【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

正論

2023-01-05 07:02:58 | Weblog

 「腹が立つくらいの正論」というものがありますが、聞いた人が腹を立てた時点ですでにその「正しさ」が他人に及ぼす効果は失われています。

【ただいま読書中】『土偶を読む』竹倉史人 著、 晶文社、2021年、1700円(税別)

 「土偶」は「妊娠した女性」とか「デフォルメされた人体」とか「宇宙人」なんてことも言われています。しかし「本当に女性なのか? そもそもあれは人体か? デフォルメと言うが、本当か?」という疑問を持った著者は人類学の立場から土偶を“読む"ことにします。土偶のレプリカを常に手もとに置き、縄文人と同じような生活をすることで、縄文人が何を思ってあのような造形を生んだのかを知ろうというのです。
 そこから浮かんだのは、驚愕の解釈。
 土偶は「縄文人が大切にしていた食材(主に植物、一部貝類)を精霊として表現した写実的なフィギュア」だというのです。
 単に「土偶と特定の食材の形が似ている」だけだったらそれは「偶然の一致」かもしれません。著者はそこから、土偶とその食材の分布状況が一致するかを調べ、さらに統計学的手法も使います。言っていることは荒唐無稽に感じられますが、その手法は堅実で学術的です。
 一部の「専門家」が、印象論だけで根拠なしに著者の主張を完全否定するのとはずいぶん違った態度です。というか、「土偶の専門家」なんていないんですけどね。いるのだったら「土偶って、結局何なんですか?」という疑問にきちんと素人でもわかるように説明をして欲しい。それもエビデンス付きでね。
 「ハート形土偶のオニグルミ」「中空土偶とシバグリ」「みみずく土偶とイタボガキ」「縄文のビーナスとトチノミ」など、写真を見るだけで私はある程度納得してしまいました。文章を読んでさらに納得度は深まりました。もし私が縄文人で、「豊穣な自然に感謝する祭り」で祭壇にこういった土偶が飾ってあったら、自然に拝んでしまうでしょう。
 そういえば、最近の私は「暑い」とか「大雨が怖い」とか、自然に対して文句ばかり言っています。自然への感謝の念をいつの間にか忘れてしまっていたんですね。

 


喉元過ぎれば熱さを忘れる

2023-01-02 07:29:47 | Weblog

 10年経つと原発事故の悲惨さはもう忘れられてしまったようです。ならば、半世紀以上前の戦争の悲惨さなんか、もう戦争そのものがなかったことになっているのでしょうね。

【ただいま読書中】『早良親王』西本昌弘 著、 吉川弘文館、2019年、2200円(税別)

 桓武天皇の同母弟で、崇道天皇という追尊天皇(天皇位には就かず、死後に天皇号を追贈された人)です。
 早良親王の祖父施基(しき)親王は天智天皇の第七皇子でその妻は越前の地方豪族の娘。父白壁王は末っ子でその妻和(やまと)新笠は百済の下級氏族出身です。家系図だけ見たら早良親王に天皇の“目"はありません。だからでしょう、白壁王の長男の山部王は官僚として励むことになり、弟の早良は幼くして東大寺に出され、仏道修行に励むことになります。その目が大きく変わったのが、称徳天皇の崩御で白壁王が皇位を継承することになってからです。光仁天皇です。そのためその子供たちは「王」から「親王」へと格上げされることになり、早良は出家の身のままで親王禅師と呼ばれるようになりました。
 天応元年(781)光仁天皇は自身の健康不安を理由として45歳の山部親王に譲位します。「桓武天皇」の誕生です。その翌日、32歳の早良親王は還俗して「皇太子」に任命されます。これまた不思議な人事です。桓武天皇には子供がたくさんいるのに、なぜ同母弟を皇太子に? もしかしたら桓武天皇は、自身の母親の地位が低かったため、それを補強するために同母弟を立太子としたのかもしれません。つまり、桓武の地位強化のための人事。ということは、“用"が済んだら早良皇太子は“用済み"としてポイ捨てされる、ということになりそうな予感がします。しかし、仏教界で重要な役を果たしている弟を自身の“政治"のためにポイ捨て前提で利用するとは、「良い人」では政治はできないんですね。
 光仁天皇が亡くなると聖武天皇系の皇族が多く埋葬された区域に葬られましたが、その後桓武は父を別の地区に改葬し、それから長岡京遷都を始めます。この動きからは、天皇の皇統を「天武ー聖武系」から桓武が属する「天智天皇系」に変更しようとする桓武天皇の意図が読めるそうです。桓武は藤原種継を大抜擢して重用しました。昇進レースで種継に抜かれた貴族たちには嫉妬や怨嗟といったネガティブな感情が満ちたはずです。
 長岡京造営で、夜間も工事の監督をしていた藤原種継が、賊に襲われて落命しました。逮捕された犯人グループは、前月に亡くなった大伴家持の指示で動き、さらに桓武天皇に謀反を企む早良皇太子の許可を得て行動したと自白します。怒った桓武は、実行犯たちを直ちに処刑、早良親王を流刑に処しますが、その道中親王は絶飲食により餓死をした、と伝えられています。
 さてさて、陰謀の主役は、本当に皇太子なのでしょうか? また、その死因は、絶飲食だとして、それは自ら断ったのかそれとも与えられなかった(つまりは殺された)のか。
 平安初期(桓武天皇の死後、その子の平城天皇の時代)に謀反の罪(実は冤罪)を問われた「伊予親王事件」というものがあり、ここでは「親王とその母が禁固されたまま飲食を断たれ、10日後に服毒自殺をした」記録が残っています。似た事件で、人は似た反応をするものですよね? つまり早良親王は殺されたのではないか、さらにその「罪」は冤罪ではないか、という疑いが浮上するのです。それも濃厚に。
 この「冤罪疑惑」を強化するのが、事件のあとの、関係者たちの怯えっぷりです。「早良親王に祟られるのではないか」と恐れること恐れること。“身に覚え"があるんだな、と私は深く頷いてしまいます。
 早良親王が死んで数年後、桓武天皇の生母や后が次々死去、全国的に旱害の被害が広がり国民は飢えに苦しみ、京畿内では天然痘が流行。そんな中、皇太子安殿親王が病気となります。「これは早良親王の祟りだ」と人々は囁きます。
 私が本当に怨霊だったら、桓武天皇の“周囲"を攻めるのではなくて、桓武自身に取りつきますけどね。
 ともかく桓武天皇は、早良親王が死んだ長岡京はどうも縁起が悪いと感じたのか平安京に遷都をやり直します。早良親王の慰霊の行事を何度も何度も何度も念入りに行い続けます。さらに、皇太子を廃した決定を無かったことにしさらに「崇道天皇」と追称し、淡路国にあった墓を山陵に格上げ、そのそばに崇道天皇専用の寺を造営、さらに改葬して墓を大和に移します。これでもか、というくらい「霊に謝」しています。よほど後ろめたかったんですね。そしてこの行為によって逆に早良親王は「日本で最初の強力な怨霊」として位置づけられることになりました。これって、「早良親王が強力な怨霊」というよりは「早良親王に後ろめたい思いをする人がそれだけ大量に存在した」ことを意味しているんですよね? 怨霊よりも怖いのは、生きている人間の方?

 


体罰

2022-12-30 08:01:25 | Weblog

 弱虫で卑怯者の行為です。
 だって「殴り返さない(殴り返せない)とわかっている相手」だけを選んで殴っているでしょ?

【ただいま読書中】『命の救援電車 ──大阪大空襲の奇跡』坂夏樹 著、 さくら舎、2021年、1700円(税別)

 1945年3月10日未明、東京に大空襲がありました。それまで米軍の空襲は主に軍事施設を狙った精密爆撃でしたが、この時から米軍の戦術は市街地に対する無差別大規模破壊大量殺戮を目的とするものに変わります。3月12日未明には名古屋、そして13日23時57分から14日3時25分の間に大阪に274騎のB29から1730トンの焼夷弾が投下されました。大阪市は一面の火の海になります。
 「大阪の地下鉄の駅に逃げ込んだ人が、走っていた電車に命を救われた」という噂が一部で囁かれていました。しかしあくまで噂です。現実的には、終電後には地下鉄の第三軌条(電車を動かすため、2本のレールのすぐそばにもう一本敷かれた電源用のレール)の電源は落とされます。それを空襲のさなかにわざわざ再通電させるとは思えませんし、地下鉄駅のシャッターは閉められ職員は自宅か寮に帰っています。それが空襲のさなかにわざわざ「避難電車」を運行させるために戻ってくるとも思えません。
 しかし、著者のもとには「私は地下鉄に命を救われた」という証言が続々集まってきました。
 大阪大空襲の夜、その地下では一体何が起きていたのか? 具体的な証言がたくさんある以上、それは単なる噂ではありません。しかし、地下鉄のシステム上、最終電車から始発までの間に予定外の電車を動かすことは困難です。
 この謎解きは、実にスリリングです。謎解きをしていたお二人は、心が躍動していたことでしょう。

 


正確な時計

2022-11-17 12:58:06 | Weblog

正確な時計
 世界で最初に発明された時計の正確性はどうやって確認されていたのでしょう?

【ただいま読書中】『発明は改造する、人類を。』アイニッサ・ラミレズ 著、 安部恵子 訳、 柏書房、2021年、2800円(税別)

 材料科学者(兼サイエンス・ライター)の著者は「材料が発明家によっていかに形作られたか」だけではなくて「その材料がいかに文化を形作ったか」について探求しました。
 たとえば「時計」。正確な懐中時計の発明によって、「時間」は「商品」になりました。20世紀初めのロンドンで、実際に「時間」を売って歩いた女性の話が本書の冒頭に登場します。時計を持っていないけれど商売に「時刻」が必須の人(特に閉店時刻が厳密に決められていたパブの主人たち)のために、週に1回グリニッジ天文台に出かけて自身の懐中時計(「アーノルド」という名前でした)と天文台の主時計とを比較、誤差に関する正式な証明書をもらってからロンドン内の顧客を訪問する、という商売です。そしてここから「時計の歴史」が紐解かれます。
 実に巧妙な展開です。これが最初から「さあ、時計の歴史を述べましょう」だったら、平板な物語になってしまうでしょうから。
 他にも、鉄道によってクリスマスを祝う習慣が全米に広がったとか、モールス信号によって新聞の文体が変化したとか、意外な展開の物語が含まれています。そういえば、携帯電話の普及で日本では「待ち合わせの約束」が消滅しましたっけ。これまた人類が発明によって“改造"されてしまったわけです。テクノロジーは偉大だなあ。

 


弔問外交

2022-09-28 12:40:53 | Weblog

 “お友達"のプーチンとトランプは、いましたっけ?

【ただいま読書中】『ばらまき ──河井夫妻大規模買収事件全記録』中国新聞「決別金権政治」取材班 著、 集英社、2021年、1600円(税別)

 「政治」が大好きなことで結びついている夫妻が引き起こした事件の顛末です。
 最初は「文春砲」でした。「妻の選挙で運動員に規定以上の報酬が支払われ、その責任者は夫(しかも法務大臣)」というのです。即日河井克行は法務大臣を辞職、中国新聞は(というか、文春以外のすべてのマスコミは)文春の“二の矢"は何か、と固唾を呑みます。中国新聞は「多数の自民党県議などへの現金ばらまき」が“それ"と読んで、独自に取材を始めその感触を得て記事にします。しかし文春の“二の矢"は河井克行の「(選挙運動中の)60kmオーバーのスピード違反」。つまり結果として中国新聞は「特ダネ」をものにしたことになりました。次は朝日新聞の「秘書が違法性を認めた」「自民党本部から1億5000万円の選挙資金提供」の特ダネ2連発。
 「政治と金」は大きな問題です。しかし、山口県での「桜を見る会」疑惑を最初にスクープしたのは「しんぶん赤旗 日曜版」、広島県での「河井夫妻」では「週刊文春」。新聞記者たちは「自分たちの存在価値は?」と自問させられることになります。記者たちは巻き返しを図りますが、検察は一切情報を漏らしません。ここで重要な手がかりとなったのが「つながらない携帯電話」でした。中国新聞がマークしていた市議や県議で、携帯電話が鳴らない人が何人もいたのです。「検察に聴取され、携帯は押収されているのでは?」と記者たちは推測し、その裏付けに走ります。広島県と全23市町の全首長と全議員、500人以上を対象とした“ローラー取材"の開始です。新聞社という組織力を発揮した瞬間でした。
 しかしまあ、政治家たちの“肉声"にはあきれます。自己保身と自己弁護、なんとか言い逃れて時間を稼いでいたらそのうちに忘れてくれるだろう、という態度がアリアリ。それでもこの河井事件は、日本を少しは変えたようです。日本のあちこちで(河井事件よりは規模は小さいけれど)同様の現金ばらまきが行われていたのですが、受け取る側が「河井事件のようになるかもしれない」とびびって返金することが増えているのだそうです(中国新聞の記者はわざわざ各地で取材をしています)。
 そして「百日裁判」の開始。しかし検察は139人もの証人尋問を申請します(これは弁護側が供述調書の証拠採用に反対したせいでもあります)。100日で終わるのか?と素朴な疑問が記者たちの頭に浮かびます。河井克行は、保釈請求を繰り返し、弁護団を全員解任し(新たな弁護団が揃うまで審理は中止になります。しかし、新たに選任された弁護士7人のうち5人は前回解任された人たちでした。明らかな時間稼ぎです)、法廷で証言中の証人を怒鳴りつけ、自身が証人として出廷して検察官とやり取りをするときにはひたすら攻撃的に揚げ足取りや皮肉や話題を逸らすことに熱中。……なんというか、やりたい放題で、聞いている側はイライラが募ります。
 日本の政治家(の一部)が「法律を守ること」よりも「法律の穴をつくこと」に極めて熟達していることがよくわかります。ただ、ばれちゃまずい、ということはわかっているからこっそりやっているんですよね。だとしたら、あるかどうかわからない「良心」に期待するよりも、情報の透明性に私はひたすら期待してしまいます。

 


円安対策

2022-09-25 16:02:54 | Weblog

 「投機的な動きは許せない」と政府・日銀は円買い介入をしましたが、貴重な外貨(死語?)を手放して安物となった円を買い込むのは、結局国益を損じていません? さらに、円安傾向なのは「投機」のせいでしたっけ?

【ただいま読書中】『あたしの、ボケのお姫様。』令丈ヒロ子 著、 ポプラ社、2016年、1400円(税別)

 中学生のまどかのクラスに5月という中途半端な時期に転校生るりりがやって来ます。小柄で昭和アイドルのような恰好をしていて、話すと完璧な天然ボケ。小学生の時に「あたしはお笑いの道を目指す」と決心して同級生のキエ蔵とコンビを組んで学校では人気者となっていたのに、“路線対立"(キエ蔵は完璧な脚本と徹底した稽古での漫才を目指すが、まどかは自由奔放な方が好み)のためにコンビ解消をしてしまい、その時の“傷"を今も引き摺っていたまどかは、ピンときます。るりりとだったら、すごい漫才ができる、と。
 本書で“演じ"られる漫才(あるいはピン芸人の芸)の数々、実際に見たいぞ、と思わされるものばかりです。さらに、現代社会の暗部が子供たちにしっかりと影を落としていることも描かれるし、主人公の成長も繊細に描かれるし、でもそのどれも面白いし。
 2015年に『花火』でお笑い芸人の世界が純文学に殴り込みをかけましたが、その翌年にはもうお笑いが「青春小説」でかつ「百合」として登場していたわけです。20世紀の「お笑いブーム」は、そのどれもが数人の“MC芸人"を残しただけで消えていきましたが、実は“ブームではないお笑い"はしっかりと現実の日本社会に影響を残しているようです。
 いやあ、面白かった。

 


敬老の日に思うこと

2022-09-19 17:06:11 | Weblog

 高齢者の就労率がどんどん上がっているそうです。その記事を読んでいると、「人手不足だから」とか「日本人は勤労意欲が高いから」などの理由が挙げられていますが、これ、根拠はなんでしょう? ちゃんと「高齢者自身」に聞いたのかな? もしかしたら「年金では食っていけない」がトップの理由ではないか、と思いますが、これも私の想像でしかありません。だから実際にアンケートしたらわかるんじゃないかしら?

【ただいま読書中】『嫌われた監督 ──落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平 著、 文藝春秋、2021年、1900円(税別)

 現役時代に3度の三冠王を獲得したとんでもない選手だった落合博満は、2004年から7年間中日ドラゴンズの監督を務めました。本書は「落合が監督になるらしい」という噂が囁かれるようになったところから始まります。
 日刊スポーツで中日の担当記者(一番の下っ端で落ちこぼれ気味)をしていた著者は、スポーツ記者たちが「落合のすごさ」ではなくて「おれは落合が嫌いだ」と熱心に語ることに違和感を感じます。
 担当記者として落合につきまとうことになった著者は、落合がそういった「個人的感情」から敢えて距離を置くことで「野球に没入している(だからすごい成績が上げられる)」ことと、感情を排するからこそ他人の共感も理解も得られず嫌われることになる(だけど落合はそのことを気にしていないので、他人は「自分がこんなに嫌っているのに、無視された」とさらに嫌うことになる)ことに気づきます。
 では、落合自身は、実際にはどう感じているのか? 興味を持った著者は、他人の評価を無批判に受け入れるのではなくて、まず落合の言葉に耳を傾け、彼の行動を観察し、自分の頭で考えることから始めます。
 本書を読んでいて思うのは「すれ違い」です。人々は落合に「自分が慣れ親しんでいる予定調和」を求めます。しかし落合は「守破離の『守』を否定し『破』と『離』によって野球選手としての“自分"を確立した」という思い(自負)があります。つまり最初から話はすれ違っている。そこで人々は落合を否定します。ところが落合は実績によってその否定を否定してしまう。そこではじめて人は落合に質問をします。ところがその質問は「予定調和」の世界に立脚しているから、落合には答えようがない。ほとんど外国語で質問された気分でしょう。言葉自体が違うし、その言葉が拠って立つ文化も違うのです。だから落合は、答えるにしてもシンプルな単語を返すことができるだけです。あるいは「単純な行動(たとえば観察)」を求める。ところがそれを聞いた人は相変わらず「予定調和」で理解するものだから、結局落合の真意は伝わりません。
 つまり、壮大な「すれ違いの世界」が構築されているのです。
 ここで人々は、落合をやはり否定するか、あるいは落合に「変わる(こちらの世界にやって来る)」ことを要求します。「自分の常識は正しい(正義である)」と自信を持つ人々は、自分と話が合わない人に問題がある、と思うものです。
 でも、「すれ違い」を解消するためには、もう一つ手があります。落合に変わることを求めるのではなくて、自分が変わる。実際に、(「落合が嫌い」という感情は脇に置いておいて)落合の言葉を実践した(そしてそれで成長した)選手がいることが本書では紹介されています。
 落合監督は「チームの勝利」を最優先にします。序列や上下関係とか一か八かの勝負とか男のロマンとか偉業とか、そういったものはすべて二の次。それは毎試合表現されていたのですが、極端にわかりやすく表現されたのが2007年の日本シリーズでしょう。日本ハムに対して3勝1敗で迎えた第5戦、これに勝てば日本一!という大切な試合。山井投手がパーフェクトピッチングで8回を投げきったのに、9回頭で投手交代、絶対的なリリーフエースの岩瀬を投入した采配に対して、賛否両論、というか、ほとんどが否定と落合に対する非難でした。しかし、著者が落合から直接聞き出した「投手交代の根拠」は、なんと4年も過去に遡るものだったのです。さらにその回答に著者は「落合はマシンではなくて人間だ。しかし、この勝利で“空っぽ"になっている」と感じます。
 落合は監督として、勝ち続けました。最悪の年でもAクラスを確保しています。ところが人々はそれが気に入りません。「勝ち方が面白くない」と悪口を言い続け、「中日の人気が上がらないのは落合が勝つせいだ」とまで言います。そして球団は「勝ち続けて人件費が高騰したこと」を理由に落合の首を斬ります(というのは正確ではありませんね。契約の更新を拒否した、です)。
 どうしてここまで落合が嫌われるのか。おそらく「日本野球の常識」を落合が平気で否定するからでしょう。でも、勝負の世界で生きる人間が「常識」や「お約束」を守ってばかりいたら、なみ以上の成績は上げられないのでは? ルールの範囲内で相手の意表を突いたら勝つ確率は上がります。
 おそらく「負けたときの言い訳」として「常識」が使われているのでしょうね。「こんな時には○○でしょう? それで負けたのだから仕方ない」と。
 だけど落合は「常識」を無視します。だから負けたときには「自分の決断」が敗因となる。で、勝ったときにはその決断を無視した(評価しなかった)人が負けたときには問題視する。
 いかにも「日本的」といえば言えそうです。
 そういえば「落合が真意を詳しく説明しない」ことを問題視する人も多数いますが、たとえば「落合解任記者会見」のときに球団は「解任の真意」についてまるで説明しませんでした。どっちもどっちでは?
 なお、本書は「落合監督」についての本ですが、同時に「日本プロ野球」の問題点についての本でもあります。また、サイドストーリーとして、著者の変容(成長?)の本でもあります。最初は落合の言葉にどぎまぎするだけだった著者が、最後の頃には(正解かどうかは別として)自分の頭で考え言葉を発するようになっています。それは「どぎまぎするだけ(言葉を発しない)」ことによって無責任の領域に逃げていた著者が、自分の言葉を発することで自分の責任を明確にする態度を示せるようになったことを意味します。ことばって、重いんですよね。
 そういえば落合監督が最重要視したのは「契約書」でしたが、契約書もまた「ことば」で書かれているんでしたね。

 


「緊張感を持って注視する」

2022-09-08 16:03:20 | Weblog

 昔「壊れたレコードプレーヤー」という言葉がありました。しかし、ここまで“正確"に同じ言葉を確信的に繰り返している政治家を見ると、彼らの頭の中には「壊れていないテープレコーダー」が設置されているに違いない、という確信が私の中に生まれました。

【ただいま読書中】『100万回死んだねこ ──覚え違いタイトル集』福井県立図書館 編著、 講談社、2021年、1200円(税別)

 本書はちょっとしたクイズ本になってます。
 Q:あなたは図書館の司書です。「こんな本を探しています」と質問が来ました。あなたはその人に「この本のことですか?」とどんな本のタイトルを答えますか?

 夏目漱石の「僕ちゃん」……これは簡単。「坊ちゃん」。
 「蚊にピアス」……これも簡単。「蛇にピアス」。しかしこの質問で改めて「蚊」も「蛇」も虫偏であることを意識しました。
 「紙つくれ」……これも読んだことあるな。「紙つなげ!」ですね。
 「ストラディバリウスはこう言った」……これには笑い転げました。もちろん「ツァラトゥストラはこう言った」ですが「ツァラトゥストラはかく語りき」もあるから、さて、どちらを勧めたものか。

 いやあ、覚え間違いのバリエーションには驚きますが、そこから“正解"を導き出す司書たちの腕の良さにも驚きます。図書館のシステムならではの検索テクニック(助詞や漢字の間違いも許してくれないので、できるだけキーワードだけをひらがなで入力する)も参考になりました。こんど図書館の蔵書をネット検索するときにはそれでやってみることにします。
 図書館の司書の仕事は、貸出業務や本の移動だけではありません。「リファレンス・サービス」という極めて知的な作業もされています。こういった人材を使わないのは、納税者としては損をしている、と私は思いました。というか、こういった仕事だったら私もやりたいな。

 


台風への備え

2022-09-02 14:02:15 | Weblog

 まずするべきは、何でしょう? 「緊張感を持って注視する」でとりあえず足りるかな? 日本の政治家は「それで充分」とふだんから主張していますよね。

【ただいま読書中】『NSA(上)』アンドレアス・エシュバッハ 著、 赤坂桃子 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF2352)、2022年、1240円(税別)

 蒸気機関に駆動された産業革命の時代、イギリスではバベッジ卿(とエイダ)によって「解析機関」が製作されました。この解析機関が発展して電子化されていたら歴史はどうなっていたか、という歴史改変もののSFです。本書ではさらにもう一捻りが加えられていて、第一次世界大戦後に携帯電話とワールドネット(現在のインターネットのようなもの)も発明されていて、ちょうど現在の世界(スマホとネットの世界)とほぼ同じ状況になっているところに、ヒトラーが登場した、となっています。すると何が起きるでしょう? ヒトラーはまず「現金廃止」を行います。ユダヤ人(だけではなくてドイツ人全員)の金の流れが追跡できるようにし、電話とネットで全国民の監視を可能にしました。情報管理の担当部局は、ワイマール時代に作られたNSAという組織です。
 ここで私は笑ってしまいます。だって「NSA」はアメリカに実在の組織(アメリカ国家安全保障局)で、実際に情報を監視していますから。つまりこの本は、「異世界(歴史改変)」それも第二次世界大戦下のドイツを舞台としていますが、実は「21世紀の(インターネットとスマホが普及した)社会」も重ね合わされているのです。
 20世紀前半のドイツは(というか、世界のほとんどは)男尊女卑の社会でした。「コンピューターのプログラミング」は「女性の仕事」とされ、教科書はプログラミングを編み物や料理にたとえるところから始められます。「女性のための本」なのです。
 さて、NSAに勤務するプログラマーのヘレーネは、運命によって脱走兵を匿うことになり、二人は恋に落ちてしまいます。二人とも国家反逆罪ものです。また、NSAで“男の仕事"であるデータ分析をおこなうレトケは、少年時代に3人の少年と4人の少女にものすごい屈辱を受け、その復讐のためにNSAのデータを私的に活用していました。これまたばれるとあっさり死刑です。そして、ひょんなことでヘレーネとレトケは、お互いがどんな秘密を抱いているのか知らないまま、“協力"をするようになっていきます。まるで薄氷の上でのアイスダンスです。
 「見張りを見張るのは、誰?」という有名な言葉がありますが、情報を管理する人間を見張るのは、誰なんでしょう? 悪意を持った人がその組織を牛耳っていないという保証は、ありましたっけ?

 


早起きは三文の徳

2022-08-31 07:13:13 | Weblog

 一体何が「三文」なのか、ちょっと考えてみました。
 このことわざは勤労を是としている雰囲気です。早起きしてとっとと働け、と。しかし日本では「夜なべ仕事」も是とされています。「母さんは夜なべをして手袋を編んでくれた」(「かあさんの歌」)とは言いますが、「母さんは早起きをして手袋を編んでくれた」とは言いません。ただ、ここで問題になりそうなのは、照明でしょう。貧乏な家にとって、夜間の照明はそれだけで“浪費"です。もしうっかり蝋燭なんか使ったらそのコストを回収するために莫大な仕事が必要になります。それだったら太陽と共に起き出してお日さまという「無料の照明」を使った方が「三文の得」、そしてそれを実践する行為自体が「徳」であるぞよ、ということだったのでは? 電気を使いたい放題でしかも遊びほうけている現代の人の姿を見たら、江戸時代の日本人はなんと思うでしょうねえ。
 ただし、太陽を経済効果で評価して、しかもその価値が「三文」、というのは、お日さまに対してずいぶん失礼な態度、とも思えますが。ついでに「(得ではなくて)徳」も経済効果で評価してしかもその価値が「三文」というのも、「徳」に対してずいぶん失礼です。

【ただいま読書中】『職工事情(上)』犬丸義一 校訂、岩波書店(岩波文庫 青N100-1)、1998年、700円(税別)

 明治34年(1901)農商務省将校局工務課工場調査掛が「日本の工場」の現実を調査し、その記録を明治36年(1903)に出版しました。劣悪な労働条件をあまりに赤裸々に記録していたため、戦前には復刻が許されませんでした(ただしこれは政治判断でしょう。現在の官僚がデータ捏造や恣意的な廃棄を平気でやっているのとは、ずいぶん背筋の伸び方が違うと私は感じます。平成・令和の官僚はモラルの点で明治に負けてるね)。
 最初に紹介されるのは、関西の紡績工場16の職工ですが、約2万5000人の男女比は2:8、20歳以上は53%で、つまりほぼ半数は未成年です。おそろしいのは「10歳未満」が男女とも数名ずつ存在していること。江戸時代の「奉公」ですか?
 明治32年の東京紡績会社と鐘淵紡績会社のデータでは、男は全員通勤ですが、女の過半数は寄宿舎、ということも示されます。なるほど、これが「女工哀史」の温床です。
 勤務は昼夜二交代。ただし、居残り(残業)は常態化しています。食事休憩は規則に明示されていますが、工場の機械は止まりません。交替で食べに行くか、食べながら労働を続けるか、です。
 本書では「労働者の権利」とか「労働者保護」とかは声高に叫んでいません。叫んでいませんが、徹底的に集められた「データ」がそれだけで巨大な叫びとなっています。