ももすけの日記

カラフルな春は花屋の店先に
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

世界でもっとも価値のあるものが奈良にある

2018年06月06日 02時19分06秒 | ひとりごと

我が家の菩提寺である浄教寺さんで「フェノロサと明治の日本」という講演を聞きました。

   

帝塚山大学の先生で西山厚さんとおっしゃる先生。4年前まで奈良国立博物館の学芸部長をされていたそうです。帝塚山も、西山も私にとっては馴染み深く、なになに、とまず、そこから興味がありました。

フェノロサは薬師寺の東塔を「凍れる音楽」と評し、岡倉天心は法隆寺夢殿の救世観音をぐるぐる巻きの布から見つけた、と、その程度の知識の私。

講演が始まる前に食事をと、餅飯殿を通り抜けて”ビフカツ”の看板をみつけ、そこで、たらふくのお昼ごはんのあとは眠気が心配でした。

  

しかし、西山先生のユーモアと皮肉たっぷりのお話で、まったく眠気を催すこともなく、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。

お話の中で、一番感動したのは、「お雇い外国人」として若いフェノロサが奈良で仏像に出会い、『世界で最も価値のあるものが奈良にある』と言ったということでした。元奈良県人として、仏像大好き人間として、これほどうれしいことはありません。

二番目、廃仏毀釈は奈良ではほとんど無かったということ。先日、NHKのテレビで、仏教と神道が仲良くやってこられた日本の番組を見たばかりだし、同じような本の広告も目にしていました。

明治維新、尊王のために神道を重要視しなければいけない、ということで神社に「神仏判然令」というのが神社に通達。①神社に仏像や僧侶がいてはならない②神を仏教用語で呼んではならない③仏像を神体にしてはいけない、と。それまで、いかに、神と仏が同居していたか、ということです。ここのところは、とても面白くて、たとえば、、興福寺のお坊さんは約1000人いたが、すべて春日大社の神官にさっさと転身したのです。新政府は寺ではなく、これからは神社を大切にするようだから、ぼやぼやしてはいられないと身代わりの早いこと!天理の永久寺の僧は石上神社へ。でも、それらの寺にあった仏像はちゃんと残っているのです。

三番目に感動したのは、130年前の今日、明治21年6月5日にフェノロサが『世界で最も価値のあるものが奈良にある』と講演したのが、この浄教寺であった、ということです。通訳は岡倉天心。130年前の人たちがどんな風な感想を持ったのか、知りたく思います。

九鬼隆一という人の奥さんと岡倉天心の恋愛の話、その後、天心もフェノロサも仏教に帰依して最後は不遇でもあったという話、興味はつきませんでした。

そして、ますます、奈良が好きになりました。仏像のこと、もっともっと知りたいと思います。

 

 


My favorite things

2018年06月02日 17時45分46秒 | ひとりごと

タイトルだけ英語で、、、全文を英語にしようなんてしたら、きっと明日の朝までかかる、いや、途中でやめようと思うだろうな。

毎日、好きなことをして、好きなものに囲まれて暮らしているのをありがたいと思わないでいられません。

でも、ときどき、体の不調、たとえば、今は腰が痛いし。2週間ほど前は左目がかすんできてこのまま見えなくなったらと不安でした。眼科に行くと、後発性白内障。白内障の手術をした後に出る症状で、レーザーで施術できます。今からでも大丈夫ですか?と、訊かれて、やってもらいました。心の準備もできてなくて、かなり後、疲れましたが、もう大丈夫。

白内障の手術をしてもらって5年になります。

0.03の裸眼視力が0.1に。少しよく見えるようにはなりましたが、ほんとうはコンタクトレンズやめがねを使わなくてよいようにしてほしかったのです。

でも、目が見える、ということだけでもありがたいこと。生まれつき目のよい人は想像できないと思いますが、年をとって老眼鏡が必要になると気づくはずです。

だけど、目が見える、ということ、目に飛び込んだ光が網膜に像を映し、脳が判断しているだけで、ほんとうのもの、がほんとうにあるのか?

ほんとうに大切なものは目には見えない!

私が今、見ているものがほんとうにそこにあるのか?と急に不思議な気持ちになったこと、一度だけではありません。

かくいうも、琵琶湖にしずむ夕日、きれいだったなあ、また見たいなあ、と思うのです。