ももすけの日記

カラフルな春は花屋の店先に
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

「森の探偵」

2018年03月11日 16時31分45秒 | ひとりごと

写真家 宮崎学とキュレーター(この言葉も正直なところ、今まで知らなかった)小原真史の、副題「無人カメラがとらえた日本の自然」という本を読みました。

スカベンジャーという言葉に初めて出会った。

 ① 掃除人。また,廃品回収業者。 ② 腐食動物。動物の死骸(しがい)や排泄物を食する動物。 ③ 「 抗酸化物質 」に同じ。 

カラスやハイエナが嫌われるわけだけど、蛾や蝶は体液を、リスは脂肪を、イノシシは腐敗している肉でも大丈夫に出来ている、ハエは卵をうみつけてウジがわき、そのウジをスズメバチが食べる、、、。

生物は常に他の生物の死を待っている、死体を通して、まさに『輪廻』ではないか。

人間も風葬やら鳥葬というのもあった。人間が他の生き物と違うというところを示したいのだろうか、人間の感覚が生物としてでなく、『人間』として変化してきたからだろうか、想像するだけでも今の私たちにとっては恐ろしいことだと思うけれど。

土葬をやめて火葬にしたのは、身体に貯めこんだ栄養を自然に還元しないまま死んでしまう、という一節にもハッとした。

私が死んでも何の役にも立たないより、死んだら分からないのだから動物に食べさせても良い、とはやはりこわくて考えられない。

せめて死後の臓器提供はOKしていたけれど、70歳になったら腎臓バンクからは、もうあなたの臓器は移植できませんとの通知がきた。

「人間の尊厳」も、人間が拵えた、勝手に感じているおこがましい感覚かもしれない、とさえ思う。

 

いや、この本はそんなことばかりではなく、むしろ、たんたんと、この半世紀、無人カメラの証拠写真から、自然が教えてくれるものをいろいろと推察する探偵なのだ。

クマやイノシシやシカが害獣として多くなったのは、テレビなどで専門家や学者さんが「人間が山を切り開いて、山に動物の餌を少なくしてしまったから、とか、里山が放置されてしまって、人と動物の境界が無くなってしまった。」と言うのを聞いて、人間は悪い生き物だと私も、動物たちに申し訳なく思っていた。

が、人間の生活の変化、たとえば夜も明々と照明されているところが増えた結果、夜行性の動物たちはその明りをたよりにしだしているらしい。人間より寿命の短い生き物は、生まれた時から高速道路やコンビニの24時間の明かりに慣れてしまって、それをこわいものとは感じなくなっている、と。

自然はどんどん変化していってるし、自然に生きる生き物たちも変化して当然なのだと思う。だけど、人間が我が物顔に自然を変えさせようとするのはとても不遜なこと。

ただ、自然界は人間の及ばない力があり、そんなやわではないのだろう。

人間は自然にもっと畏敬の念を持ち、大切にしなければならないのはもちろんだと思う。

牡蠣を養殖している人たちは「森は海の恋人」と言って植樹活動をしているそうだ。森の落葉が地中の雨水と鉄分、ミネラル、植物性プランクトンなど、有機物となって海に流れ込み、それを食べに動物性プランクトンが集まり、そして魚たちが集まり、豊かな海につながるという。

 

今朝の「折々のことば」

世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。    クロード・レヴィ=ストロース

途中から世界に現れ、やがて先に消えてゆく人間には、その世界に「修復不能な損傷を惹き起すいかなる権利」もない。人類は世界の主ではない。世界の中で自分が占める位置を知るために、人類は自らの背後にもう一つの眼をもつ必要がある。その眼をフランスの民族学者は、のちに世阿弥の「離見の見」に倣い「はるかなる視線」と呼んだ。『悲しき熱帯』より