みみずのしゃっくり

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あるドイツ的運命

2017-06-17 | その他

以前にアップしたクラウディオ・マグリスの「ドナウ」の中で、最も印象に残ったエピソードです。
この章の原語タイトルは「un destino tedesco(ウン・デスティノ・テデスコ)」です。








著者がバナト地方ベラ・チュルクヴァで聞いた話です。簡単にまとめてみます。

この地に第一次大戦以前からフォークターという名のゲルマン系実業家が住んでおり、この人物は大地主でもありました。第一次大戦後もこの土地に残り、第二次世界大戦中の1941年にドイツ国防軍が、この地を占領してから、地主の屋敷は若いドイツ軍少尉の宿舎となり、フォークターは少尉を大いに歓待しました。

しかしフォークターの農場で働く労働者たちは、夏には午前2時から夜10時まで働かされ、漸く10時過ぎに屋敷の裏の小屋で、粗末なスープと僅かなパンを食べました。これが彼らの毎日唯一の食事でした。ある晩、少尉は全く事情を知らないまま裏の小屋に迷い込み、1つの鍋を囲んで食事をしている労働者たちに出会いました。彼らと食事のみすぼらしさに驚いた少尉は、すっかり恐縮しておずおずと答える労働者たちから事情を知りました。

激怒した少尉は鍋を蹴飛ばし、フォークターを呼びつけて「お前はならず者だ、ドイツの名誉を傷つける者だ」と叱責し、労働者たちには、これから自分が支払うから、まともな食堂で十分食事をするようにと話しました。

著者が少尉のその後の運命を訪ねると、語り手は「多分、ドイツ軍の敗退のときパルチザンに殺されたんだろうよ。あるいは殺したのは、彼のおかげで食堂に行っていた労働者のひとりだったかも知れない・・・」



      


東欧バルカン半島は古来、様々な勢力の衝突の場となり、繰り返し支配者が替わっています。その後遺症は今も続き、ユーゴスラヴィア崩壊、そしてロシア(プーチン)によるクリミア半島併合東ウクライナの武力紛争は今も続いています。

バルカン半島については複雑なので日本語ウィキは簡単な記述しかありません。英語ウィキは非常に詳しいです。

ところで・・・

上の2つの写真はドイツ語ウィキ記事からピックアップしたイメージ画像です。

人物はウェルナー・ゴルトベルクで、この写真はナチスの新兵募集ポスターに「理想のドイツ軍兵士」として利用されました。しかし片親がユダヤ人だったため軍から除籍されました。多分完全なユダヤ人ではなかったため強制収容所に送られることはなく、親の救出に尽力、戦後は政治家となっています。

追記:ゴルトベルクの両親はクリスチャンで本人も子供のときからクリスチャンとして育てられたので、事件が起こるまで片親がユダヤ人であることを知らなかったそうです。それでも、ユダヤ系の親の救助に尽力したのですから、模範的息子と言えるかもしれません。


下は、第二次大戦西部戦線(フランス)の写真で、バルカン半島の戦線とは関係ありません。