで支えられた作品のように感じたのですが……。

デジタル社会が進むと、映画はどう変わっていくのだろう? 古き良き名画とは似てもつかないものになっているのでは? 

      そのことに一抹の不安を感じている、一映画ファンより。

 

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ある日の日記

2020-02-01 21:30:55 | ある日の日記

一日限定のお菓子教室が、近くのセンターで開かれていたので、「チョコレートのブラウニー」を作りに出かけてきた。

上の写真が焼きあがったブラウニー。表面に洋酒を塗った後、胡桃やドライフルーツ、米のパフなどを飾りとして振りかけたもの。

ケーキの中にも、胡桃がたくさん入っている――帰宅して、午後のお茶の時間に食べたら、すご~くおいしい!やっぱり、手作りのお菓子って、おいしいわあ

他に教えてもらった「スモアミルクティー」というのも、紅茶のエキスに、ホットミルクやマシュマロを入れ、上にチョコレートのフレークを少し浮かせたもの――寒い冬には、温かくて甘い飲みものがホッとするなあ。

しかし、帰宅した後、ドッと疲れが出て、二時間も午睡をとってしまった……昨日は、門の横の小屋(ここから、郵便ポストに入っていた手紙類も受け取れるようになっている)にある本棚に積み上げられた、十代、二十代の頃乱読した文庫本の中から、綾辻行人の「緋色の囁き」を読んだのだが、すご~く面白かった!

この囁きシリーズは他にも、何冊か一緒くたになって、本棚に入っているので、続けて読んでみよう。しかし、若い頃、読んだ本の内容をすっかり忘れてしまっているのには、自分ながらショックを受けてしまった。

久々に、一冊の長編を一日で完読するということをやってのけたのだが、その一方、章立てや構成のやり方について、感心してしまう。これくらいの分量で何百枚くらいになるのだろう?

この間、カリグラファーズ・ギルドからも通信が来ていて、今年度の作品展について、締め切りが例年よりずっと早くなり、春にはもう作品を提出しなければばらぬのだとか……どこから、題材を持ってきて、デザインしよう? 悩む…

 

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