ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

手作りスコーン、念願の少女小説ゲット!

2022-06-26 04:30:21 | 本のレビュー

スコーン作りの一日教室へ行ってきた。カレンズ入りのものと、アールグレイティーの茶葉を入れたものの二種類を作る。ついでに、桃とキーウィのジャムも作ってきた。  

上の写真は、家に持ち帰ったそれらを写したもの。

   

もう一枚、写すとこんな風。スコーンは若い頃挑戦してみて、失敗したので、どうしてもちゃんとした作り方をマスターしたかったのだ。 自分で言うのもなんだけれど、お店に並んでいるのと遜色ないくらいうまくでき、美味しかった!

お茶の時間に、ハーブティーや珈琲と一緒にいただく。

 そして……これが、長い間探し続けて、どうしても欲しかった本。

    

私が小学生の頃、通っていた小学校の隣に、市立図書館の分館があり、そこにしょっちゅう寄り道していたのだが、偕成社の少女小説シリーズが、ことにお気に入りだった。 ピンク色の背表紙が目印で、恋愛もの、ミステリー、青春の心の痛みを描いたものなど、様ざまな題材を、いろんな作家の方が書いていられたもの。 この偕成社の少女小説シリーズは、若かりし頃の、津村節子が執筆した「いつわりの微笑」も古本屋で買って(これも、とても面白い!)いるのだが、私がさらに欲しかったのは、内容も作者の名もおぼろげながら、どうしても頭の中から消えてくれなかったミステリーもの。

その中では、美貌で裕福な女性たちが、顔を傷つけられる事件が連続して発生し、「東郷たまみ」という犯人が出てくる。その東郷たまみの顔が、人工の仮面で作られたもの……覚えているのはそれだけだのに、小説が都会的で洒落た味わいのあるものだったこと、物語がとんでもなく面白く、何度も図書館で借りたことが忘れられなかった。

ネットで、探しているうち、これは? と思うものに巡り合った。それが、上の写真の「ひみつの変身」。オークションに出されていて、四十年以上も前の本としてかなり高かったのだが、勘を頼りに、とつとうゲットしてしまった。

恐る恐る、頁を開いてみたなら――どんぴしゃり! 当時小学生だった私の心を虜にした、あの小説に他ならないのだ。しかし、そんな風に心に残っていたわりに、内容をほとんど忘れていて、まったく知らない物語を読むように読み直したのは、ちょっとショック。

   

最後のページの裏には、こんな薔薇のイラストが白いペンで描かれている。なんか――表紙の感じといい、この薔薇の絵といい、昔の宝塚っぽくていいね。

正直言って、時代遅れの人間である私には、今の若者向けの騒がしい児童文学より、こういうレトロなものの方がずっと好き。自分が子供だった頃を思い出させてくれるし、どこか今の時代にはない優雅さや、情感を感じさせてくれるからです。

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日々つれづれ……「アーヤと魔女」の感想

2022-06-12 19:22:48 | 映画のレビュー

 

以前、知人から頂いた、時計草の花。三輪ほど摘んで、お手洗いに飾りましたが、紫色の花が、上品で気に入ってます。

    

お昼のティータイムには、クレープを焼いて、紅茶と――上の赤い箱が、紅茶の入っていたものだけれど、出雲紅茶に、瀬戸内レモンを♡はーと形に育てたもの(これを、乾燥させている)がセットになっているのだ。♡形のレモンというものが珍しくて、つい購入したのだけれど、和製紅茶も優しい味でいいな。

  

ジブリが3DGアニメとして、製作したという「アーヤと魔女」のDVDを観る。しかし、感想は……ウ~ン。あんまり、面白くないかも。

魔女の子供であるアーヤ。しかし、母親である魔女は、魔女仲間に追われていたため、孤児院「子供の家」の前に置き去りにされます。しかし、「子供の家」でも、持ち前のたくましさから、園長先生や子供たち仲間の上にも君臨していたアーヤ。そんなある日、魔女ベラ・ヤーガと連れの男マンドレークがやって来て、彼女をもらい受けられます。ところが、養女というのは、体のいい理由で、アーヤはベラの下働きとして、様々な魔法の薬を作る手伝いをさせられる――いつまでたっても、魔法は教えてもらえない。ここで怒り狂ったアーヤはベラ宅にいる、使い魔の黒猫の奸計をはかるのですが…というのが、大体の筋。

アーヤの隣の部屋は、浴室なのですが、一方、マンドレークが暮らす部屋でもあるらしい。そこで、マンドレークは、下手(アーヤが、『つまんねえ~小説』と言っている)な小説を書いているらしいのですが、実は寡黙な彼は、いったん起こり出したら、ベラも恐れる、パワーを発揮するらしい。おまけに徐々にわかってきたところによると、マンドレークとベラ、アーヤの母親は昔、音楽のバンドを組んでいたらしく、作中でもその音楽曲が流れるのです。ところが、この三人の因縁話が、観客の最も知りたいことであるはずなのに、最後まで、そのことは明らかにされない。

    

最期、ベラとマンドレーク(今一つ、はっきりしないのだけど、この二人、夫婦なの?)と仲の良い家族となり、楽しく暮らしているアーヤの元に、ある雪の夜訪れた客が、母親の魔女だった―ーというところで、唐突に物語が終わり「えっ?」という感じで、私は取り残されてしまいました。

そもそも、ベラたちは、アーヤが自分たちの友人の娘だと知っていたのか? そしてアーヤの母親を追っていた魔女軍団はどんな組織なのか?

ベラとマンドレークとアーヤの母親は、共に魔界の者でありながら、どうして、ロックバンドなど組んでいたのか?

すべてが、クエスションマークで、きちんとしたお話になっていない。この映画を観た、他の皆さんも、そう思われたのではないでしょうか?

監督は、「ゲド戦記」「コクリコ坂から」の宮崎吾郎さんで、私は「コクリコ坂から」の大ファン。しかし、ここでは「ゲド戦記」と同じように、消化不良! というしかない出来であります。

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オリエント美術館にて

2022-06-08 16:45:11 | アート・文化

六月に入ってようやく、改修したばかりのオリエント美術館へ行ってきました。

  

まずは、「アフタヌーンティールーム」でパスタランチ。

 それから、美術館へ。実は、ここの改修には一年半もの長い時をかけており、訪れるのは本当に久しぶり! 岡山市のオリエント美術館というのは、全国的にも珍しい、オリエント地方の考古学的美術品がたくさん所蔵されているのです。 コンパクトな美術館なのですが、幾多の建築賞も受けており、独特の雰囲気が得も言われぬ場所なのですね。

   

「中庭」と呼ばれる、館内の小さな広場には、円形の噴水と、トルコらしき、イスラミックなタイルが……左上には、オリエントで発掘されたものであろう、柱の柱頭が飾りとして掲げられています。 この場所が、私は好き。ここへ来ると、何だか、心の底から落ち着いてくるのです。

 

お手洗いに入ると、手を洗う手水鉢も、ご覧の通り、リニューアル。「ラスター彩」という、陶器製のものになっているのですが、これで手を洗うなんて、なんともゴージャスな気分!

  

館内にひっそりとある喫茶室「イブリク」にも、本当に久しぶりに行きました。うまく写真が撮れなかったのですが、上の写真がここで食したアラビアンコーヒーとチーズケーキ。

ここの名物は、本格的なアラビア風コーヒーが楽しめること。「イブリク」という独特の銅鍋で、コーヒーをぐらぐら沸かし、そこに砂糖やスパイスを入れたものを、上澄みをすくうようにして飲むのですが、これが「こんなに美味しかった?」と思うほど、美味しい。

とろりとした甘さと苦さ、ふんだんに散りばめられたスパイスの香りが合わさって、飲んでいるだけで、遠くアラビアの地を思わせるエキゾチックな風味なのです。 ああ~、良いなあ、とのんびり喫茶室で、過ごしてしまいました。

アラビアへは、またいつか旅してみたいもの。その時は、このコーヒーだけでなく、ミントティーも飲んでみたいな。

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ドライブ・マイ・カー

2022-06-07 04:18:31 | 映画のレビュー

映画「ドライブ・マイ・カー」を観る。ご存知、村上春樹の短編が原作のもので、カンヌ映画祭で絶賛された話題作。

私は日本映画というものをほとんど観ないのだけれど、この作品は好きな俳優、西島秀俊が主演しているということもあって、気にかかっていた。ただ、原作の村上春樹の短編集「女のいない男たち」は、はっきり言って、面白くない! あの退屈な話をさらに、三時間もの長編にふくらませているだなんて――果たして、面白いのかしら?

 

でも、やっぱり気になる。ということで、ようやくこの度、鑑賞することができたのだけれど、そんな不吉(?)な予想はことごとく裏切られたのであります。

面白い! 三時間という長尺なのに、少しも飽きることなく画面に見入り、最後は余韻に浸ってしまった――短編集「女のいない男たち」の「ドライブ・マイー・カー」と「シェヘラザード」、「木野」などのエピソードを抜粋し、それらを一つに練り上げたとうのだけれど、村上春樹の原作より、はるかに傑作である。

物語の概要を簡単に言ってしまうと――劇演出家の家福は、妻の音(脚本家)を突然失う。家福と音は、仲の良い夫婦で、強い結びつきを持っていたが、それにもかかわらず、音は自分の仕事相手である俳優たちと次々、関係を持っていたらしい。

妻を亡くした後、喪失感に打ちのめされそうになりながら、仕事を続ける家福。そんな彼に、広島国際芸術祭でのオーディションん選出と、舞台の演出の仕事が舞い込む。家福は、愛車のクラシックカー、サーブ600で広島に向かう。

瀬戸内海にある島のゲストハウスを用意された家福。だが、事故防止のため、自分の愛車を運転することはできず、会場側が指定した女性運転手に車の運転を任せなければならないことになる。その若い女性に、最初反発するものの、やむなく運転を任せる家福。

間もなく始まったオーデイション。韓国、フィリピン、中国などからも応募があり、それぞれの母国語でチェーホフの「ワーニヤ伯父さん」を上演するという、実験的な試みが始まるのだが――。

何といっても、主役の家福を演じる西島秀俊が、とてもいい。TVにあらわれるたび、好感を持ってみていたのだけれど、実をいえば、彼の出る作品を観るのは初めて。こんないい俳優だったのか……。 最愛の妻を失い、心に大きな虚脱感を抱える家福の傷心が、その横顔にあらわれているし、オーデイションに姿をあらわした、妻の不倫相手とおぼしき若手俳優 高槻に対する感情を殺した冷静な態度にも、心のひだが感じられた。

相手役の女性ドライバー、みさきも素晴らしい。無口な彼女も、家福と接するうち、自分のことをぽつぽつ語るようになる。みさきは、北海道の出身で、母一人子一人の環境で育ったのだが、水商売の母親は自分を勤務先へ送らせるために、まだ中学生の彼女に車の運転を教えたのだという。しかし、山が崩れ落ち、彼女たち母子の住む家も、押しつぶされてしまう。その時、母親を亡くした彼女は、北海道を離れ、辿り着いた広島で、ドライバーの仕事を始めたのだという。

  

言うなれば、二人とも、人生で寄る辺をなくした者同士。車内で過ごす時間が、何のかかわりもなかったはずの二人の心の距離を近づけ、二人は今まで誰にも語ることのなかった、心の秘密を分かち合うまでになる――。

このみさきを演じる三浦透子も、「いいなあ」と思わせられる俳優。大きな目は、どこか眠たげで、着ているものや雰囲気はまるで、黒子のように目立たない。しかし、彼女が重い口を開くと、なんとも言えない味わいがあり、画面がぐっと引き締まるのだ。

広島国際演劇祭で開かれる「ワーニヤ伯父さん」の舞台は、誤って殺人を犯してしまった高槻の降板などの事件をへて、無事上演されることとなるのだが、こんな実験的な舞台――見てみたいような、とまどうような……。

何しろ、日本語以外にも、タガログ語、北京語、そして韓国の手話などが飛び交うのだ。これって、原作の「ワーニヤ伯父さん」を読んでいる(実は、私は読んだことがわりません)人以外、ちんぷんかんぷんで、面白がれないのでは?

広島というローカルな場所で、こんな前衛演劇が受けいれられるのかしら? とクエスチョンマークが浮かんだものの、最後が素晴らしい。

スーパーで買い物をしているみさきの姿がクローズアップされる。よく見ると、店内の表示はハングル文字で、どうやら彼女は韓国にいるらしいのだとわかる。そして、スーパーから出た彼女が乗ったのは、何と、家福の愛車であるはずの真っ赤なサーブ。車の中には、犬までいて、みさきは韓国に住んでいるのだと観客も了解する。

そのまま、車を運転するみさき。ひょっとしたら、彼女の行く先には、家福が待っているのでは――?と思いかけたものの、海辺の道をさっそうと運転する彼女をみて、どうやら違うのだなということもわかる。彼女は、この車を、家福からもらいうけたのに違いない。そして、この異国の新天地で、彼女が自分の人生を歩み始めたらしいことが、今までずっと無表情だったみさきの顔に、笑顔が浮かんでいることから、感じ取れる――何とも言えず、しんみりした、いいエンディングだった。

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