ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ある日の日記

2022-05-29 14:28:52 | ある日の日記

今、カリグラファーズ・ギルドのZoomが終わったところ。ギルドの総会なるものに一度も参加したことがないので、どんなものか知りたかったのだ。

ノエルの体調が心配で、ここのところ気が晴れない日々が続いていたが、「源吉兆庵」のお店で目についた抹茶の生食パンをお茶の友に。

  

近所の方に、砂糖や卵、バターといったものを一切使わず、植物性の材料だけでマフィンやスコーンを作っているという、奉還町の「ハジマリニ」というお菓子屋さんを紹介してもらい、行ってみる。身体によいお菓子は、こんな風に展示されていた。 一つ一つ丁寧に、心をこめて作っているという感じで、お菓子をくるむ店員さんの手つきも、丁寧。

ただ、マフィン一つが300円以上と高いのが玉にきずなのだが、身体に負担をかけない――こんな姿勢で作られるお菓子屋さんがあるのは、良いなと思う。

往年の二枚目モンゴメリー・クリフトが主演したシリアス映画(なんと、ここでクリフトは神父などに扮しているのだ)「私は告発する」などを観て、昨日の午後は過ごした。 クリフトの憂愁に満ちた貴公子ぶりに、たまらない魅力を感じる私には、良い映画だったけれど、今の時代には通用しないかもしれない。

ノエルと楽しく過ごせる日が、できるだけ長く続くことを……。

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俺たちに明日はない

2022-05-20 16:10:52 | 映画のレビュー

映画「俺たちに明日はない」を観る。1967年の作品。

三十年ぶりくらいに、懐かしく観たわけだが、やっぱり、すっかり内容を忘れていた……。

それでも、主役のウォーレン・ビーティ&フェイ・ダナウェイの組み合わせが、素晴らしい!ことを再確認。

 この映画で製作も担当したウォーレンは、相手役のダナウェイが気に入らず、衝突を繰り返した、とどこかの裏話で聞いたのだけれど、そんなこと、映画の出来栄えには、何の関係もない。実際のところ、ウォーレン達の間に漂っていた緊張感が、かえって映画のスリリングな迫力を増しているよう。

この映画の主人公、ボニーとクライドは、知る人ぞ知る、実在の銀行強盗。世界恐慌の頃の騒然とした世情に、さっそうと登場し、その鮮やかな犯罪手口から、庶民たちには「義賊」として、拍手喝さいされたという、伝説のイコン。

そのボニーをダナウェイが、クライドをウォーレンが演じているというわけだが、ギャングとは思えぬほど、スタイリッシュ。上の写真を見てもわかるように、ボニーはベレー帽を小粋にかぶっているし、クライドの帽子は、ボルサリーノ風。

この二人が、クライドの兄夫婦(バックとブランチ)、頭の弱いガソリンスタンドの従業員のモスを加えて、ギャング団を結成するのだが、よく見てみると犯罪手口は鮮やかであると同時に、刹那的。こんな行き当たりばったりの犯罪なんて、今では考えられない。

銀行に入ったとたん、監視カメラで犯行が一部始終記録されるだろうし、目撃者の証言によって、あっという間に身元は割り出されるに違いない。 危険で刹那的でありながら、ボニーとクライドの犯罪は、どこか西部劇を見ているような、郷愁を感じさせる。例えば、ビリー・ザ・キッドとか、そうぃつた伝説上のアウトローたちの物語。

映画は、事実をそのまま正確になぞっているわけではないのだが、かなり史実に沿っている。兄夫婦を仲間に加えたところや、モーテルでの警察との銃撃戦。その銃撃戦で兄のバックが狙撃され、死亡。ブランチは逮捕される。そして、モスの父親の裏切りによって、沿道で待ち構えていた警察の銃撃を浴びて、ボニーとクライドの二人が死ぬところなど……。

話はいきなり変わるのだけれど、個人的に、1920年代や30年代の映像や文化を見る時、「近くて遠い」という感慨に打たれてしまう。この「俺たちに明日はない」もそうなのだけれど、人々が着ている服や生活様式は、身近でありながら、今ではとうに見られなくなっているものも多々あって、それが、不思議な感じがしてしまうのだ。ボニーが着ている服は、今でも、どこかでそっくりの服を着ている人に出くわしそうだし、彼女が働いていたカフェで出されているメニューもそう。

しかし、テキサスやアラバマ州の田園で働いている人たちの農作業服なんて、「やっぱり、百年近くも前の時代なのだなあ」と思わせられるので、現代と近代が同居しているような、不思議な感覚を覚えてしまうのだ。(私の他にも、こんな気持ちになる方はいませんか?)

 

 

そして、上の写真が映画史に残るラストシーン。待ち伏せによって、無数の銃弾を浴び、車ごとハチの巣状に体を射抜かれて死亡したボニーとクライド。ボニーは助手席から半ば、外へ倒れ、クライドは地面にうつ伏せになっている……こんな劇的な死を迎えた時、クライドは24歳、ボニーは23歳だったというのだから……伝説となるのも、むべなるかな。

「伝説のボニーとクライドのように――」と歌っていたのは、宇多田ヒカルだったろうか?(記憶がはっきりしないのだけれど)。90年たった今も、人々の記憶に残り続ける二人。伝説とは、あざやかな記憶そのものなのだ。

 

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カタツムリの旅の絵本

2022-05-14 21:46:36 | アート・文化

二か月ほど前、福岡のNさんから送っていただいた「ゆっくりじゃだめ?」をしみじみと再読しました。

  

作者は、ニシノミサさんという方だそうですが、紙面いっぱいに描かれた絵が、みな夢のように美しいのです。これって、水彩画なのかなあ~?

 

とても好みの絵で、嫌味のまるで感じられない絵。 夜の月光が差す中、植物の葉の上にいるカタツムリとフクロウの会話……カタツムリとフクロウという組み合わせが、珍奇で、しかもメルヘンチックなのです。紺色の背景のなか、薄いパープル色のフクロウが浮かび上がって、いっそう幻想的に見えます。

色のハーモニーがとても美しい!  カタツムリと旅に出たくなった時、読みたくなる本。

 

 ⁂おまけ 花のアレンジメント

 

               

 

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ボニーとクライド

2022-05-06 19:43:37 | テレビ番組

昨夜、TV番組「ダークサイドミステリー」で、1930年代の有名な犯罪者、ボニーとクライドの特集を観る。とても、興味深かった。

今から、もう90年も前に生きていた彼らだけれど、私がその存在を知っていたのは、一重に映画「俺たちに明日はない」のおかげ。ウォーレン・ビューティーとフェイ・ダナウェイが主演したこの映画は、二十歳の頃、一度観たきりで、その後まったく観ていない(機会があれば、またもう一度見てみたいと思っているのだけれど)。しかし、その時の印象は、今も鮮烈。

何といっても、逃避行を繰り返し、追い詰められてゆくボニーとクライドの二人の姿と、彼らをとうとう見つけた警察が、彼らの車を物陰から待ち構え、無数の銃弾を浴びせるところが、恐ろしく衝撃的だった。 

蜂の巣のようになった車を、そこから転げ落ちる二人の姿――こうして最期を迎えた時、クライドは二十四歳、ボニーは二十三歳と若さの盛りにいた。

しかし、彼らがなぜ強盗・殺人などの犯罪に手を染めるようになったか、その成育歴など、詳しいことはまったく知らなかった。だから、このTVで、二人がテキサス州のスラム育ちであることや、ボニー(彼女は、上の写真で見てもわかるよう、フォトジェニックな容姿をしていた)が当時、一世を風靡したフラッパーや女優になることを夢見ていたこと、その実しがないカフェのウェイトレスでくすんだ日々を過ごしていた時、りゅうとした好青年クライドに出会ったことなどを、初めて知った――なるほど、そうだったのか。

やがて、二人は仲間を加えて、世間の耳目をそばだてることとなるのだが、彼らが夢見たのは、貧しさからの脱出・ひいては自由だったのか?

時は1920年代。アメリカは繁栄の一途をたどりながら、反面下層の人々の不満が高まったいた時代でもあった。そうした庶民の目には、警察という権力をあざわらうかのように、方々に出没して、鮮やかな強盗を繰り返すクライドたちの姿は痛快に写ったに違いない(たとえ、その一方で残酷な殺人を繰り返していたとしても、庶民はそれを直視しようとはしなかった)。

やがて、その残虐さから庶民からも敵視されるようになったボニーとクライドは、車ごとハチの巣のように射抜かれるという最期を迎えるのだが、その後に起こった出来事に、思わず目を疑ってしまった。

彼ら二人の遺体を乗せたままの車が、NYに入った時、人々がわっと車に群がり、クライドたちの洋服の切れ端を切り取ったり、その指を切断しようとしたというのである。

そんな凄惨な現場――見るのも、恐ろしいはずなのでは? しかし、番組中で、犯罪心理学者の女性が、「これはファン心理に近いものだ」と分析していた。良くも悪くも、ボニーたちは、1930年代前半を駆け抜けた、時代のイコン・象徴となっていたのである。

90年もたった今も、伝説として残るボニーとクライド。なぜか? それは、人々の心の内奥には、無法者へのシンパシーが揺らめくせいかもしれない。

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アンネの日記

2022-05-05 22:04:27 | 映画のレビュー

NHKの衛星放送で、映画「アンネの日記」を観る。1959年作の古い映画である。

実を言うと、私は小学生の頃から、このミリー・パーキンスがアンネを演じる作品を観たいと願い続けてきたのだが、ずっと果たせずにいた。だから、この機会にようやく観ることができて、うれしい。

ただ正直言って、物語としては以前観た「アンネ・フランク」の方がだいぶ面白い。アンネを演じる少女の顔も、あちらの方が似ていたし、鮮やかなカラー映像で綴る物語も、起伏があった。

こちらの「アンネの日記」は、最初、アウシュビッツからただ一人だけ生還できたオットーが、自分達が隠れ住んでいたアムステルダムの隠れ家へやってくるところから始まる。彼ら一家を支援していたミープとクヌルプの二人が、オットーを出迎え、ミープはアンネが綴っていた日記を手渡す。

ここから一転して、物語は隠れ家での生活を克明に追い続ける。モノクロームの映像に、アンネ一家とペーター達ファン・ダーン一家、そして歯科医のデュッセドルフが息を潜めて生活する様が、延々とつづられる様は、正直、見ているこちらも狭苦しいところに、閉じ込められそうな気分になってしまうほど。 その一方、アンネ達の生活・会話が舞台演劇を見ているような気持にさせられてしまったのは、なぜなのだろう?

    

私は、アンネの隠れ家を訪れたことはないので、現実のそこが、どれほどの空間を持っていたのかは知らない。けれど、香辛料の会社の二階に、本棚を見せかけにして、密かな隠れ家があったという事実――そこに、二家族と独身の男が住んでいたというのは、息も詰まるような現実だったに違いない。

おまけに、アンネはなぜか彼女の姉マルゴーと部屋を共有するのではなく、転がり込んできた歯科医デュセルドルフ氏と同じ部屋を使わねばならなかった。いかに非常事態だったとしても、十三、四歳の女の子と、おじさんをルームメイトにするとは……。ペーターとデュッセルドルフ氏を同じ部屋にするわけにはいかなかったのだろうか? と私は、つい考えてしまう。

1959年製作の映画であり、第二次大戦中の記憶もまだ遠くない頃なので、作中で描かれた人間模様、事件はほぼ史実に沿ったものだろう。だから、後半、アンネとペーターが心を通い合わせてゆく中で、隠れ家の人たちの不満や怒りが暴発する様は、見ていて「それが、人間というものだよね」と思う反面、心を刺すような痛みを感じる。例えば、ペーターの母親のファン・ダーン夫人が、ミープが差し入れてくれた貴重なケーキを切り分けようとしたところ、デッセルドルフ氏が「あんたじゃだめだ。フランク夫人に代わってもらえ」という。

ファン・ダーン夫人は、彼女の夫の部分だけを、皆より大きく切り分けるだろうから、と彼は言うのだが、この太ったファン・ダーン氏は真夜中、子供たちのためのパンをこっそり食べるという事件まで起こす。この時、普段の節度を失い、怒り狂ったアンネの母は、ファン・ダーン氏に向かって「もう我慢ならないわ。出て行ってちょうだい」と絶叫するのだが、飢えや感情の行き違いをめぐって、こんなことは何度も起こっていたのかもしれない。

だが、物事には、何事も終わりが来る。しかし、アンネ達にとって、それは自由と解放への道ではなく、ある日、突然、隠れ家の前に止まった親衛隊の車の止まるブレーキ音だった。

そのことを悟った、隠れ家の人々の顔を、恐怖とあきらめの表情がよぎる。きっと、胸の張り裂けるような、恐ろしく悲しい瞬間だったに違いない。今から、八十年も前、ヨーロッパの片隅では、こんな悲劇が繰り返されていたのだ。

 

これも、アンネ・フランクを巡る、素晴らしい本。アンネの生きていた当時を蘇らせるような、迫真力に満ちたルポルタージュなのだが、何度読んでも、心に響く。

  

 

作家小川洋子さんの朗読会に参加した時、この「アンネ・フランクの記憶」の本にサインしていただいたことも懐かしい思い出。それも、ずっと昔のことなのだなあ。

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