むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

三田村城(滋賀県)

2022年10月04日 | 百名城以外の城
三田村城みたむらじょう
別名三田村氏館
構造平城
築城者三田村氏
築城年代不明
指定史跡国指定史跡
場所滋賀県長浜市三田町 地図

三田村城は、800年前から土豪の館があった場所で戦国期には
京極・浅井氏の家臣三田村氏の城館がありました。
姉川の合戦では、朝倉景健の本陣としても使用されています。
二期に分かれて増築された土塁は、今でもしっかりのこされており、
北近江城館群のひとつとして国指定史跡に指定されています。



案内看板

表の看板のある場所はかつて堀があった場所です。
土塁があるのは見てすぐにお分かりになると思いますが、
その土塁の外側に堀があったようです。


虎口

土塁か切られていて、伝正寺の入り口となる虎口。
そして、鐘楼のある場所にはかつて櫓がありました。


土塁

伝正寺の内側から見た土塁。


伝正寺

本堂には郵便受けと思いきや、パンフレットが入ったボックスが設置されています。
こちらで、姉川の合戦のパンフレットとチラシを入手出来ます。


パンフレット

この中にチラシとパンフレットが入っています。



西側は南西の角に土塁が残っていますが、
残念ながら近年になって北西の土塁は無くなっています。



本来、ここにも土塁があったと思われますがこのように平になり
車でも入れてしまうような平場になっています。


東側の土塁

北側の土塁も良好に残っています。


三田公会堂

車はこちらの駐車場を拝借して散策されると良いと思われます。
また、三田公会の東北側にも土塁が残っています。


案内看板

三田公会堂にも案内看板が設置されており、こちらに三田村城の縄張など記されているので
城の形がイメージしやすいと思います。


姉川古戦場(血原公園)

三田村城が廃城となった「姉川の戦い」の古戦場です。
三田村氏最後の戦いとなったこの戦時では、浅井長政の命により横山城の城主を任ぜられ、
三田村城には朝倉景健の本陣が置かれました。
9時間の戦闘により、姉川は血で真っ赤に染まったと云われています。

姉川の戦いで織田・徳川軍に敗北、三田村氏とその一族は羽柴秀吉を通じて降伏を申し出ましたが
聞き入れられずに三田村氏と一族は打ち首となりました。


10月になりましたが日中はまだ暑い🌞
行きたい山城いっぱいあるけど、残暑と運動不足に負けて平たいところを巡りました。
かれこれ10年以上前に小谷城へ向かった時に通りかかり、姉川付近の散策を見送っていたので
ずっと心残り(寄らなかったことをちょっと後悔)だったのでやっとリベンジ出来ました。


令和4年10月2日登城


今回の参考本





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