名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

お盆の墓参り -2020.8 常霊山本興寺-

2020-08-27 12:51:56 | 寺社・仏閣、城を訪ねる(日本)

 8月の旧盆(8月14日)に、墓参りに実家のある湖西市に出かけた。墓参りの掛け持ちは余り進め
られないと思うが、名古屋からは遠いので、ご容赦願うこととする。
 まず、利木の閑田寺にある弟のお墓にお参りし、ついで、鷲津の本興寺に戦死した父のお墓参り
をし、同じ墓地に眠る祖父母、叔父義叔母(育ての親)のお墓参りをした。
 お寺さんはどこもお盆行事の真最中で、施餓鬼法要か初盆法要かと思われる読経が流れていた。
 湖西市鷲津の常霊山本興寺は、実家の菩提寺であり、正確に言うと本興寺に4つある塔頭の一つ
長勝院(檀那寺)の檀家である。

 山門を入るとやや長い参道が続く、左右には塔頭4院があり、檀那寺は右手にある長勝院である。
されに進むと右手に、方丈、奥書院などがあり、谷文晁の襖絵、小堀遠州作といわれる日本庭園がある。
さらに参道を進むと正面に本堂がある。茅葺きの屋根が真新しく葺き替えられ、新築のようだ。2019
年2月に屋根葺きがあったようだ。右手の石碑には国宝本堂とあるが、現在は重要文化財の指定を
受けている。1162年開山という文字があったように思うが、日蓮宗に改宗される前は真言宗の末寺で
あったので、その年代を記しているのだろう。本堂の周囲には弁天堂、大黒堂、鐘楼堂などが控えて
いる。

  ここから、墓地へ移り、父の墓にお参りし、ついで、祖父母、叔父義叔母の墓にお参りした。お墓の
一番奥の偉い上人様のお墓にも水を手向けた。日蓮聖人と陣門流に繋がる上人を祀っている。日蓮
聖人、日朗、日印、日陣(この方が陣門流の開祖)、日乗(本興寺の開祖)の各上人さまである。ここから
墓地を出て、客殿前を通り、護国塔に立ち寄り、戦没者位牌を探して父の位牌に拝礼し、先祖の供養
を滞りなく終えた。

 本興寺は法華宗陣門流の東海別院。本山は新潟県三条市、長久山本成寺である。1383年大慈悲
院日乗上人が開基した。本興寺の山号は常霊山。院号は大悲院。本尊は三宝尊。塔頭が四院
(長勝院、光明院、玉葉院、東光院)ある。

 解説:仏教用語に弱いので、Inetで色々調べてみたので、以下に示す

檀那寺
日本では一般に信徒がその所属する寺を呼ぶときに用いられ,先祖の位牌を預けたり,そこで法事を行う。
所属信徒は檀家または檀徒と呼ばれる。

塔頭
寺院のなかにある個別の坊をいう。寺院を護持している僧侶や家族が住む。子院,わきでらともいう。/ブリタニカ
大寺院の敷地内にある小寺院や別坊。脇寺(わきでら)。 /デジタル大辞泉

方丈
1丈(約3m)四方。また、その広さの部屋。禅宗寺院で長老や住持の居室または客間をいう。/デジタル大辞泉

檀那寺、菩提寺
檀那寺とは、その寺院にお布施をしてさまざまな活動を支えている、自身が檀家であるお寺のことです。一方、
菩提寺は檀家であるかどうかは別として、葬儀や法要をお願いするお寺のことを指します。さらに、厳格に言うと
そのお寺の土地に先祖代々のお墓がある場合にのみ、菩提寺と呼びます。


山号:常霊山   院号:大悲院   宗派:法華宗陣門流   寺格:東海別院 
正式名: 常霊山大悲院本興寺   別称:文晁寺       本尊:三宝尊  
創建年:1383年   開基:大慈悲院日乗 
文化財: 本堂、絹本着色法華経曼荼羅図 4幅、紺紙金字法華経 10巻、紺紙金字法華経 8巻 (以上、重要文化財) 

マップ、解説(掲示板)の写真を添付する。これはクリックすると拡大します。

   

以上です。


秋野菜の準備 - 2020.8下旬 -

2020-08-22 10:53:09 | 野菜作りに挑戦

 秋ジャガイモを種芋から育苗中で、植え付けの準備をしている。今年で野菜作りを
始めて4年目になるが、秋ジャガは最初の2年間はうまく出来なかった。たまたま、秋
ジャガイモの植え付け方をインターネットで調べていたら、プロの農家の方が、箱に
種芋を植えて芽が出てから植えると確実に育つと説明されていた。昨年はこの方法で
上手く育てることができた。
 そこで、今年も種芋を箱(プラケース)に植えた。この時のポイントは、①底に穴が
空いていること。②底に新聞紙を敷いて適度の水漏れができること。植え付け後は
③芽が出るまでは新聞紙を載せて、表面の乾燥を防ぐこと。などであろうか?
 今年は、芽の出方にバラツキがあり、少し心配している。
 もう一つの心配は、暑くて、畑の準備ができていなことである。トマト畝を早く撤去したい
のだが、作業が進まない。また、サツマイモが繁茂しすぎて、余ったスペースを埋め尽く
しており、スペースが足りない、等である。少し、雨がふってくれないかなー、神頼みだ。
 何とかしないと、苗は様子見中に枯れてしまう。

 もう一つは、タマネギの苗造りのため7月末に種蒔きし、芽が出ることが分かったので、
8月中旬に第2回目の種蒔きをした。上手くいけば、100本から200本のタマネギ苗を
準備できると、期待している。上手くいけば、苗代1000円位を節約できる。

以上です。

 


ロマノフ王朝の建物と庭園  - 2015.4 ロシア旅から -

2020-08-20 05:39:36 | 海外・庭園鑑賞

 随分時間がたってしまったが、エルミタージュ美術館を見たくて、数年前にロシアに出かけた。
 旅行記などを旅行直後にブログに載せているが、庭園をテーマにブログ登録を計画したいと、
考えてきたが、まとまらずに時間がたってしまった。
 ロマノフ王朝の首都であったサンクトペテルブルグは、流石に広大なロシアの平原にあって、
王宮は贅を尽くし、長大で、優美で、個々の建築物そのものが美しい。この首都は、広大な
風景の中に、優雅な数々の建築物が存在感を有し、都市王宮庭園ともいうような景観で、首都の
中心部そのものが庭園というような佇まいだ。
 そこで、エカテリーナ宮殿(夏の宮殿)のような庭園の中に存在する王宮庭園をまず手始めとし、
ついで、冬の宮殿(現、エルミタージュ美術館)や宮殿広場、また要塞、海軍省などの数々の
建築物を含む都市庭園(仮称)を庭園と見立てて登録しようと思う。当時の副都心、モスクワの
クレムリンも都市庭園というような雰囲気である。これも上手くまとまれば掲載したい。
 Googleでロシアの庭園を検索すると、「夏の庭園」を始め、いわゆる庭園と言える王宮や庭園が
表示される。いずれも王侯貴族の宮殿とそれを取り囲むような庭園が検索されますが、今回の私の
短い旅では、立ち寄ることはできなかった。私の報告は、タイトル負けする内容ですが、旅行記録と
いうことで、ご容赦下さい。

<雑感> ロシアに旅行したのは5年前(2015年)4月半ばだったので、既に5年が経って
しまってっている。素晴らしい宮殿や眺めが心に染みついて残っている。このロシア旅の後に、
江戸時代にロシアと関わった日本人、高田屋嘉平と大黒屋光太夫について、小説「菜の花の沖」
司馬遼太郎著、「オロシア国酔夢潭」井上靖著、大黒屋光太夫」吉田昭著等を読み、当人達
の苦難の行程や信念に驚嘆し、また共感を味わった。
 また、この旅ではロシア人ガイドの生の声を聞き、街中でロシア人の生活などを垣間見て、
何となく恐れていたロシア人にも親近感を覚えた。残念ながらこの旅は個人企画の旅では無く、
旅行社のツアーに乗っかって出かけた旅だったので自由度が限られていた。が、それなりに
ロシアを感じることができて良かった。

ここで、一旦閉めることにします。興味のある方は、その2、「冬の宮殿(現・エルミタージュ美術館、他)」をご覧下さい。

冬の宮殿  https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/c10e37b267a95c63dc3a1391be0bc57e


 

 


夏野菜の収穫  - 2020.8中旬 -

2020-08-17 15:56:53 | 野菜作りに挑戦

 6月下旬から7月中旬にかけて、キュウリ、トマト、ズッキーニなどが沢山取れる
ようになり、収穫は絶好調を迎えた。が、その後、長雨の影響か?キュウリには
「うどんこ病」が発生し最初に植えたキュウリ6本(苗)は全滅した。6月に追加で
植えたキュウリ苗3本は7月中旬頃から何本か収穫できたが、これもうどんこ病など
が出て、8月中旬には全滅した。現在、芽が出たキュウリ苗を(第3回目を)植え
ようとしている。
 サツマイモは「紅はるか」「安納芋」「紅あづま」を植えてあるが、葉が生い茂り、
ジャングル状態になっている。そろそろ、蔓返しをやろうと考えている。
 トマトは7月上旬に強風で支えの支柱が倒れて、酷い目に遭った。再度、支柱を
立て、幹を誘引したが、幹が折れたりして、完全な修復はできなかった。倒れて
いる内に、めぼしいトマトは殆どカラスにつつかれてしまった。ミニトマトはカラスも
余り食べに来ないので、今も、日に10~20個位は収穫できている。
 ナスは種蒔きが遅れてしまった。、中長ナスを種から育苗して、6月中旬に定植
したが、これがこのところ成り出した。毎日、10個程度収穫できる。ナスは水やりが
重要で、そのため作業が大変です。水をやらないと、実づきが悪くなる。15本の
苗に15L位の水を一日おきに撒いているので、1本あたり1Lを撒いている勘定だ。
 現在は、ゴーヤとオクラも沢山成り始め、水やりが大変だ。これも水をやらないと
実づきが悪くなる。このところ(8月)の猛暑が厳しいので、水やりを朝7時から8時
半頃までに行っており、暑さが酷くなる前に仕事を終えて帰ることにしている。

 最近の収穫はナス、ゴーヤ、オクラ、等が中心だが、7月中旬まではキュウリや
トマトが中心だった。この頃のブログ(菜園)記事のアドレスを下記に記すので、
興味のある方は、ご覧下さい。

R2.7.15の菜園    
  https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/d/20200715

R2.6.28の菜園  
  https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/d/20200628 

以上です。


梅酒造り_2  -瓶詰完了 2020.8.13 -

2020-08-15 11:28:53 | 我家の行事等

 梅を瓶詰めしてから2ヶ月が経ったので、そろそろ梅酒も完熟したと思い、
8月13日にウィスキー瓶に移した。13L分の容量の容器(2本)に12L相当
の梅、氷砂糖、焼酎が入っていたので、ウィスキー瓶12本になると想定した
が、完成品は瓶11本となった。少し、梅(4Kg)が少なかったような気がして
いたので、やむを得ない。
 出来映え(味のほど)は、まずまずで、今後の賞味が楽しみだ。いつまで、
持つ(飲み続けられる)だろうか?

以上。


カノコユリが綺麗に開花しました。  - 2020.8初旬 -

2020-08-08 22:27:39 | 自然観察_ユリ

 2017年7月に鹿児島県川内市・甑島(コシキジマ)へ、カノコユリの観察に出かけ
地元の保存会の方から、苗を分けていただいて、手に持って持ち帰りました。
 2つの鉢に植えて、(相棒の奥様が)大切に育てていますが、今年も開花し始め
ました。最初に7月末に一つ目の小さい鉢が開花し、8月5日頃に2つめの大鉢の
大きなカノコユリが咲き始めました。
 現場で拾ってきた、ハマナデシコも花が咲き始めましたので、載せました。
 ついでに、今年撮影した、ヤマユリ、オニユリの写真も載せることにしました。

以上です。

 

 

 


英雄、ファンボイチャウ  - 常林寺と浅羽佐喜太郎 -

2020-08-06 17:07:15 | 歴史と史跡を訪ねる(日本)

 ベトナムには2回観光に出かけた。初回は2008年にハノイとその周辺、2回目は一昨年
(2018.1)に旧サイゴン(現ホーチミン市)に出かけた。中部のフエにも行きたかったが、余裕と
日程の都合がつかなかった。
 ベトナム旅行(旧サイゴン)を計画している時、図書館で「日本を目指した英雄と皇子」という
ベトナム独立をめざすファンボイチャウの本を手にした。日本に学び、日本の明治維新を
意識して?、多くの若者を日本に遊学させ、フランスからの独立運動を続けたが、フランス政府
の妨害により、日本からの強制退去を日本政府から命じられる。
 日本では、静岡県袋井市の篤志家・浅羽佐喜太郎医師(当時小田原で開業)の支援を受けて
独立活動を続けることができたようである。日本を退去した後は、ベトナム、広東で活動を続け
た。ベトナムで仏政府から捕縛され、終身刑で投獄されたようである。1940年に独立を待たず
他界した。大戦後、ソビエト共産党の支援を受けたホーチミンが独立活動を続け、ベトミン軍を
指揮し、9年間の活動の後に、1954年5月ディエンビエンフーの戦いで仏軍要塞を撃破して
独立を勝ち取った。

 前置きが長くて恐縮だが、ファンボイチャウの支援者だった浅羽佐喜太郎・医師が早くに
他界したことを知ったファンボイチャウは佐喜太郎の出身地(袋井市・常林寺)に感謝を込めて
記念碑を建てた。(浅羽佐喜太郎とは、どんな方だったか?)
 これが、常林寺を訪ねた理由だ。どんなお寺さんだろう。何が記念碑に書かれているのだろう
か?
 もう一つ、平成29年3月、ベトナム政府の招請を受けて平成天皇がベトナムを訪問された。
この時、3月4日に中部のフエ(ベトナム阮朝首都)に立ち寄り、ファンボイチャウ記念館を訪ねた。
さらに、帰国後に、私的旅行で袋井市の常林寺を訪ね、浅羽佐喜太郎・記念碑をお参りされた。
  上皇様はベトナムと日本の架け橋を担ったファンボイチャウと篤志家、浅羽佐喜太郎に思いを
馳せたのだろうか?

 

 常林寺は遠州東部、天竜川と牧ノ原台地の間の唯々平らな畑、田圃の中にひっそりと陣取って
いた。特に、立派な建物があるわけではなかったが、郷土の尊敬すべき偉人を知り、その記念碑に
お参りして、懐の深い先達の志と行動に感銘を受けた。

<参考> 以下、クリックすると拡大します。

  

以上です。

 


遠州三山の一画、油山寺

2020-08-02 10:20:37 | 寺社・仏閣、城を訪ねる(日本)

 7月19日、可睡斎を訪ねた後、もう一つの遠州三山、油山寺を訪ねた。
油山寺は行基大徳上人が701年に開山した真言宗のお寺さんだ。目や足腰に御利益が
あると親しまれてきたお寺さんで、この山に、昔、油が湧いていたので油山寺と名付けられ
たといわれている。境内に「るりの滝」があり、この水で目の病気が治るといわれている。
 目の霊山、足の神様と言われる御利益のあるお寺さん(医王山薬王院油山寺)である。

 お寺は閑静な山域の中にある。山門をくぐり少し歩くと宝生院と薬師本堂への分岐に出る。
正面を進み礼拝門をくぐると宝生院、方丈、書院などの前に出る。宝生院でお参りをして、
薬師本堂への分岐点まで戻る。

 この分岐点から驥山門(キサンモン)を通り、薬師本堂へ向かう。途中に「るりの滝」がある。この
辺りから本堂へは坂道となり100段くらいの階段を上る。 階段を上りきると広場があり、右手
に三重塔、正面に薬師本堂がある。薬師本堂でお参りをして振り返ると、眼下に三重塔が
美しく聳えている。

文字情報を以下に掲示します。クリックすると拡大します。

<油山寺> 由来: 遠州三山の一つ、医王山薬王院油山寺(イオウザンヤクオウインユサンジ)は、
大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺です。すべての人の穏やかな
暮らしと無病息災を祈り、行基大徳は本尊の薬師如来を奉安されました。
 油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに
由来しています。(油山寺のHPから引用)

以上です。