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他人の幸せを、自分の幸せと感じる

ヘレン・ケラーは、三重苦の中に置かれた自分の運命をどのように捉えていたのだろうか?

「できることなら、「運命」の横暴な命令に私は異議を唱えたい。というのも私の心は、まだ大人しくしていることができず、情熱に燃えているからだ。それでも、のど元まで出かかった自暴自棄のことばを、私は決して言わない。こぼれなかった涙のように、その思いを飲みこみ、胸の奥にしまっておくのだ。沈黙は、いつまでも私の魂の上から動こうとしない。しかしやがて、希望が微笑みとともにやって来て、つぶやく。「喜びは、自分を忘れることにあるのだ」と。だから私は、人の目に入る光をわが太陽とし、人の耳に聞こえる音楽を私の華麗なシンフォニーにしよう。人の唇からもれる微笑みを、自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい」(p.179)

他人の幸せを、自分の幸せと感じる。

これこそ、人間として「究極の成長」の姿ではないか、と思った。

出所:ヘレン・ケラー(小倉慶郎訳)『奇跡の人:ヘレンケラー自伝』新潮文庫
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