むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

腰越城(埼玉県)

2020年02月03日 | 百名城以外の城
腰越城こしごえじょう
別名根小屋城
構造山城
築城者山田氏
築城年代1180年(治承4年)
指定史跡県指定史跡
場所比企郡小川町腰越木落 地図

腰越城は、松山城主上田氏の家老として仕えた
山田伊賀守直定の居城と伝わります。
竪掘りが多く、横への移動が困難な造りで本郭へ至る通路も
複雑なのが特徴で、安戸への入口を守る重要な城と考えられています。



駐車場

町総合福祉センター「パトリシアおがわ」の駐車場をお借りして
腰越城へはここから徒歩で行きます。


案内看板と模型

パトリシアおがわに案内看板と模型があると聞いていたので
施設の中へ探しに行ったのですが、パンフレットなどの資料もなく
諦めてとりあえず城へ行こう!と駐車場の方へ歩き始めたら…駐車場に案内看板がありました。
足元には模型?…これのことだったのか。



案内看板の方向へ。
駐車場は台風で出た瓦礫や使えなくなったものが集められています。



道路を渡ると看板があります。
民家の間の小道を山の方へ進みます。


登城口

榎戸という集落から登り始める入口には、一の木戸を想像させる
入口となっています。
でも、壊れちゃってますね。
これも、台風の影響でしょうか。



案内看板があるので、迷うことなく進めます。



道は遊歩道となっているので整備されています。



尾根に出ました!
ここまでがキツかったあ。
ここを左へ行けば腰越城。右は官ノ倉方面です。



次に見えて来たのが堀と腰越城配置図です。


腰越城配置図

ここで配置図をスマホで撮って、複雑な縄張もこれで攻略



竪掘が見えて来たところで通路は本郭方面へと
橋を渡って堀中を進んで行きます。



道は図のように、複雑に折れ曲がっています。



ここで、本郭へと書いてある、右に進んで行きます。


二の郭

平場に出ました。
二の郭に到着しました。
この辺りには岩や石積みがチラホラと目に付きます。


坂虎口

いよいよ、この坂を登りきると本郭です。
しかし、この坂を登っているうちに両側から攻撃されてしまうという
恐ろしい虎口になっています。


本郭



本郭跡碑

本郭跡碑のある西側には土塁が見られます。


城址碑と看板

本郭には石碑と看板が多くあります。
この案内看板はかなり文字が薄くなっています。





眺望

本郭から小川町が一望できます。



本郭を出て二の郭を西へ。



ぽっかり開いた堀のような部分は、囮虎口の行き止まり部分です。
ここで騙されて登って来た敵兵を上から攻撃


出枡形虎口

西側の抑えとなるのは、この出枡形虎口と囮虎口です。



二の郭と西の郭の堀切までやって来ました。
西側は竪堀となって下に堀を落しています。



堀中から西の郭へと登ります。


西の郭

並郭式の構造を持ち、先ほどの堀切で城は二つに分けられています。
そのことは「腰越村川欠見取図」に残されている絵図を見ると
はっきりと二つに分かれたものが描かれています。



祠があります。



更に奥へ進むとロープが見えて来ました。
物見にでもなってるのか?と思いロープに沿って登ってみました。



本来なら、この先にも遺構があったと思われますが
残念ながら近代になって、石灰岩採掘により消滅しています。
山ひとつなくなってるとか…。



堀切を下って来ると、その先にも下へ道が続いているようでしたが、
そちらは私有地へと続いているようでロープが張られ、立ち入り禁止状態になっています。



道なりに進むと、二の郭の下段へ回り込んで来ました。
石垣と囮虎口があります。
この囮虎口は、こっちだ!と思って登って行っても行き止まりなうえに
上から攻撃を受けるというもの。
先ほど上から見たように、行き止まりになった堀の中を狙うような形になっています。


石垣

ここははっきりと石が積み上げられているのが分かります。
崩れたり、埋もれたりしていて綺麗に残っているところは無いのですが
本郭の周辺や虎口など入り角などに石積みが存在していたものと考えられます。


竪掘

そしてまた、東側の竪掘側に周って来ました。


横堀

ここは竪堀と横堀がセットになっています。
そして先の方は横堀から竪掘へと可変して落し込んでいます。



この上に上がると、もと来た道に戻り1週したことになります。


山城を攻め始めた当時、腰越城は登るのが大変という認識だったため、
ずっと後回しにして来ました。
いくつも山城を攻めているうちに、自分に体力が着いたせいか
いざ、攻めてみたら想像とはまったく違い、整備された比較的初心者でも
ハイキング気分で登れる山城であったことに認識が変わりました。
確かに尾根に登りあげるところが体力消耗しますが、迷子になったり
遭難しそうな危険性はまったくありません。
私は今までどういう情報を目にして、間違った思い込みをして来たんだろう…と。
でも、やっと長年先送りして来た腰越城をやっと攻略出来ました。
めでたし!


令和元年12月8日登城



今回の参考本






2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ヤマシロ)
2020-02-03 12:55:30
お疲れ様、この城は城巡りを始めた初期の頃に来た城です。
いかにも、小領主の街道を監視する城が好きですね!!大大名の巨大な城には無い物を感じます。
Unknown (むぎ)
2020-02-03 20:54:47
小細工が凝縮されたような面白い城ですね。
仕掛けをひとつひとつ吟味して行くと、知恵比べみたいな戦いになりそう。

それと、登城する前に「きりどうし」というコンビニ?に寄ったのですが、そこは切通しだったのでしょうか?
それにしても素晴らしいネーミングのお店でつい、引き寄せられてしまいましたよ^^;

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