【西尾城】にしおじょう
【別名】鶴城・鶴ヶ城・錦丘城・西条城
【構造】平山城
【築城者】足利義氏
【築城年代】1221年(承久3年)
【指定史跡】市指定史跡
【場所】愛知県西尾市錦城町231-1
地図
【城郭検定】出題あり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/49/a366df7378eff4b71df64a2451828871.jpg)
西尾城は、1221年に起った承久の乱の戦功により
三河国守護に任じられた足利義氏が築いたと伝わる城です。
やがて義氏の子孫が吉良を名乗るようになり、吉良荘と呼ばれる西尾地区を
統治することとなりました。
西尾城の特色として、天守は本丸ではなく二の丸にあり、城下を堀で囲む
総構えで城下町と結ぶ主要個所に五つの門を設けていました。
駐車場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/e1/ec292d41e345de40496e2ed2489a4d9c.jpg)
二之丸丑寅櫓、同櫓と天守台を結ぶ土塀の復元が完成した二の丸駐車場に
車を置いて、いざさんぽです!
天守台
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/f9/f662b1079b02f7222ecfc540ddb1a9b6.jpg)
まずは外側から眺めてみます。
綺麗に石垣が積まれた部分が天守があったという天守台を復元したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/cf/1b8732a6de1038532d8efba6da7887a2.jpg)
綺麗に隙間なく石が積まれています。
丑寅櫓と土塀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/7a/c794e1ede5ba82ff80994ef005d59cf1.jpg)
折れのある土塀と丑寅櫓です。
塀と土塁が2ヶ所も折れているのはめずらしいらしい。
折れ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/c9/f88adbbea08ca2538364a7c8122c1ece.jpg)
丑寅櫓から天守台につづく土塀は、木造で控え柱である構造で、「屏風折れ」と言われる土塀です。
折れに対応して土手も張り出しているのが特徴ですが、宇都宮城の土塀を思い出しました。
二の丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/76/71fccba22b137b09adc3295fd90d9cd6.jpg)
本丸より広い二の丸に天守が築かれていたという。
(本丸には神社があり、手狭だったからという説があります。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/fa/33ea65d2e360e252867e741dfb2ff5ae.jpg)
天守台の下にある大きな石は、発掘調査で出土した石を展示しています。
出土石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/70/914bdfc61888c9178e397c7117894f85.jpg)
正面真ん中の周囲と少し色の違う石は、出土した石を再使用したものです。
天守台
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c3/0dc410c4bcc2562c865743d5ec8ff1de.jpg)
西尾市が開発したスマートフォン用アプリをダウンロードして行くと、現地でのARや
現地でなくても楽しめるVRでCG化された天守や城内の様子が見ることが出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/4b/3b5c2049b348bcc813257ceadf626996.jpg)
今後、ここに天守が建つことが計画にあるので
完成が楽しみですね。
私が元気なうちにぜひ完成させてもらいたいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/89/7c79f3968d8d050b13657a5ae2e9c792.jpg)
内側から見た土塀の折れです。
二之丸丑寅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/95/5780a12bfb6d09a23403e4c1e8a0f9bf.jpg)
朝なのでまだ入り口の扉は開いていません。
しかも新型コロナウイルスの影響で中に入っての見学も出来ないようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/59/8f3e13c382da7033b77650d540e60f44.jpg)
シンプルながら印象に残るデザインの櫓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/41/7489f9eba97ccd27b8c916556ecc3401.jpg)
さて、本丸方面へ行ってみましょう。
まずは鍮石門を通って行きたいと思います。
案内看板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/7a/9a8e2eb32590f0a810621132fbfa39e6.jpg)
西尾城は、現在公園として市民の憩いの場になっています。
鍮石門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/42/048a8b898e2671a6a55a25a3c10f44a7.jpg)
鍮石門は、城主の居所である二之丸御殿に至る表門でした。
扉に真鍮が飾られていたとからこの名が付けられたとも言われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a7/41b5c1e84914d826bb304a8a59d5798e.jpg)
鍮石門の内側です。
土塁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/de/3a9a06e7d4ecdba24fb53e95b37b03f2.jpg)
鍮石門両脇に残る土塁の上にも土塀が復元される計画があるようです。
丸馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/7c/04ca5b63727f28e2f1c3d1ebf19619e3.jpg)
綺麗な庭園になっている丸馬出です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f6/eda58939d1bb362c6036895cd29b3ddc.jpg)
発掘調査により二重堀の丸馬出があったことが判明しています。
白い砂利の部分が発掘調査後に埋め戻された掘の跡です。
旧近衛邸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/04/795d36e8507fc8d17d71830a7cf90717.jpg)
茶の湯文化を伝える旧近衛邸は、島津家によって江戸後期に建てられたものです。
書院と茶室があり、お茶を一服(和菓子付きで450円)いただけます。
庭園を眺めながらのんびり過ごしたいものです。
大名櫓型時計塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/59/8c4f4a82e285f7a154747c5d139bae48.jpg)
ボタンを押すと歴史ガイドや歌が流れる仕組みなっています。
なんとな~くこの時計に見覚えがあるような
本丸水堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/9d/6944491062564d8410453562124bbfb3.jpg)
だいぶ草に覆われてしまっています。
西尾神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/30/9bc46b5c8fd3d5a83268fc580b1ab046.jpg)
戦後に造られたという西尾神社。
他にも本丸内には御剱八幡宮があり、天守は…本丸の外。(二の丸)
城主さまより神様の方が偉い!
御剱八幡宮
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/1b/249c568d33e4cd4b494949812520b9e1.jpg)
足利義氏が西条城を築城する時に今の場所へ移し、
源家相伝の宝剣「髭切丸」と「白旗一流」を納めたと伝えられています。
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/aa/679743e52b2b86e7504d29420e20b6b3.jpg)
1678年(延宝6年)に当時の西尾城主・土井利長が再建したもので、
屋根は檜皮葺です。
城址碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/92/59d9e68658e19098473f69be0ea0fa3b.jpg)
本丸井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/61/6b270e68898af54f8f6c923f8b5d4c0c.jpg)
本丸の井戸は、織田信長が吉良荘へ鷹狩りに訪れた際に使用したと伝えられています。
御殿緋桜
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/85/5567a834e42a215290139312aaa1b3f7.jpg)
西尾藩大給松平氏が愛でたという寒梅桜。
まだ、若い樹のようなので何代目なのでしょうか…。
本丸丑寅櫓入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/c1/aa5c5ee808ec8f92077d48f6964def29.jpg)
朝早かったので、まだ開いていません。
以前訪れた時には見学をしているのですが、その時の写真は見つからず…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
本丸表門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/bf/4f6826e7c18667f68ecc1e32d6e71dbe.jpg)
姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建ての楼門がここにありました。
現在は南側の土塁と石垣は失われ、丑寅櫓側の石垣と礎石のみが残されています。
本丸丑寅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/9c/83105174a56a8802f482b6e56178ea4a.jpg)
平成8年に再建された本丸丑寅櫓は、本丸の北東の隅に建てられた櫓です。
以前訪れた時は中の見学をしました。
今は違うと思いますが、埃だらけのスリッパを履くのを躊躇われた思い出が残っています。
(そんな思い出かい!すみません
)
姫丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/93/bea731d34db5cc18026b4af56c8d3bf5.jpg)
以前はまったく意識しなかった縄張りですが、資料館のあるこの辺りは
姫丸と呼ばれる曲輪だったんですね。
西尾市資料館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/43/6852b9344987ee70faef694034a753e1.jpg)
姫丸にあるこの資料館も以前は見学しました。
また、ここからお堀の「亀」を子供たちと喜んで見ていたのを思い出されます。
今は子供たちもお城に飽きて⁉近頃はあまり着いてきてくれなくなってしまいました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/1e/7bcad2cd168f3109dc193a04841ff138.jpg)
東の丸(西尾小学校)と姫丸の間の堀です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ed/4b122fbb0b8030b4095611941122c7e5.jpg)
まだまだ整備の計画があるようなので、次回はいつになるのかな?
天守が完成したらまた訪れるかもしれません。
二の丸丑寅櫓と土塀の完成の話題を見て、行ってみたくなりました。
初の訪問だと思いきや…本丸丑寅櫓と資料館はよ~く覚えています。
????来たことあったっけ????鍮石門?あったっけ??
実は初めて岡崎城を目指した際に、吉田城とともに訪れていたことをすっかり忘れていました。
当時はとにかく建物のある城しか興味が無く、ネットで櫓などある城址を検索して
ただただ観て回っていたので、西尾城と吉田城とごちゃ混ぜの記憶しか残っていなかったことに
驚きました。
攻城団のような行った記録を残しておけるサイトが当時は無かったので、沢山巡っているうちに記憶が
ごちゃごちゃになってしまっていたようです。
今はブログと攻城団の記録があるので、思い出の引き出しがいつでも引き出せて便利なものです。
これは吉田城の方も、もう一度行き直しをしないと、西尾城ミックスの記憶のままですね…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
平成24年6月24日登城
令和2年7月19日再登城
今回の参考本
【別名】鶴城・鶴ヶ城・錦丘城・西条城
【構造】平山城
【築城者】足利義氏
【築城年代】1221年(承久3年)
【指定史跡】市指定史跡
【場所】愛知県西尾市錦城町231-1
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0121.gif)
【城郭検定】出題あり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/49/a366df7378eff4b71df64a2451828871.jpg)
西尾城は、1221年に起った承久の乱の戦功により
三河国守護に任じられた足利義氏が築いたと伝わる城です。
やがて義氏の子孫が吉良を名乗るようになり、吉良荘と呼ばれる西尾地区を
統治することとなりました。
西尾城の特色として、天守は本丸ではなく二の丸にあり、城下を堀で囲む
総構えで城下町と結ぶ主要個所に五つの門を設けていました。
駐車場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/e1/ec292d41e345de40496e2ed2489a4d9c.jpg)
二之丸丑寅櫓、同櫓と天守台を結ぶ土塀の復元が完成した二の丸駐車場に
車を置いて、いざさんぽです!
天守台
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/f9/f662b1079b02f7222ecfc540ddb1a9b6.jpg)
まずは外側から眺めてみます。
綺麗に石垣が積まれた部分が天守があったという天守台を復元したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/cf/1b8732a6de1038532d8efba6da7887a2.jpg)
綺麗に隙間なく石が積まれています。
丑寅櫓と土塀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/7a/c794e1ede5ba82ff80994ef005d59cf1.jpg)
折れのある土塀と丑寅櫓です。
塀と土塁が2ヶ所も折れているのはめずらしいらしい。
折れ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/c9/f88adbbea08ca2538364a7c8122c1ece.jpg)
丑寅櫓から天守台につづく土塀は、木造で控え柱である構造で、「屏風折れ」と言われる土塀です。
折れに対応して土手も張り出しているのが特徴ですが、宇都宮城の土塀を思い出しました。
二の丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/76/71fccba22b137b09adc3295fd90d9cd6.jpg)
本丸より広い二の丸に天守が築かれていたという。
(本丸には神社があり、手狭だったからという説があります。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/fa/33ea65d2e360e252867e741dfb2ff5ae.jpg)
天守台の下にある大きな石は、発掘調査で出土した石を展示しています。
出土石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/70/914bdfc61888c9178e397c7117894f85.jpg)
正面真ん中の周囲と少し色の違う石は、出土した石を再使用したものです。
天守台
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c3/0dc410c4bcc2562c865743d5ec8ff1de.jpg)
西尾市が開発したスマートフォン用アプリをダウンロードして行くと、現地でのARや
現地でなくても楽しめるVRでCG化された天守や城内の様子が見ることが出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/4b/3b5c2049b348bcc813257ceadf626996.jpg)
今後、ここに天守が建つことが計画にあるので
完成が楽しみですね。
私が元気なうちにぜひ完成させてもらいたいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/89/7c79f3968d8d050b13657a5ae2e9c792.jpg)
内側から見た土塀の折れです。
二之丸丑寅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/95/5780a12bfb6d09a23403e4c1e8a0f9bf.jpg)
朝なのでまだ入り口の扉は開いていません。
しかも新型コロナウイルスの影響で中に入っての見学も出来ないようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/59/8f3e13c382da7033b77650d540e60f44.jpg)
シンプルながら印象に残るデザインの櫓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/41/7489f9eba97ccd27b8c916556ecc3401.jpg)
さて、本丸方面へ行ってみましょう。
まずは鍮石門を通って行きたいと思います。
案内看板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/7a/9a8e2eb32590f0a810621132fbfa39e6.jpg)
西尾城は、現在公園として市民の憩いの場になっています。
鍮石門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/42/048a8b898e2671a6a55a25a3c10f44a7.jpg)
鍮石門は、城主の居所である二之丸御殿に至る表門でした。
扉に真鍮が飾られていたとからこの名が付けられたとも言われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a7/41b5c1e84914d826bb304a8a59d5798e.jpg)
鍮石門の内側です。
土塁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/de/3a9a06e7d4ecdba24fb53e95b37b03f2.jpg)
鍮石門両脇に残る土塁の上にも土塀が復元される計画があるようです。
丸馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/7c/04ca5b63727f28e2f1c3d1ebf19619e3.jpg)
綺麗な庭園になっている丸馬出です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f6/eda58939d1bb362c6036895cd29b3ddc.jpg)
発掘調査により二重堀の丸馬出があったことが判明しています。
白い砂利の部分が発掘調査後に埋め戻された掘の跡です。
旧近衛邸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/04/795d36e8507fc8d17d71830a7cf90717.jpg)
茶の湯文化を伝える旧近衛邸は、島津家によって江戸後期に建てられたものです。
書院と茶室があり、お茶を一服(和菓子付きで450円)いただけます。
庭園を眺めながらのんびり過ごしたいものです。
大名櫓型時計塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/59/8c4f4a82e285f7a154747c5d139bae48.jpg)
ボタンを押すと歴史ガイドや歌が流れる仕組みなっています。
なんとな~くこの時計に見覚えがあるような
本丸水堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/9d/6944491062564d8410453562124bbfb3.jpg)
だいぶ草に覆われてしまっています。
西尾神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/30/9bc46b5c8fd3d5a83268fc580b1ab046.jpg)
戦後に造られたという西尾神社。
他にも本丸内には御剱八幡宮があり、天守は…本丸の外。(二の丸)
城主さまより神様の方が偉い!
御剱八幡宮
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/1b/249c568d33e4cd4b494949812520b9e1.jpg)
足利義氏が西条城を築城する時に今の場所へ移し、
源家相伝の宝剣「髭切丸」と「白旗一流」を納めたと伝えられています。
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/aa/679743e52b2b86e7504d29420e20b6b3.jpg)
1678年(延宝6年)に当時の西尾城主・土井利長が再建したもので、
屋根は檜皮葺です。
城址碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/92/59d9e68658e19098473f69be0ea0fa3b.jpg)
本丸井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/61/6b270e68898af54f8f6c923f8b5d4c0c.jpg)
本丸の井戸は、織田信長が吉良荘へ鷹狩りに訪れた際に使用したと伝えられています。
御殿緋桜
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/85/5567a834e42a215290139312aaa1b3f7.jpg)
西尾藩大給松平氏が愛でたという寒梅桜。
まだ、若い樹のようなので何代目なのでしょうか…。
本丸丑寅櫓入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/c1/aa5c5ee808ec8f92077d48f6964def29.jpg)
朝早かったので、まだ開いていません。
以前訪れた時には見学をしているのですが、その時の写真は見つからず…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
本丸表門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/bf/4f6826e7c18667f68ecc1e32d6e71dbe.jpg)
姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建ての楼門がここにありました。
現在は南側の土塁と石垣は失われ、丑寅櫓側の石垣と礎石のみが残されています。
本丸丑寅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/9c/83105174a56a8802f482b6e56178ea4a.jpg)
平成8年に再建された本丸丑寅櫓は、本丸の北東の隅に建てられた櫓です。
以前訪れた時は中の見学をしました。
今は違うと思いますが、埃だらけのスリッパを履くのを躊躇われた思い出が残っています。
(そんな思い出かい!すみません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/namida.gif)
姫丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/93/bea731d34db5cc18026b4af56c8d3bf5.jpg)
以前はまったく意識しなかった縄張りですが、資料館のあるこの辺りは
姫丸と呼ばれる曲輪だったんですね。
西尾市資料館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/43/6852b9344987ee70faef694034a753e1.jpg)
姫丸にあるこの資料館も以前は見学しました。
また、ここからお堀の「亀」を子供たちと喜んで見ていたのを思い出されます。
今は子供たちもお城に飽きて⁉近頃はあまり着いてきてくれなくなってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/1e/7bcad2cd168f3109dc193a04841ff138.jpg)
東の丸(西尾小学校)と姫丸の間の堀です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ed/4b122fbb0b8030b4095611941122c7e5.jpg)
まだまだ整備の計画があるようなので、次回はいつになるのかな?
天守が完成したらまた訪れるかもしれません。
二の丸丑寅櫓と土塀の完成の話題を見て、行ってみたくなりました。
初の訪問だと思いきや…本丸丑寅櫓と資料館はよ~く覚えています。
????来たことあったっけ????鍮石門?あったっけ??
実は初めて岡崎城を目指した際に、吉田城とともに訪れていたことをすっかり忘れていました。
当時はとにかく建物のある城しか興味が無く、ネットで櫓などある城址を検索して
ただただ観て回っていたので、西尾城と吉田城とごちゃ混ぜの記憶しか残っていなかったことに
驚きました。
攻城団のような行った記録を残しておけるサイトが当時は無かったので、沢山巡っているうちに記憶が
ごちゃごちゃになってしまっていたようです。
今はブログと攻城団の記録があるので、思い出の引き出しがいつでも引き出せて便利なものです。
これは吉田城の方も、もう一度行き直しをしないと、西尾城ミックスの記憶のままですね…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
平成24年6月24日登城
令和2年7月19日再登城
今回の参考本