【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

不祝祭

2021-07-27 06:49:03 | Weblog

 「飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ」という言葉がありますが、今回の東京2020は「飲むな歌うな」の“祝祭”となっています。
 昭和末期、天皇が重態だったとき、半年以上にわたって国民は「飲むな歌うな」の“自粛”をしました(日産のテレビCMで井上陽水が「皆さん、お元気ですか?」と言う音声だけがミュートされて口パクになりましたっけ)。そのときよく言われたのが「こんなご時世ですから」。で、今はどんなご時世なんでしょう?

【ただいま読書中】『チューリップの文化誌』シーリア・フィッシャー 著、 駒木令 訳、 原書房、2020年、2300円(税別)

 チューリップの現生種は、中央アジアの険しい山脈に広く分布していますが、変異が非常に豊かで、遺伝子も2倍体や4倍体がいくらでもあり、チューリップ属の分類を志す人たちを古くから悩ませていました。春になると荒野に咲く赤い花は、「大地に流された血」をモチーフとする神話や伝承の元となりました。また、その形から酒杯とも強く結びつけられました。
 トルコ人はチューリップを愛しました。トルコ系のセルジューク朝は12世紀にはすでにチューリップのコレクションをしていて、そこで各地の野性チューリップは交雑の機会を得ました。そしてそのチューリップ愛はオスマントルコにも引き継がれ、オスマンが版図を拡張するのと歩調を合わせてチューリップはその品種を増やしました。16世紀のイズニク陶器は豊富なチューリップの模様で彩られ、リュステム・パシャ・モスクはチューリップ文様のタイルで覆われています。庶民はチューリップの生花で身を飾りました。ちなみに、人々がチューリップをターバンに差しているのを見た神聖ローマ帝国からの大使オジエ・ブスベックが花を指さして名前を尋ねたのに対し「テュルバン(トルコ語でターバンのこと)」と教えられたのを花の名前と勘違いしてそれが「チューリップ」になった、という話が残っています。そして、トルコからヨーロッパに「チューリップ」は進出していきました。
 オスマントルコの細密画ではチューリップはほっそりしていますが、ヨーロッパの絵ではふっくらしたものが多くなります。そしてチューリップはオランダへ。オランダ人もチューリップを愛し、1601年の宝くじではチューリップの球根が賞品となっています。新品種の命名権は生みの親の栽培家にあり、人々は新品種開発に熱中し、人気の品種の球根には高値がつくようになりました。やがてチューリップの球根は、先物取引の商品になります。“バブル”は加熱し、自宅を抵当に入れて球根を買う人もいました。バブルが最高潮に達したのは1636年12月〜37年1月ですが、1635年から始まったペストの流行で労働者が不足し賃金が上昇して素人投機家が余剰金を持つようになったことも「チューリップ熱」に一役買っていました。そして球根一つに「アムステルダムの運河沿いに建つ豪邸が買える値段」がつくようになって、人々は我に返ります。相場は暴落、人々は複雑怪奇な訴訟沙汰に巻き込まれ、引き取り手のない球根はヨーロッパ全土だけではなくて北アメリカ、さらにはトルコにも届けられ、オスマン帝国では新たなチューリップへの熱狂を巻き起こしています。もちろん他の国でもチューリップは愛されるようになりました。
 「チューリップの歌」では花の色は「赤白黄色」ですが、そんな単純な花ではないことが本書に豊富に収載された写真を一瞥するだけでわかります。読んでも楽しく、見ても楽しい本です。