ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

静かなティータイム

2020-10-27 13:33:12 | ある日の日記

今日、お客様が来られるはずだったのですが、急用のため、キャンセルということになってしまいました。

せっかく、掃除もしたんだけどな…と思いつつ、家の中を眺め渡してみると、掃除のおかげか、いつもより家具がにこやかに笑っているみたい。

気のせいかな?

    

愛用のロッキングチェア。

 

 下の写真は、母が四十年も前に作った絨毯。

      

玄関の間にジャストサイズで作ったもの――デンマーク刺繍の「ダネラ」ですが、古びて色褪せると、また別の味わいが出て来るものですね。

 

    

いつもは、使わない良い食器でティータイム。たまには、こんな日もあって良いかも。

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ある日の日記

2020-10-23 11:24:02 | ある日の日記

今、お庭がどんどん綺麗になっています。一週間以上前から、庭師さんが木の剪定をして下さっているのですが、とても丁寧に、隅々まで刈っていくので、雑木林みたいだった庭が見違えるよう――心なしか庭全体が広くなったような気さえするくらいです。

庭の化粧直しが終わったら、ぜひ写真を撮って記憶にとどめねば!

 ステイホームが続く日々。たまには、外食の気分も味わいたい、とデパートで買ってきたお弁当。

綺麗に彩りを考えていますね……

 

    

この間、初めて作ったクイリング。デイジーの白い花を作ってみたところです。最近、年のせいか、細密画のように細かく彩色したりする作業が億劫になってしまったのですが、やっぱりモノづくりには惹かれますね。

だから、クラフト関係のものにも関心があるのですが――クイリングは、細い紙を使って、クルクルする作業だけ(これが、なかなか細かくて大変なのですが)なので、ストレスが大分軽減しそう。なかなか面白いです。

 

   

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イブ・サンローラン

2020-10-18 09:03:36 | 映画のレビュー

映画「イブ・サンローラン」を観る。何年か前話題になったピエール・レネ主演のものではなく、サンローラン本人が出ているドキュメンタリーである。

    

これが、若い頃のサンローラン。(ほんのちょっとだけだけど)アルセーヌ・ルパンを連想していまいそうな、フランスのダンディぶり。この映画では、サンローランのデザイナー人生としての物語が縦糸に、彼が死んでしまった後、終生の伴侶だったピエール・ベルジェがイブの膨大な美術品をクリスティーズの競売にかける様子が横糸に描かれている。

19歳で、クリスチャン・ディオールに見いだされ、21歳で初のコレクションを成功させるなど、生涯輝かしい栄光に包まれていたかのように見えるサンローラン。そして、それは事実なのだが、その栄光と背中合わせに、彼がどれほどの苦悩を味わわなければならなかったか……。

           

それは、最初のコレクション発表の時、顔を合わせて以来、強い愛と理解で結ばれたピエール・ベルジェの存在があったとしても、救われるものではなかった。コレクションで新しく斬新なファッションを発表し続けなければならない、という重圧の下で、次第にサンローランは追いつめられ、ドラッグやアルコールに入りびたるようになってゆく。

もともとサンローランは、内気で神経の鋭敏な人間だった。だから、若い頃アルジェリア戦争に従軍させられた時も、重い神経症を患い、精神病院の独房で過ごさねばならなかったほどなのだ

そんな彼の救いであり、生きる力でもあったのは、美術への傾倒だったのかもしれない。映画の画面には、パリのアパルトマンの他、モロッコはマラケシュのカラフルな色彩に満ちた豪邸、ノルマンディーの静かな田舎屋敷が入れ替わり、あらわれる。この三つの家が、すべてサンローランの家であり、彼はそれらを行ったり来たりして過ごしたのだが、「さすが、ファッション界の帝王」と思わせられる、インテリアの素晴らしさ!

競売にかけられる、それらの美術品が、運び去られてゆくのを見ながらベルジェは言う。「美術品がなくなってゆくのを見るのは、そんなにショックなことでないよ。それより、ずっと共に生きた人間が、もういないというのは特別なことだ。私は彼と五十年も一緒にいた。その死も看取った」と。

そう。イブ・サンローランという輝かしいデザイナーの名ばかりが記憶されがちだったが、このベルジェの存在を抜きにして、サンローランがかくも歴史に名を刻む芸術家となることはなかったに違いない。ヒステリックで、神経が脆いスターデザイナーを、彼が支え、導いたからこそ、このレジェンドがあるのだ。

全編、ベルジェの回想と、彼がサンローランの美術品の行方を見届けることに集点が置かれているのだが、ベルジェが語る言葉が、深く詩のようで、心の奥にしみた。「表面だけ見れば、栄光に包まれた素晴らしい人生だったと思うかもしれない……とんでもない。イブが幸せそうにしていたのは、年に2回、コレクションの最後、ランウェイに出て、皆の祝福を受けている時だけだった。その晴れやかな気分は長くは続かない。その夜か、翌朝には憂うつに囚われてしまう」スターと呼ばれる人たちの人生が、華麗さと引き換えに、何と過酷なことか、と慄然としてしまった。

サンローランという伴侶を失った後、遺品の整理という仕事を終え、パリのカフェに一人立ち寄るベルジェの姿。彼もすでに、孤独な老人である。最後のシーンは、(多分、モロッコの家だと思うが)大きなガラス張り窓のある部屋で、ヤシや熱帯の樹が茂る庭園を背景に、沈んだ表情のベルジェの横顔のクローズアップで終わる。その目には、自らの終焉をも見届ける人間の、万感の思いが籠っている――深く、心に残るラストシーンだった。

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アデン、アラビア

2020-10-06 17:36:30 | 本のレビュー

ポール・二ザンの「アデン、アラビア」を読む。 河出書房新社発行。 小野正嗣 訳。

「僕は二十歳だった。それが人生で、もっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」――冒頭から、こちらの魂を揺り動かしてしまうような言葉が、投げつけられる。

誰から? もちろん、作者二ザンだ。 そもそも、この「アデン、アラビア」という長くはない(決して短くもないが)作品自体、小説などではなく、二ザン自身がその目で見、感じ、考えたことなのだから。私も、伝説化した、かの美しい言葉「僕は二十歳だった……」に魅せられてしまった一人なのだけれど、その実体は、この言葉から連想されるような、過ぎ去った青春を回顧するなどという、甘ったるいものではない。

「老いて堕落したヨーロッパにノンをつきつけ、灼熱の地アデンへ旅立った二十歳。憤怒と叛逆に彩られた、若者の永遠のバイブル」と帯にあるように、全編には、二ザンの行き場のない怒りや、社会の矛盾に対する鋭い洞察力は、これでもかとばかりに描かれているのだ。よって、長くない作品にもかかわらず、書かれていることは難解とさえ言っていいし、とっつきにくいかもしれない。

しかし、そこから放たれる吸引力の、何とすさまじいことか! 二ザンの力に満ちた文章を読むと、否応なく引っ張りこまれてしまう。これほど、惹きつけられる文章を読むと、大抵の小説なんて、現実感のないたわごとに感じられてしまうほどだ。

今から九十年も前の、1920年代のフランス、そして、はるかなアラビアはアデンが、私たち読者の目の前に、生き生きと提示され、私たちも、二ザンと同じように、船に乗り、岩山と海に囲まれた異国のアデンの地に降りたつ。といっても、「アデン、アラビア」はエキゾチックな風物を描いた旅行小説でもないし、エッセイでもないから、正直、アデンという土地のことが、はっきり伝わる訳でもない。

二ザンが描きたかったのは、何よりも、そこで行われていた白人支配階級の現地人への凄まじい搾取ぶりだったのだから。そもそも二十歳の二ザンが「怒りに満ちて」故国を離れたのは、自分が属するフランスの知識階級のプチブルぶりへの嫌悪からだった――ここで、少し詳しく説明すると、エコール・ノルマル(高等師範学校)というエリート養成機関(二ザンは、ここでサルトルと友人だった)の学生で、国からも手厚い給費が支給されるなど、将来も約束されていた二ザンだったのだが、彼は自分の属する知識人の世界がきわめて狭いことや、こうした知識人を養成するのが、ほかならぬフランスの大ブルジョワであることを自覚していた。そして、そこから抜け出したいと願っていたのだ。

自殺も考えたという二ザンが選んだのは、はるかな地への逃亡。それが、イエーメンの町アデンだが、そこで目にしたのは、本国以上に、白人ブルジョワによる搾取だったという訳。この「アデン、アラビア」は、こうした矛盾に対する怒りと、青春の懊悩に満ちた書なのだが、時代状況が現代とはひどく隔たっているのに、なぜかポール・二ザンという人を今も近しく、鮮烈に感じてしまう。

それは、二ザンの迫力に満ちた文章のたまものだろう。

のちに社会主義作家となった二ザンだが、あらゆる矛盾に対して容赦しなかった彼は、社会主義にも「Non(ノン)」とを突きつけ、結局1940年、大戦中ダンケルクで戦死している。まだ、三十五才の若さだった。何て、激しい一生だったんだろう……。

一生を通じて、自分の納得のいかないものに「ノン」を言い続けた二ザン。それは決して幸せな人生ではなかったかもしれないし、作家としても、かつての友人サルトルが1960年になって、彼の偉業をたたえる序文を復刊された本に寄せるまで、長く忘れ去られていた。

だが、「アデン、アラビア」は21世紀の今も新しい。ページを開くと、遠い昔のものであるはずの、フランスの青春が生き生きと感じられるし、風景描写はほとんどない、とさえ言っていいのに、アラビアの灼熱の風や大地だって、肌に感じ取れるほどなのだから。

これぞ、まさに永遠の青春! 二ザンの「アデン、アラビア」は今も、その灯を吹き消されるのを拒んでいるのだ。

p・s この本を読んで初めて知ったのだけれど、有名な文化人類学者のレヴィ・ストロース(「悲しき熱帯」の作者)は、ポール・二ザンの従弟なのだそう。そして、二ザンの孫も著名な社会学者になっているとか――。

 

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秋の候

2020-10-02 15:48:45 | ある日の日記

お久しぶりです。温室の残り少なくなってしまったマスカットを食べたり、調べものをしたり、掃除をしたりしているうちに、月は早や、神無月に。

上の写真は、門から玄関へ続く庭先にある、白萩を写したものです。眼で見ると綺麗なんですけど、スマホではうまく撮れないのか、単に私の腕が悪いだけ(多分、こちらだと思う)なのか、萩の繊細な花形がいまいち、はっきりしないものになってしまいました。

今日は、歯科医へ行ってきたところです。前歯の左側を差し歯にしていたところ、それが何だかずれて動いている……それだけでなく、隣の前歯も何だか、少し動き始めてしまい、理由を聞きに行ったのですが、「それは、あなたが歯ぎしりをしたり、歯を食いしばったりするせいです」とのこと。

今度から、マウスピースを嵌めて、眠らなければならないらしいです。でも、詳しいことは、次回の治療になってみねばわかりません。

やっぱり、年ですね。歯にも、ガタが来はじめるのでしょう。 でも、私が小さかった頃に比べて、歯科医院は綺麗だし、痛い・怖い!の恐怖ゾーンではなくなってます。(本当、昔の「歯医者」という所は、お化け屋敷まがいに怖かった)

最近、とても感動したことは、あのポール・二ザンの「アデン、アラビア」をやっと読むことができたこと。あんまり素晴らしかったので、二回も繰り返して読んでしまいました。 河出書房新社から出ている世界文学全集の一冊なのですが、若草色の表紙に銀色の鳥が舞っているデザインといい、訳者が美術系の番組で解説もしている作家、小野正嗣さんだというのも、清新な若さを感じさせます。

この「アデン、アラビア」の感想は、次回書こうと思ってます(今、プリンターに本をスキャンさせるのが、うまくいかないので)

昨夜は、目に沁みるようなすばらしい名月でした。きっと、誰もが、夜空を見上げていたはず。あんなにまん丸くて、大きな月をはっきり見ると、やっぱり月にはウサギが住んでいるんじゃないかな、と思ってしまいます。 月に住んでいるウサギは、どんな家に住んでいるのだろう? なぜか、薄の中の藁ぶきの一軒家を想像してしまう私です。

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