いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

アジアの命運談話。 speech of premier abe concerns a destiny of asia

2015-03-25 19:43:14 | 日記
 (1)日中韓外相会議がソウルで3年ぶりに開催された。岸田外相と握手を交わした中国の王毅外相の表情は硬いままだった。その前に王外相が議長を務めた国連会議でも一貫して日本の過去のアジア植民地支配、侵略、歴史問題を指摘して、正しく向き合うことを要請していた。

 今回の3か国外相会議にあわせて行われた日中外相会議でも「安倍首相が今夏発表する戦後70年談話に『植民地支配と侵略』や『心からのおわび』などの(村山談話の)文言を引き継ぐよう強く求めた」(報道)といわれる。

 (2)近年の世論調査では中国に対して好感情を持てない国民が80%程度にも及ぶ結果が示されているとおり、日中間の関係は深刻な対立感情となっている。
 昨年11月の日中首脳会談での安倍首相を出迎えた時の習主席の硬い態度に王外相の内政干渉(interference of internal affairs)ともみえる強硬な日本の過去の歴史問題への善処発言が日本国民の保護主義、ナショナリズムを喚起しているようにも受け取られる。

 (3)安倍首相の今夏発表する首相見解の戦後70年談話に対して中国の王外相が具体的に文言の注文をつけるなどとは、問題がいかに日中間の重要政治課題であったとしても(逆にそうだからこそ)大変に失礼な外交行為だ。
 ナショナリストでなくてもちょっと度がすぎる、超えているのではないのかと思える王外相の良識、冷静を欠く発言だ。

 もちろん王外相だけの問題でもなくて、中国政府の日本に対する過去の歴史問題での強硬姿勢に添ったものだ。王外相は駐日大使の経験もあり、日本としては日中の橋渡しとして両国事情に精通したとして期待もなかったわけではないが、外相としての立場上の振る舞い方もあって、パラドックス(paradox)としてその強硬姿勢が尋常ではなくて際立ってみえる。

 (4)懸案の日中韓首脳会談も安倍首相の戦後70年談話の発表結果をみてからの進展具合という立場だ。中国からすれば旧日本軍によるアジア植民地支配、侵略被害を受けた国としての当然の主張、注文であり、これも表現、言論の自由とでもいいたいところなのだろうが、パラドックスとして表現、言論の自由が極度に制限された国でのことである。

 安倍首相の戦後70年談話はあくまで国内、内政問題であって、戦後70年、平和憲法の下に民主主義、自由主義国家として歩んできた歴史観から日本のアジア植民地支配、侵略、第2次世界大戦とその後の日本を総括して国民に未来の進むべき日本を示すメッセージとなるものだ。結果として、米中韓がその内容を注目、関心を寄せることになった。

 (5)また中国としては日本にとって代わって米国に次いでGDP世界第2位の経済大国となり、何かと日本に対して優位な存在感を示したい国内、国際的事情もあるのではないのか。それが国連、国際会議での日本への強いけん制にあらわれているように思う。

 また中国は強い経済力を背景にアジアインフラ投資銀行の設立を主導して、EU諸国をはじめアジア、中東地域からの参加と広範な影響力を行使してアジアでの支配力を強化している。
 南シナ海では埋め立てによる軍事基地(滑走路建設)化を進めて実質支配、領域を既成事実化し、東シナ海では尖閣諸島への関与、干渉を強めている。

 (6)こうした中国のアジア支配の流れ、戦略としての日本への歴史問題のけん制強化だ。安倍首相が戦後70年談話でどういう表現、対応を示すのか、アジアの命運もかかった談話(speech of premier abe concerns a destiny of asia)となりそうだ。
 

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独断か過半数の総意か。 an arbitrary decision or the general will of a majority

2015-03-24 19:37:26 | 日記
 (1)沖縄の名護市長選、統一地方選は米軍普天間飛行場の辺野古移設問題が最大争点で、いづれも辺野古移設に反対する候補者、勢力が勝利してきた。
 前民主党政権時代の鳩山首相の米軍普天間飛行場の国外少なくとも県外発言が不履行に終わって、辺野古移設容認に転じた時には沖縄あげての反対運動が起こった。

 こうした沖縄の「思い」とはかかわりなく、前仲井真沖縄県知事は一昨年末に辺野古沖埋め立てを許認可した。
 埋め立ての許認可権は県知事にあり、前仲井真知事は普天間飛行場の恒久化回避、沖縄振興予算政策などの「大所高所」から決断したとみられるが、沖縄県民、市民の過半数の「意思」(the general will of a majority)とは相容れない決定であったことはあきらかで、当時の沖縄県行政の最高責任者の判断としては適切であったのかは問題を残した。

 (2)その後、昨年秋に実施された沖縄県知事選には当時現職の仲井真知事も辺野古移設容認、推進の審判を受けるために立候補して、反対派の翁長現知事に敗北した。
 仲井真さんは落選に「想定外」との無念の思いを述べていたが、辺野古移設が焦点の県知事選で沖縄県民の「思い」、審判をはっきりと突きつけられて、県知事としての辺野古沖埋め立て許認可決定の「間違い」をあきらかにされた。

 翁長現知事は前仲井真知事の許認可決定過程に手続きの間違いがなかったのか、第3者委員会を設置して検証を始めた。

 (3)辺野古移設、沖埋め立て許認可問題当時の県民の声、選挙結果で沖縄の意思は過半数が「反対」ではっきりしていた上に、その後の県知事選で辺野古移設容認が県民の理解を得られなかったことは当時の仲井真知事の大所高所からの判断、決定が「否定」されたということであり、ひとりの県政権力者による独断(an arbitrary decision)先行は見直されなければならない事態だった。

 行政権限決定権の行使としては問題もなく手続きを進めた政府としてはとんだ被害者ではあるが沖縄振興策と引き換えに辺野古移設を進めたものであり、県民の「意思」とはかかわらない前知事の独断による許認可にもとづく埋め立て作業を進めることは、たとえ法的手続きに問題はないとしてもその後沖縄新体制との合意形成確認作業は求められるものである。

 (4)この間、翁長現知事との会見要請に応えてこなかったのは政府の方だ。翁長知事は政府(防衛局)の辺野古沖海底ボーリング調査での領域外での岩礁破砕が起きたとして「防衛局への作業停止の指示は2回目で、前より大変重いものがある。私の腹は決めている」(報道)として許可を取り消すことを強く示唆した。

 外部からの同調査領域内への侵入を防ぐためのブイの海底固定ブロック設置による岩礁破砕による作業中止許可取り消しというのも、「こじつけ」(distortion)的なところもあるが政府(防衛局)によるボーリング調査、埋め立て工事が進行している中で、反対派として当選就任した翁長知事としては県民の「反対意思」を示す機会と捉えたのだろう。

 (5)県民の過半数の意思とはかかわりのない前知事の「独断」なのか、県民の過半数の意思にもとづいた現知事の「総意」(the general will of majority)なのか、ようやく来るべき必然の政府と沖縄の全面対立の幕開けだ。

 国の安全保障の問題は国民全体にかかわる重要政策、課題でありながら政府与党協議で都合よく進められており、政府と沖縄の対立は国民全体の総意が試されるはじまりでもある。

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現代芸術の巨星不在。 we have not the big star in contemporary art

2015-03-22 15:21:05 | 日記
 (1)ビートルズ後が見えない音楽界に三島由紀夫後が見えない文学界と現代社会はカリスマ、スーパーミュージシャンがあらわれずに、文豪といわれる作家不在が続く。
 日本ではAKBとか嵐とか音楽グループ全盛を迎えているが印象に残る曲はなく、前面に出てくるのは所属事務所にプロデューサーでミュージシャンは完全な商品化(treat commodity)扱いだ。

 ミュージシャンの潜在能力、可能性が広がることなく事務所、プロデューサーの概念の中で踊らされているだけなので、カリスマもスーパーミュージシャンも出現しようもない二番煎じ争いのつまらなさだ。
 
 (2)世界的にもビートルズ後にモンキーズやベイシティローラーズなどつくられたアイドル系グループが二番煎じ争いをした同じ様な流れの時代もあったが、もちろん取って代われるものではなかった。

 クラシックの世界ではもっと顕著で、ベートーベンやモーツアルト、バッハのような巨星は今の時代には望みようもない。
 絵画芸術の世界でもモネ、ピカソ、ルソーの巨星を継ぐものは現代芸術(contemporary art)ではお目にかかれない。

 (3)文学界も村上春樹さんの作品は日本人作家の中でも世界各国で最も多く翻訳されて毎年ノーベル文学賞にノミネートされて注目は集めているが、世間はノーベル文学賞の今年こそはの思いが強く話題が先行しているように思える。

 三島由紀夫さんは70年に45才の若さで自決してノーベル文学賞には無縁であったが、世界的な名誉をひきつける引力重量感のある純文学観があって、これが文豪力というものだ。

 (4)現代社会も若い作家は数多く登場してくるが自意識過剰気味で芥川賞、直木賞にノミネートされるたびに、「もらう」と公言したり「とりにいく」感情があらわで、ようするに小者ということだ。

 当時の石原慎太郎選考委員の反対批判の中で芥川賞を受賞した田中慎弥さんは、反発してもらうのは自分しかいない、もらってやる発言で話題になったが、とても名誉をみずからにひきつける重量感は感じられるものではない。

 (5)スポーツの世界では科学的トレーニング、施設、思考法が充実して記録は大幅に短縮ないしは伸びている。短距離100メートル走は10秒を切るのが夢の時代から、今は余裕の9秒58が世界記録だ。
 男子マラソンでは2時間7分台が速いといわれた時代から今や2時間2分台で走り、1時間台突入も夢ではなくなっている。
 選手寿命も40代まで現役一線級で活躍する時代だ。

 (6)とびぬけた感性や情緒、想像、理論、知的財産は思考法やトレーニングではつくれない、持って生まれた普遍的なものが作用影響しているが、しかし人間は成長する可能性を内在しているという「いきもの」であることは間違いない。

 音楽を例にすれば、「5線譜」の中での世界観がはてしなく続いて、果たしてこれからどんな音、リズム、メロディの組合せが可能なのかあたらしい発想も及びもしない。

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衆院選の合憲、違憲状態判決。lawful act of constitution & conditional act of unconstitution

2015-03-21 19:42:30 | 日記
 (1)国政選挙のたびに問われる「1票の格差」問題、かっては5倍程度だったものが国会のさしたる努力もせずに人口自然減少、東京一極、地方過疎化により昨年12月の衆院選(election of the house of representatives)は最大2.13倍まで縮小してきた。

 最高裁はこれまでの国政選挙の「1票の格差」拡大を2倍以内を許容範囲として合憲、違憲(状態)判断を示してきた。そのためには国会に対して人口比率にかかわらずに小選挙区議席を各都道府県に1人割り当てる「1人別枠方式」を改めるよう判決にあわせて要請してきた。

 (2)国会は昨年12月の衆院選にあわせて、直前になって「1人別枠方式」を規定から削除する法改正をし0増5減の定数是正を実施したが、全国的な区割りの作業が間に合わず進まずに最大2.13倍での選挙実施となっていた。

 東京高裁は国会の努力を評価して「格差は2倍を少し超える程度で、憲法の求める投票価値の平等に反していたとはいえない」(報道)として、区割りを「国会の裁量権の範囲内」(同)だとして踏み込まずに「合憲」(lawful act of constitution)と判決した。

 (3)最高裁が再三求めてきた「1人別枠方式」を改める法改正対応を国会が示したことを最大評価した甘い判決となった。
 もうひとつの要件の「1票の格差」が2倍を超えない最高裁の判断基準は「少し超える程度」と大まかに甘く評価して、司法が行政に直接介入する姿勢を回避する立場をとった。

 (4)続いて20日には名古屋高裁が昨年12月の衆院選は「憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあった」(報道)として「違憲状態」(conditional act of unconstitution)と判決した。

 名古屋高裁は0増5減程度では「1人別枠方式の構造的問題を最終的に解決したものとはいえない」(同)として、最大2.13倍の「1票の格差」の違憲性を最大重視して東京高裁とは裁判視点の異なる「違憲状態」判決となった。

 (5)同じ昨年12月の衆院選の最大2.13倍の「1票の格差」問題での裁判で、東京高裁は国会の「1人別枠方式」の削除による法改正の努力を評価して格差2.13倍を「2倍を少し超える程度」と過少評価し、名古屋高裁は格差最大2.13倍が残ることで国会の努力は「構造的問題」をそのまま残したとして最終的な解決とは認めなかった。

 まったく「2つ」の要件、条件が同じ裁判判断でのそれぞれが別の角度からの司法視点論を展開して、合憲、違憲状態の相反する判決を導いた。
 通常の裁判では証拠能力について信ぴょう性の裁判官判断が大きく判決を左右することはあっても、まったく同じ要件、条件の裁判で合憲、違憲状態とまったく異なる判決を下すのもめずらしいことだ。

 (6)そのために最高裁の上告審理による決着があるのだが、今回の場合東京高裁の「合憲」判断は国会の「これからの」自助努力に期待するという仮想的ロジック(logic)で司法が行政裁量権に不釣り合いな遠慮を示したものであり、司法判断としては最高裁の判例にも合致せずに専門的見地からのパラダイム(paradigm)にもそぐわない判断だ。

 司法判断としては名古屋高裁の判断、判決が社会正義のパラダイムとしての司法基準にそったものだ。

 

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首相とメディアの会食。 premier abe dines with the media

2015-03-20 19:55:51 | 日記
 (1)新聞に公表されている安倍首相の1日のスケジュールを見ていると最後(夜)の方にメディア関係者(政治部長が多い)との会食がよく目につく。最近の報道分析でも安倍首相のメディア関係者との会食は歴代首相の中でも目立って多いと書かれていた。

 メディアとしては安倍首相から情報ないしはそのキッカケとなる話を探りたい思惑があり、安倍首相からすれば何かと政権に批判的なメディアとの良好(でなくても、会食でもすれば気心も知れる)な関係でありたい思惑もあるだろう。

 (2)ただもう相当前の話なので(といっても安倍政権での話)事の仔細は定かではないが(メディアも当事者として批判する特定秘密保護法案の強制成立ではなかったか)、緊急政治問題があきらかとなったその夜に東京主要メディアの政治部長がこぞって安倍首相と会食していたことにあきれて本ブログでも問題だと書いた。

 スケジュールがすでに決まっていたことによるものだろうが、それぞれに冒頭のような「思惑」(expectation)もあってのことも考えられもするが、政権に批判的で距離を置き国民に利益情報を発信する役割と使命のある公平公正なメディアが、政権による政治問題発生時点で当の政権の首相とこぞって会食では意味、意義のある利益情報を国民に発信できるのか、首をかしげさせる首相スケジュールの中身だった。

 (3)事のてん末を考えたら、決まっていたスケジュールでも丁重に断る良識、決断が必要だった。安倍首相は党の要職時代からNHKの報道内容に対して偏向性(diversionism)を指摘したり、首相となっても朝日系TV報道に対して自分に不利な報道を理由に取材に応じないなどメディアとは対決姿勢が比較強い政治家だ。

 安倍首相の政治思想、信条が保守的、右寄り志向であることがメディア取材の批判の的となって、勢い安倍首相には厳しい報道も多くなるが、こうもあからさまに取材拒否をあらわにする、取材対象から締め出す首相もめずらしいものだ。

 (4)信念は強いものがあるのだろうが性格(character)によるところも大きい。最近でも予算委員会での野党の質問中に自席からヤジを連発して同委員長にたしなめられ、野党からは度量(magnanimity)が足りないと批判されていた。

 この首相の性格的な判断は、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使、憲法改正論議と「前のめり」に慎重派をものともせずにまい進する独断性、危険性によくあらわれている。

 (5)こういう安倍首相の性格からも国民からよく見えない中でのメディア政治部長の首相との会食の多さ、さらに政治的に不適切な時期での承知の上での会食には判断の疑問が大きい。

 近年のメディアは政治現場の国会がそうだからこそ、批評力(critical power)、批判力が低下しているのは残念だ。随分と読みやすくはなっているが、心に印象に残るものが少ないのは物足りないところだ。
 政治とメディアの距離関係が比較影響していないのか。

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