【戸崎城】とさきじょう
【別名】―
【構造】平城
【築城者】戸崎国延
【築城年代】不明
【指定史跡】―
【場所】加須市戸崎 地図
竜宝寺から諏訪神社一帯が戸崎城の跡で、方形状の遺構が広がっています。
現在遺構は土塁と堀跡を見ることが出来ます。
周囲は田んぼです。
諏訪神社
諏訪神社と聞くと長野県諏訪市の諏訪大社を思い出し、とても馴染ある感じです。
と言っても諏訪神社って大小合わせるとものすごくいっぱいあるんですよね~。
本堂
本堂左に案内看板があります。
五穀豊穣を司る神として崇拝されています。
信州諏訪大社の分霊を祀ったものと思われる。と案内看板に記されています。
ビンゴ!!
思わずお賽銭もはずんでしまいます^^;
親しみを込めて参拝しちゃいます!
戸崎城周辺の図
平らな田畑に土塁が残っているようです。
早速、探してみましょう。
土塁
諏訪神社から見える土塁。
こんなところに島のようにある土塁。
土塁っぽい土塁。
L字になっている案内看板にも表記されている場所の土塁。
草と篠で土の部分はよくわからないです。
竜宝寺
山門の両脇には仁王像がいらっしゃるのですがアルミサッシ付きの現代的なお住まいのようで…^^;
最初観た時はまさか仁王様が居るとは思いませんでした。
水屋
この先に大坂相撲の前頭として活躍した戸崎出身の力士、初代「伊勢の海」の墓所があります。
本堂
本尊は釈迦如来を奉安しています。
江戸時代末には寺子屋としても使用されていたそうです。
石の蓋が付いている賽銭箱。
最初はどこから賽銭を入れたらいいのか迷いました。(※蓋がズレて賽銭を入れることが出来ます)
撫で宝珠
「願いをこめて撫でて下さい」と書いてあったのでお願いしながらなでなで
水子地蔵
大きくて立派なお地蔵様です。
水子地蔵と言えば小ぶりなことが多いのですがこんなに大きいとはお見事です。
諏訪神社は古来戸崎の郷の鎮守として村民の幸福と五穀豊穣の神様として祀られていました。
明治時代に村社となり厳島神社と八坂社と合祀し、平成7年に不慮の火災に見舞われてしまいました。
翌平成8年に信州諏訪大社へ詣でて分霊を奉載し新しい社殿を建立したそうです。
ということは諏訪神社としては歴史は浅いということなのかしら。
また、信州の諏訪大社を選んだ理由というのも案内板や石碑には書かれていないので謎です。
というか、神社のことに詳しいわけではないし、お城の歴史についてもブログを書くことで勉強してる
のでいずれにしても知識は浅くわからないことだらけなので追々調べてみようと思います。
平成29年7月5日登城
【別名】―
【構造】平城
【築城者】戸崎国延
【築城年代】不明
【指定史跡】―
【場所】加須市戸崎 地図
竜宝寺から諏訪神社一帯が戸崎城の跡で、方形状の遺構が広がっています。
現在遺構は土塁と堀跡を見ることが出来ます。
周囲は田んぼです。
諏訪神社
諏訪神社と聞くと長野県諏訪市の諏訪大社を思い出し、とても馴染ある感じです。
と言っても諏訪神社って大小合わせるとものすごくいっぱいあるんですよね~。
本堂
本堂左に案内看板があります。
五穀豊穣を司る神として崇拝されています。
信州諏訪大社の分霊を祀ったものと思われる。と案内看板に記されています。
ビンゴ!!
思わずお賽銭もはずんでしまいます^^;
親しみを込めて参拝しちゃいます!
戸崎城周辺の図
平らな田畑に土塁が残っているようです。
早速、探してみましょう。
土塁
諏訪神社から見える土塁。
こんなところに島のようにある土塁。
土塁っぽい土塁。
L字になっている案内看板にも表記されている場所の土塁。
草と篠で土の部分はよくわからないです。
竜宝寺
山門の両脇には仁王像がいらっしゃるのですがアルミサッシ付きの現代的なお住まいのようで…^^;
最初観た時はまさか仁王様が居るとは思いませんでした。
水屋
この先に大坂相撲の前頭として活躍した戸崎出身の力士、初代「伊勢の海」の墓所があります。
本堂
本尊は釈迦如来を奉安しています。
江戸時代末には寺子屋としても使用されていたそうです。
石の蓋が付いている賽銭箱。
最初はどこから賽銭を入れたらいいのか迷いました。(※蓋がズレて賽銭を入れることが出来ます)
撫で宝珠
「願いをこめて撫でて下さい」と書いてあったのでお願いしながらなでなで
水子地蔵
大きくて立派なお地蔵様です。
水子地蔵と言えば小ぶりなことが多いのですがこんなに大きいとはお見事です。
諏訪神社は古来戸崎の郷の鎮守として村民の幸福と五穀豊穣の神様として祀られていました。
明治時代に村社となり厳島神社と八坂社と合祀し、平成7年に不慮の火災に見舞われてしまいました。
翌平成8年に信州諏訪大社へ詣でて分霊を奉載し新しい社殿を建立したそうです。
ということは諏訪神社としては歴史は浅いということなのかしら。
また、信州の諏訪大社を選んだ理由というのも案内板や石碑には書かれていないので謎です。
というか、神社のことに詳しいわけではないし、お城の歴史についてもブログを書くことで勉強してる
のでいずれにしても知識は浅くわからないことだらけなので追々調べてみようと思います。
平成29年7月5日登城
城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm) | |
クリエーター情報なし | |
写真工房 |