むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

小泉城(群馬県)

2017年01月26日 | 百名城以外の城
小泉城こいずみじょう
別名
構造平城
築城者富岡直光
築城年代1489年(延徳元年)
指定史跡
場所邑楽郡大泉町城之内 地図

富岡氏の居城として6代に渡り栄えた城。
北条氏の傘下に入り現在の城の形が成形された。



大手橋

ここにパンフレットが入っているらしいが、この日は空っぽでした。残念・・。


駐車場

公園周囲にはいくつか駐車場があります。
この駐車場の隣にはトイレも完備されています。


水堀

鴨が沢山泳ぐ水堀が張り巡らされています。


本丸

本丸を囲う土塁はしっかり残されています。
隅には櫓台跡も見られる。

小泉城碑
本丸にある小泉城の碑



水堀を渡る橋を通り、二の丸へ。



城内にはいくつもの碑が存在していていろいろな種類の碑が移設されているようです。



他にも碑がいくつかあるのですが、どうやら住宅地の開発でいくつもの碑などが
この城跡の公園に集められたようです。


漆明地蔵尊

漆明地蔵尊は、太平洋戦争末期にB29爆撃機の空襲による中島飛行機の航空院生百余名の犠牲者の
命福を祈るため現在の大泉郵便局の敷地内に建立されたものをこの地に移したものである。

城之内古墳

この古墳は元々宅地内にあったものを発掘し保存のためにこの地に移したものである。
出土した遺物から7世紀後半頃(古墳時代後期)のものと考えられています。


城之内の百庚申

百庚申は小泉神社西側の小泉城土塁跡一帯に江戸中期から明治時代に造立され、現在の地に移されました。
数えていないですが、85基もあるらしい。


土塁

北側の土塁。
あちこちに残る土塁はとても良好で見事です。


鴨の移動風景

この城の堀には沢山の鴨が住んでいて堀から堀へ移動しています。
途中、移動先の堀を目指してこちらの動きを見ながらぞろぞろ歩いているところがおもしろくて
しばし観察しちゃいました。
また、頭の上の木の枝にも鴨がとまっていました。木にとまってる鴨をはじめて見ました。


三の丸

公園の門ですがこの先は中学校です。
ここも駐車場になっています。


中学と公園の境目にある二の丸と三の丸の間の土塁。




小動物園

公園内には遊具と小動物園があって、うさぎとにわとりとインコが居ました。
遊具は現在新しいものを建設中でした。



小泉神社

小泉神社は学問の神様、試験合格の神様である菅原道真公を祀った神社です。
試験の時はこちらの神社の合格御守りを持参されたし。だそうです。



城郭検定1級に望む時にはぜひお参りに来よう!
でもやっぱり実力かな・・・努力は必要ですね。




大泉にある小泉城。なんだかややこしい。
元々この地は小泉氏の「小泉」という地名だったそうですが大川村と小泉町が合併したことで
大泉という地名になったそうです。

平成29年1月14日登城


フジミ模型 建物 No.08 1/150 宇治平等院 鳳凰堂 2005年改修版
フジミ模型(FUJIMI)
フジミ模型(FUJIMI)

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
北の総構が分水堀緑道として残っている (松山 哲)
2019-01-07 20:11:57
いつも訪城の際に参考にしています。m(_ _)m
この小泉城址、富岡氏の菩提寺である龍泉院の北側に、総構の痕跡が今でも幅20~30mの深い窪地として残っているのですね。本丸周囲や北郭の堀は残っていても、まさか総構の堀はたどれないだろうと思っていたので、ちょっと感動しました。
堀底に小川が流れ、木製の遊歩道が造られていました。
(昭文社の地図にも、「分水堀緑道」とある)

大手橋の袂にある木箱に入っているパンフレット、力作です!。総構を含めた広範囲の平面図で、明治初期の地租改正図や陸軍参謀本部測量図などなどを基に作ったものだそうです。解説文や小泉城年譜も載っています。今度、ゲットしてみて下さい。
Unknown (むぎ)
2019-01-09 12:56:44
松山哲さま、いつもコメントいただきありがとうございます。
私が訪れた時には品切れだったパンフレットを入手されたのですね。
φ(..)メモメモ
今度行ったら真っ先にボックス覗いてもらってきたいと思います。
懐かしい写真をありがとうございます! (妖怪千年おばば)
2020-07-09 19:49:14
はじめまして!
このページを見つけてとても嬉しくなり、書き込まずにいられなくなりました。

写真の中学校は私の母校です。
本丸を囲む水堀の周りは、部活のランニングコース。美術の時間には、水堀の淵の繁みを写生したり。
甥や姪が小さな頃には、小動物の小屋の前の芝生には、ヤギが放されていました。甥が手に持っていたお菓子をヤギに食べられて大泣きしたり。

最近、再放送になった”アシガール”というドラマを見て、そういえば故郷の小泉城も戦国の城だったと思いだし、ネット検索してこのページに出会いました。
桜の季節になったら、是非、また行ってみてください。おススメです。

今では、”日本のブラジル村”と呼ばれる大泉町ですが、他者を受け入れながら生き延びる知恵は、戦国時代から培ったものかもしれませんね。
Unknown (むぎ)
2020-07-09 21:40:53
妖怪千年おばばさまへ

コメントありがとうございます。
思い出いっぱいの城址なのですね。
こういう思い出話を聞かせていただけるなんてとてもうれしいです。(*^_^*)
私の住む富岡市の富岡氏とも御縁があるようなので親近感があります。
たいしたことは書いていませんが、ブームに肖り、多くの方に紹介出来たらいいなと思っています。
今度、桜の時期を狙って、良い写真が撮れるようがんばってみようかな^^;
嬉しいコメント、ありがとうございました。
おはようございます。 (妖怪千年おばば)
2020-07-12 08:59:12
他のお城の記事も拝見しました。
群馬中心に。
藪をかき分けて進む、むぎさんの姿を想像しながら、元気を頂き、改めて、小泉城跡の保存状態の良さを再発見!。
故郷を見直しました

むぎさんは、富岡にお住まいなのですね。
製糸場が世界遺産になったんですよね。
行ってみたいです。

大泉町の名前の由来になったという小泉も、もともとの富岡も、今では住民にその姓を名乗る人はおらず、小泉氏については、資料もあまりなさそうです。

小さな町ではありながら、かつて酒屋や醤油屋の蔵は残っていた記憶があり、子供の頃には、どこかに湧き水でもあって、それが地名の由来なのではと、勝手に思っていました。

今では住所表記も変わってしまいましたが、町内には、”御前宿”と呼ばれる地域もありました。城下の名残だったかもしれませんね。

漆明地蔵尊は、かつて私の父が野菜を育てていた畑の中にあり、年に一度、”下町(しもちょう)”と呼ばれる町会で慰霊祭を行っていました。
その土地が郵便局所有になり、その際に城の内公園に移されたものと思われます。

小泉神社では、”社日”と呼ばれるお祭りがあり、境内や参道にたくさんの屋台が出て、賑やかでした。
”おかめ、ひょっとこ”の神楽も奉納されました。かつては、野菜の種や、木の苗や、農機具を持ち寄っての”市”の役割もあったようです。

では、また。
新しい記事も楽しみにしてますね。
Unknown (むぎ)
2020-07-12 12:06:06
妖怪千年おばばさま、こんにちは。
地元ならではの貴重なお話ありがとうございます。
小泉氏は結城の戦いで亡くなった結城持朝の子である持光が富岡市に逃れ、隠れるために富岡氏を名乗っていましたが、古河公方成氏に従って武功をあげ、小泉と吾妻の一部を与えられ、小泉に築城して小泉氏を名乗るようになったようです。
小泉の地名の由来は冷泉が湧き、広い水田が開け、小泉の里と称したからみたいです。(地名大辞典)
ブログを書いた当時は、資料も手元にそれほど無く、詳しく調べていませんでした。
今あらためて入手した資料を見てみると、見えてくるものもあります。
折をみて再編集したいと思います。
読んでいただき(他も)ありがとうございます<(_ _)>
Unknown (妖怪千年おばば)
2020-07-26 03:03:53
とんでもない時間にスミマセン。
実は本日、大泉町にもう一つ城があった事を知りまして
大泉町の名前の由来のもう一つ、”大川村”の地域にあった城で、利根川沿いの丘に築城された事から、”岡山城(仙石城)”と呼ばれていたらしく。今は運動公園になっているようです、”城址”としては整備されていないのが残念。小泉城が出来てからは、その出城になったようで、利根川からの敵の侵入を防ぐ要塞のような役目をしていたそうですね。
郷土史を学んでこなかったので、びっくりでした


Unknown (むぎ)
2020-07-27 09:07:55
妖怪千年おばばさまへ
連休中三重県の城へ行っていたのでお返事遅くなりました。
利根川「古戸の渡」を押さえる要点にあったようですね。
私もまだ訪問していない城址となります。
縄張図を見ると全体的な形は見えて来ました。運動場西側の段差辺りに、うまくすれば城ぎわや城の内の名残くらいは見られるかもしれませんね。
小泉城と一緒に訪れてみたいですね。

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