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芸術と入神

魯山人のエッセイが面白かったのでもう一つだけ紹介したい。本物の芸術家とはどのような人かという箇所である。魯山人は、帝展(帝国美術博覧会)を見た感想を次のように語っている。

「今年の出品を見てもただちに感ずることは、技巧的情熱が横溢していることである。涙がこぼれるくらいだ。しかし、技巧に熱があっても肝心な内容に熱がない。だから二度見三度見するとだんだんつまらないものになる」(p.170)

技術がいくら優れていても芸術とはいえない、という。では、芸術家とは何なのか?

「実のところ別に芸術という職業があるわけではない。要は作品の出来栄えが神に入るにおよんで初めて芸術的価値を生じ、しかして入神の作家なる者を芸術家と称するのである。畢竟、個性の発揮も入神して初めて躍動するものである。故に絵を描くから、音楽をやるから、文学だからといって芸術家と称するのは誤りである」(p.170)

個性が神と一体となってはじめて芸術になるという考え方だ。芸術にかぎらず、あらゆる領域において、技術は優れているが、魂がこもっていないものがあるように思った。個性が神に入るとき、そこに魂が吹き込まれるのだろう。

出所:北大路魯山人『北大路魯山人の真髄』河出文庫
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