むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

栗橋城(茨城県)

2017年12月08日 | 百名城以外の城
栗橋城くりはしじょう
別名古河旧城
構造平城
築城者野田右馬助
築城年代1457年~1460年(長禄年間)
指定史跡
場所下総国猿島郡五霞町元栗橋 地図


室町時代に鎌倉北条氏照氏がここ北関東の一帯を上杉謙信から守りぬくために
支城として築城させたものであるといわれています。
天正18年まで北条氏の拠点として機能し、小田原合戦の後に廃城となりました。


法宣寺

法宣寺の裏に虎口、「七曲がり」と呼ばれる巨大なクランク状の堀が見られので
本堂脇の墓地を通って裏手に行ってみました。


本堂

まずはこちらでお賽銭を入れて神様に御挨拶をしてから
裏手に廻り、城跡の遺構を見に行きました。


堀と土塁

この堀とは別に、七曲がりと称せられた堀が現存しています。



堀と土塁はとても良い状態で残っていますが個人所有のためか手入れはされていないのと、
私有地であることで進入することも出来ません。


虎口

人が入った様子もうかがえず、獣道すら見当たらずの状態で
わかりずらいのですが、形状や縄張図からするとこの辺りが法宣寺裏の虎口のようです。



法宣寺の表の通り沿いに案内看板と松本家への入口があります。
この道の奥に管理者の松本好司氏宅があり、栗橋城の郭があります。


案内看板

管理者の松本さんの御先祖さまは長野県の松本の出らしい。
その、信濃の松本より小笠原氏が一時的に入城しているので縁があったのかもしれない。



この道奥の右手が松本家で裏手に郭があります。


虎口

松本好司氏宅裏のここが虎口らしいが、個人敷地のため出入りした様子もなく
失礼があってはならないと思いここで引き返しました。





遠景



すぐ近くには権現堂川が流れており、かつてはこの川の対岸も城域だったようで、
元和7年頃の改修工事によって城域は権現堂川により分断されてしまったとあります。

また、私有地のため城郭内は見ること叶わず。
ほとんど手入れされてないので、その分そのままの状態で遺構が残ってそうです。
郭内の様子は地権者の許可が無ければ見ることは出来ない場所なので
御迷惑にならない程度に外から眺めるしかないのかなと思われる城跡でした。


平成29年12月6日登城



栗橋城が載っています
改訂版 図説 茨城の城郭
クリエーター情報なし
国書刊行会

定価:本体2800円+税

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