今回の東海道57次旅も終幕近し
ちょっぴり街道の面影を残したこの辺りは交野ケ原、天皇家の狩猟場のあった場所。
文徳天皇の第1皇子:惟喬親王は立太子争いに敗れ、和歌遊興におぼれていた。
平安の歌聖:在原業平と共に別荘である渚院で和歌に興じていた。
『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまじ』在原業平
この世に桜が無ければ、開花は何時か?雨で散りはせぬか?などど心配しなくてすむものを…桜の素晴らしさを逆説的に読んだ名歌である。
惟喬親王の別荘:渚院は跡形もないが、後に建てられた観音寺の鐘が現在残されている。
江戸時代の鋳造で古い鐘の形を残している。
枚方宿に入ると急に、この種の看板が多くなった。
東海道の保存にとても熱心な自治体の様が明らか…
この辺りまで下ると淀川は大河の様相を呈し、30石船が行き交った往時を容易に想像できる。
この橋何と読むかわかりますか? 烏の1種かな…
大きな船が人と荷物を運ぶ30石船、手前の小舟は「くらわんか舟」呼ばれる。
30石船のお客に、食べ物や飲み物を売る船(くらわんか舟)が近づいて商売している有様。